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【第一部ダイジェスト】 王太子視点
王太子様の追憶 15 魔女の病院と法律教授
しおりを挟むサフィージャの朝は早い。
午前中はいつも病院に行っているらしいので、興味本位でクァイツも覗きに行ってみた。
首都の通りをやや外れたところに異教徒街がある。
そこだけ治安も悪く、得体の知れないゴミなどで汚れているのだが、不思議とその病院は繁盛していた。
順番待ちだろうか、白い布を巻いた怪我人が病院の外にもたむろしている。
室内には病人の饐えた匂いと酒精の匂いが充満していた。
サフィージャはクァイツの顔を見るなり露骨に嫌そうな顔をした。
「来ちゃいました」
「来ちゃいましたじゃないだろう……何をしに来たんだ、お前は……病気は空気からうつることもあるんだぞ。お前に何かあったら私のクビが飛ぶんだからもう少し気をつけて行動してくれないか……」
「でも、サフィージャどのは平気なんでしょう?」
「私はちゃんと服を着込んでいるから大丈夫なんだ。お前は直接空気を吸い込まないように、ハンカチでも口に当てておけ」
「そういうものなんですか……」
一般的に芳香性のハーブを吊しておくと病気を避けられるというが、この病院には見当たらなかった。
言われた通りに大人しく隅っこに移動する。
病院内はさながら朝市の競りのようだった。
すごい勢いでかけ声が飛び交っている。
と、そこに急患が運ばれてきた。
「魔女さま、ダーリンが、ダーリンが」
「落ち着け、どうした」
「食事中に急に苦しみだして――」
男は喉を掻き毟りながら身悶えている。
サフィージャは口の中を覗き込み、手首に触れて、胸に手を当てた。
「……もしかして、山菜とか食わせなかったか」
「はい……」
「そしてそれは小さな白い花をつけていた……」
「どうして分かるんですか?」
「よーし、そいつは毒草だぞ馬鹿野郎。――ジギタリスの中和剤と白墨、両方用意してくれ」
薬品棚の側にいた魔女をサフィージャがどやしつけると、彼女はさも忙しそうに早足でこちらにやってきて、乱暴に薬を置いた。
「魔女さま、ダーリンは助かるんですか!」
「ああ、症状も比較的大人しいし、大丈夫だろう。お前たちは運がいいぞ。こいつは猛毒なんだ」
口の中に布を突っ込んで吐かせてやりつつ、サフィージャが請け負う。
「しっかしお前、よくあんなもの口にできたな。めちゃくちゃ苦かっただろう」
「ダーリンはいつも私の作ったお料理残さず食べてくれるから……」
「お前は大丈夫だったのか? 味見ぐらいしたんじゃないのか」
「だって、山菜苦手なんだもん」
「おい、聞こえたか? お前そのうちこの女に殺されるぞ。早く離婚することだな」
サフィージャは心底呆れたように男の背中を叩いた。
「おーい、サフィージャ、ちょっと手を貸しておくれな」
「今は無理だ。どうした」
「風邪のやつがいるんだけど、進行が早すぎてちょっと変なんだよ」
「それはまずいな。誰か手が空いてないか? 代わってくれ」
ケンカでもしているのかと思うような威勢のいい怒声が飛び交っている。
狭い室内なので、さっきから側を通る魔女たちの視線が痛い。
明らかに邪魔がられている。
「これは王太子殿下、はるばるようこそお越しで……」
病院長がやってきて奥の部屋をしきりに勧めるので、クァイツとしてはもう少しサフィージャを見ていたかったが、邪険にする魔女たちの視線が痛かったので、逆らわずについていった。
***
「陛下の多大なるご温情とご支援にはまことに感謝しております」
病院長はやけに怯えていた。
突然大口のスポンサーが現場に顔を出したら誰でもそうなるだろうが、何かやましいことでもあるのかと勘ぐりたくなる態度だった。
「そんなにかしこまらないでください。今日は友人の様子を見に伺っただけです。サフィージャどのはどうですか? ちゃんとお役に立てていますか?」
「ええ、それはもう、腕のいい娘で助かっております」
「彼女は毎日こちらに通っているそうですね?」
「ええ、なんでも宮廷魔女の仕事は午後からだから、午前は自由なのだと――」
宮廷魔女が午後から始まるということはないのだが、まあ仕方がない。
通常、王宮内や各役所の貴族は午後からぼちぼち集まり始める。
朝早く起き出すのは労働者の証拠で優雅ではないとされているからだ。
酷いのになると夕方まで来ないし、さらに酷いのは数日に一度しか来ない。
筆頭魔女の彼女が朝から労働に精を出しているのは見上げた根性と言える。
「彼女の勤務記録などもあれば拝見したいのですが」
「いえ、うちはそういうのを取っておりませんで……」
「でも、それだと給料の支払いができないのではありませんか?」
「それはまあ、その……」
目を泳がせている病院長を見て、王太子はピンと来た。
「もしかして彼女、給料が支払われていないのでは……」
「いえ、決して私どもがケチって渡さないというのではなく! これは彼女の趣味だからと頑として受け取らないのでありまして! 宮廷魔女の俸禄があるから雀の涙のような給料などいらぬと――」
クァイツは感心するのを通り越して呆れてしまった。
……本当に見上げた根性である。
「まあ、彼女がそれでいいというのなら、私から言うことは何もありませんが……」
「ししししかし私どもとしてもギルドの規定にそって賃金を支払うべきだと襟を正す思いでして――」
「いえ、本当にお気になさらず。今日は個人的に遊びにきただけですから、彼女のしたいようにさせてあげてください」
「ほ、本当ですか」
病院長は安心したら舌が滑らかになったらしく、色々な話を聞かせてくれた。
彼女はなかなか腕のいい医者らしい。
あの黒死の魔女ということですこぶる人気があるのだという。
一番得意なのは風邪や疫病の治療だそうだ。
人手が足りないときは安息日にまで来るらしい。
さりげなく資金が苦しいことを言われてから別れた。
***
移動の馬車に揺られながら、サフィージャの働く姿を思い返していた。
どうやら仕事が好きらしいことはこれまでの行動から分かってはいた。
しかしあそこまでとは思わなかった。
いささか働きすぎなのではないだろうか。
彼女の健康が心配だ。
ただ、働くことが心から好きなのだろうな、とは思った。
あのやりすぎなぐらいの働きぶりを見てしまうと、仕事が大事だから結婚したくない、という主張も本物なのだなと思えてくる。
宮廷魔女はほぼ全員玉の輿狙いなので、彼女は本当に変わり種だ。
――結婚だけが幸せではないでしょう。私は宮廷魔女ですし……結婚なんて……
これまでクァイツはなんとなく、サフィージャは強がっているのだと勝手に思い込んでいた。
恋人が大切にしてくれないばかりに、『仕事を頑張りたいから』と強引に自分を納得させているだけで、もし恋人が許してくれるのならやはり結婚したいのではないかと感じていた。
恋人に遠慮して本音を表に出せなくなっているのなら、そんな男からは乗り換えろと説得して、自分が叶えてあげてもいいと思っていた。
もしかしたら、それは大きな勘違いだったのかもしれない。
彼女にとっても、王妃の位はそう悪くない話だと思っていた。
政局を自分の手で思うように動かしたいのなら、筆頭魔女よりも王妃のほうが何かとやりやすいだろう。
でも、貴人の立場をいったん手に入れてしまえば、もうああして病院で額に汗して働くことはできなくなる。
感染のリスクなどもある危険な仕事だ。本人がどれだけ望んでも、周囲が許さない。
それに魔女の時にはしなくてもよかった仕事――社交や何やが増える分、負担も大きくなるだろう。
権力とは――面倒なものだ。
彼女を王太子妃に召し上げたら、この生活も取り上げてしまうことになる。
――お前自分の立場分かってんの? 王太子さまだぜ?
分かっているつもりだった。
でも本当は、少しも見えていなかった。
少しも。
どうすればいいのだろう。
できれば彼女の望むように、ありのままの姿でいられるようにしてあげたいと思う。
でも、彼女は元から強い女性なのだ。
クァイツが何かをしてやらなくても、自分の望みは自分で勝ち取っていく。
何もしないほうがいい、というのも耐えがたい辛さだ。
できることは何でもするから――
だから、せめて好意や感謝くらいは向けてほしかった。
本音はきっとそれだ。何かをしてやりたいのではなくて、相手にしてほしくてたまらないだけ。
もしも本当に『お前の施しなどいらない、何もするな』と言われてしまったら、その時は――
もうやめよう。
仮定ばかりの話だ。
考えても仕方がない。
***
グレーヌという大学教授が隣国モンペリエで古代法を教えている。
彼はその道の権威として知られていた。
高等法院の一室に現れたのは、物静かな男だった。身を乗り出さなければ聞こえないのではないかというほど小さな声で、言葉少なに受け答えをする。
南方の地中海側にあるモンペリエは短い間に何度も所属する国が変わっており、住民は不安定な生活を強いられていた。
「なるほど、殿下は……モンペリエを……諸島国家から買い上げるおつもりだと。そちらのお国で……私どもの大学を保護してくださるのですね」
「ええ。我が国はあなた方のように洗練された学者を必要としています」
「しかし、首都には有力な神学校が……いくつもあるはずですが。なぜ私どもをご指名……なのでしょうか」
灰色の瞳が無感動にこちらへ向けられる。
クァイツは微笑むに留めた。彼のような男は、自分で答えを探るのを好む。
いちから全て説明するより、沈黙していたほうがよい印象を与えやすい。
しばらく静寂の時が流れた。
「……教会でしょうか」
たったひと言だったが、それで十分だった。
「さすがのご見識でいらっしゃる」
微笑みと世辞を申し訳程度に送ったが、彼の表情は全く変わらなかった。
首都には神学校があり、神学部の権威が存在している。
それでなくともラングドックの山岳側にはもうひとつ神学校がある。
そちらは百年前の異教徒鎮圧以降、教会の勢力を増やすために教皇自らが設立したものだ。
そのどちらでもなく、わざわざ古代法の学者を――それも隣国から招聘しようというのだから、目的は自ずと知れる。
「しかし……最終的には、何がお望みですか。相手はあの悪名高き……財宝を貯め込んだ古竜。宝の一部を盗み取るのがご所望なのか……あるいは全てか……殺してしまうのか」
来た。
クァイツは正直、口にしたくなかった。
しかし今言わなければ、苦労して面会を取り付けた意味がない。
「王太子妃に、異教徒を」
しばしグレーヌは沈黙した。
冬の海のように鈍く光る灰色の瞳が異国の王子をひたりと見据える。
こんなことぐらいでは笑顔が揺らぎはしないが、いたたまれないことには変わりない。
もう、視線が言っている。
そんなことのために大学を土地ごと丸々買い上げるつもりなのか、と。
愛妾を正妃に――など、王族の常識からいえばひどく馬鹿げたことだった。
おそらくグレーヌの中で自分の評価が急降下しているに違いない。
無理もないと思う。
この話だけ聞いたら完全にただの色ボケバカ王子である。
権力を持たされた阿呆の壮大なワガママ暴政である。
実際に自分でもそう思うのだから仕方ない。
屈辱に身を焦がしつつ、黙ってグレーヌの視線に耐えていたが、もともとしゃべるのが好きなクァイツは途中でやりきれなくなって口を開いた。
「も……勿論、それだけではありませんよ。お恥ずかしい話ですが、我が国の司法は聖職者たちに全権を握られてしまっており、王宮としてはただちに教会特権を無効化して裁判権を正しく地方から王宮へと繋げたいのですが、それには教会法に代わる規範が――」
「ああ、いえ、いえ……もうその辺で結構ですよ」
どんよりとした鈍色の瞳の男がなんともいえない様子で制止をかけてくれ、その微妙な手心にクァイツはもう自刃しようかと思った。
しゃべればしゃべるほどグレーヌの好感度は下がっていくのだろうが、沈黙はクァイツがもっとも苦手とするところだった。
「……どうやら本気で仰せのようですね。いや、はや……殿下もまだ、お若い」
もの静かな男のかすかな苦笑が、今しがた自分で作った傷口にしみる。
「……分かりました。私どもとしても、興味があります。次回は……兄弟会の者も、殿下に謁見させていただければ……と思います」
ということは――と考えて、クァイツの背筋に戦慄が走る。
この色ボケ話を、高名な学者複数名に晒して、ああでもないこうでもないとつつき回されなければならないのか。
しっかりしろ、と自分に言い聞かせた。
痩せても枯れてもクァイツは神の恩寵による王太子である。
毛ほども動揺していませんよ、という、ごく柔らかな笑みを浮かべて、差し出された彼の手を取った。
覚悟を決めるしかないだろう。
おそらくこの先も似たような場面は何度も何度も現れる。
そのたびに動揺していたのでは身が持たない。
このぐらいは何ともない。
煮え湯を飲まされることには慣れている。社交はいつもその繰り返しだ。
最後まで耐えきったものが勝利者だ。
必ず勝てるとあらかじめ分かっているのだから、焦ることは何もないのだ。
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