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アレンはアハハと笑いくるくると三回転した
しおりを挟むもう一日ここでミロネッコとだらけていたい気分であるが、連絡を受けた別荘では昼食の支度をしてくれているらしい。後ろ髪を引かれる思いで玄関を出ると、アレンが二人乗りの馬車をまわして来た。
馬車といっても箱型じゃなくて、折り畳みの幌が付いたオープンな造りだ。開放的で箱形よりも座席が高いから眺めも良いだろう。それにすごく可愛らしい。ワクワクですっぞ!とエスコートなど不要とばかりによじ登るように乗り込むと、苦笑いのアレンが座席から手を伸ばして引っ張り上げてくれた。
馬車は賑やかな街をすり抜け郊外へ向かう街道を進む。王都の西に広がる森に入り、聞こえてくるのは馬の蹄と車輪の音だけになった。
ん?これは思わぬチャンス到来か?いつもは周りが気になって中々具体的な話を聞くことができないけれど、二人っきりの今は色々確認するのにうってつけの状況ではないか!
「ねぇアレン。ジョルジュや公爵に動きはあるの?」
早速アレンに尋ねてみたが、どうやらアレンはペラペラと説明する気はないようだ。
「いや……今のところはまだ何も。だが……そうだな。リコが心配する必要はない。計画は全て順調だ」
アレンは重い口調でそう言うと、前を見据えたまま口元をきゅっと引き締めた。作戦上、私にも言えない何かがあって、お前は黙っておとなしく囮をやってりゃ良いんだよ!って感じなのだろうか?
そうはいかないわ!私だって特殊任務に携わる一員なのよ!なーんて怒るのが一般的な反応なのかも知れないが、そこは何かと興味の薄い私であるからして『ふーん』で終了だ。与えられた役目はあくまでも囮、その仕事はきっちりやっているのだから、あとは任せたで良いと思う。
こうしている間にも六月の第二日曜日はどんどん迫ってくるが、アレンは『今日は仕事の話は無しにしよう』なんて、余裕をかましているのだもの。私にできるのは婚約者になりきることだけだし、余計な話に首を突っ込むつもりも口を挟むつもりもない。
私はきままに流れる景色を楽しんだ。森を抜けると湖があり流れ出た川沿いに街道か続いている。橋から見下ろした川の水は川底まではっきり見えるくらい澄みきっていて、ついつい身を乗り出して覗き込んだ私の手首をアレンが慌てて掴んだ。
「私、落ちたりしないけど」
「リコならそうだろうとは思うが……やっぱりやめてくれ」
不安そうにされては仕方がないと座席に座り直したが、突発的な行動を警戒してかアレンはいつまでも握ったままである。やんちゃ坊主か?
それで安心できるのならどうぞと勝手にさせていたら、そのまま指を絡めて手を繋がれた。より確実な安全策を取るつもりだろう。まぁ別に良い。手なら散々繋いでいるんだし、今更文句を言う気はない。
仕事の話はなしにと言われたら他に話題もなく、私は一人呑気に景色を眺めていた。いつしか街道の両側にはは一面に小麦畑が広がっている。
転生前は都内で働くOLだった私だが、今生はあの両親の娘として埋まれ育っただけあって田舎暮らしは楽しかった。というよりもリタイヤしてセカンドライフを満喫……みたいな感覚もあった気がする。
アレンが言う通り、疲れた私に必要だったのはこんな場所だったのだろう。どんどん気力がチャージされている気がするもの。
それなのに、だ。
「刺繍は進んでいるのか?」
どうして今それを思い出させるのでしょう?可愛い可愛いミロネッコと頬を撫でる心地よい風の効能で、折角リフレッシュしていたのに。
嫁入り道具の中に花嫁が刺繍をしたリネンってものがあり、最低でもテーブルクロスとナプキンを揃えなければならない。しかも新郎新婦のイニシャル入りだ。ということは、頑張って仕上げても本当の嫁入りで使える可能性がかなり低いのである。相手の頭文字かAであるのをひたすら祈る運頼みなのに、モチベーションなんて持ちようがないではないか。
私の刺繍は結構ハイレベルだ。凄く凄く上手い。誰もが目を見張り芸術品だと誉めそやす出来映えではあるが、しかしながら制作期間がとんでもない長さなのだ。何故なら封蝋同様一切妥協が赦せないストイックさが出るから。女子力の低さ丸出しのざっくりさくさくした作品を作る母と比べたら、五倍くらい長い。標準となら三倍くらいなのかもだけど。
それこそ誰もチェックなんかしていないと思うのだが、周りは赦してくれず刺繍刺繍と追い立ててくる。その上妃殿下と女官長に特別ボーナスをちらつかされて脅されて、毎週進捗状況を確認されてはやらぬわけにはいかない。多分、私の目の下の隈の1番の要因はこれだと思う。
「えぇえぇ、もうすぐそれはもう素晴らしいテーブルクロスが完成するわよ。なんたって命を削って作っているんだから」
思わず恨みを込めた視線になるのは赦して欲しい。アレンが私を囮にしたせいでこんなことになっているんだもの。
それなのに、だ。
「一つ、頼みが……あ、いや、無理にではないんだが……でももしリコが良いと言ってくれるなら……」
「ナニ?」
気持ち悪いくらいにイジイジしているアレンに手短に聞いたが、今度はもじもじし始めた。イジイジもだが、この美貌の男性のもじもじは私ですら放置できない何かがある。
「どんなこと?アレンの役に立てるならやってみるわよ?」
「本当にっ?」
パァっと顔を輝かせてアレンが身を乗り出してきた。失敗したかも……どんなこと?で返事を待って内容を確認してからやるやらないを決めれば良かったよね?
そして悪い予感というものは裏切ってはくれないらしい。
アレンは絡めた指にクッと力を込めて
「ハンカチが欲しい」
との給うた。
ハンカチが欲しい……私に向かってハンカチをリクエストしたということは、単純にハンカチが欲しいわけじゃない。刺繍をしたハンカチに限定されるのだ。
うへぇ、やっとテーブルクロスのゴールが見えたのに、休む間もなく今度はハンカチなんて、このオトコどこまでドSだ。私のハンカチはね、その辺のお嬢さん達みたいに紅茶とクッキーをお供に優雅にチクチクするんじゃないの。一ミリ以下の誤差も赦さぬ緻密な作業なの。しかもやり始めるとのめり込んじゃって文字通り寝食を忘れちゃうから、今日のリフレッシュなんて忽ち吹き飛ぶけどそれでも欲しいかね?
だが、アレンのライムグリーンの瞳は期待でキラキラと輝いている。考えてみれば恋人にハンカチは定番のプレゼント。アレンにとってはアイテム不足と感じられたのだろう。
「うーん、じゃあテーブルクロスが終わるまで待って。そうしたら取り掛かるから」
「ありがとう!!」
破顔したアレンは少年のようだ。アイテム不足がよほど気になっていたらしい。ハンカチなら何枚あっても困るものじゃないし、チェストの中身とは違って任務完了後も邪魔にはならないだろう。
「ほら、見てごらん!」
すっかりテンションが上がったアレンがはしゃいだ声を出して、手綱を握ったまま前方を指差す。長い下り坂の先には薄桃色の花を咲かせた林檎畑が広がっていた。その中に点在するようにポツンポツンと屋敷が建っていて、街道から小路を曲がりしばらく入った突き当りで馬車は停まった。
「ここだよ」
アレンはそう言うとひらりと飛び降りて馬車の後ろを回り、私に両腕を広げた。
そう、手、ではなく両腕だ。
まるで飛び込んでこいと言うかのようなそのポーズはどうしたことだろう?
「ほら、おいで!」
ニッコニコのアレンが私を見上げている。やっぱり?やっぱり飛び込みを要求してた?ちょっと横に避けてくれたら自分で飛び降りるんだけど。正直邪魔なんだけど。
さてこの気持ちをどう表現を和らげてお伝えすれば良いのでしょう?と頭を悩ませていたら、アレンの向こうから一組の男女が歩いて来るのが見えた。屋敷の管理をしている別荘番だろう。となると、アレンのニッコニコの狙いは彼らにイチャイチャを見せつけることだ。
だったらやむ無しと思ってしまうなんて、慣れとは恐ろしい。しかもどうも日を追うごとにアレンに甘くなっている私は、アレンの拘りが満たされるなら仕方がないかと譲歩しがちだ。
あー、やります。やれば良いんですね、と腕に飛び込むと、アレンはアハハと楽しそうな笑い声を上げてくるくると三回転した。
いくらなんでもこの頃のアレンは、キャラ崩壊にも程があると思う。こんなんで任務完了後は、元の説教ばっかりする仏頂面の真面目さんに戻れるのだろうか?
ま、私が案ずることじゃないか。特殊任務が終わればもう会うこともない人だろうし。そう思えば期間限定セールとばかりに笑顔の大放出をして差し上げようという気にもなる。実のところワタシも三回転は楽しかった。だからつられてキャハハと声を出して笑ったのだが……
「リコの笑顔を見て、リコの笑い声を聞けるなんて。なんて幸せなんだろう!」
熱の籠った眼差しで私を見下ろしたアレンにぎゅっと抱きすくめられ、思わずガチンと固まった。もちろんアレンだって好き好んでやっている訳じゃないって理解してはいるけれどね。どうなのこれ?
それでもアレンの特殊任務への情熱を無下にはできなくなっている私は、されるがままにほっぺにキスを受けた。なんか甘やかしちゃうんだよね、アレンのこと。
「アレン坊っちゃん……」
と呟いた夫婦が生暖かい目で見ているので良しとしよう。私達がアハハウフフの幸せの絶頂でちょっとイカれてるように見えている手応えは大いにある。
私は目を細めてアレンを見上げた。
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