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幸薄い伯爵令嬢

王太子は文句を言う

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 直ぐに、とは確かに言われたがそれでも言葉の綾かと思いきや、やっぱり王妃様って恐ろしい、と思いつつレイは馬車に揺られていた。『ではのんびりしていらっしゃいね』と言うマルガレータの言葉と同時に扉が開かれ、まるで罪人のように騎士達に囲まれて連行されそのまま馬車に乗せられたのだ。

 馬車には既にシャファルアリーンベルドが乗っていたが変わった様子はないのでほぼ間違いなく彼は騙されているのだろう。となれば説明要員は自分一人。レイは深ーい溜息をついた。

 思った通りシャファルアリーンベルドは件の孤児院の何故か切り上げさせられた予定の残りを終わらせる、とまんまと騙されてやる気満々で馬車に乗っていた。うん、この男は本当に真面目で仕事熱心なのだ。色々惜しいのだけれど。

 「アーヒールーのーせーわーにーんーだーとぉぉぉぉ?!」

 お仕事大好きシャファルアリーンベルドくんはレイの予想通り荒れた。

 「違いますよ。アヒルの世話人ではなくアヒルの世話をする令嬢の世話人です。それとアヒルの世話人って言い方はまどろっこしいから役職名はアヒル番にしろと仰せつかりました。先に言っときますが王妃様によれば姫百合ですが百合根の方が近いです」
 「姫百合も百合根もよくわからんしどうでも良い。どうしてわたしが仕事を放ったらかしてアヒル番の世話をしなければならない?残してきた仕事はどうなるんだ?」
 「国王陛下が頑張るそうですよ。最近何でも殿下に押し付けてサボろうとなさるから丁度良いと王妃様が……」

 シャファルアリーンベルドはううぅっ、と唸った。そんな気はしていたがやはりそうだったのか!いやしかし、だからといってエルクラストに引っ込んでいる場合ではないだろう。

 「直ぐに引き返せ。命令だ」
 「無理です。王妃様は殿下の処遇について陛下から一任されておりますので王命と同等だとの仰せです」

 うぅう~っとちょっぴり違う唸り声をあげながら、シャファルアリーンベルドは拳を握った。白か黒かの二択しかない彼が王命に逆らうなんて言語道断。黙って言う通りにするしかないが、この納得がいかない苛立ちをどうすれば良いのだ?

 「そもそも処遇とはなんだ、処遇とは。わたしが何をしたと言うのだ」
 「何をしたっていうか……殿下はぎっくり腰癖がおありですからエルクラストの温泉で湯治をするようにと。でも一日中湯に浸かっている訳ではないのでそれ以外の時間はアヒルの世話人の世話をするようにとのことです。つまりご公務ですよ、殿下」

 レイナーディラエフィッセ氏、シャファルアリーンベルドの乳兄弟として共に育ち共に学び側近となって早二年。シャファルアリーンベルドを丸め込ませたら世界一の腕前を誇る男である。文末に公務をチラつかされシャファルアリーンベルドの態度はやや軟化した。

 「しかしわたしはぎっくり腰癖などないぞ」
 「何を仰る。私がコツコツと種を撒いてきたぎっくり腰癖の噂を打ち消してどうなさるのです?いつ何処の誰が王家に反旗を翻すかわかったものではありません。肝心要の腰が弱いとなれば敵は油断するもの。その油断を誘うために殿下にはぎっくり腰癖がお有りだという偽の情報を流しておるのですよ。この度の静養もその噂の信憑性を増すためのもの……」

 シャファルアリーンベルドは腕を組んで目を閉じ押し黙った。しばらくそうやってじっとしていたが、カッと目を開くと覚悟を決めたようにレイに語り掛けた。つまり見事に丸め込まれたのである。
 レイナーディラエフィッセ氏、流石は見事な御手並みである。

 「アヒルの世話をする令嬢とはどういう事だ?なぜ令嬢がアヒル番などに任命される?どんな人物だ?報告は上がっているんだろう、書面を見せろ」
 「あー、それについてはね、殿下に経験を積ませるよい機会だからご自分で事情聴取させるようにと言いつかりましてお見せできないし詳しい話も止められてるんです。許可されている範囲で説明しますと王妃様がご成婚前に親しくされていたご友人のお嬢様で、ニアトのレーベンドルフ伯爵家の令嬢です。母君は九年前に他界され父君も先日急逝されました。従兄弟を婿養子に迎える予定でしたが先日婚約破棄されました」
 「婚約破棄?解消ではなくか?」
 「はい、令嬢の出生届が出されておらず正式な娘として認められていないのが判り爵位は叔父の物になりました。ですからその息子は利点のない令嬢との婚約を破棄して新たな条件の良い縁談を探すとの事です。ついでに相続権も一切ないと言われて無一文でこちらに向かっているそうです」

 シャファルアリーンベルドは眉間を寄せて険しい表情をした。

 「そんなバカな話があるか!何故不服を申し立てないんだ?」
 「それが……色々事情がある夫婦の間に生まれた娘さんでね、ま、普通じゃないんですよ。言うなれば彼女自身が小さなお池のアヒルちゃんみたいなものでね」
 「はぁ?お前何を言っている」

 レイは深く溜息をついた。あの複雑怪奇な環境に置かれ洗脳されるように育てられた娘の事をシャファルアリーンベルドが理解などできるのだろうか?ただでさえ○か✕かの単純な二択しかしなくなってしまったこの堅物にほとほと困っている今日この頃だというのに。

 「お前のせいで不幸になった、お前さえいなければ、お前など生まれてこなければ……首も座らぬ赤ん坊の時からそんな言葉に晒されて育ったそうでしてね。ちょっとでも幸せそうな顔をすると叱責されて、嬉しがるなんて以ての外で、悔しがるのも怒るのも許されない。泣く事だけは咎められないので18年間泣き暮らしていました。ですが、それ以外の暮らしを知らないので本人は人生なんてそんなもんだと思っているようです。誰を恨むことなく自分が悪いと思い込まされて、要するにすり込みってヤツですよ」
 「……理解できん!!」

 だよね~とレイは思ったが、シャファルアリーンベルドのプライドを尊重してわかるわかる、とでも言うようにこっくりと頷いておいた。

 「それからですね、令嬢は王家の名において引き取りましたがご本人は何も知らされていません。混乱するだろうから当分は教えるなとの事です。当然殿下のご身分も伏せさせて頂きます。エルクラストでアヒル番をさせるのもそれを教える前に落ち着かせたいからだそうですよ。何の役目も無いとなると気兼ねするだろうからアヒルの世話を任せます。大のアヒル好きらしいので嫌がりはしないだろうと。これ以上は何も言えません。ご自分でご本人からお聞き下さい。それとですね」
 「今度はなんだ!」
 「呪われているそうですよ」

 サラッと言われたレイの一言を耳にして、シャファルアリーンベルドは眉間にしわを寄せ口をポカンと開けるという世にも珍しい表情をした。

 「ニアトの白百合が惚れた男は大変な美男子だったようで。つまり絶世の美男美女の間に生まれた……にしては、ねぇ。言ったでしょう?ヒメユリじゃなくて百合根だって。王妃様が仰るには呪いのせいだと」
 「お前、そんな話を信じたのか?」
 「不器量とは何かが違う醜さで……見れば判りますよ。少なくとも見目麗しい娘が現れるなんて期待はしないで下さい」
 「そんな期待誰がする!大体容姿がなんだというのだ。大切なのは心根の美しさだろう」

 レイは冷ややかな視線でシャファルアリーンベルドを上から下まで眺めた。

 「今言ったこと、忘れないで下さいよ。化粧がどぎついだの香水が臭いだの、ドレスが派手だだの宝石がでか過ぎるだの、立ち居振る舞いがガサツだの立ち居振る舞いが野暮ったいだの立ち居振る舞いに品がないだの殿下は寄って来られる御令嬢方をそんな風にこき下ろしますが、あれだって心根の良し悪しでは見ていないですからね」

 反論できないということはその通りなわけで。特別面食いでは無いのだが、シャファルアリーンベルドの好みは難しく未だに意中の君に出逢えていない。確かに容姿をとやかく言ったりはしないもののあれはあら捜し以外の何物でもないと思う。早く婚約でもしてあははうふふと浮かれて過ごせばこの男の堅物振りも少しは和らぐのではないかと期待するもその調子。その上どうしてこんな事を言わされるのかとレイはげんなりしながら口を開いた。
 
 「それからですね」
 「今度はなんだ?」
 「可哀想だから呪いを解いてやれって王妃様が」
 「参考までに聞くが方法が有るのか?」
 「えぇ。その呪い、素敵な王子様が姫百合に恋をすれば解けるって王妃様が」

 シャファルアリーンベルドくん、再び眉間にしわを寄せ口をポカンと開けた。

 「馬鹿馬鹿しいことこの上ない話だが、母上の意図するところの王子様とはわたしか?」
 「殿下一人っ子ですからね。この国に王子様ったら殿下だけですよ」
 「まさかとは思うがお前はそんなくだらない話、本気になどしていないよな?何故わたしがニアトの白百合とやらに惚れねばならんのだ?」

 レイは大きく手を振った。

 「違いますって。ニアトの白百合は母親の方!」
 「ん?百合根だったか?」
 「えー、まぁ百合根にしか見えませんよって言いはしましたが、お願いですから本人に百合根なんて言わないで下さいね。ヒメユリです、ヒメユリ。同感はしませんけど姫百合だそうですよ」
 「この際何百合でも関係ない。とにかくお前は本気にしていないんだな?」

 グワッと伸ばされた両手で肩を掴まれワシワシとゆす振られたことにより自然と上下せざるを得ないレイの頭を見て、シャファルアリーンベルドはホッとしたように座り直した。

 「身分を伏せるなら王子様とやらはレイでも構わないではないか!」
 「いや、呪いってそんな雑なもんじゃないでしょうよ!王子様ったら本物の王子様しか適用されませんて。大体私にはルシェという愛しい人がおりますのでね」

 シャファルアリーンベルドは冷たいんだか生暖かいんだかわからない複雑な視線をレイに向けた。先日婚約したばかりのレイは……本人の名誉の為に断るならば「シャファルアリーンベルドの刺激になるように、どんどん惚気けてやってちょうだいね」というマルガレーテの言いつけを忠実に守っているお利口さんなのである。
 
 「あ、それからですね」
 「まだあるのか?」

 馬車に乗ってからというものアヒルから呪いまで、ついでにお惚気までろくな事を聞かされずそろそろ限界値に近付いたシャファルアリーンベルドはぐったりしていたが

 「メイドとして母が先に行って準備を整えております」
 
 と言われて本日三度目の眉間にしわプラスお口ポカンの発動となった。

 「ルイザが……居るのか?」
 「えぇ。男性にはできない世話もありますからね。殿下、風呂上りの令嬢の肌に香油でマッサージなんてできないでしょう?その辺の手配は母がいたしますので。久し振りに殿下にお会いできるのを楽しみにしていると申しておりましたよ」

 レイの母ルイザはシャファルアリーンベルドの乳母を務めた女性だ。愛情深いながらも厳しい人で……やたらと口煩く何時までもシャファルアリーンベルドとレイをお子ちゃま扱いするので、それもTPOなどなんのそのでお構いなく突撃してくるので色々と厄介だ。それがよりによって保養地のエルクラストに、のんびりした環境でほんのり無礼講になっちゃって、執事長やレイと一緒に食事までするエルクラストに居るのか?更に威力を増すのは必至ではないか!

 「あ、それからですね」
 「……」

 シャファルアリーンベルドは何を言う気力もなく返事の代わりに『な・ん・だ?』と瞬きを三回した。気力の問題もあったがレイの口から出てくる言葉が精神力を更に削ぐだろうという予感しかなかったのだ。そしてシャファルアリーンベルド、珍しくそれを的中させた。

 「殿下、呪われているそうですよ!」

 気の毒そうな薄笑いを浮かべるレイを、本日四度目の件の表情でシャファルアリーンベルトは見つめていた。

 「参考までに聞くがどんな内容だ?」
 「いやー、凄いですよ。殿下、これから出会うニアト出身の18歳で銀色の髪をした婚約破棄されたばかりの娘さんに心を奪われちゃうそうです」
 「一応聞くが呪いを解く方法は?」
 「さぁ?」

 シャファルアリーンベルトの膝の上で握られた両手の拳がブルブルと震えている。

 「ヒメユリの呪いを解く方法はあるのにどうしてわたしにはない?」
 「別に相手がヒメユリだなんて言ってませんよ。あぁ、遅ればせながら彼女も銀髪らしいので言われてみればヒメユリなら条件全部揃っていますが」
 「ヒメユリ以外にいないだろうが!誰だ、そんな下らない話をしたのは!」
 「勿論、勿論勿論勿論貴方のお母様でございましょうよ!他に誰がいます?」

 シャファルアリーンベルトは項だれて素晴らしく手入れの整ったミルクティーブラウンの艶やかな髪を掻き乱し……たいのをグッと堪え、肩を上下させながら何度も深呼吸を繰り返し……たいのもグッと堪え、両手で頭を抱え……たいのすらもひたすら堪え、ただ眉間に皺を寄せやっとこさっとこようやく会話ができる程度に自らの心を宥め上目遣いにレイを見た。

 偉いぞシャファルアリーンベルト。流石は王太子、人の上に立つものは感情を抑え常に冷静にという帝王学を伊達に受けてきた訳じゃない!

 「参考までに一応聞くが、レイ?お前はそんな話、信じていないな?」

 レイは滅相もないと言うようにブンブンと首を横に振った。だがシャファルアリーンベルドの願いも虚しく滅相もないがかかるのは『信じていないな』にではない。

 「王妃様の仰る事を否定するなんて私ができますか!胸の内で色々思うのは勝手にやらせて貰いますけどね。ですが母はそれはもうヒメユリの境遇に胸を痛めておりまして……呪いの解除の為に全身全霊で取り組む所存だと。恋に落ちて呪いが解けるなら落としてしまえば良いじゃないかと言ってうふふと笑っておりました」
 「願わくば耳に入れたくなかった情報を感謝する」
 「いえいえ、どういたしまして」

    ーー疲れた。まだ何もしていないのに既に物凄く疲れた。

 シャファルアリーンベルドはぐったりしながら力の抜けた身体を壁に預け窓の外に広がる牧歌的な風景を眺めた。
 そしてわたしはこれからどうなってしまうのか?というちょっぴりヒロインぽい不安を胸に抱くのであった。







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