初恋の泥沼

エイ

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冷たい新婚生活

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 例の彼女のことはずっと心に引っかかっていたが、夫はすでに自分と結婚しているのだから、オタオタしてみっともなく騒いではいけないと思い、あえてその話題は口にせずいつもどおりに接していた。

 夫もいつもと変わらない態度で菜緒に接してくる。
 あの日のことは忘れて、日常に戻ろうと心に決めた。

 菜緒は毎朝五時に起きて、きちんと化粧をしてから朝食の準備にとりかかる。
 義理の母から、夫にだらしない姿を見せてはいけないと忠告されていたので、どれほど眠くても早く起きてちゃんと化粧をして身支度していた。

 朝はパンの日と、和食の日と交互にというのが義実家の決まりだったから、それを律儀に守っている。
 今日はパンの日なので焼き立てのパンと卵料理とサラダと果物、そして挽きたてのコーヒーを用意している。テーブルの花が映えるように見栄えよくセッティングすると夫が起きてきた。
 おはようと声をかける菜緒に対し、頷いて返す夫は黙々と朝食を食べ、無言のまま準備をして出勤して行った。
 元々無口な人だが、あの日から夫は更に口数が少なくなった。
 あの日とは、もちろん初恋の彼女と再会した日からだ。帰ってきても、心なしか菜緒を避けている気がする。

 ……嫌な想像ばかりしてしまうが、悪いことばかり考えても仕方がない。そもそも最初から夫は菜緒に冷たかった。いや、年上で落ち着いているから冷たく感じるだけだ。大丈夫、何も変わっていないと自分に言い聞かせる。


 頭を振って気持ちを切り替えると、洗濯をしてから家じゅうの掃除を済ませる。
 そして庭の花の手入れをして、買い物をして夕食の準備などをしていると、あっという間に一日が過ぎてしまう。
  

 夫は義父が経営する会社で働いている。
 次期社長の身である夫は、それなりに忙しいが、繁忙期以外はさほど残業することはないので、連絡が無い時は夕食を準備するのだが、最近は連絡もなく遅くなって、もう食事は済ませてきたという日が増えていた。それも、あの日から、ほとんど毎日……。


 冷えていく食事を眺め、要らないと言われてしまった時は、翌日に菜緒が朝昼に食べて片づけている。そんな日々が続き、さすがに我慢できずに帰宅した夫をつかまえ、話がしたいと頼み込んだ。

「わるいんだけど……夕飯を食べてくるときは連絡してほしいの。メッセージでも構わないから」

 事前に連絡してくれという意味で菜緒は言ったのだが、夫は自分のすることに文句を言われたと感じたようでムッと顔をしかめた。

「仕事で急に予定が変更になることもあるんだ。どうしようもないだろう。文句があるならもう夕食は作らなくていい」

 そう吐き捨てるように言い、その日の夜から夫は家で夕食を摂らなくなった。

 菜緒は、余計なことを言ってごめんなさいと何度も謝ったが、紘一は別に怒っているわけじゃない、お前の負担を減らしてやりたいだけだと優し気なことを言う。毎日夕飯を作っても一口も食べてはくれなくなってしまった。

 そして、帰宅の時間も毎日遅くなっていく。
 例の彼女と再会した日以降からそんなことが増えたなら、どうしたって疑う気持ちが湧いてきてしまうが、とはいえ外泊があるわけでもないし、飲んで帰ってくるわけでもない。責める要素がないのだから、また余計なことを言って怒らせるわけにはいかない。

 もともと夫は会話が多いタイプではなかったが、ここ最近は輪をかけて無口になっている。
 菜緒は、夫婦なのだから今日起きたことなどを話したいし聞きたいと思うのだが、夫は結論のない話は嫌いだと常日頃から言い、話を聞いてくれない。
 雑談を持ちかけることも憚られて、家ではほとんど会話がなくなってしまった。


 夜、独りで食事をして、夫の帰りを待つだけの日々。

 夫とは甘い新婚生活みたいなものが全くなかった。

 もともとお見合い結婚だから、ぎこちないのは仕方がないと最初は自分に言い聞かせていたが、夫は、本当はこの結婚を望んでいなかったのかもしれない。

 望まない結婚をした理由はなんだろうか?
 それを考え始めた時、菜緒はひとつ思い当たることがあった。

 最初のお見合いから、相手の両親に菜緒は気に入られたようだったが、正式に婚約の手続きに入ったのは、菜緒がブライダルチェックというものを受けた後だった。

 菜緒は知らなかったが、その検査を受けるためという名目で、両親はあちらからかなりの金額を受け取っていたらしく、ある日不意打ちのように病院に連れていかれた。
 この結果を持って両親とあちらの家へ訪ねた時に、正式に結婚が決まったのだった。
 
 ブライダルチェックとは、要は婦人科検診のことだったが、当時はただの健康診断なんだろうとしか思っていなかった。
 まあ結婚して早々病気が発覚しても困るものね……と菜緒は呑気に考えていたが、その認識が間違っていたと結婚してすぐに思い知らされる。

 結婚式をあげてからすぐ、夫から衝撃的な言葉を投げかけられた。

「お前の生理周期、PCで管理するからちゃんと申告して」

 最初何を言われたのか分からず、菜緒はぽかんとしてしまった。

「話を聞いているか? 生理周期を報告しろって言っているんだが」

 夫は反応の鈍さに苛立ち、もう一度同じことを言ってきた。

「えっと、どうして知りたいの?」

 性教育は受けているので、その言葉は知っていたが管理するという意味が分からず菜緒はうまく返答できずにいた。

「排卵日を計算するために決まっているだろう」

 回らない頭で理解した夫の話によると、結婚したからには早く子どもを設けたい、だから排卵日を狙って性行為をするべき、その排卵日を把握するために基礎体温をつけ、生理周期を管理する必要がある、ということだった。

 菜緒は男の人の口から生理のことやましてや排卵日なんて言葉が出てくることにただただ驚いて引いていたが、夫婦なんだから当たり前だとこちらが常識知らずのように言われ、自分より10も年上の夫が言うのだからと反論できずに受け入れてしまった。
 毎月、生理が来たら「来ました」と報告するのが苦痛だった。
 夫婦とはいえ、男性に生理のことを言うのは非常に抵抗があったが、夫には逆らえなかった。
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