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70.夫婦のはじまり(1)
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すっかり日が落ちた街の中を、晶と並んで歩く。こんなふうに彼と手を繋ぎながら歩くのは、小学生ぶりだろうか。
あの頃は、何の疑問も違和感も持たずに二人で手を繋いで学校に向かっていた。でも体が大きくなっていくうちに、近所の男の子たちに「やーいカップルだー!」とからかわれるようになったことを思い出す。それから外では自然と距離を置くようになり、手を繋ぐこともなくなったけれど、本当は少しだけ寂しかったことも同時に思い出した。
「ねえ、晶」
「ん? なんだ」
「今日、普通に仕事だったんじゃないの? どうやってここまで来たの?」
隣を歩く晶を見上げて尋ねると、彼は険しい顔をして私を睨む。そして、わざとらしくため息をついてから答えた。
「誰かさんがきっと家出するつもりだ、って美晴さんから連絡が来たんだよ。しかも大阪に行くって言ってたのに、どうやら今は京都にいるらしい、って」
「えっ、美晴が……? ていうか、どうして私が京都にいるってわかったの!?」
「おまえ、今朝美晴さんと会ったんだろ? そのとき様子がおかしかったから、美雨のカバンに位置情報がわかるスマートタグを入れたって言ってた」
「ええっ!?」
思わず目を見開く。慌てて立ち止まってカバンの中を探ると、底のほうに見慣れない小さなキーホルダー状のタグを見つけた。今日はずっとこのカバンを持ち歩いていたというのに、まったく気づかなかった自分にも驚く。
「美雨はカバンの中身をいちいち確認するタイプじゃないから、絶対にばれないと思ったんだと。ふっ、その通りだったな」
「うっ……」
小馬鹿にしたように笑う晶には腹が立つが、間違っていないので何も言い返せない。
私の性格を知り尽くしている美晴だからこそこの手段を取ったのだろうが、そこまで彼女に心配をかけていたのだと思うと胸が痛んだ。そういえば今朝は、不自然なほど美晴が密着してきたことを思い出す。きっとそのとき私のカバンにこのタグを忍ばせたに違いない。
「支店のオープン記念式典が終わってスマホを見たら、美晴さんからものすごい数の着信が入ってたんだ。何事かと思って折り返したら、美雨があんなに落ち込むほど何をしたんだ、ちゃんと責任を取れって怒られて……」
「え……お、怒られたの? 美晴に?」
「ああ、そうだよ! だから慌てて本社に戻ってきたら、今度は藤野さんにまで怒られるし……!」
そのときのことを思い出したのか、晶が苦い顔をする。美晴に怒られた、というだけでもびっくりしたのに、さらに藤野さんにまで怒られたというのはどういうわけだろう。
怪訝な顔をすると、晶は不機嫌さを隠そうともせず語り始める。
「本社に着いたら、受付の社員に『お向かいのカフェの店長さんが呼んでる』って言われてな。美雨が駅に向かう前に藤野さんのところに寄ったことは美晴さんに聞いてたし、何か事情を知ってると思って急いで向かったんだ。そしたら藤野さんに、『女の子の気持ちを弄んでどういうつもりだ』って詰められて……」
それから藤野さんは、前に寿々音さんが私に「離婚してほしい」という話をしたことも含めてすべて晶に話したのだという。
寿々音さんの話を私がきっぱり断ったことや、私がそのせいで悩んでいたこと、今日はその話の決着をつけるために池芳軒へ向かったこと、でも晶には他に好きな人がいるから離婚するのだといって私が泣いていたことまで、全部話してしまったらしい。
優しい藤野さんのことだから、傷心する私を見て不憫に思ったのだろう。常連客である晶に対して怒るほど、本当に私のことを気にかけてどうにかしようとしてくれたのかもしれない。
そういうわけで、美晴と藤野さんの二人に「早く京都まで行って追いかけろ」と背中を押される形で晶はここまで来たのだという。ちなみに京都に着いてからは、私の位置情報を把握できる美晴の指示に従ってここまで辿り着いたらしい。私と行き会うまで晶が通話をしていた相手は、美晴だったということだ。
晶はこれまでの経緯を話し終えると、どこか疲れた顔をしながらぼそっとつぶやいた。
「そもそも、おまえがちゃんと俺に話していればこんなことにはならなかったんだ」
「うっ……そ、それは、そうかもしれないけど! でも晶だって、私に隠れて指輪買ってたじゃん!」
「それはサプライズってやつだろ!? それに、その……美雨にそんなことを相談して、『なに本気になっちゃってんの』なんて笑われたらと思ったら、言い出せなくて……ぎりぎりまで黙っていようかと」
決まりが悪そうにつぶやく晶を見て、私は目を丸くする。つまり晶も、私の気持ちを図りかねていたからこそ内緒で指輪の準備をしていたということだろう。私だけが晶のことで思い悩んでいるとばかり思っていたから、なんだか嬉しくて胸のあたりがむず痒くなった。
左手の薬指に光る指輪をかざしてみながら、改めて晶にお礼を言った。
「まあ……そういうことなら、許してあげようかな」
「上から目線だな。嬉しくないのか」
「そんなわけないじゃん。ありがとね、晶。すっごく嬉しい」
「……ん。それならいい」
ぶっきらぼうな言い方だが、晶の頬はほんのり赤くなっている。そんな彼を見て、私は静かに微笑んだ。
「そういえば私たち、今どこに向かってんの?」
「は? ホテルに決まってるだろ。終電がないわけじゃないが、これから家まで帰るのはさすがに疲れる」
「え……ホテル? でも私、予約なんて取ってないよ?」
驚いてそう返すと、晶は呆れた目で私を見た。そして、ちょっと怒ったような声で問いかけてくる。
「おまえ、こっちで一泊するつもりじゃなかったのか?」
「うん。でも、今日どうなるかわかんなかったから予約はしてない」
「はあ……もしそれで空いてるホテルが見つからなくて、終電も無かったらどうするつもりだったんだよ」
「そしたら、カラオケとかネカフェでも行こうかなって」
けろりと答えると、晶は信じられないものでも見るかのように大きく目を見開いた。
「おまえはまたそういう……! 行き当たりばったりにも程があるぞ! 危機感がなさすぎるんじゃないか!?」
「えー? そんなことないと思うけど」
「慣れた場所ならまだしも、こんな見ず知らずの土地で、しかも一人で危ないことをするな! 変な輩に襲われでもしたらどうする!?」
そんなことを言われても、寿々音さんとの話し合いがどうなるかわからなかったのだから仕方ない。学生時代は友達とカラオケで夜を明かしたことだってあるし、都会なら二十四時間営業をしているお店はたくさんあるから大丈夫だと思ったのだ。
しかし、晶はそんな私を見て親のように「これだから危なっかしいんだ……!」とぶつくさ文句を垂れている。怒られたのは納得がいかないが、彼も私を心配しているのだと思って素直に「ごめん」と謝っておいた。
「それじゃ、どうする? 今から泊まれるホテル探すのも大変だし、疲れるけど帰ろうか?」
「いや。こうなるかもしれないと思って、知り合いが経営してるホテルに頼んである。だからそこに向かう」
まだ少し怒っているような顔でそれだけ言うと、晶は私の手を握ったままずんずんと歩いていく。私と違って晶はきちんと計画を立ててから行動するタイプだから、ここに着くまでに伝手を使って予約したのだろう。
「なーんだ、よかった! それなら早く言ってよ」
「……おまえは、本当に能天気だな」
どこか複雑そうにぼやく晶を見て、思わず笑みがこぼれる。こんなふうにまた晶とたわいのないやり取りをできることが嬉しくて、彼の手をぶんぶんと振り回しながら夜道を進んでいった。
あの頃は、何の疑問も違和感も持たずに二人で手を繋いで学校に向かっていた。でも体が大きくなっていくうちに、近所の男の子たちに「やーいカップルだー!」とからかわれるようになったことを思い出す。それから外では自然と距離を置くようになり、手を繋ぐこともなくなったけれど、本当は少しだけ寂しかったことも同時に思い出した。
「ねえ、晶」
「ん? なんだ」
「今日、普通に仕事だったんじゃないの? どうやってここまで来たの?」
隣を歩く晶を見上げて尋ねると、彼は険しい顔をして私を睨む。そして、わざとらしくため息をついてから答えた。
「誰かさんがきっと家出するつもりだ、って美晴さんから連絡が来たんだよ。しかも大阪に行くって言ってたのに、どうやら今は京都にいるらしい、って」
「えっ、美晴が……? ていうか、どうして私が京都にいるってわかったの!?」
「おまえ、今朝美晴さんと会ったんだろ? そのとき様子がおかしかったから、美雨のカバンに位置情報がわかるスマートタグを入れたって言ってた」
「ええっ!?」
思わず目を見開く。慌てて立ち止まってカバンの中を探ると、底のほうに見慣れない小さなキーホルダー状のタグを見つけた。今日はずっとこのカバンを持ち歩いていたというのに、まったく気づかなかった自分にも驚く。
「美雨はカバンの中身をいちいち確認するタイプじゃないから、絶対にばれないと思ったんだと。ふっ、その通りだったな」
「うっ……」
小馬鹿にしたように笑う晶には腹が立つが、間違っていないので何も言い返せない。
私の性格を知り尽くしている美晴だからこそこの手段を取ったのだろうが、そこまで彼女に心配をかけていたのだと思うと胸が痛んだ。そういえば今朝は、不自然なほど美晴が密着してきたことを思い出す。きっとそのとき私のカバンにこのタグを忍ばせたに違いない。
「支店のオープン記念式典が終わってスマホを見たら、美晴さんからものすごい数の着信が入ってたんだ。何事かと思って折り返したら、美雨があんなに落ち込むほど何をしたんだ、ちゃんと責任を取れって怒られて……」
「え……お、怒られたの? 美晴に?」
「ああ、そうだよ! だから慌てて本社に戻ってきたら、今度は藤野さんにまで怒られるし……!」
そのときのことを思い出したのか、晶が苦い顔をする。美晴に怒られた、というだけでもびっくりしたのに、さらに藤野さんにまで怒られたというのはどういうわけだろう。
怪訝な顔をすると、晶は不機嫌さを隠そうともせず語り始める。
「本社に着いたら、受付の社員に『お向かいのカフェの店長さんが呼んでる』って言われてな。美雨が駅に向かう前に藤野さんのところに寄ったことは美晴さんに聞いてたし、何か事情を知ってると思って急いで向かったんだ。そしたら藤野さんに、『女の子の気持ちを弄んでどういうつもりだ』って詰められて……」
それから藤野さんは、前に寿々音さんが私に「離婚してほしい」という話をしたことも含めてすべて晶に話したのだという。
寿々音さんの話を私がきっぱり断ったことや、私がそのせいで悩んでいたこと、今日はその話の決着をつけるために池芳軒へ向かったこと、でも晶には他に好きな人がいるから離婚するのだといって私が泣いていたことまで、全部話してしまったらしい。
優しい藤野さんのことだから、傷心する私を見て不憫に思ったのだろう。常連客である晶に対して怒るほど、本当に私のことを気にかけてどうにかしようとしてくれたのかもしれない。
そういうわけで、美晴と藤野さんの二人に「早く京都まで行って追いかけろ」と背中を押される形で晶はここまで来たのだという。ちなみに京都に着いてからは、私の位置情報を把握できる美晴の指示に従ってここまで辿り着いたらしい。私と行き会うまで晶が通話をしていた相手は、美晴だったということだ。
晶はこれまでの経緯を話し終えると、どこか疲れた顔をしながらぼそっとつぶやいた。
「そもそも、おまえがちゃんと俺に話していればこんなことにはならなかったんだ」
「うっ……そ、それは、そうかもしれないけど! でも晶だって、私に隠れて指輪買ってたじゃん!」
「それはサプライズってやつだろ!? それに、その……美雨にそんなことを相談して、『なに本気になっちゃってんの』なんて笑われたらと思ったら、言い出せなくて……ぎりぎりまで黙っていようかと」
決まりが悪そうにつぶやく晶を見て、私は目を丸くする。つまり晶も、私の気持ちを図りかねていたからこそ内緒で指輪の準備をしていたということだろう。私だけが晶のことで思い悩んでいるとばかり思っていたから、なんだか嬉しくて胸のあたりがむず痒くなった。
左手の薬指に光る指輪をかざしてみながら、改めて晶にお礼を言った。
「まあ……そういうことなら、許してあげようかな」
「上から目線だな。嬉しくないのか」
「そんなわけないじゃん。ありがとね、晶。すっごく嬉しい」
「……ん。それならいい」
ぶっきらぼうな言い方だが、晶の頬はほんのり赤くなっている。そんな彼を見て、私は静かに微笑んだ。
「そういえば私たち、今どこに向かってんの?」
「は? ホテルに決まってるだろ。終電がないわけじゃないが、これから家まで帰るのはさすがに疲れる」
「え……ホテル? でも私、予約なんて取ってないよ?」
驚いてそう返すと、晶は呆れた目で私を見た。そして、ちょっと怒ったような声で問いかけてくる。
「おまえ、こっちで一泊するつもりじゃなかったのか?」
「うん。でも、今日どうなるかわかんなかったから予約はしてない」
「はあ……もしそれで空いてるホテルが見つからなくて、終電も無かったらどうするつもりだったんだよ」
「そしたら、カラオケとかネカフェでも行こうかなって」
けろりと答えると、晶は信じられないものでも見るかのように大きく目を見開いた。
「おまえはまたそういう……! 行き当たりばったりにも程があるぞ! 危機感がなさすぎるんじゃないか!?」
「えー? そんなことないと思うけど」
「慣れた場所ならまだしも、こんな見ず知らずの土地で、しかも一人で危ないことをするな! 変な輩に襲われでもしたらどうする!?」
そんなことを言われても、寿々音さんとの話し合いがどうなるかわからなかったのだから仕方ない。学生時代は友達とカラオケで夜を明かしたことだってあるし、都会なら二十四時間営業をしているお店はたくさんあるから大丈夫だと思ったのだ。
しかし、晶はそんな私を見て親のように「これだから危なっかしいんだ……!」とぶつくさ文句を垂れている。怒られたのは納得がいかないが、彼も私を心配しているのだと思って素直に「ごめん」と謝っておいた。
「それじゃ、どうする? 今から泊まれるホテル探すのも大変だし、疲れるけど帰ろうか?」
「いや。こうなるかもしれないと思って、知り合いが経営してるホテルに頼んである。だからそこに向かう」
まだ少し怒っているような顔でそれだけ言うと、晶は私の手を握ったままずんずんと歩いていく。私と違って晶はきちんと計画を立ててから行動するタイプだから、ここに着くまでに伝手を使って予約したのだろう。
「なーんだ、よかった! それなら早く言ってよ」
「……おまえは、本当に能天気だな」
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でも訊けない。
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私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
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