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【第二部ダイジェスト】王太子視点
08 飼われているのはどちら (眠れない苦行~子猫ちゃん)
しおりを挟む眠れない。
サフィージャと一緒に寝るときはいつもそうだが、目が冴えてしまってだめなのだ。
クァイツは添い寝のサフィージャに声をかけた。
「……もう寝ました?」
「……んー……」
彼女はうなりながら、もぞもぞ動いた。
「……どうした」
特に用事はなかったが、クァイツは適当に話を見繕った。
「たとえばここにあなたのことが好きでたまらない人物がいたとします」
「ふむ」
サフィージャは鼻先で軽くうなった。
興味はないが続けてもよい、ということらしい。
「もしその人があなたに贈り物をしたいと言ったら、あなたはどうしますか」
サフィージャはごろんと回転して、クァイツの胸に頭をすりつけた。
甘えたしぐさにときめかされて、彼女の肩を抱き寄せた。
「くれるっていうならもらうぞ。まあ、品物は別に、なんでも、くれるならうれしい、かな。あ、でも、高すぎるものはちょっとな。もったいなくて使えないし。お手頃なやつがいい」
ちょっと照れたような返事に意識が持っていかれた。
かわいい。
しかしクァイツは心を鬼にして言った。
「浮気者」
「なんでだよ!?」
サフィージャががばっと跳ね起きる。
どうやら目が覚めたらしい。
計画通りだ。
ひとりで起きていてもつまらないし、しばらく話に付き合ってもらうことにしよう。
「お前がくれる話じゃないのかよ!?」
「どこの馬の骨とも分からない男からものなんてもらっては駄目でしょう」
「あー……うん……ごめん……?」
サフィージャはわけが分からないといった顔で投げやりに謝った。
それからぽすっとクァイツの腕に頭をあずける。
動きがいちいちかわいらしい。
「ではその人物が仮に猫だったとします」
「……は……?」
「あなたに懐いてしょうがない猫がいるとします」
「……?」
サフィージャは無言で『解せない』というように首をひねった。クァイツの二の腕の上に乗せた髪がさらりと音を立ててねじれ、いい匂いがした。
「ある寒い冬の日、その猫があなたと一緒に眠りたくてベッドにもぐりこんだとします。そのときはどうしますか?」
「どうって……別に、そのまま寝かせてやるが。あったかいし」
「……浮気者」
「だからなんでだよ!?」
「あなたのベッドで一緒に寝ていいのは私だけでしょう? なんで気安く猫を寝かせてるんですか。あなたは少し警戒心が足りないのでは。だいたい、その猫が本当に無害な猫である保証なんてないんですよ」
「お前が猫って言ったんだろ!?」
「本当は人間かもしれません」
「間違えるか! 猫か人かくらい見りゃ分かるだろ!?」
「虎の子どもだったらどうするつもりなんですか? 懐かれたらあとあと大変ですよ」
「うっさい! 設定を後出しにするな!」
――彼女はまじめな性格が災いして、朝方までクァイツに付き合わされることになった。
リアクションがいいところも本当にかわいらしい。
***
農村で一泊して、朝がた、村の大衆浴場に寄った。
毛皮など着ていっては絶対に盗まれる、とサフィージャが言うので、彼女のローブを着たまま銭湯に入った。
朝だから誰もいない、かと思いきや、脱衣所にはちらほら人がいた。
彼らはいっせいに入ってきたクァイツに注目し――悲鳴をあげた。
「うわあああ!」
「ま、魔女だ!」
「疫病の魔女が来たぞ!」
「やめてくれえええ!」
男たちは逃げまどい、あっという間に誰もいなくなった。
どうもサフィージャが村に来ているらしいといううわさは村中に広がっていたようだ。それはまあ、確かに、疫病の魔女がいきなり風呂に現れたら誰でもぎょっとすることだろう。近寄りたくない、うつされたくない、と思うのも仕方がない。
しかし――サフィージャも大変だ。
こんな冷たい扱いを受けていて、つらくないのだろうか。
クァイツはこれだけでちょっと心が折れかけた。
思い返せば彼はそもそも、人から冷遇された経験がなかった。
どこに行っても王太子としてもてなされてきたのだから、当然といえば当然であるが。
クァイツに冷たく当たるのなんて、それこそサフィージャぐらいのものである。
これでも一応恋人同士のはずなのに、少しも近づけている気がしない。
どうすればもっと仲良くなれるのだろう。
心を開いてもらえるのだろう。
クァイツにはさっぱり見当もつかなかった。
***
道中、サフィージャにかねてから考えていた叙勲の話をした。
彼女を王太子妃にするのはもう決めたことだ。
しかしそうなると、身分が庶民のままではやはり問題がある。
人間は生まれつき身分を神から定められている、らしい。
農民は農民になるように神がお作りになったから農民なのだ。
王族とは――貴族とは、神が『地上を治めよ』とあらかじめ定めた人々なのである。
ゆえに、異教徒の魔女を連れてきて、今日から彼女を王妃にします、といっても通用しない。
王の後継に異教徒の血が混じってしまうからだ。
神から祝福されていない身分の血が混じってしまっては、もはやその子は神が『かくあれかし』と願った特別な人々ではなくなってしまう。
クァイツにとってはどうでもいいことだが、そう信じている人が国の大部分を占めているのだから、そこらへんうまくつじつまを合わせてやる必要がある。
――そこで彼女自身に爵位を持たせてしまうか、あるいは最初からどこかの貴族の隠し子だったことにして、家系図をねつ造するか、どちらか選んでもらおうと思ったのだ。
『女の叙勲なんて前代未聞だ』
サフィージャがごくふつうの感想を口にした。
それはそうである。前例はない。これから後にもまず考えられないことだろう。
しかしサフィージャならば可能である。
彼女は特別な魔女だ。国教徒であれば聖人に列せられてもおかしくないほどの功績を持っている。
有名な聖女ヒルデガルトなどの例と比べても遜色はないと思う。
その辺りから神の奇蹟がどうのこうのと理屈を持っていけば、特例を認めさせることも不可能ではないだろう。
法解釈のねつ造などはクァイツの得意分野である。
サフィージャとの婚姻を周囲に認めさせる。
ただそれだけのために著名な法学者を何人も王宮に引き抜いてきたし、抜かりはない。
もっとも、クァイツの目的を知って、学者はみんな呆れた顔をしていたが。
高等法院の裁判官よりもよほど精密で詳細な法学的見解を出せるプロ集団を大枚払って結成して、何をするのかと思えば結婚の既成事実づくりである。
あの面子なら首都の神学校のお歴々と真向から論陣を張り合っても勝てる。
――つまり、ややもすれば教皇庁にさえケンカを売れる。
それだけの人員を集めておきながら、やらせているのは結婚のための詭弁づくりである。
クァイツが学者の立場でも思ったことだろう。
――この王子は頭がいいのか、それともバカすぎて一周回ってしまったのか、どっちなのだろう、と。
それはともかく、サフィージャは公爵令嬢にする案にも難色を示した。
『たとえ隠し子といえども、公爵令嬢なんかになったら相続争いに巻き込まれるじゃないか』
そちらも問題ない。
サフィージャには継承権がないことを一筆書くだけでこと足りる。
あとは彼女がどう思っているかだ。
サフィージャは、爵位も身分もほしくない、と言った。
公爵に叙勲すればほかの貴族にやっかまれる。
公爵令嬢になればほかの令嬢に目をつけられる。
敵は少ないほうがいい。
今までどおり仕事をしながら、平穏に暮らしたい。
――だいたいそんなようなことを語った。
「いっそ妾のままのほうがいい気がしてきた……」
さすがのクァイツもこれにはびっくりした。
そしてへこんだ。
妾でいいなんて言われたら、クァイツの立場がなさすぎる。
結婚式はああしたいとか、普段着にはあれを着せたいとか、先走り過ぎた妄想の行き場がなくなってしまうではないか。
楽しみにしまくっているのは自分だけなのだろうか?
ふつう、こういうのは女性のほうが盛り上がるものだと思うのだが、彼女はさっぱりつれなくて、全然話に乗ってくれない。
もしもこのまま彼女に振られたら、法学者連中はなんと言うだろう。
――当の本人に逃げられてしまったので、結婚はもういいです。
きっとクァイツが哀れすぎて言葉も出ないに違いない。
不自然にやさしくなる学者連中が目に浮かぶようだ。
やっぱりもう彼女の中でクァイツに対する愛は冷めているのではないか。
そんな不安がよぎる。
思い返せば、結婚に乗り気なのはいつも自分だけだった。
サフィージャはいつも困ったり、戸惑ったり、うなったりしているだけだ。
照れ隠しもあると思う。素直になれない性格だと片付けてしまうこともできる。
それでも、そのときはそう思えなかった。そう思えるほど余裕がなかった。
「あなたは本当に私のことが好きですか?」
そうだ、と言ってほしかった。ひと言言ってくれるだけでよかったのに。
彼女は猫の話をした。
――私が猫を飼っているとする。その猫はとてもなついてくれているが、魔女が猫を飼っていると使い魔を疑われて、教会から言いがかりをつけられることがあるから困っている。
――この猫がかわいくてしょうがないが、じゃらし方が分からない。
――どうすればいいと思う?
クァイツは面白くなかった。
……よりによってペット扱いなんですか。
なぜ彼女が飼い主であるという前提なのだろう。
そこはふつう、女性であれば、自分が飼われている猫の目線になるものではないのだろうか。
もっとえさがほしいとか、あたらしいおもちゃがほしいとか、構いすぎてうっとうしいからひとり遊びの時間がほしいとか、そういう自分がしたい・されたいわがままを語ればいい場面じゃないのだろうか、これは。
言ってくれればクァイツだって、寛大な気持ちで許してあげられるのに。
なぜ彼女のほうが飼い主で、甘やかしてあげていると言わんばかりなのか。
だいたい彼女はいつもそうだ。クァイツが恋人としての義務を果たそうとか、喜びそうな演出をしようとか、男としていいところを見せようとか、そういうことを目論むと、決まってつめたーい目で見る。
――この男、何をそんなにはしゃいでるんだ。
今にもそんな内心の声がもれ聞こえてきそうなのである。
腹立たしい。
なんだかむしょうに彼女をモフりたくなってきた。
気位が高くてなつかないところは猫にそっくりだと思う。
威嚇されても、逃げられても、つれなくされても、それでもかわいいからつい捕まえてみたくなる。
モフろう。
クァイツはかたく決心した。
泣いて嫌がってもやめてなんてあげない。
たまには自分の立場を思い出せばいいのだ。
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