王太子様、魔女は乙女が条件です

くまだ乙夜

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【第一部ダイジェスト】 王太子視点

王太子様の追憶 17 ファンレターと黒の手袋

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 ――限りない敬愛と惜しみない抱擁をこめて。

 エルドランの手紙はその一文が目立つところに記してあった。

 それを見た瞬間、何とはなしに背筋が寒くなった。
 彼にとってのサフィージャは、数年前にたった一度相見えただけの相手だ。
 彼女の治療で命を救われた、というのが感動的な体験だったにしても、常軌を逸していると思う。
 そんなに会いたいのなら、いくらでも口実をつくって王宮に押しかけてくればいい。
 そうしなかったのは、会うことそのものよりももっと大事なことがあったからだ。

 次から次に国庫へ振り込まれる彼の私財は、いわば彼女への恩返しなのだと思っていた。
 直接的な邂逅よりも、受けた恩を返すことを優先したかったから、彼女には気づかれないように援助する方法を採ったのではないかと感じていた。

 おそらく、彼は――彼女に会うのが怖いのだ。
 彼女にとってのエルドランは、数年前に一度助けてやっただけの男だということを、彼自身が一番よく分かっているのだろう。
 そんな男に巨額の資金を提供されても、彼女は受け止めきれずに困惑する。
 ところがここに他人の恋愛感情をまるで理解しない王太子がひとりいて、罪悪感もなく平然と彼の私財を受け取って、合理的に彼女のために役立ててくれるとしたら――
 エルドランとしても、そのほうがよかったのではないかと思う。

 その王太子が彼女を横からさらっていくのは、これ以上ない裏切り行為でもある。

 エルドランはその屈辱を飲むだろうか。
 報復を考えても全くおかしくはない。

 もはやクァイツにとっての彼も、ただの権力者同士の気楽な横の繋がりというだけではなく、いつ出し抜かれてもおかしくない相手になりつつある。

 クァイツとしても言い分はある。
 枢機卿のエルドランに魔女の彼女を幸せにすることはできない。思いを遂げたいのなら、王妃にするよりもはるかに多くの犠牲を彼女に強いることになる。
 加えて彼のいる総本山はこの国の遥か遠くにある。

 彼女自身がそれでもいいというのならまだしも、彼の一方的な恋情で何もかも諦めさせて手元に置いておこうというのは横暴が過ぎる。クァイツとしても見過ごせない。

 いつか誰か、他の男が彼女を手に入れることぐらい、彼にも分かっていただろう。
 それがたまたま自分であっただけの話だ。

 クァイツであるからこそ――友人であるからこそなお許せないとするなら、その時は――

 ともかくも、正直に話してみるしかない。
 それが友人としての義理だ。

***

 彼女は甘いものが好きらしい。
 手土産を持っていくと、嬉しそうに食べてくれる。厨房にお菓子の職人を増やすべきだろうかとクァイツは思った。

 クァイツから枢機卿からのファンレターを受け取り、文面を一読した彼女は、不審げに呟いた。

「枢機卿はどこの民族出身なんだ?」

 さて、どこだろう。
 脳裏に特徴的な彼の風貌を思い描く。

 黒い髪に黒い瞳の長身。精悍な身体つきと白い肌は北方民族のようでもあるし、ゆるく波打つ黒い髪は東方の民族のようでもある。整いすぎている顔というのは却って特徴がなくなっていくものなのか、顔つきからはどこの国とも判断が付かない。

 名前はこの国のものではあるが、中東の出であると本人は言っていた。話し方や考え方に国籍不明の中庸感があったのはそのせいだろう。しかし、本当に中東の人間かどうかも疑わしいとクァイツは思っている。中東の人間「らしさ」というものをおよそ感じ取れなかったからだ。

 変わった男ではあると思う。彼を見た人間はほとんど例外なく彼を徹底的に嫌うか――あるいは熱烈に心酔してしまう。

 誰もが彼を恐ろしいと感じるが、当人はいたって真面目でもの静かな男だ。彼が瞳に宿している強い光は、狂気のようでもあり、熱意のようでもある。得体の知れない、妖しく恐ろしい彼の力に引きずられて、心の均衡を否が応にも崩されてしまう。心を揺らされる不快感に耐えきれず、人は彼を激しく憎むか、あるいは愛するようになる。

 サフィージャは彼を見てどう思うだろう。

 彼の持つ正体不明の熱情は、もしかしたら、あの頑なに恋人への義理を通してきたサフィージャでさえ取り込んでしまうかもしれない。

 勿論それとは真逆に、彼女もエルドランを深く嫌悪する可能性も否定できない。おそらく、彼はそれが怖いのだろうと思う。よくも悪くも、彼は他人に影響を与えすぎる。

 ――思案するクァイツをよそに、サフィージャはしばらく文面を眺めていたが、やがて辞書がなければ読めない、と手を上げた。

 辞書を探させようかと提案すると、彼女はぴくりと反応した。
 期待を込めた目でこちらを見つめてくる。心なしか瞳がキラキラしていた。

 こういう時、彼女は確かに分かりやすい娘だと思う。覆面をしていても気持ちがよく伝わってくる。
 直にこのかわいらしい表情を眺められたらどんなにかいいだろう。

 彼女は前から書物庫に行ってみたかったのだと言った。

「そうなんですか? 言ってくれればいつでもお連れしたんですけど。王族なら自由に立ち入りできますし」
「王族なら……か……」

 声から羨望がにじみ出ている。

「サフィージャどのも入室できるようにしましょうか」
「本当か?」
「まあ、ただでとは言いませんけど……」

 その代わり、彼女には王族の一員になってもらう。

「う……じゃあいい。お前の恩は高くつくから嫌なんだ」
「よくお分かりで」

 まだ自分の正体がバレていないと思っている彼女には、今の言葉は通じていないだろう。
 もどかしくはあるが、このままの状態がずっと続くのもいいかと思えるくらい、穏やかで幸せな毎日だ。

 書物庫は王宮のそば近くにある館に設えてある。
 サフィージャは部屋という部屋を埋め尽くす我が書物庫に甲高い悲鳴をあげた。
 恐怖の魔女も形無しである。
 西方国家でこれだけの数を取り揃えているのはうちだけだろう。

 彼女は辞書の他にもちゃっかり私用の本をねだってきた。
 勿論そのぐらいならいくらでも言ってくれて構わないのだが、もとが高いものという認識があるせいか、申し訳なさそうにしているのがただもうひたすら可愛かった。

「礼を言うぞ王太子どの! 持つべきものは友人だな!」

 こんなにはしゃいでいる彼女は初めて見るかもしれない。
 この館にある蔵書六万巻をすべてプレゼントするから結婚してくれと頼んだら、二つ返事で了承がもらえそうだ。

 彼女は辞書と手紙を引き比べながら、訝しげに首を捻った。

「”主はここにおられる”? 聖書じゃないか……なら最初っから聖書用の言語で書いて寄越してくれたらよかったのに……一体どういうつもり……」

 彼女はそこでまたふと黙り込む。

「枢機卿は一体何者なんだ……?」

 それはクァイツとしても気になるところだが、ひとまずは何もかも知っているという顔をして、司書に聞こえないよう小さな声でそっと教えてやった。

「なんでも……教会に復讐がしたい、と」


 彼女によると、手紙はしばらく解読に時間がかかるという。
 邪魔をしないでおこうとクァイツは思った。


***

 自室に手袋職人が来ていた。

 以前彼女と約束していた埋め合わせのプレゼントが出来上がったようだ。

 彼女が一番ほしいものは、おそらく髪留めでもドレスでもなくて、これだろうと思った。
 手袋は権力の象徴なのだ。

 仕上がりは上々だった。

 銀を練り込んだ複雑精緻な飾り紐と緻密に目の詰まった子ヤギの皮革。
 黒檀のように艶やかで深い黒の染色と磨き抜かれた緑の貴石。

 刺繍の出来も申し分ない。

 模様のパターンは彼女の趣味を考慮して翼の生えた動物――でもよかったのだが、そこだけは自分の好みを入れた。おそらく宮廷魔女の黒いローブにも合うと思う。
 
 彼女は全身隙間なくローブで隠しているが、手だけはいつも出している。
 あれではいつかほかの魔女たちも彼女の正体に気づいてしまうはず。

 それに――どうせなら彼女の指の先まで余すところなく隠してやって、自分以外の誰にも肌を見せないようにしてしまうのも、心のほの暗い部分が満たされるようで気分がいいだろうと思ったのだ。 

 このまま、自分好みの装飾品が彼女の身の回りに少しずつ増えていけばいい。
 髪にも耳にも胸元にも自分の贈り物を身につけさせて、誰の目にも明らかなくらい自分の影響を誇示してやりたい。

 贈ったところで、きっと彼女は宝石などいらないと言うのだろうが。
 
 あげたいものはいろいろあっても、受け取らせるのが難しいのだ。

 つい最近までまるで理解できなかったエルドランのいびつな執着。
 そこに共感できてしまうことが、自分でも嫌だった。


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