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【第一部ダイジェスト】 王太子視点
王太子様の追憶 16 彼女の弟と彼女の野望
しおりを挟む何度目かのグレーヌ教授との会合のあと、彼はふとこんなことを呟いた。
「しかし……殿下のお相手は拝火教徒の女性……ですか」
彼は意味もなく言葉を発したりしない。ひと言ひと言が重い男だ。
先を促すと、彼は奇妙に淡々とした抑揚で、
「いえ……あちらの方は少し変わった結婚をする……と聞いていたものですから」
クァイツは嫌な予感がした。
彼女が言葉を濁し続けていた恋人の真相がそこに隠されているのだろうか。
「……確か……近親婚を好んでする……と」
瞬間的に彼女についての調書を思い出した。
彼女には弟がいるのだ。故郷で羊飼いを営む弟が。
***
魔女どのの部屋で出されるお茶は苦い。
毒草はほぼ例外なくどれも苦いので、このお茶が知らない人間に出されたものだったら自分は手を付けないかもしれない。そのぐらい苦かった。
そもそも王宮内の食品は宮廷魔女のチェックが入っているので、毒の騒ぎが出ることはまずないのだが。
さて、とクァイツは息を吸い込んだ。
今日は聞くべきことを聞かねばならない。
「……サフィージャどのには弟さんがいらっしゃると聞いたのですが」
「待て、何が言いたいのかわかった。弟とは全く何の関係もないぞ」
あまりにも素早い魔女どのの返し。逆に疑わしい。
「あいつとは本当になんでもないから邪教徒認定はやめてくれ」
彼女の弟はごく普通に家業を継いでいるので、以前に言っていた恋人の特徴とはまるで合わない。
しかし正直に話をしているとは限らないし、全く影も形もない恋人なのにやけに大切にしているようなことを言うのも、弟という関係を考えればそれなりに納得がいく。
弟が彼女に会いに来ないのは王宮が遠いからだ。
何より、サフィージャにはほかに親しい男性がいないのだ。
この自分を除いては。
「最近では私があなたと懇意なのではないか、と、うわさされたりも、しているようなんですが」
「それはお前が暇だからだろう。お前普段は何をしてるんだ?」
あっさりかわされてしまった。結構聞くのに勇気が要ったのに。
そしてただの暇人だと思われていた。
ちょっとショックだ。
「暇じゃないですよ、色々してます。午後も人と面会しましたし」
「誰と何をしてたんだ」
「あまり大きな声では言えないんですが……モンペリエの古代法の教授で有名な方がいて、高等法院の人事に手を入れるのに生徒を送ってもらえないかと思いまして」
「どうするんだ?」
「まだ微妙なところなので何とも言えないんですが……」
「誰にも言わないから言ってみろ」
まさか『あなたと結婚するために色々工作しています』とは言えない。
何しろまだ承諾をもらっていないのだから。
仕方なく、もうひとつの用事のほうを教えることにした。
「……前から汚職が目立っていたので、いっそ国内の裁判官から聖職者を追い出そうかと。教会法を撤廃して、古代法を学んだ人から雇っていくつもりです」
サフィージャは姿勢を正してこちらに向き直った。
真っ直ぐ見つめられるとくすぐったい。
「……ものすごく面白そうじゃないか」
「でも、ほら、聖職者からは当然猛反発を食らうはずですから、あまり表立っては行動できなくて。そこであなたのところで油を売っていると見せかけて色々と。だからあなたと変なうわさが立ったりしたら迷惑になるかなあと思ったりもして、一応、その、聞いてみたかったんですが……」
むしろ本題はそっちだ。
――サフィージャどのは私とうわさになったりしても困らないのでしょうか。
そうダメ押しで重ねて問おうとしたが、彼女は全く聞いていない様子で、
「お前……やればできるじゃないか……私はいますごく感動している」
もうひとつの政治話のほうに食いついた。
そうじゃない。
王太子との間に変なうわさが立ったら恋人に申し訳ないと思わないのだろうか。
それともそういう気持ちにならないほど自分は空気なのだろうか。
さすがに気持ちが荒む。
恨みがましい気持ちになっているこちらをよそに、魔女どのは目に見えて機嫌がよくなっていた。
あまりにも嬉しそうなので、荒れた気分が一瞬で癒された。
お茶が空になった。
侍女の夫人を呼ぼうとしたら、サフィージャに止められた。
「今日は特別に私が淹れなおしてやろう」
「淹れられるんですか……?」
実は彼女、不器用なんじゃないかと疑っているクァイツだった。
ナイフの使い方も危なっかしかったし。
「ばかお前、私のお茶は評判がいいんだぞ。滅多にやらないサービスなんだから心して飲め」
そういうと彼女は薬草らしきものがたくさん詰まった箱を持ち出してきた。
「……それは薬草なのでは……?」
「食べられるやつばっかりだから大丈夫だ」
「そしてそれは薬のさじなのでは?」
「洗ってあるから大丈夫だ」
本当だろうか。うっかりさじに残っていた毒で殺されたりしないだろうか。
やけに慎重な手つきでお茶を調合すると、サフィージャは暖炉のかまどから湯をすくいあげた。
熱湯が注がれて、いつもと違う香りが漂った。
淹れてもらったお茶は確かにおいしかった。
飲み口が軽い。ほのかな花の香りと甘い風味が組み合わさって、まるで薔薇の瑞々しい花びらを口に含んでいるかのようだ。
いつもの苦いのは何なのかと思うぐらいの味だった。
「いつも飲んでるやつとは違うんですか?」
「それは魔女の秘伝というやつだから教えられないな」
お茶がおいしい。味よりも、彼女に淹れて貰えたのが嬉しかった。
色々と目的を忘れている気がするが、まあいいだろう。
どうせ彼女の恋人はほとんど彼女に会いに来ないと分かっているのだ。
このままの時間が続くのも悪くない。
それにしても彼女はやはり教会をよく思っていないのだな、と思った。
まさか、苦し紛れに持ち出した人事の話であんなに喜んでもらえるとは。
「教会に恨み? 当たり前だ。売るほどある」
なるほど、覚えておこう。
***
エルドランから書状が届いた。
彼女宛てのファンレターだ。中身は彼女にしか分からない言葉で書いてあるという。
何が書いてあるのかは王太子としても、そして私人としても気になるところだが、いまはエルドランの自己申告を信じるしかない。
教会を倒すための筋書きは粗方決まっている。
やることは山ほどあるが――
彼女の野望は疫病の撲滅だ。
その最大の障害は教会である。
国内の病院はほとんどが教会に併設されている。
そこで杜撰な治療や間違った薬物投与が行われていても筆頭魔女は手が出せない。
では単純に彼らから医師免許を取り上げればいいか――というとそうでもない。
そもそも教会は『血に触れてはならぬ』『堕胎してはならぬ』『神の試練である病苦を人が取り除いてはならぬ』と教えている。
彼らは肉体の治療そのものに否定的だ。
その上、それを他宗教に強制する権利まで持っている。
教会が神の教えを枉げない限り、どれほど奉仕精神に溢れた素晴らしい医師であっても、医療技術は向上しない。誤った教えこそが彼らにとっての真実なのだから。
魔女たちはより実践的な医術や薬学を重視するが、それは教会にとって『異端』であり『誤り』なのである。
彼女の夢を叶えたかったら、土地の教会を潰し、聖職者を追い出して魔女たちに入れ替えてしまう、ぐらいの強硬策が必要なのだ。
そこまでやってようやく、彼女の望み通りに国内の病院を動かすことができる。
中には潰してしまうのが忍びないような、ごく善意に満ちた教会や修道院も存在するだろうし――
不正に手を染めていない聖職者に濡れ衣を着せて断罪しなければならないこともあるだろう。
そこまで行き着けば、はたしてどちらが善で、どちらが悪なのか分からない。
できるだけ彼女の望む通りにしてあげたい、とは思う。
でも、彼女は教会と変わらない強引なやり口で国内の版図を塗り替えていくクァイツとエルドランを見て、何を感じるだろうか。
陰謀に気がつかないように最大限配慮してやるのがクァイツの務めだろうか。
それとも彼女も共犯者に迎え入れるべきだろうか。
これがサフィージャの叶えようとした夢の代償なのだとひとつずつ教えていくのは残酷だろうか。それとも――
彼女は強い女性だから、その程度のことはとっくに覚悟の上なのだろうか。
――どちらとも判断がつかないまま、彼女にエルドランの手紙を渡す日が来てしまった。
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