初恋の泥沼

エイ

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従順な娘

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「やりたいこと……? えっとじゃあ……ま、漫画読みたい……とか?」
「うん。そうそう、そういうの」
「テレビ見ながらお菓子食べたい、とか」
「今すぐできるけどなそんなの」
「あ、ゾンビ撃ちまくるゲームやってみたい」
「昔、分家のガキが持ってきてたアレか」
「絵……描きたい」
「あーお前上手かったよな。なんで絵描くの禁止になったんだ? つーかそんなのいますぐでも全部やれんじゃん。なんでやらないの?」

 なんでやらなかったのだろう。
 自分でも疑問に思うが、今の今まで思いつきもしなかった。やりたかったことも、女の子らしくないみっともない下品で野蛮などと言われ続け、いつの間にか菜緒もその思考に染まっていた。
 絵に関しては、情操教育として子どもの頃絵画教室に通わせてもらえていたのに、絵の先生が自由な人で、たとえ漫画絵でも描いて楽しいならよし、と自由にさせてくれていた。
 だから菜緒は油絵や水彩画のほかに、自由課題の時に漫画の模写もたくさん描かせてもらえたから絵画教室が習い事のなかで一番好きだった。
 だがそれを知った両親が、低俗な絵を描かせるために通わせているんじゃないと激怒して、絵画教室は即日辞めさせられてしまった。

 両親はそれらを全て『菜緒のため』だと言っていた。漫画なんて読んでいたら頭が悪くなる。女の子にふさわしい趣味や特技を身に着けることで、男性に選ばれる素敵な女性になれる。幸せな結婚ができると常日頃言っていた。

 けれど、両親に従ってきた結果が今の菜緒だ。
 誰にも愛されない、無価値で卑怯な女。
 我慢して、我慢して我慢して必死に親の期待に応えてきたのに、全てが無駄だった。
 それに気づいてしまうと、今までの全てが馬鹿馬鹿しくなってくる。

「幸せな結婚って……なんだったんだろ? 夫が他の女性にベタ惚れで、嫌われ役の妻になるなんて思わなかった。親の言うことに従っていれば幸せになれるとかさんざん言われてきたのに、この結末だもの。馬鹿みたい」

 菜緒の言葉を聞いて、ふと望が首をかしげる。

「そういや、昔の菜緒はもっと親の言うことに反発していたよな。つっても小学生くらいまでしか知らねえけど、それがなんであんな親の言いなりで結婚したんだ? もしかして、本家が倒産してからお前んちも何かあったか?」

 そう言われて菜緒は額に手を置いて考え込む。
 確かに望と会っていた頃は、親に逆らえなくても内心では不満に思って時々彼に愚痴ったりしていたはずなのに、いつからか親の言葉に疑問を抱かなくなっていた。
 いつからだろう? 親の言うことが絶対で従うのが当たり前だと思い込むようになったのは。

「……本家が倒産したあと、ウチのお父さんの会社も危なくなったんだよね。それで、私も家のことやるようになったんだけど、そのあたりからかな……学校以外、家から出してもらえなくなったの」
「お前んとこの会社は潰さないようにしてやった。多少規模を縮小することになったとしても、経営に問題ない程度のはずだろ。それでなんでお前が家から出られなくなるんだ」

 本家の倒産によって、付き合いの深い分家筋の家も共倒れのように潰れていった。
 菜緒の父の会社も大きな取引先を失い、いくつかの事業を手放さなければいけない事態になった。
 本社の経営に問題がなくても、虚栄心の強かった父は落ち目と言われるのが耐えられず、かつての栄光を取り戻すひとつの手段として、菜緒を利用することにしたのだ。
 菜緒を政略結婚させて、会社の事業拡大を図る計画を立て始め、娘の生活全てを管理し始めたのだ。
 変な虫がつかないようにと、高校に入ってからは特に菜緒への監視と躾けが一段と厳しくなって、外出も制限されるようになった。
 最初は反発したような気がする。
 けれど、言うことを聞かなければ学校にも行かせてもらえなくなり、従うほかなかった。
 携帯を取り上げられ、部屋の外側に鍵をつけられ閉じ込められる。
 こんなのひどいと泣けば、父親はためらいなく菜緒を殴った。
 食事も制限され、四六時中母親からの説教を受けているうちに、逆らう気力はなくなった。
 素直に従っていれば、親は菜緒を可愛がってくれる。
 言われたとおりに行動すれば褒められる。
 イイ子だ、さすが菜緒だわ、両親から甘い言葉をもらえる。
 そういったことが繰り返されるうちに、いつの間にか菜緒は、両親に逆らわない従順な娘へと変わっていった。
 自己主張をしなくて、他人に対して従順であるという今の菜緒の性格は、両親が理想とした姿だ。だが菜緒自身、こうして言葉にするまで当時のことを思い出しもしなかった。

「お父さんたちも、会社が危うくなって切羽詰まっていたんだと思う。あの頃は逆らえなくて、気づけば私もお父さんたちの思考に染まっていったのかも」
「あー……なるほど。それはまあ、俺のせいだな」

 菜緒の話を聞いて、望も思うところがあったのか、さきほどまで会った怒りは消え失せ、静かに謝罪を口にした。

「お前の父親なら、会社のために娘を使うとかあり得る話だったよな。それに気づかないで本家を倒産させたあとお前を放置したのは俺のミスだ。悪かった」
「いや、別に望くんが悪いとは思ってないよ。別事業なのに、本家にべったり頼り切りだったお父さんの経営方針に問題があったんだし」
「いや、お前の状況にまで頭が回らなかった俺の落ち度でもあるからな。悪かったよ」
「そっか……」

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