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ミロネッコの親権争い勃発

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 作戦開始から二ヶ月、未だジョルジュからの手紙は届かず手応えは一切ない。我々の偽装婚約はちゃんとジョルジュの耳に入っているのだろうか?と不安になってきている私だが、アレンは落ち着いたものだ。

 流石はエリート。手応えはなくとも某かの確信は感じているようだ。進展のないままお式の日だけが刻一刻と近づき、そろそろまずいんじゃないですかね?と焦り始めた私とは大違いである。

 それでも新居に必需品以外の私の荷物の大半を搬入したのは、やはりテコ入れの必要性があったからだろう。お陰でガラガラになった女官居室の部屋は何かと不便だし、仮住まいみたいで居心地が悪い。この忙しさじゃなければ涙の一つも流したいところだ。

 一方の新居は見事な充実ぶりで、もう使用人夫婦が住み込んで管理してくれているのだそうだ。足りないものがないか確認しろと言われて入った暫定の私の部屋も、何から何まで揃っていた。衣装部屋には伯母と元お洒落番長が選んだドレスやら外出用のワンピースやら、楽な着心地だけどラブリーなデザインの普段着やら、帽子に靴にアクセサリーまでもが詰め込まれ、一体これらは特殊任務が終了した後どこに保管するつもりだろうと頭がくらくらする。

 ついでに何気なく開けてみたチェストの中には、やたらとシャランとした薄い布地が並んでいる。なんだこれはと取り出し広げたら、それはもう、新妻さんこんにちは的なスッケスケのナイトウエアと、攻めてるデザインのランジェリー達。このコーナーのラインナップは全てブシリジットおねえたまが選んだと聞き、白目になったのは言うまでもない。

 そして今日もまた疲労困憊でぼんやりした私は、ホットチョコレートの回転数をカウントしていたアレンに手を止められた。なんと57回転したそうで、しかも36回転目と47回転目で声を掛けていたという。その上無意識に返事までしたらしいが、チェストの中身をどうしたら良いものかで頭が一杯だったとは言えず、あたふたしてしまった。

 そのせいで要婚約者への気配りスイッチがオンになったアレンに、何か心配ごとがあるのかとしつこく追求され結局自白させられたのであるが、チェストの秘密を知ったアレンが、真っ赤な顔で下を向きぷるぷる震えている姿を沢山の人に目撃されたのは自分で撒いた種だ。大いに恥ずかしがれば良いとしか思わない。

 アレンが悶えている間に昼休みが終わろうとしている。あれ以来決定事項のように指を絡めるようになった私達は、繋いだ手をふりふり廊下を歩いていた。作戦開始からの努力の甲斐あって、社交界はもちろんのこと城で働く者達にも私達の婚約は知れ渡っているそうだ。それならばジョルジュが喰い付いてくるのも時間の問題なのだろうか?

 「リコ?明後日は非番だったな?」
 「えぇ」
 「アーネストが代わってくれて、わたしも非番になったんだ」
 「そ、そうなの?」

 うわ、嫌な予感しかない。休みを合わせたということは、何かやらなきゃならない用事があるからだよね?

 思わず顔が歪んでしまう。夜会や茶会で婚約をアピールするだけじゃなく、新生活の準備や披露宴の打ち合わせもガチでやっている我々のスケジュールはぎっしりだ。休みを合わせたのなら何か急ぎの案件があるのだろう。だけどこれはあくまでも偽装婚約で、私にはここまで本気で打ち込む必要性がさっぱりわからない。けれども真面目で凝り性のアレンだけじゃなく、作戦を知る誰も彼もがしっかり取り組めと求めてくるのだから、私の認識が甘いのだろう。

 だからたまの休みが潰れるのは辛いが、ぐっと堪えて打ち合わせでも何でも受けて立たなければ。悲しいけど。たまにはのんびりしたかったけど。ちょっと涙が滲んじゃうけど。ふぇん。

 「林檎の花を見に行かないか?」
 「林檎の花?」

 林檎の花、林檎の花……何か使う予定があったっけ?

 思い返してみるが、全く記憶にない。

 「どうして林檎の花を?」
 「……ユベールとブリジットが、ただの一度も……で、デートをせずに結婚するなんて、リコが可哀想だと言うんだ」
 「あぁ、なるほど」

 言われてみれば社交と婚礼の準備に明け暮れて、デートなんかしたことがない。すっかり抜け落ちていたが、確かに不自然だったかも知れない。

 納得顔になった私を見て、アレンはホッとしたように頬を緩めた。

 「観劇や買い物でもと思ったが、それよりも郊外で羽を伸ばす方が、リコの疲れが取れるんじゃないかと思ったんだ。グレンドアの別荘は林檎畑に囲まれていて、丁度花盛りなんだが……どうかな?」

 グレンドアとは王都から馬車で二時間ほどに位置する、牧歌的な風景が広がる有名な別荘地……らしい。御縁もないし、牧歌的どころではないど田舎でどっぷり育ったために行ってみたいと思ったこともなく、私にとって未踏の地である。けれどもちょっと心惹かれるのは、林檎の花というキーワード。領地の屋敷も林檎畑に隣接していて、今の時期は摘花を手伝いながらのお花見を楽しんだものだ。

 なんか、疲れた心が癒やしを求めている気がする。特殊任務の疲れを特殊任務でほぐす。これってなかなか合理的じゃない?

 「行ってみたい!」
 「そうか……良かった」

 アレンは目を細めて私を見つめながら、親指で目の下をすっと撫でた。

 「花嫁の目の下に隈があってはご両親が心配するだろうからね。たまには外の空気に触れた方が良さそうだ」
 
 アレン達の様子から察するに、そろそろ進展があるはずなので花嫁云々はどうでも良いのだが、実際目の下の隈はどんどん濃くなっている。この顔を見たら両親はさぞびっくりするだろう。リフレッシュできるのは有り難い。

 そして当日、まずは迎えに来たアレンと一旦新居に立ち寄った。購入した馬と馬車が届いており、今日のお出掛けは初乗りを兼ねるのだという。

 「リコ、ちょっと来てくれるか?」

 アレンに呼ばれて屋敷に入ると、家政婦のマリアンが麦わら色のもふもふを抱えていた。こ、これはもしやっ!

 「ネッコォォォ!」

 感激のあまりの絶叫は振り切るとサイレントになるようだ。良かった、叫んでは猫に嫌われる。

 「空だった厩舎で生まれた仔猫なんですがね、一昨日馬が来ましたでしょう?どうも驚いた親が慌てて寝床を移動した時にはぐれてしまったらしいのですよ。もしお許し頂けるのなら、こちらで」
 「ミロよ」
 「え?」
 「名前はミロ。よろちくね、ミロ」

 許すも許さないもマリアンさん、このネッコはもううちの子に決定ですよ!

 受け取ったミロと鼻をコッツンするとミャアと鳴いた。可愛い。激可愛い。鬼可愛い。表現なんてどうでも良いけど可愛い。萌える。血行が良くなりぐんぐん免疫力がアップしている気がする。目の下の隈なんて消えてなくなるい勢いだ。

 「あらまぁ、猫がお好きでいらしたんですねぇ」

 早くも溺愛モードの私をマリアンが目尻を下げてニコニコしながら眺めている。だってこの麦わら色の毛玉ときたら、グルグル喉を鳴らしちゃって愛しいの極みではないか!

 宣言する、私は猫が大好物である!

 ほわほわと撫でるとミロが前足でフミフミ始めた。あー、あー、あー、あー、可愛すぎて胸が痛い。どうしてくれよう。君のためなら死ねる、その言葉の意味を私は知ってしまった気がする。

 「可愛い……」

 陳腐なのは承知の上だが仕方がない。可愛いんだもん。それ以外の言葉なんてミロには不要だ。

 アレンは『うぐっ!』と声を詰まらせている。そうかそうか、君も言葉を失う可愛さなんだね。わかるよわかるとミロに頬ずりしながら見上げたら、アレンがカチンと固まった。

 ミロネッコ、さてはお前、魔性の猫だね?

 アレンは目を見開いて肩を上下させている。意識しないと呼吸すらままならない可愛さなのだろうか?『にゃー』と言いながらアレンの頬にミロの肉球をむにゅっと押し付けると、アレンは気絶しそうな顔でよろめいた。

 ミロはしてやったりとでもいうかのように肉球をんべんべしている。

 「可愛い……」

 結局アレンの口から出てきたのも陳腐な一言で、だけどいかにも万感の想いが込められてるっぽい。そして熱量が凄い。猫相手というよりも恋人に愛を囁やいています感すら漂っていて、これにはちょっと引いた。あれれ?アレンはネッコ大好き男子だった?

 私がぎょっとしたのに気付いたのか、アレンはすっと目を逸らしてこほんと咳払いをした。

 「何時でも好きに会いに来たら良い」

 わざとらしい笑顔を浮かべてそんなことを言うけれど、私の耳にはあの『可愛い』の声が残っている。誤魔化そうったってもう遅い。それに隣で聞いていたマリアンだって驚いたのだろう。思いがけないアレンの一面ににまにましちゃってるもの。

 「えぇ、そうですとも。お嬢様が嫁いで来られる迄は、このマリアンがしっかりお世話をいたしますからね」
 「ありがとう!ミロに忘れられないように、なるべく顔を出すようにするわ」

 そして任務完了後は女官居室の私の部屋を整理してミロを連れて行こう。マリアンは可愛がってくれるだろうけれど、アレンの未来の奥さんが猫嫌いだったら困るもの。

 だからどうぞご心配なく、とミロを抱きしめながら見上げたアレンが目を瞠っている。

 「そうだな。ミロはわたし達の家族になるんだから」
 「…………」

 やはりそうか。これぞオンナの勘というヤツだ!わたし達……とかボカした表現にしているけれど、ミロは渡さないと言いたいらしい。どうやらミロネッコの親権争い勃発間違いなしである。でも負けない。いざとなれば泣き落としてやる。

 私はそう心に誓い、マリアンにミロを託した。
 

 


 
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