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リ、はリボンのリ?

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 「そうよね、ミロは本当に可愛らしもの。ちょっと見ない間にますます可愛くなったわ」

 この神がかった可愛さを共有しなければ。いつかのようにミロの前脚の肉球をアレンの頬に押し付けて『にゃー』と言うと、アレンは足元をふらつかせて『ぐっふぉ』と奇声を上げた。

 「なんて可愛らしいんだ!」
 「ミロ聞いた?アレンはミロにメロメロね!」
 「違う!可愛らしいのはリ……」
 「リ?」

 首に巻いてあるオレンジ色のリボンかな?

 「ミロのリボン?でもリボンが可愛いんじゃないわ。リボンが似合っているミロが可愛いのよ?」
 「……っ!もういいっ!」

 そう言うなりアレンはふくれっ面になって横を向いた。アレンの『もういい!』も何だか久し振りだ。懐かしさすら感じる気がする。でもリボンじゃないなら何のリだろう?

 「アレン坊ちゃま……」

 突然コニーが震える声でアレンを呼んだ。そしてゆっくりと立ち上がり再び仁王立ちになった明王コニーがアレンを見下ろしている。不思議だ。一番背が低いコニーが何故男性の中でも長身のアレンを見下ろせるのかさっぱりわからない。だが明王コニーに見下ろされたアレンは息を呑んで身をすくませている。

 「だから、だから拗れると申しているのです」
 「…………」
 「このままでは果てしなく拗れていくばかりですわよ?よろしいのですか?」
 「いや、それは……」
 「でしたら正々堂々と正面からぶち当たったらどうなのです?」

 鼻先にズバッと人差し指を突き付けられたアレンは気まずそうに目をそらした。

 「だが、どうもリコには呑まれてしまうというか……突拍子もないことを言われる度に何も伝えられなくなって……伝えてしまったら手が届かない所に行ってしまうような恐怖すら感じる。わかるだろ?それくらいぶっ飛んでいるんだ」
 「えぇえぇわかっておりますとも!全くもって無自覚なまんま心を鷲掴みされワサワサと揺すられて身悶えする程乱されているってことは。それに、そんな間抜けで鈍チンな所も可愛くて可愛くて、デレデレと顔が緩むのを堪えるのに必死だってこともねっ!」
 
 そう言ってコニーは小馬鹿にしたように鼻で笑った。小馬鹿にしているのはアレンに対してらしいが、ぶっ飛んでいるという絶対に誉め言葉じゃないヤツに同調してはいる。しかも間抜けで鈍チン……どう考えても随分と酷い言われようである。

 「ぶっ飛んで悪うございましたわね!」

 引きつりながら強引に浮かべた笑顔に気が付いたアレンも思いっきり顔を引きつらせた。

 「しかも間抜けで鈍チン!」

 だがコニーは悪びれることなく完全にスルーし、また一歩アレンににじり寄った。

 「ほら言わんこっちゃない。大事な部分はスコンと聞き落としてなーんにも気が付かない絶望的なこの察しの悪さ。これじゃ坊ちゃまが態度をハッキリさせない限り永遠に何も悟って頂けずに何の進展もないまま互いに年老いてしまいますわよ。坊ちゃまはそれでもよろしいのですか?」
 
 なんだろうね?本人を前にして悪びれもせずにボロクソ言ってくれるって。コニーさん、きっとあなたってどこまでも裏表のない人なんですね。いっそ潔さを感じますよ?

 指摘したい部分は数々あるが何だか下手に口を挟むとこちらに飛び火しかねない気もするし、ここは大人しく存在感を消して空気になっている方が良さそうだ。

 ではでは静かにミロネッコを満喫しようではないか。それにこの初老の婦人にコテンパン叱られているエリート近衛騎士という絵面は、一歩引いてギャラリーのタチバデ見てみればなかなかシュールで興味深い。私は一旦口を挟むのを止めることにしてミロの顎をくすぐりながら二人を眺めることにした。

 「良いわけがないだろう!だから俺は必死になって」「必死に何をなさったのです?」

 アレンの言葉を遮ったコニーが嘲笑うように鼻を鳴らした。

 「お嬢様の鈍さをいいことに誤魔化したまま結婚してしまおうだなんて。コニーは情けなくて涙が出ますわ」
 「違う…………式までには打ち明けるつもりだった。本当だ」
 「それならどうしてお嬢様がとんちんかんでちんぷんかんぷんな誤解をなさっておいでなのでしょうね?」
 「だ、だから今日こそは話を聞いてもらおうとリコに会いに行ったんだろう?」
 「あーら、でもお嬢様は相変わらずですし、その相変わらずを良いことに猫をだしにして結婚を承諾させようとなさったのは誰ですかしら?」
 「そ、それは…………」

 反論の言葉もないのだろう。唇を噛み締めて唸りながら項垂れているアレンだが、コニーは容赦するつもりなどないらしい。呆れ返ったようにため息をつき更に断罪すべく一歩前に進み出たその時、

 「コニー!もう止めなさい!」

 という静かでありながらきっぱりとしたロバートの声が聞こえた。

 「お嬢様、またお目にかかれて光栄でございます」

 ロバートは私の前に進み出ると恭しく頭を下げ右手を差し出した。そこに乗せた私の指先に唇を寄せ、でもチューはせずに顔を上げて柔らかく微笑むロバートは絵に描いたようなジェントルマンだ。凄い、この混沌とした状況を圧倒的なオーラで鎮静させている。

 「そちらは?」

 ロバートは優しい眼差しをミロに向けながら少しだけ首を傾げた。

 「ミロよ」
 「左様でございますか。ミロ、どうぞよろしく」

 ミロは慣れた手付きで鼻先に伸ばされたロバートの指に鼻をコツンと押し当てた。猫に対しても紳士であるロバートにミロも敬意を払ったようだ。ミロとの挨拶を済ませるとロバートはまた私に微笑み掛け、それから眉尻を下げた。

 「……此度は本当に申し訳ありませんでした。全てアレン坊ちゃまの意気地の無さが招いたことでございます」
 「……は、はぁ」

 仰る通りなのだがこうも真摯に、そして紳士的に認められてしまうと、『そうだそうだ!』と責め立てる不平不満が胸の奥底にすっかり小さく縮こまっている。結局そのまま口を閉ざした私を見たロバートは『いや……』と呟きゆっくりと首を横に振った。

 「違いますな。坊ちゃまだけのせいではない。我々も坊ちゃまの幸せの為だからと見て見ぬふりをしたのですから同罪ですね」
 「と言うことはあなたとコニーも初めから私達のことはご存知だった、と?」
 「左様にございます」

 そう言うなり頭を下げようとしたロバートを私は慌てて止めた。

 「良いんです。あ、良くは無いのか……でもやっぱりそれなら良いんです。私、あなた方を騙してしまったのが申し訳なくて……謝罪に伺わなくてはと思いつつ、でも今の立場でどの面下げて訪ねたら良いのかと途方に暮れていたので、それはもう……」
 「お嬢様……」

 そう言って声を詰まらせたコニーが顔をくしゃくしゃにして涙を流している。私はミロをアレンに手渡してからコニーの肩を抱いた。

 「あなた方を傷つけていなくて良かったわ……」
 「お嬢様ったら……本当にお嬢様ったら……」

 とうとう声を上げての号泣になってしまったコニーはロバートに回収された。多分コニーは感情豊かでロバートはそんなコニーの扱いを十二分に心得ているみたいだ。腕の中でヨシヨシされたコニーはもう落ち着きを取り戻しつつあった。

 「やっぱり……アレン坊ちゃまが見付けたのは本物の宝石だったのですね……」

 コニーはくすんと鼻を鳴らしロバートに手渡されたハンカチで目元を拭っている。それに深く頷いたアレンは掌をじっと見つめてから白くなるほど握りしめ、不意に顔を上げた。

 「もちろんだ。だから……だから俺はやっと見付けた宝石を誰にも渡したくないと思った。いや、誰にも渡すことなんかできないと、そう思った……」

 疲れの滲む声でそう言ったアレンに熱っぽい光を帯びた瞳で縋り付くように見つめられ、突然私の中にモヤモヤと懐疑的な何かが立ち昇り始めた。

 この言葉に打算的な損得勘定なんて有るのだろうか?

 本気で叱責し涙を流すほど自分を慈しみ愛情を注いできた相手の前で心にもない話をする、そんな恩を仇で返すようなことがこの人にできるのだろうか?

 やっと見つけた宝石。再会してから散々聞かされたその言葉。もしもそれが本当だとしたら……

 「でしたら……ご自分がなすべきことはもうおわかりですね」

 諭すようなロバートの声にアレンは握っていた拳をゆっくりと下ろし、もう一度深く頷いた。

 「リコ、君に全てを伝えたい。聞いてくれるだろうか?」

 それでも私は訝しげに首を傾げた。疑念が芽生えたからと言って本当にアレンが私を愛しているとは思えない。だってそうだろう。あんなに忌々しそうにしていたアレンの気持ちがどうして急に動いたのか。そんなきっかけになるような出来事は何もなかったのだ。

 アレンは素直に受け入れられないでいる私に歩み寄り返事を待っている。

 「わかった……」

 しばらく悩んだ後、私は俯いてそう言った。結局逃げてばかりで話を聞かなければ何も解決しない。いつものようにそんなことどうでもいいと背中を向けていては、私達はずっとこのままだ。アレンは何かに執着し、私はそんなアレンをもて余すしかない。

 今日何度も言い聞かされたしっかり話し合うべきだという言葉。確かに私達には必要なことなんだろう。

 マリアンとコニーが同時に漏らした安堵の溜め息が耳に入った。

 「では私共は奥におりますのでね、アレン坊ちゃま、今度こそしっかりと包み隠さず全てをお話しなさいませ」

 コニーの言葉にまた深く頷いたアレンにマリアンが微笑み掛けた。

 「ミロをお預かりしますわね」

 そう言ってミロに向かって手を差し出したが、アレンは大慌てでミロを隠すように背中を向けた。

 「いや、いい!」
 「でも……ほら、大事なお話しをなさるのにミロがいたのでは気が散るんじゃ」「平気だ。……ほ、ほら、ミロの肉球があったかいぞ。そろそろ眠くなったんだろう。このまま寝かせてやらないと可哀想だ!」

 アレンは妙に前のめりでそう言うが、どう見てもミロは眠そうに見えない。まん丸の目で真っ黒になったオメメは光を受けて輝いているし、髭だってぴーんと真っ直ぐになっている。

 単にアレンが手放したくないだけだと思うけど?

 どうやらマリアンとコニーもそう思ったらしく呆れたように瞬いて顔を見合わせたが、どちらからともなく首を振り肩を竦めるだけに留めることにしたらしい。アレンのミロネッコへの溺愛は誰にも止められないのだろう。
 
 
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