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一、いただきます
2.たびのはじまり
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「……で。どうしてこんなことになってるんでしょうかね」
じゅうじゅうと音を立てる鉄板の向こう側にいる男をじっと見つめて、私は低い声で話しかけた。
熱くなった鉄板の上には、ゆらゆらと揺れるかつお節の乗ったお好み焼きがあって、はからずもごくりと喉を鳴らしてしまう。お腹も空いているし、さっさとこの美味しそうなお好み焼きにありつきたいところだが、その前にはっきりさせておかなければならないことがある。
「……あの。もしかしてあなた、新手の詐欺師かなんか?」
「うん? やだなぁ、詐欺なんてしないよ。言ったでしょう、僕はひかりとおいしいものを食べたいだけだって」
「だから! そんな提案したくせに、一文無しとはどういうことなのかって聞いてるんです!」
そう。あの嫌で嫌で仕方なかった会社のある土地から離れて、この不思議な男と「おいしいもの探し」の旅に出ることになったところまでは良しとしよう。
あれから、始発の新幹線に乗って遠く離れたこの場所までやってきたのはいいものの、この男はなんと財布どころか小銭の一枚すら持っていなかったのだ。
「なんだ、そんなことで怒ってるの? だって、お金が必要になるとは僕も予想してなかったから」
「……この現代社会で、カードも現金も持たずに何ができると思ったんですか?」
「これだから面倒なんだよなぁ、現世は。でも、ひかりが持ってるならなんとかなるでしょう?」
「まさか、この先ずっと私に払わせるつもりで?」
「うん。だって僕は持ってないし」
けろっとした様子でそう言う千歳を見る限り、私を騙してお金を奪おうとか、生き延びるために私を利用しようとしているようには見えない。でも、彼の分の電車賃や食事代まで払ってあげる義務なんて私には無いはずである。
眉間に皺を寄せながら千歳を睨みつけていたけれど、「早く食べようよ」と急かされたので、仕方なく割り箸を割って取り分けられたお好み焼きを口に運んだ。
「……おいしい」
「うん、熱くておいしいね。ちょっと味が濃いけど」
にこにこと嬉しそうにお好み焼きを食べる千歳を見ていたら、彼に不信感を抱いていたのも忘れて思わず笑ってしまった。
そういえば、こんな風に誰かと食事を共にするのはいつぶりだろう。
一人暮らしを始めて一年、気軽に会える友達なんて近くにいなかったし、職場ではいつも一人で片手で食べられるような簡単なものしか食べていなかった。
手を止めてそんなことを考えていると、千歳が不思議そうに首を傾げながら尋ねてくる。
「どうしたの、ひかり。火傷でもした?」
「え? あ、ううん……こうやって誰かとご飯食べるの、久しぶりで。なんか、懐かしくなったんです」
「へえ。こんなにうじゃうじゃと人間が溢れかえってるのに、一人ぼっちで食べてたの?」
「うじゃうじゃって……まあ、そうですけど。どれだけ人がいっぱいいても、結局は他人ですからね」
そう言うと、千歳は解せないとでも言いたげな顔をしながらまた首を傾げた。そんな彼に、今度は私が質問を投げかける。
「あの。あなた本当に、自分が神様だと思ってるんですか?」
「うん。思ってるよ」
「……結構、重症か。あのですね、なんだかんだであなたとここまで来ちゃったけど、おいしいもの食べる前にちゃんと病院とか行った方がいいですよ。あなたもきっと、疲れてるんだと思う」
「あれ。もしかしてひかり、まだ信じてないの? 僕が人間じゃないって」
「はい。だって言動はおかしいけど、どこからどう見ても人間だし」
少しお腹が満たされたことで思考回路が通常に戻ったのか、私はそんな正論を彼にぶつけた。
なんとなく流れでここまで来たけれど、やっぱりおかしい。確かに千歳の髪や目の色は異質だし、言動もどこか浮世離れしている。でも、そんなのはいくらでも誤魔化せるものだ。世の中には訳の分からない人が山ほどいるものだし。
「まあ、ひかりが信じられないって言うならそれでもいいけど。ほら、冷めないうちに食べちゃいなよ」
「そうじゃなくて! だからっ……!」
要領を得ない千歳の言葉に反論しようとしたそのとき、お店の奥でつけっ放しになっているテレビ画面がふと目に留まった。そして同時に耳に入って来た言葉に、私は思わず目を見張る。
『……続いてのニュースです。◯◯区の印刷関連会社社長が、詐欺容疑で逮捕されました』
画面に映っていたのは、つい昨夜まで私のいた会社のビルだった。そして逮捕されたという会社社長は入社式で見たことのある顔で、同時に逮捕されたという幹部の中には嫌というほど見慣れた上司の名前もあった。
『また、この会社では顧客に対する詐欺容疑に加え、社員へのセクシャルハラスメント及びパワーハラスメントも報告されており、警察が引き続き捜査している模様です』
毎日暗い気持ちで通ったビルの前に、たくさんの警察官の姿が映っている。それはどこか遠くの国で起きている他人事のように見えて、私はぽかんとした顔でテレビ画面を見つめることしかできなかった。
「あはっ、こうなったら会社なんてもうやっていけないだろうねぇ。よかったね、ひかり」
やけに明るいその声に、私はばっと振り返って千歳を見た。彼は相変わらずおいしそうにお好み焼きを頬張って、まだ食べられるなぁ、なんて言いながらメニューを手に取っている。
「……今の、ニュースに出てた会社。私の会社なんです」
「うん? 知ってるよ。だから言ったでしょう、よかったねって。ほらひかり、次は何を食べようか?」
鉄板の上のお好み焼きは、いつの間にか綺麗になくなっている。千歳はこの味を気に入ったのか、さっさと店員さんを呼んでまた勝手に注文を済ませてしまった。それから、黙り込んだ私に向かってにやりと笑みを見せる。
「ふふっ、自業自得だよね。ひかりを傷つけたんだから、あれくらい」
細められた千歳の赤い目が何故だか急に恐ろしくなって、私は息を飲んだ。そして、ごくりと唾を飲み込んでから口を開く。
「……あなたが、警察に言ったの?」
「うん? そこまではしてないよ。僕はただ、ちょっと手助けをしただけ」
「手助けって……ど、どうやって? ていうか、詐欺って、社員の私でも知らなかったのに」
「さあ、どうやったんだろうねぇ? きっとどこかの神様が見ていて、罰を当てたんじゃない?」
そう言ってくすくすと笑う千歳を、私は恐怖にも似た気持ちでじっと見つめた。彼の軽い態度を見ているとどうも信じられないけれど、少なくとも「ただの人間」でないことは確かだろう。
「何を考えてるの? ひかり」
「えっ……いや、べつに」
「僕のことでしょう? まあ、信じられないならそれでいいってば。でも、ひかりは昨日死ぬつもりだったんだよね? そのくせに、僕が人間かそうじゃないかなんて小さなことが気になるの?」
からかうような口調でそう言われて、私は何も返せず口を噤む。そんな私を見て千歳はまたくすっと笑った。
なんだか悔しくなって、私はしかめっ面でぼそぼそと言い返す。
「……あなたが本当に神様なら、お金なんてどうにでもなるんじゃないの? こんな小娘にたからなくたって」
「どうにでもならないから、ひかりに頼ってるんだよ。神って言っても、僕はしがない土地神だしね」
「とちがみ……? よく分かんないけど、もっとこう、神様っぽいことはできないんですか? 移動だって、瞬間移動的なのでパパッと」
「まあ、生身じゃなかったらできるけど。でも、ひかりを連れてるから出来ないんだよ」
なんだか納得がいかないが、何を言っても千歳はこの旅をやめるつもりはないようだ。
逆らったら怖い目に遭いそうな気もするし、それに彼の分の旅費を負担したところですぐに貯金が尽きるわけでもない。そもそも、死ぬつもりだったのだからお金なんて取っておいたところで無駄だろう。
「……まあ、いいか。会社もあんなことになってたら、私みたいな平社員に構ってる暇ないだろうし」
「そうそう。面倒なことは忘れてさ、とにかく楽しいことしようよ」
「もしかして、そうやって私を励ますつもり? 死ぬなんてもったいないって」
「いや? だって僕からしたら、きみが生きていようが死んでいようが関係ないし」
「……あ、そうですか」
少しの期待を込めてぶつけた質問を一蹴されて、なんだか拍子抜けするとともにほっとしている自分がいた。だって、この世界には楽しいことが山ほどあるなんて、私だって分かっているのだ。ただ、その「楽しいこと」が私の生活には無縁なだけで。
「はい、たこ焼きお待たせ! 材料これだから、自分たちで焼いてね!」
威勢の良い声とともに私たちの前に運ばれてきたのは、ボウルいっぱいの液体と細かく刻まれたタコだった。それに呆気にとられているうちに店員さんはさっさと厨房に戻ってしまって、私は残された材料と千歳の顔を交互に見る。
「……たこ焼き、焼けるんですよね?」
「まさかぁ。これ自体、初めて見るもん。ひかりに任せるよ」
「ま、任せるって言われても! 私だって焼いたことないのに……!」
どうやら千歳が勝手にたこ焼きを注文したらしいが、このお店は自分で焼いて食べるスタイルのようだ。でも、食べたことはあっても自分でたこ焼きを作ったことなんてない。
とりあえず注ぎ口の付いたボウルを手にしたはいいけれど、丸い窪みが連なった鉄板を前に私はすっかり固まってしまった。
「なんだ、姉ちゃん。この店は初めてか?」
声のした方を向くと、隣のテーブルに座っていたおじさんが笑いながら立ち上がるのが見えた。あ、はい、と私が曖昧に返事をすると、そのおじさんはテーブルに置いてあった油を手際よく鉄板に引き始めた。
「任せとけって、おっちゃんはこの店に通い始めて二十年の超常連だからな!」
「わ、え、す、すみません……!」
「いいっていいって! ほらそこの綺麗な兄ちゃん、タコ入れて!」
「うん。これでいいの?」
「そうそう! 全部入れちまいな! そんで少し待ってから、こうやってちょちょいっとひっくり返して……」
おじさんが素早く生地を注いで、千歳が言われた通りそこにタコを入れていく。すぐに生地が焼ける音がしたかと思うと、その見ず知らずのおじさんは慣れた手つきでそれをひっくり返し始めた。
「わあ、すごいね。こうやって焼くんだ」
「はっはっは、そうだろ? 兄ちゃんも彼女に良いとこ見せたかったら、たこ焼きの一つくらい焼けねえとな!」
彼女、という言葉にぴくりと反応してしまった私に対して、千歳は顔色一つ変えずに「そうだねぇ」なんて呑気に返している。たぶん、意味を理解していないのだろう。
すると、楽しそうにたこ焼きを焼いているおじさんの後ろから、白髪混じりの髪を結い上げたおばさんが申し訳なさそうに顔を出した。
「ごめんなさいねぇ。お父さん、こうやってお節介焼くのが好きで……」
「お節介とはなんだ! 親切だ、親切!」
「でも、店員さんでもない他人にやられるのは嫌だって人もいるんだから。ごめんなさいね、もしあれなら注文し直すわ」
「あ、いえ……あの、ありがたいです。私たち二人とも、初めてなもので」
眉を下げながら謝ってくるおばさんに、私はぎこちなく笑みを返した。おばさんはほっとしたように笑うと、焼き上がったたこ焼きを得意げに皿に盛るおじさんの方を見た。
「ほら、できたぞ! 熱いからな」
「うん、ありがとう。このまま食べるの?」
「ちげぇよ、ソースかけて青海苔かけて、かつお節ものせて……」
話をしているうちに、あっという間にたこ焼きが出来上がったらしい。千歳はおじさんの言う通りソースや青海苔をかけて、最後にかつお節をのせてから嬉しそうに笑みを見せた。
「楽しいね、たこ焼きって。きみはよく食べるの?」
「ああ、週に一度は食べるぞ! なあ、母さん!」
「そうねぇ。好きだものね、お父さん」
はふはふ言いながら出来上がったたこ焼きを食べる私たちを見て、おじさんは満足そうに席に戻っていった。慌ててお礼を言うと、どういたしまして、と嬉しそうな返事が返ってくる。きっと、私たちのような初心者を見つけてはこうしてお節介を焼いてくれているのだろう。
そして私たちより先にお店を出ようとする夫婦に、私はもう一度お礼を言った。おじさんは軽く手をあげて、おばさんはぺこりと頭を下げるだけで去っていく。
「助かっちゃったねぇ。あの人間が焼いてくれなきゃ、ぐちゃぐちゃの塊を食べる羽目になってたよ」
「ふふ、そうかもね」
薄く笑いながらそう返すと、千歳はちょっと驚いたように目を見張った。
「……なにか?」
「だって、やっと笑ったから。やっぱり、ひかりは笑ってたほうがいいよ。その方が可愛く見える」
「なっ……!」
まさかそんなことを言われるなんて微塵も予想していなかった私は、自分でも面白いくらい狼狽えてしまった。激しくむせ込んでいる私を見て、千歳は心底可笑しそうにけらけら笑っている。
笑っている方が可愛い、だって。使い古された口説き文句のはずなのに、うっかり真に受けてしまいそうになる。
まだしつこく笑っている千歳の真意は読めないままだけど、彼とのこの微妙な距離はなぜだか居心地が良い。次の行き先候補をあれこれ提案してくる千歳の整った顔を見ながら、私はこの旅を続ける決意をした。
じゅうじゅうと音を立てる鉄板の向こう側にいる男をじっと見つめて、私は低い声で話しかけた。
熱くなった鉄板の上には、ゆらゆらと揺れるかつお節の乗ったお好み焼きがあって、はからずもごくりと喉を鳴らしてしまう。お腹も空いているし、さっさとこの美味しそうなお好み焼きにありつきたいところだが、その前にはっきりさせておかなければならないことがある。
「……あの。もしかしてあなた、新手の詐欺師かなんか?」
「うん? やだなぁ、詐欺なんてしないよ。言ったでしょう、僕はひかりとおいしいものを食べたいだけだって」
「だから! そんな提案したくせに、一文無しとはどういうことなのかって聞いてるんです!」
そう。あの嫌で嫌で仕方なかった会社のある土地から離れて、この不思議な男と「おいしいもの探し」の旅に出ることになったところまでは良しとしよう。
あれから、始発の新幹線に乗って遠く離れたこの場所までやってきたのはいいものの、この男はなんと財布どころか小銭の一枚すら持っていなかったのだ。
「なんだ、そんなことで怒ってるの? だって、お金が必要になるとは僕も予想してなかったから」
「……この現代社会で、カードも現金も持たずに何ができると思ったんですか?」
「これだから面倒なんだよなぁ、現世は。でも、ひかりが持ってるならなんとかなるでしょう?」
「まさか、この先ずっと私に払わせるつもりで?」
「うん。だって僕は持ってないし」
けろっとした様子でそう言う千歳を見る限り、私を騙してお金を奪おうとか、生き延びるために私を利用しようとしているようには見えない。でも、彼の分の電車賃や食事代まで払ってあげる義務なんて私には無いはずである。
眉間に皺を寄せながら千歳を睨みつけていたけれど、「早く食べようよ」と急かされたので、仕方なく割り箸を割って取り分けられたお好み焼きを口に運んだ。
「……おいしい」
「うん、熱くておいしいね。ちょっと味が濃いけど」
にこにこと嬉しそうにお好み焼きを食べる千歳を見ていたら、彼に不信感を抱いていたのも忘れて思わず笑ってしまった。
そういえば、こんな風に誰かと食事を共にするのはいつぶりだろう。
一人暮らしを始めて一年、気軽に会える友達なんて近くにいなかったし、職場ではいつも一人で片手で食べられるような簡単なものしか食べていなかった。
手を止めてそんなことを考えていると、千歳が不思議そうに首を傾げながら尋ねてくる。
「どうしたの、ひかり。火傷でもした?」
「え? あ、ううん……こうやって誰かとご飯食べるの、久しぶりで。なんか、懐かしくなったんです」
「へえ。こんなにうじゃうじゃと人間が溢れかえってるのに、一人ぼっちで食べてたの?」
「うじゃうじゃって……まあ、そうですけど。どれだけ人がいっぱいいても、結局は他人ですからね」
そう言うと、千歳は解せないとでも言いたげな顔をしながらまた首を傾げた。そんな彼に、今度は私が質問を投げかける。
「あの。あなた本当に、自分が神様だと思ってるんですか?」
「うん。思ってるよ」
「……結構、重症か。あのですね、なんだかんだであなたとここまで来ちゃったけど、おいしいもの食べる前にちゃんと病院とか行った方がいいですよ。あなたもきっと、疲れてるんだと思う」
「あれ。もしかしてひかり、まだ信じてないの? 僕が人間じゃないって」
「はい。だって言動はおかしいけど、どこからどう見ても人間だし」
少しお腹が満たされたことで思考回路が通常に戻ったのか、私はそんな正論を彼にぶつけた。
なんとなく流れでここまで来たけれど、やっぱりおかしい。確かに千歳の髪や目の色は異質だし、言動もどこか浮世離れしている。でも、そんなのはいくらでも誤魔化せるものだ。世の中には訳の分からない人が山ほどいるものだし。
「まあ、ひかりが信じられないって言うならそれでもいいけど。ほら、冷めないうちに食べちゃいなよ」
「そうじゃなくて! だからっ……!」
要領を得ない千歳の言葉に反論しようとしたそのとき、お店の奥でつけっ放しになっているテレビ画面がふと目に留まった。そして同時に耳に入って来た言葉に、私は思わず目を見張る。
『……続いてのニュースです。◯◯区の印刷関連会社社長が、詐欺容疑で逮捕されました』
画面に映っていたのは、つい昨夜まで私のいた会社のビルだった。そして逮捕されたという会社社長は入社式で見たことのある顔で、同時に逮捕されたという幹部の中には嫌というほど見慣れた上司の名前もあった。
『また、この会社では顧客に対する詐欺容疑に加え、社員へのセクシャルハラスメント及びパワーハラスメントも報告されており、警察が引き続き捜査している模様です』
毎日暗い気持ちで通ったビルの前に、たくさんの警察官の姿が映っている。それはどこか遠くの国で起きている他人事のように見えて、私はぽかんとした顔でテレビ画面を見つめることしかできなかった。
「あはっ、こうなったら会社なんてもうやっていけないだろうねぇ。よかったね、ひかり」
やけに明るいその声に、私はばっと振り返って千歳を見た。彼は相変わらずおいしそうにお好み焼きを頬張って、まだ食べられるなぁ、なんて言いながらメニューを手に取っている。
「……今の、ニュースに出てた会社。私の会社なんです」
「うん? 知ってるよ。だから言ったでしょう、よかったねって。ほらひかり、次は何を食べようか?」
鉄板の上のお好み焼きは、いつの間にか綺麗になくなっている。千歳はこの味を気に入ったのか、さっさと店員さんを呼んでまた勝手に注文を済ませてしまった。それから、黙り込んだ私に向かってにやりと笑みを見せる。
「ふふっ、自業自得だよね。ひかりを傷つけたんだから、あれくらい」
細められた千歳の赤い目が何故だか急に恐ろしくなって、私は息を飲んだ。そして、ごくりと唾を飲み込んでから口を開く。
「……あなたが、警察に言ったの?」
「うん? そこまではしてないよ。僕はただ、ちょっと手助けをしただけ」
「手助けって……ど、どうやって? ていうか、詐欺って、社員の私でも知らなかったのに」
「さあ、どうやったんだろうねぇ? きっとどこかの神様が見ていて、罰を当てたんじゃない?」
そう言ってくすくすと笑う千歳を、私は恐怖にも似た気持ちでじっと見つめた。彼の軽い態度を見ているとどうも信じられないけれど、少なくとも「ただの人間」でないことは確かだろう。
「何を考えてるの? ひかり」
「えっ……いや、べつに」
「僕のことでしょう? まあ、信じられないならそれでいいってば。でも、ひかりは昨日死ぬつもりだったんだよね? そのくせに、僕が人間かそうじゃないかなんて小さなことが気になるの?」
からかうような口調でそう言われて、私は何も返せず口を噤む。そんな私を見て千歳はまたくすっと笑った。
なんだか悔しくなって、私はしかめっ面でぼそぼそと言い返す。
「……あなたが本当に神様なら、お金なんてどうにでもなるんじゃないの? こんな小娘にたからなくたって」
「どうにでもならないから、ひかりに頼ってるんだよ。神って言っても、僕はしがない土地神だしね」
「とちがみ……? よく分かんないけど、もっとこう、神様っぽいことはできないんですか? 移動だって、瞬間移動的なのでパパッと」
「まあ、生身じゃなかったらできるけど。でも、ひかりを連れてるから出来ないんだよ」
なんだか納得がいかないが、何を言っても千歳はこの旅をやめるつもりはないようだ。
逆らったら怖い目に遭いそうな気もするし、それに彼の分の旅費を負担したところですぐに貯金が尽きるわけでもない。そもそも、死ぬつもりだったのだからお金なんて取っておいたところで無駄だろう。
「……まあ、いいか。会社もあんなことになってたら、私みたいな平社員に構ってる暇ないだろうし」
「そうそう。面倒なことは忘れてさ、とにかく楽しいことしようよ」
「もしかして、そうやって私を励ますつもり? 死ぬなんてもったいないって」
「いや? だって僕からしたら、きみが生きていようが死んでいようが関係ないし」
「……あ、そうですか」
少しの期待を込めてぶつけた質問を一蹴されて、なんだか拍子抜けするとともにほっとしている自分がいた。だって、この世界には楽しいことが山ほどあるなんて、私だって分かっているのだ。ただ、その「楽しいこと」が私の生活には無縁なだけで。
「はい、たこ焼きお待たせ! 材料これだから、自分たちで焼いてね!」
威勢の良い声とともに私たちの前に運ばれてきたのは、ボウルいっぱいの液体と細かく刻まれたタコだった。それに呆気にとられているうちに店員さんはさっさと厨房に戻ってしまって、私は残された材料と千歳の顔を交互に見る。
「……たこ焼き、焼けるんですよね?」
「まさかぁ。これ自体、初めて見るもん。ひかりに任せるよ」
「ま、任せるって言われても! 私だって焼いたことないのに……!」
どうやら千歳が勝手にたこ焼きを注文したらしいが、このお店は自分で焼いて食べるスタイルのようだ。でも、食べたことはあっても自分でたこ焼きを作ったことなんてない。
とりあえず注ぎ口の付いたボウルを手にしたはいいけれど、丸い窪みが連なった鉄板を前に私はすっかり固まってしまった。
「なんだ、姉ちゃん。この店は初めてか?」
声のした方を向くと、隣のテーブルに座っていたおじさんが笑いながら立ち上がるのが見えた。あ、はい、と私が曖昧に返事をすると、そのおじさんはテーブルに置いてあった油を手際よく鉄板に引き始めた。
「任せとけって、おっちゃんはこの店に通い始めて二十年の超常連だからな!」
「わ、え、す、すみません……!」
「いいっていいって! ほらそこの綺麗な兄ちゃん、タコ入れて!」
「うん。これでいいの?」
「そうそう! 全部入れちまいな! そんで少し待ってから、こうやってちょちょいっとひっくり返して……」
おじさんが素早く生地を注いで、千歳が言われた通りそこにタコを入れていく。すぐに生地が焼ける音がしたかと思うと、その見ず知らずのおじさんは慣れた手つきでそれをひっくり返し始めた。
「わあ、すごいね。こうやって焼くんだ」
「はっはっは、そうだろ? 兄ちゃんも彼女に良いとこ見せたかったら、たこ焼きの一つくらい焼けねえとな!」
彼女、という言葉にぴくりと反応してしまった私に対して、千歳は顔色一つ変えずに「そうだねぇ」なんて呑気に返している。たぶん、意味を理解していないのだろう。
すると、楽しそうにたこ焼きを焼いているおじさんの後ろから、白髪混じりの髪を結い上げたおばさんが申し訳なさそうに顔を出した。
「ごめんなさいねぇ。お父さん、こうやってお節介焼くのが好きで……」
「お節介とはなんだ! 親切だ、親切!」
「でも、店員さんでもない他人にやられるのは嫌だって人もいるんだから。ごめんなさいね、もしあれなら注文し直すわ」
「あ、いえ……あの、ありがたいです。私たち二人とも、初めてなもので」
眉を下げながら謝ってくるおばさんに、私はぎこちなく笑みを返した。おばさんはほっとしたように笑うと、焼き上がったたこ焼きを得意げに皿に盛るおじさんの方を見た。
「ほら、できたぞ! 熱いからな」
「うん、ありがとう。このまま食べるの?」
「ちげぇよ、ソースかけて青海苔かけて、かつお節ものせて……」
話をしているうちに、あっという間にたこ焼きが出来上がったらしい。千歳はおじさんの言う通りソースや青海苔をかけて、最後にかつお節をのせてから嬉しそうに笑みを見せた。
「楽しいね、たこ焼きって。きみはよく食べるの?」
「ああ、週に一度は食べるぞ! なあ、母さん!」
「そうねぇ。好きだものね、お父さん」
はふはふ言いながら出来上がったたこ焼きを食べる私たちを見て、おじさんは満足そうに席に戻っていった。慌ててお礼を言うと、どういたしまして、と嬉しそうな返事が返ってくる。きっと、私たちのような初心者を見つけてはこうしてお節介を焼いてくれているのだろう。
そして私たちより先にお店を出ようとする夫婦に、私はもう一度お礼を言った。おじさんは軽く手をあげて、おばさんはぺこりと頭を下げるだけで去っていく。
「助かっちゃったねぇ。あの人間が焼いてくれなきゃ、ぐちゃぐちゃの塊を食べる羽目になってたよ」
「ふふ、そうかもね」
薄く笑いながらそう返すと、千歳はちょっと驚いたように目を見張った。
「……なにか?」
「だって、やっと笑ったから。やっぱり、ひかりは笑ってたほうがいいよ。その方が可愛く見える」
「なっ……!」
まさかそんなことを言われるなんて微塵も予想していなかった私は、自分でも面白いくらい狼狽えてしまった。激しくむせ込んでいる私を見て、千歳は心底可笑しそうにけらけら笑っている。
笑っている方が可愛い、だって。使い古された口説き文句のはずなのに、うっかり真に受けてしまいそうになる。
まだしつこく笑っている千歳の真意は読めないままだけど、彼とのこの微妙な距離はなぜだか居心地が良い。次の行き先候補をあれこれ提案してくる千歳の整った顔を見ながら、私はこの旅を続ける決意をした。
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