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第一章

6.私の少し爽やかな月曜日

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 月曜日の朝は憂鬱だ。
 これからまた一週間が始まると思うとだるいし、二度寝ができないのもつらいし、自分だけでなく周りまでなんだかせかせかしているように思える。
 でも、今日はいつもの月曜日よりも少しだけ心が軽い。
 
「あれ? 月曜日なのに姉ちゃんがもう起きてる! なんで!?」
「……おはよう、千尋。すごい寝癖だよ」
「なんだよ、自分だっていつもボサボサのままご飯食べてるくせに!」
 
 私が珍しく二度寝せずに起きてきたのが、そんなに驚くことだろうか。
 私より少しだけ遅れて起きてきた千尋が、すでに着替えも済ませて朝食の支度をしている私を見て目を丸くしている。
 それもそうか。朝が弱いのは毎日のことだけど、月曜日は特に駄目で、お母さんに言われて千尋が私を起こしに来ることさえあるのだから。
 
「千尋くん、おはよう。スープあるけど飲む?」
「飲む飲む! あ、ぼくパン三枚ね!」
「はいはい。倫ちゃんは?」
「……私も飲みたいな。パンは一枚でいいよ」
「ねえ、お父さんは? まさかもう仕事行っちゃったの?」
「うん、朝から会議なんだって。忙しくて嫌ねぇ」
 
 いつも通りの朝。母に温かいコーンスープをよそってもらって、私は三人分のコップに牛乳を注いだ。
 料理上手な私の母は、その腕を活かして今も週に何日か料理教室で働いている。今日は出勤の日なのだろう、すでにメイクもばっちりだ。
 
 三人共テーブルについたところで、揃って手を合わせて朝食を食べ始める。ご飯はできるだけ家族みんな揃って食べるのが我が家の決まりごとで、それが私にとって負担でもあった。
 でも今思えば、このご飯の時間が無ければ家族との距離は今以上に離れる一方だっただろう。一緒に食事をするということは、必然と会話もする。この時間が、辛うじて私と家族を繋ぎとめていたのかもしれない。
 
「ねえ、千尋。今日はバス停まで姉ちゃんと一緒に行こうか」
「ええっ!? 姉ちゃん、どうしたんだよ!? いつもはぼくが誘っても嫌だって言うくせに! 風邪でもひいたんじゃない?」
「うるさいなぁ、たまにはいいでしょ」
「よかったねぇ、千尋くん。倫ちゃんと行きたいって、いつも言ってたもんね」
「べっ、別に! 姉ちゃんが一緒に行きたいって言うなら、行ってやってもいいけど!」
 
 千尋も私と同じ意地っ張りだ。私ほど卑屈でもネガティブでもないけれど、ずっと同じ家で過ごしていたら嫌でも似てしまうのかもしれない。
 そう考えたら、血が繋がってないだとか養子だとか、そんなことは案外些細なことなのかもしれない。
 ほんの三日前の私だったら、こんなことは絶対に思えなかった。これも、平原さんのおかげだ。
 
 土曜日、平原さんとのデートを終えて家に帰ると、父と母、それに千尋までもが玄関に迎えに出てきた。その三人の顔があまりにも必死だったので、思わずぎょっとしたものだ。
 昨日の夜から私が帰ってこないから、もしかしてこのまま一生家に帰ってこないのではないかと思っていたらしい。みんな揃って心配性だ。
 友達と遊園地に行ってた、と嘘をついた。平原さんのことを話したいけれど、話したところできっと心配をかけてしまうだけだろう。平原さんにも家族にも申し訳なく思ったが、家族にも言えない秘密があるという事実は少しだけ私を高揚させた。
 
 そしてその日の夜、平原さんに宣言した通り両親と進路の話をした。
 正直、まだ何の仕事に就きたいのかさっぱり分からない。卒業したら働こうと考えていたけれど、本当はその覚悟も無かった。
 ただ、小さい頃からずっと続けてきた書道だけはどんな形だろうと続けたい。勉強も嫌いではないから、具体的には何も決まっていないけれど進学したい。
 そう言うと両親は、分かった、と頷いてくれた。母は「話してくれてありがとう」と涙でも流しそうなほど喜んでいて、やっぱり心配させてたんだな、と思って心が痛んだ。
 
「ごちそうさまでしたっ! 姉ちゃん、速攻で着替えてくるから待っててよ!」
「そんなに慌てなくても、ちゃんと待ってるよ」
 
 久しぶりに私と一緒に学校に向かえることが、そこまで嬉しいのだろうか。千尋は分かりやすいほど浮かれていて、こんな小さい弟にまで寂しい思いをさせていたことにこの時初めて気付いた。
 それもそうだ。私が高校に上がるまでは、喧嘩こそするけれどどこへ出かけるのも一緒だった。それに、どれだけ私に泣かされても次の日には「姉ちゃん遊ぼう」とすり寄ってくるような弟だったのだから。
 いきなり家族と距離を詰めるのが難しかったら、少しずつ近寄ればいいんじゃない、と言ったのは平原さんだ。その言葉を受けて、手始めに千尋と向かい合ってみようと思ったのだ。それで一緒に学校に行こうと誘ってみたのだが、たったこれだけで千尋との距離はあっという間に縮まった気がする。
 
「お待たせ! 姉ちゃん、バス間に合う?」
「うん、余裕。じゃあ行こっか。お母さん、行ってきます」
「いってきまあーす!!」
「はい、いってらっしゃい。二人とも気を付けてね」
 
 姉弟揃って玄関を出るのはいつぶりだろう。楽しそうに学校の話をする千尋を見て、私まで楽しくなってきた。
 憂鬱な月曜日が少しだけ明るくなって、私は心の中で平原さんに何度もお礼を言った。
 




 学校前のバス停に着いて、同じ制服姿の乗客がぞろぞろとバスを降りていく。それに続いて私もバスを降りた。
 降車口で定期を見せるときに、普段は気にも留めていなかった運転手の顔を見る。平原さんじゃない。
 少しがっかりして、ありがとうございました、と小さい声で呟いた。
 
 今まで私は平原さんの運転するバスに乗ったことがあったのだろうか。いつも運転手の手には注目していたけれど、顔なんて覚えていなかった。ただでさえみんな帽子を被っているし、マスクをしている人もいるから分からなくても仕方ないだろう。でも、平原さんほどのイケメンだったら記憶に残っていてもいいはずなのに。
 
 教室に着くと、すでに教室には生徒がほぼ集まっていた。始業時間まではあと十分だ。
 自分の席に着いて鞄を置くと、後ろの方から誰かが走ってくるのが分かった。
 
「りーんっ! おはよう! 久しぶり、元気だったあ?」
「え……七海!? な、七海こそ元気なの!? インフルエンザだって……」
「そう、最悪! でももうお医者さんに学校行っていいって言われたから! 休んでる間、超ヒマだったんだからぁ」
 
 後ろから私に抱きついてきたのは、ここ最近学校を休んでいた親友の上田七海うえだななみだった。
 小学校からずっと仲良しで、同じ中学・高校に進んだ彼女とは、三年生になる前のクラス替えでやっと同じクラスになれたのだ。
 
「あたしがいない間、寂しかったんじゃない? お昼はどうしてたの?」
「別に平気。書道室で食べてたし」
「うっわ、かわいそ! 教室で食べればいいのに」
「うるさいな」
「出た出た、クールビューティー倫! そんなんだから彼氏できないんだよ」
「そのクールビューティーっていうのやめてくれない? 全然違うから」
「ええー、みんな言ってるよ? 大屋さんって綺麗だけどクールすぎて怖いよねぇ、って」
「……それ、私に言っていいの? 陰口ってやつだと思うけど」
「あ、そうなの? まあ、いいじゃん!」
 
 七海と私は何もかもが正反対だ。彼女は明るいし、友達も多い。誰とでもすぐ仲良くなれて男子受けもいいから、隣のクラスの男の子と少し前から付き合っている。
 どうして二人とも仲良いの、と良く聞かれるけれど、私自身分かっていないのだから答えようがない。ただ、七海のズバズバと物を言う性格は一緒に居て居心地が良かった。幼い頃からずっと一緒にいるから、共通の話題が多いのも気が楽だ。
 
「ねえ、なんで倫は彼氏作らないの? 楽しいよー、彼氏いると。メールして電話してデートして。倫がその気になればすぐ出来そうなのに」
「……できない、よ」
 
 彼氏作りなよ、というのは七海の口癖だった。友達も少なくて家族とも上手くいっていない私には、心の支えが必要なのだと前々から彼女は力説していた。それでどうして彼氏を作れという話になるのかは分からないが、興味が無かったのでいつも適当に受け流していたのだ。
 でも平原さんに恋をしてしまった今となっては、七海の言う「その気になれば彼氏ができる」という言葉に妙に反論したくなって、いつも以上にそっけない返事をしてしまった。
 
「あれ? あれあれあれぇ!?」
「な、なに?」
「おかしいなぁ。いつもの倫はあたしが彼氏作りなよって言うと、そのうちねって言ってたのに! 今日はどうしたの? できないってことは、作りたくなったってこと!? あっ分かった、好きな人ができたんだ!!」
「なっ……!?」
 
 教室内で大声を出す七海にクラスメイトたちが注目する。幸い話の内容までは聞かれていないようだが、大勢に聞かせるような内容じゃない。
 慌てて七海の口を塞いだが、その行動が肯定を意味していることなんて明らかだった。抜けているように見えて彼女は勘が良い。
 
「しーっ!! あ、あとで話すから! だから大声で言わないでっ……!」
「えへへぇ、了解! 真っ赤になっちゃって、クールビューティー倫にも可愛いとこあるじゃん! あ、じゃあ今日はお昼書道室で食べよう! その時に洗いざらい話してもらうからね!」
「うっ……うん、分かった……」
 
 わざわざお昼を食べに書道室に行くのは私ぐらいだから、そこならば誰かに聞かれる心配もないだろう。
 もともと七海には平原さんのことを話そうかな、と薄っすら思っていたから丁度いい。
 恋愛未経験の私の初恋相手が、とんでもなくハイスペックだなんて知ったら彼女はどんな反応をするのだろうか。
 




 二限目の終わりを告げるチャイムが鳴る。
 それとほぼ同時に、お弁当箱を持った七海が私の席まで駆け寄ってきた。まるで獲物を見つけたハンターのように目がギラついている。ちょっと怖い。
 早く行こうと急かされて、母に作ってもらったお弁当とスマートフォンだけ持って教室を出た。
 三階にある私たちの教室から、一階にある書道室まで階段を駆け下りる。七海にはどこからどこまで話せばいいだろう。
 
「よしっ、誰もいないね! さあさあ座って! そして吐け!!」
「そんな事情聴取みたいに……」
「これは事情聴取ですよ、大屋倫さん! さあ、今まで誰も射止められなかったあなたのハートを打ち抜いたのはどこのどなた!?」
 
 七海がパイプ椅子に腰かけて、鼻息を荒くして問い詰めてくる。お腹がすいたから早くお弁当を食べたいと言うと「許可する」と本当に事情聴取をする刑事のようにふんぞり返って言った。
 七海のハイテンションぶりに若干引きながらも、お弁当の蓋を開けてからぼそぼそと平原さんとの出会いを話し始めた。
 
 家に帰りたくなくてバスを乗り過ごしたら、運転手の平原さんに助けられ、彼の家に泊めてもらったこと。
 彼に、家に帰りたくない理由を話したこと。
 次の日、一緒に遊園地に行ってデートしたこと。
 彼に、恋をしてしまったこと。
 
 話し終えると、大げさに相槌を打っていた七海が感慨深げに嘆息する。
 
「いやあ……予想通りだわ」
「よ、予想通りって、何が?」
「倫はそんじょそこらの平凡な男なんか好きにならないと思ってたのよ! そしたら案の定、とんでもないとこで恋に落ちてきたもんだから納得しちゃって」
「とんでもないって……まあ確かに、自分でもそう思うけど」
 
 こんな恋の始まりを誰が予想できただろう。
 バスを乗り過ごしたのも、自分の意志ではあるけれど予定外の出来事だ。そのあと、平原さんの家に行ったことも、二人で遊園地に行ったことも全て。
 
「ねえねえ、写真無いの? その平原さんって人の」
「……あるよ。一枚だけ」
 
 スマートフォンの画面を数回タップして、七海に渡した。
 遊園地に行ったとき、その遊園地のマスコットキャラクターの着ぐるみと一緒に撮った写真だ。お撮りしますよ、と係員に言われて断りきれず渋々撮ったものだったが、今では平原さんのことを想うたびに眺めている大切な一枚だ。
 
「ええっ!? 何このイケメン! しかも背ぇ高っ! 脚長っ! 顔小さっ!」
「……うん。だからこそ悩んでるの」
「はあ!? 何を悩んでんのよ!? あーん、ずるいずるいずるいー!! あたしもこんなイケメンと一夜を過ごしたーい!」
「へ、変な言い方しないでよ! 全然、何も無かったんだから! ていうかあんた彼氏いるでしょ!」
「それとこれとは別! はー、羨ましいなぁ……」
「……まあ、ただの片思いだけどね。それに平原さんから見たら、私なんて恋愛対象に入ってないんじゃないかな」
「うわあ、卑屈ぅ。入ってないんだったら、入ればいいのよ! ていうか、家に上げて人生相談聞いた上に遊園地まで行ったんだから、脈あるんじゃないの?」
 
 そういうものなのだろうか。
 確かに私だったら嫌いな人を家には上げないし、面倒な相談にも乗らないし、遊園地なんて行くわけがない。でもマイペースでちょっと変わった平原さんのことだから、私の感覚とはまた違うのかもしれない。
 恥ずかしくて七海には言っていないが、抱きしめられたりお姫様抱っこをされたり、手を繋いだりもしている。その全部を思い出して思わず顔が赤くなった。

 会話が途切れた隙にお弁当を食べる。甘めの卵焼きを食べて気持ちを落ち着けた。
 すると同じくお弁当を食べ始めた七海が、ふと思い出したように顔を上げた。
 
「思い出したぁ! その人、噂のイケメン運転手さんじゃん!!」
「はあ? 噂の……?」
「そうそう! どっかで見たことあると思ったんだよねー! あのバス会社さ、大体おじさんしかいないんだけど、たまーに超イケメンが運転してるってクラスの子たちが話してた! あたしも見たことあるもん!」
「ええっ!?」
 
 初耳だ。というか、七海も見たことがあるのならきっと私だって平原さんの運転するバスに乗ったことがあるはずだ。全然気づかなかった。
 
「ああー、いいなーいいなー! あ、でも倫、そのイケメン運転手さんとそういう仲になったこと、他の子には言わない方がいいよ。結構熱心なファンもいるみたいだから」
「ファンって……ま、安心して。七海以外に話す人いないから」
「あ、そうだったね」
 
 そう言って改めてお弁当を食べる。
 七海に話せてすっきりするにはしたが、私以外にも平原さんをかっこいいと思っている子がいるということを知って何故か気分が落ち込んだ。いや、きっと誰から見ても彼はかっこいいんだと思うけど、同じ高校の生徒となれば話は別だ。
 いっそ芸能人ばりの美人に平原さんを取られたら、悔しいし泣きもするだろうけど、まだ諦めがつくと思う。でも、もし同じ高校の子が彼に告白して付き合ったとしたらきっと正気ではいられないだろう。
 
 平原さんを取られたくない。
 そんなのは醜い独占欲だ。まだたった二日しか共に過ごしていないし、私は彼のことを何も知らない。多少は教えてくれたけれど、それは彼のほんの一部分でしかない。
 
 彼のことをもっと知りたい。他の誰も知らないことまで。
 私だけが知っている平原さんになって、私だけのものになってほしい。
 
 そこまで考えてはっとする。
 知らなかった。恋とはこんなにも浅ましく、醜いものだったのか。
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