74 / 106
68.契約の終わり(8)
しおりを挟む
寿々音さんと笑顔で別れ、池芳軒を後にした私は、荷物を抱えながら駅へと向かう道を歩いていた。
日はだんだんと暮れ始め、来るときは観光客や修学旅行生であふれかえっていた参道はすっかり人気が少なくなっている。代わりに周囲の飲食店やホテルの明かりが灯り、楽しげな人々の声が風に乗って聞こえてきた。
せっかくだから一人で京都観光をしてから帰るつもりでいたが、どうもそんな気分にはなれない。寿々音さんと会うまでとは別の意味で気が重く、胸がざわついて仕方がなかった。晶に想いを伝えると決意したはいいが、もうすでに緊張してしまっていて落ち着かないのだ。
――想いを伝えるって、どうやって?
さっきからずっと考えてはいるものの、どうしても照れくささや気恥ずかしい気持ちが勝ってしまう。好きだというたった一言を伝えればいいだけなのに、相手が晶というだけでとてつもなく高い壁のように思えてならなかった。
気持ちを伝えるのが先だと寿々音さんは言っていたが、晶には他に好きな人がいるかもしれないのだ。それについて確認してから告白するべきだと思うが、まず何と言って切り出せばいいのだろう。高校生や大学生の頃のように「彼女できたー?」なんて軽く聞けたらいいけれど、今の私にはそれすらできそうにない。できたけど、なんて返事が返ってきたらと考えるだけで涙が出てきそうだ。
はあ、と大きなため息をつく。そしてふと顔を上げると、来るときには通らなかった川沿いの道を歩いていることに気が付いた。考え事をしながらだらだらと歩いていたせいで、どうやら道を間違えたらしい。
辺りはすっかり薄暗くなっている。ここで迷子になったら、告白をするどころか無事に家に帰れるかどうかも怪しい。
慌ててカバンからスマホを取り出して地図アプリを開こうとしたが、どういうわけか電源が点かない。そういえば新幹線の中でスマホを弄り過ぎて、電池残量があとわずかだったことを思い出す。池芳軒にいる間はスマホにまったく触っていなかったが、いつの間にか電池が切れていたのだろう。
「……困った」
充電コードを持ってはいるが、コンセントか何かがないと充電はできない。あてずっぽうで駅まで歩いてもいいが、まったく知らない土地だからそれも少し怖い。ここは充電のできるカフェにでも入って、ちゃんと地図を見てから駅を目指すことにしよう。
近くにお店がないかと辺りを見回していると、前方から大きな叫び声をあげている人がこちらに向かってくることに気づいた。変な人だったら嫌だな、と警戒しながら前を見ていたが、どうやらその人は一人で叫んでいるわけではなくスマホで通話をしているようだ。
少しほっとしたが、どこか焦ったように大声を出しているその人につい視線が向いてしまう。そしてだんだんと近付いていくうちに、その声が聞き覚えのあるものだということに気が付いた。
まさか、とはっとして思わず立ち止まる。
するとその人も何かに気が付いたかのように突然立ち止まり、ずっと手に持っていたスマホをポケットにしまう。そして、ものすごい勢いで私に向かって走ってきた。
「――おい、美雨っ!! こんなところで何してる!?」
そう叫んだのは、紛れもなく晶だった。
驚きに目を見開いたが、遠くからでもその声と姿が確かに晶のものだとすぐにわかる。
どうして私がここにいるとわかったのだろう。それに、今日も仕事のはずの晶までどうしてこんなところにいるのだろう。疑問は尽きないが、あの様子を見るに私を追いかけてここまで来たことは間違いない。
でもまさか晶がこんなところにいるとは思ってもみなくて、焦った私は思わず彼から逃げるように走り出した。
「なっ……!? バカ美雨、逃げるなっ!!」
「ぎゃー!! お、追いかけてこないでよっ!」
「おまえが逃げるからだろ!?」
ぎゃあぎゃあとお互いに叫びながら走る。しかし圧倒的に晶のほうが足が速いうえに、私が大きなカバンを持っているせいもあって、数十メートルもしないうちに決着がついた。
晶はあっという間に私のところまで追いつくと、ぜえぜえと息を切らしながら腕を掴む。そしてその勢いのまま、力強く私の体を抱きしめた。
「この、バカ!! 勝手に、いなくなるな……!」
「え……」
「俺がどれだけ心配したと思ってる!? 俺だけじゃない、美晴さんや藤野さんにまで心配かけて、おまえはっ……!」
叱りながら、晶はまるで縋り付くように私の体をきつく抱きしめた。絶対に離さない、とでも言われているようなきつい抱擁に胸がきゅっと締め付けられる。困惑しつつもおずおずと彼の背に腕を回すと、そこは驚くほど熱くじっとりと汗で湿っていた。
「あ、晶、なんで……」
「なんで、じゃない! 友達と会うために大阪に行くなんて言ってたくせに、おまえはここで何してた!?」
「あ……そ、それは……」
今までにないくらい険しい表情で問い詰めてくる晶に、思わず閉口する。寿々音さんに会うためにここへ来たと正直に言えばいいだけなのに、晶の剣幕に圧されて何も言えなくなってしまった。
晶は目を泳がせる私を見てぐっと唇を噛んだかと思うと、低い声で咎めるように言う。
「藤野さんに、全部聞いたぞ。おまえ、俺と離婚するって報告をしに池芳軒まで行ったらしいな?」
「えっ!? ふ、藤野さん、しゃべっちゃったの……?」
「離婚するなんて、いったい誰が決めた!? 俺に何も言わずに、勝手なことをするなっ!!」
辺り一帯に響き渡るほど大きな声で晶が怒鳴る。傍を通った外国人が「ワァオ」と驚く声が聞こえたが、それでも晶は私を離さなかった。それどころか抱きしめる腕の力はさらに強くなって、おのずと息が詰まる。
状況も理解できないまま怒られたことで、驚きと動揺からじわりと目に涙が滲んでくる。
日はだんだんと暮れ始め、来るときは観光客や修学旅行生であふれかえっていた参道はすっかり人気が少なくなっている。代わりに周囲の飲食店やホテルの明かりが灯り、楽しげな人々の声が風に乗って聞こえてきた。
せっかくだから一人で京都観光をしてから帰るつもりでいたが、どうもそんな気分にはなれない。寿々音さんと会うまでとは別の意味で気が重く、胸がざわついて仕方がなかった。晶に想いを伝えると決意したはいいが、もうすでに緊張してしまっていて落ち着かないのだ。
――想いを伝えるって、どうやって?
さっきからずっと考えてはいるものの、どうしても照れくささや気恥ずかしい気持ちが勝ってしまう。好きだというたった一言を伝えればいいだけなのに、相手が晶というだけでとてつもなく高い壁のように思えてならなかった。
気持ちを伝えるのが先だと寿々音さんは言っていたが、晶には他に好きな人がいるかもしれないのだ。それについて確認してから告白するべきだと思うが、まず何と言って切り出せばいいのだろう。高校生や大学生の頃のように「彼女できたー?」なんて軽く聞けたらいいけれど、今の私にはそれすらできそうにない。できたけど、なんて返事が返ってきたらと考えるだけで涙が出てきそうだ。
はあ、と大きなため息をつく。そしてふと顔を上げると、来るときには通らなかった川沿いの道を歩いていることに気が付いた。考え事をしながらだらだらと歩いていたせいで、どうやら道を間違えたらしい。
辺りはすっかり薄暗くなっている。ここで迷子になったら、告白をするどころか無事に家に帰れるかどうかも怪しい。
慌ててカバンからスマホを取り出して地図アプリを開こうとしたが、どういうわけか電源が点かない。そういえば新幹線の中でスマホを弄り過ぎて、電池残量があとわずかだったことを思い出す。池芳軒にいる間はスマホにまったく触っていなかったが、いつの間にか電池が切れていたのだろう。
「……困った」
充電コードを持ってはいるが、コンセントか何かがないと充電はできない。あてずっぽうで駅まで歩いてもいいが、まったく知らない土地だからそれも少し怖い。ここは充電のできるカフェにでも入って、ちゃんと地図を見てから駅を目指すことにしよう。
近くにお店がないかと辺りを見回していると、前方から大きな叫び声をあげている人がこちらに向かってくることに気づいた。変な人だったら嫌だな、と警戒しながら前を見ていたが、どうやらその人は一人で叫んでいるわけではなくスマホで通話をしているようだ。
少しほっとしたが、どこか焦ったように大声を出しているその人につい視線が向いてしまう。そしてだんだんと近付いていくうちに、その声が聞き覚えのあるものだということに気が付いた。
まさか、とはっとして思わず立ち止まる。
するとその人も何かに気が付いたかのように突然立ち止まり、ずっと手に持っていたスマホをポケットにしまう。そして、ものすごい勢いで私に向かって走ってきた。
「――おい、美雨っ!! こんなところで何してる!?」
そう叫んだのは、紛れもなく晶だった。
驚きに目を見開いたが、遠くからでもその声と姿が確かに晶のものだとすぐにわかる。
どうして私がここにいるとわかったのだろう。それに、今日も仕事のはずの晶までどうしてこんなところにいるのだろう。疑問は尽きないが、あの様子を見るに私を追いかけてここまで来たことは間違いない。
でもまさか晶がこんなところにいるとは思ってもみなくて、焦った私は思わず彼から逃げるように走り出した。
「なっ……!? バカ美雨、逃げるなっ!!」
「ぎゃー!! お、追いかけてこないでよっ!」
「おまえが逃げるからだろ!?」
ぎゃあぎゃあとお互いに叫びながら走る。しかし圧倒的に晶のほうが足が速いうえに、私が大きなカバンを持っているせいもあって、数十メートルもしないうちに決着がついた。
晶はあっという間に私のところまで追いつくと、ぜえぜえと息を切らしながら腕を掴む。そしてその勢いのまま、力強く私の体を抱きしめた。
「この、バカ!! 勝手に、いなくなるな……!」
「え……」
「俺がどれだけ心配したと思ってる!? 俺だけじゃない、美晴さんや藤野さんにまで心配かけて、おまえはっ……!」
叱りながら、晶はまるで縋り付くように私の体をきつく抱きしめた。絶対に離さない、とでも言われているようなきつい抱擁に胸がきゅっと締め付けられる。困惑しつつもおずおずと彼の背に腕を回すと、そこは驚くほど熱くじっとりと汗で湿っていた。
「あ、晶、なんで……」
「なんで、じゃない! 友達と会うために大阪に行くなんて言ってたくせに、おまえはここで何してた!?」
「あ……そ、それは……」
今までにないくらい険しい表情で問い詰めてくる晶に、思わず閉口する。寿々音さんに会うためにここへ来たと正直に言えばいいだけなのに、晶の剣幕に圧されて何も言えなくなってしまった。
晶は目を泳がせる私を見てぐっと唇を噛んだかと思うと、低い声で咎めるように言う。
「藤野さんに、全部聞いたぞ。おまえ、俺と離婚するって報告をしに池芳軒まで行ったらしいな?」
「えっ!? ふ、藤野さん、しゃべっちゃったの……?」
「離婚するなんて、いったい誰が決めた!? 俺に何も言わずに、勝手なことをするなっ!!」
辺り一帯に響き渡るほど大きな声で晶が怒鳴る。傍を通った外国人が「ワァオ」と驚く声が聞こえたが、それでも晶は私を離さなかった。それどころか抱きしめる腕の力はさらに強くなって、おのずと息が詰まる。
状況も理解できないまま怒られたことで、驚きと動揺からじわりと目に涙が滲んでくる。
3
あなたにおすすめの小説
シークレット・ガーデン~英国紳士の甘い求愛と秘密~
東川カンナ
恋愛
とある事情から、しばし休暇を取るために幼少期を過ごしたイギリスの湖水地方を訪れた莉緒。
到着早々、ステイ先の知り合いと連絡が取れなくなり困り果てていたところ、その昔一緒に遊んだ少年・レオンと再会し、幸運にも彼の持つ別宅に置いてもらえることに。
英国紳士そのもの、非の打ちどころのないレオンと一つ屋根の下で過ごすうちに、二人の関係はどんどんと深まっていく。
けれど蕩けるように甘く優しいこの関係には、実はいくつかの大きな秘密があって―ーーー
甘く優しい英国紳士、美しい湖水地方、日本とはまた違う郷土料理。英国で過ごす特別なひと時を綴る物語。
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
一夜限りのお相手は
栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月
You Could Be Mine ぱーとに【改訂版】
てらだりょう
恋愛
高身長・イケメン・優しくてあたしを溺愛する彼氏はなんだかんだ優しいだんなさまへ進化。
変態度も進化して一筋縄ではいかない新婚生活は甘く・・・はない!
恋人から夫婦になった尊とあたし、そして未来の家族。あたしたちを待つ未来の家族とはいったい??
You Could Be Mine【改訂版】の第2部です。
↑後半戦になりますので前半戦からご覧いただけるとよりニヤニヤ出来るので是非どうぞ!
※ぱーといちに引き続き昔の作品のため、現在の状況にそぐわない表現などございますが、設定等そのまま使用しているためご理解の上お読みいただけますと幸いです。
フェチではなくて愛ゆえに
茜色
恋愛
凪島みなせ(ナギシマ・ミナセ) 26歳
春霞一馬(ハルガスミ・カズマ) 28歳
同じオフィスビルの7階と9階。違う会社で働く男女が、恥ずかしいハプニングが縁で恥ずかしい展開になり、あたふたドキドキする話。
☆全12話です。設定もストーリーも緩くて薄いです。オフィスラブと謳ってますが、仕事のシーンはほぼありません。
☆ムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
ワケあって、お見合い相手のイケメン社長と山で一夜を過ごすことになりました。
紫月あみり
恋愛
※完結! 焚き火の向かい側に座っているのは、メディアでも話題になったイケメン会社経営者、藤原晃成。山奥の冷えた外気に、彼が言い放った。「抱き合って寝るしかない」そんなの無理。七時間前にお見合いしたばかりの相手なのに!? 応じない私を、彼が羽交い締めにして膝の上に乗せる。向き合うと、ぶつかり合う私と彼の視線。運が悪かっただけだった。こうなったのは――結婚相談所で彼が私にお見合いを申し込まなければ、妹から直筆の手紙を受け取らなければ、そもそも一ヶ月前に私がクマのマスコットを失くさなければ――こんなことにならなかった。彼の腕が、私を引き寄せる。私は彼の胸に顔を埋めた……
包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる