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堅物王太子の奮闘

王妃様は大事な話をする

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 「シャファルアリーンベルドが帰って来たですって?」

 マルガレーテは侍従長の報告に顔を顰めた。予想よりもかなり早いお帰りだ。ということは、効果は予想以上だったのだろう。こうしてはいられない、善は急げだと帰城の挨拶に来るのを待たずそそくさと王子宮に乗り込んだマルガレーテをシャファルアリーンベルドは唖然として迎えた。

 「わたくしの可愛い姫百合をほったらかして帰ってくるとはどういうことなのかしら?シャファルアリーンベルド?」

 氷のような冷たい微笑みを浮かべるマルガレーテには何も隠せないだろうとシャファルアリーンベルドは腹を括った。勿論これがごく一般的な恋愛事情だとしたら、いくら王妃と王太子という関係にあろうとも母親になんて絶対に胸中を明かしたりしない。しかし今はそんなことに構ってなどいられない。なんたって間違いなく全ての元凶はこの母だ。何か知っている。絶対に何かをしかけたに違いないのだ。

 「母上の姫百合はご心配には及びません。エルクラストで、いや、ラワーシュの街でも誰からも愛され大切にされておりますから、もうわたしが手を差し出さなくても一人で歩いて行けるでしょう。見違えるほど……そうです、初めて会った姿とは見違えるほど美しくなりました。まるで月の女神のように。それが何を意味するか、母上にはよーくお分かりですね?」
 「月の女神ですって?そんなに綺麗になったの?」
 「えぇ、なりましたよ!今じゃもう全く別人のような輝くばかりの美しさです。呪いなんて馬鹿馬鹿しいと思っていましたが、あれを見たら信じざるを得ない。彼女は確かに呪われていた。呪いが解けて真の下さい姿を現した。そしてわたしは呪われているんだ。母上、一体これはどういうことです?わたしの呪いはどうした解けるのですか?」

 見開いた目を血走らせたシャファルアリーンベルドの様子にマルガレーテは思わずちょっと落ち着けと掌を向けながら後退った。それから掛け声を掛けて深呼吸を三回させソファに座らせ侍女を呼んでお茶を淹れてもらう。温かいお茶でシャファルアリーンベルドが多少落ち着きを取り戻したところで人払いし、興味津々と言わんばかりに目を輝かせながら再び口を開いた。

 「ルイザからも綺麗になったって報告はあったのよ。でもほら、自分が手を掛けた娘だもの、どうしても贔屓目で見ちゃうじゃない?いくらニアトの白百合の娘でも確実に美しさを受け継ぐ保証なんて無いし、何しろわたくしが領地で会ったあの娘は屋敷を出て多少なりとも気が休まっていたせいか少しはましな状態だったみたいだけれど、それでも蒸しパンだったのだもの。だからあんまり期待しないようにしていたのよ。で、で?!あの娘はそんなに美しいの?」

 そこはかとない違和感を感じるには感じたが、呪いを解きたい一心のシャファルアリーンベルドは心のままに現状報告をした。というか現状報告しようにもどうしたってお惚気になってしまうが背に腹は代えられない。それもこれも呪いのせいなのだから形振り構ってなどいる場合ではないのだ。

 マルガレーテの喰い付きは凄まじかった。特にクラッポポロロッカの件ではハアハアと息が荒くなり大きく肩を上下させる大興奮。両手で顔を覆い『可愛すぎる……』と呟き滲んだ涙をそっと拭った。

 「大体彼女は何者なのです?母上のご友人のご息女の話などこれまで聞いたことが無かったのに、いくらあの境遇だからといって突然引き取るとは」 
 「だって知らなかったのだもの。わたくしね、騙されたのよ。シャルロットの子は死産だったってそう言われたの」

 シャファルアリーンベルドは眉をひそめた。

 「誰がそんな嘘を……」
 「シャルロットよ」

 呆気に取られているシャファルアリーンベルドを横目にマルガレーテは一口お茶を飲んだ。そしてカップの縁をするりと撫でると顔を上げてにこりと微笑む。

 「御母様の崩御でニアトに行きわたくしだけ二月ほどあちらに残ったでしょう?わたくしね、ずっとできていなかったシャルロットのお墓参りをしたいと思ったの。でもニアトキュラスの貴族墓地にはシャルロットのお墓は無かった。調べたら領地の森のなかにあるのが判ってレーベンドルフ領に向かったわ」

 マルガレーテはもう一口お茶を飲みテーブルにカップを置くと懐かしむように窓から見える夕やけに視線を送った。



 レーベンドルフ領に行ったものの森の中に墓地など見当たらずマルガレーテは途方に暮れた。すると少し先を見回っていた護衛が戻ってきて何やら作業をしている娘がいるので話を聞いてみると言う。若い娘がこんな森の中で厳つい顔とゴツゴツした屈強な体つきの護衛騎士に話しかけられたらどんなにびっくりすることか。マルガレーテはやんわりと止め自分でその娘に近付いた。

 娘は一面に青い花が咲く草むらを何かを探すようにキョロキョロと見回している。その奇妙な様子に何をしているのかと声もかけずに黙って眺めていると、突然しゃがみ込んで一心不乱に草むしりを始めた。

 「何をしているの?」

 マルガレーテが静かに問いかけると娘が顔を上げた。それを見たマルガレーテは、いや、護衛や侍女達もその場にいた全員が『殴られたのか?』と顔をくもらせた。娘の目は腫れ上がり鼻は赤く頬はかぶれ、唇はぼってりとしで所々ひび割れて血が滲み、直視するのが憚られるような酷い有り様だったのだ。

 立ち上がった娘は目をぐにぐにと動かし一生懸命何かを考えている様子だったが両手を握り合わせるようにしながら口を開いた。

 「母のお墓を探しておりました」
 「……??」
 
 全員がポカンと口をあけた。母のお墓を探すって言った?お墓を探すって何?お墓って探したり見つけたりするものだっけ?

 「……それで……見つけられて?」

 念のためマルガレーテが尋ねると娘はこくりと頷きストンとしゃがんだ。

 「えぇ、ここは良く日が当たるので草に埋もれて隠れてしまうのですが、ここにありましたわ」

 マルガレーテはふらふらと娘に歩み寄った。そして足元を見下ろせば確かに墓石のようなものが見える。慌てて覆い被さる草を払うとそこに現れたのは紛れもない愛する友の、シャルロットの名だった。

 「シャーリー……どうして?どうしてこんな所に……」

 マルガレーテは思わず泣き崩れ……そうになったのだがそうはならなかった。泣き崩れそうになったマルガレーテの先手を打つように、娘が土下座せんばかりにおいおい泣きながら『申し訳ありません』と謝っているのだ。その泣き方たるや凄まじくマルガレーテは泣くのも忘れて慌てふためいた。

 「ちょっと、お嬢さん、どうしたの?どうして泣いているの?」
 「母を墓地に埋葬せずここに墓を造ったのは父なんです。父はこの場所の手入れをすることを許さず夏にはいつもこのように草に埋もれてしまうので私が領地に来た時はこっそりと墓石の周りだけでもと草むしりをするのですがそれ以上の事はできず……ご不快に思われたのならば申し訳ありません」
 「?!ちょっとまって!お嬢さん、貴方はシャーリーの、シャルロット・レーベンドルフの……」
 「はい、私の母はシャルロット・レーベンドルフですが……?」
 


 「驚いたわ。あの娘が生きていたなんてね。幸いあの娘の顔は暴力を振るわれていたせいではないにしても心はズタズタに傷付けられていた。だからあの男が再婚して浮かれているうちに一刻も早く引き取ろうと思ったのだけれど、あの家から一切の縁を切ってしまいたかったの。図々しい後妻の事ですもの、サルーシュ王家が関わったとなれば蛇のようにあの娘につきまとうに決まっているわ。だから王家であることを有耶無耶にして申し出たのよ。でも今度はあの馬鹿な叔父に門前払いされてどうしようかと考えあぐねていたら、さっさと引き取れってあの娘を送りつけられたって訳。ろくな男じゃなかったけれど、思いがけなく死んでくれて初めて役に立ってくれたわ」

 満足そうにそう語るマルガレーテの横顔は冷たく美しくそしてどこか悲し気だった。

 「それで、死産だったと嘘をつかれたのは何故なんです?」
 「わたくしはシャーリーの親友である前にニアト王女だからよ」
 「どういう事ですか?」
 「シャルロットは必死にあの娘を守ろうとしたの」
 「一体何から?」

 答える気はないと言うようにマルガレーテはにっこりと笑った。そしてまた夕焼けに目をやり頬に手を当てて『困ったわね』と呟いた。

 シャファルアリーンベルドは溜め息を圧し殺した。いつもこうだ。マルガレーテは掴み所がなく何を考えているのかわからない。こうやって話をポンポン飛ばしているようで、散々振り回された後に思い返せばマルガレーテの狙いどおりに動かされているのだ。

 「今度は何ですか?」
 「欲しがるわよ」
 「は?」
 「だってあの娘、持っているんだもの。絶対に欲しがるわ」

 顔をしかめたシャファルアリーンベルドを見てマルガレーテは思った通りの反応にケラケラと笑いだした。

 「解っています。お前が聞きたいのは誰が何を欲しがるか、あの娘は何を持っているかでしょう?ねぇ、オスの三毛猫の話を聞いたことはあって?」

 何が解っていますだ!どうしてオスの三毛猫だと苛立ちつつもシャファルアリーンベルドは辛抱強く口に出しかけた文句を飲み込んだ。

 「非常に珍しく船乗りの間で縁起物とされているという話ですか?」
 「えぇ、そうよ。あの娘はね、オスの三毛猫みたいなものなの」
 「母上、お願いですから端的に話して貰えませんか?」
 「あら、解りやすくないかしら?あの娘、どこか不思議なところはなかった?」
 「不思議……?瞳の色はかなり珍しいですね。一見黒い瞳のようで深い蒼さを持っている。褐色とでも言うのでしょうか?」

 マルガレーテは静かに首を振りシャファルアリーンベルドをじっと見つめた。

 「ニアトの王都、ニアトキュラスは古いニアトの言葉でニアトの宝石という意味なのよ。あの娘の瞳の色はね、ニアトの蒼い宝石……『ニアトキュラシアンブルー』と言ってニアト王家の血を引く女性に現れるのだけれど、引き継がれはするけれど滅多に出てこない珍しい色なの。わたくしの曾祖母様の妹姫が最後のニアトキュラシアンブルーの瞳だったそうよ。それがシャーリーの曾祖母様」
 「彼女は伯爵家の生まれです。王家の血を引いているのは珍しいことではないのでは?」
 「それが百年以上途絶えていたニアトキュラシアンブルーの持ち主だったとしても?」

 シャファルアリーンベルドは首を捻った。確かにロジーナの瞳は珍しい色だ。そしてその魅力は嫌というほど味わっている。だからと言って王家が欲しがるほどの理由になどなるのか?

 「つまりね、船乗りのが欲しがるオスの三毛猫みたいなもの。ニアトキュラシアンブルーはニアト王家の縁起物、繁栄をもたらす瞳だと言われているの。そして不思議なことにニアトキュラシアンブルーを持つ女性は皆聡明で優秀な人物だった。あの娘はどうかしら?」
 「……確かに、観察力や判断力は目を見張るものを感じました。そして、何よりも人の心を捉える飛び抜けた力を持っているかと」
 「そうね、王族として何よりも求められる力だわ。ニアト王太子のガストルと弟王子のポルグルスは貴方と同い年の双子、まだ婚約者が決まっていないのは王家がニアトキュラシアンブルーを諦めきれずに探し続けているからよ。まぁ、本人達はピンと来ていないらしいけれど、ニアトキュラシアンブルーの持ち主が月の女神だと知ったら……?」

 シャファルアリーンベルドは背中をぞわりと這い上がる寒気を感じたが俯いて首を振り胸に浮かんだ不安を打ち消した。そもそもこの想いは呪いではないか?そんなもの、呪いが解ければ消えてしまうのだ、恐れる必要がどこにある?

 ロジーナがニアトキュラシアンブルーを持つ者としてニアト王家に望まれるなら彼女は幸せになるだろう。少々変わり者だし耳年増だし『屋外で行為に及ぶなんて』とか言ってしまうところはあるが、思いやり深くいつも誰かを気遣う優しさに溢れた娘だ。知性も教養もあり気品もある。ダンスの手合わせをしてみれば滑らかで優雅な躍りに驚かされた。王妃になる素養は十分に備わっているのだ。

 しかしその時ふと頭に思い浮かんだのは、ロジーナのクラッポポロロッカを齧る栗鼠のような姿、噴水を見上げて輝かせた横顔、歩くときに滑り込ませてぎゅっと握った手、シャーリーと呼んで良いと言った時に見せた笑顔、抱き上げた時のふわふわした身体、そして何よりも初めて会ったあの時の『ニアト出身18歳、髪は銀髪の婚約破棄されたばかりの者です。婚約破棄しようとしましたが叶わず直後に婚約破棄されました』と必死に言った声であった。シャファルアリーンベルドは肩を震わせて笑いを堪えた。一目あったその時に、もう呪いは始まっていたのだと。

 「母上、どうか教えて下さい。彼女の呪いを解くためにわたしが呪われたのは構いません。ですが、わたしの呪いはどうしたら解けるのですか?わたしは何時までこの胸の痛みを抱えていなければいけないのでしょう?わたしは……呪われたわたしは彼女を誰にも渡したくないのです!」
 
 シャファルアリーンベルドはすがり付くようにマルガレーテに詰め寄った。

 が…………ふと嫌な予感が胸を過った。

 今ふいと反らしたマルガレーテの視線が、気まずそうにふわふわと彷徨ったように見えたのは気のせいだろうかと?

 
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