初恋の泥沼

エイ

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誰かの正解

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 自分の好き嫌いよりも、誰かの正解を選ぶようになったのはいつ頃からだったか。

 世間一般の標準を探して、それより少し上を目指すのが正しいと思うようになった。
 突出しすぎないように、下回ることのないように、標準よりも少し上であれば安心できた。
 いつも不安で、楽しいと思える瞬間なんてなくなってしまった。
 
 酔っ払って回らなくなった口で、まとまりのない話を喋り続ける。
 望は相槌も返さず、喋る直をじっと無表情で見ていた。
 あまりにも返事がないため、菜緒は望がそこにいるのか不安になり、振り返ると思ったよりすぐそばに彼はいた。
 目の前に立っている望の顔がすっと近づいてくる。

 一瞬だけ、唇が重ねられた。

 え、と声が漏れ、茫然としたのち、ようやくキスされたと気が付く。

「な、な、な、なんで……」
「あー、やっぱダッチワイフとキスしても何も感じねーな」

 何を言うのかと思ったら、望が最低な言葉を吐き捨てたため、菜緒は怒りでカッとなる。

「はあっ!? 勝手にキスしたくせに、何それ!?」
「俺、昔の菜緒は面白くて結構好きだったんだよ。でもやっぱ今のお前は好きじゃねーわ。卑屈で無個性で、面白くない」

 遠慮のない言葉が胸にグサグサ突き刺さり、菜緒はぐっと押し黙る。卑屈も無個性も図星だったから、反論できない。

「好きなもんがたくさんあった頃のお前は面白かったよ。あの頃みたいに俺を楽しませろよ。そのためなら金も労力も提供してやる。でも、いつまでもつまんねえ人間のままで変わる気がないなら切り捨てる」

 氷のような冷たい目で菜緒を見下ろす。そこには身内の情も、親しさも感じられない。

「……なんで勝手にキスされた挙句に罵られるのか意味がわかんない」
「お前にとっての意味とかどうでもいい。つまらない自虐とか聞かされるの迷惑なんだよ。俺が優しく慰めるとでも思ったか?」
「思ってないよ。ただ、口から言葉が出ちゃったんだよ」
「愚痴のはけ口になる気はねえし。まあでも、昔の好きだったものを思い出すのは悪くない。つまらないものばっか見てないで、好きなことだけやってりゃまた面白い菜緒に戻りそうだし」

 結局、謝罪はないまま車に乗って帰る流れになって、キスのことはうやむやになってしまった。
 なんだか釈然としなかったが、小さい頃は親戚の子どもたち同士でふざけて頬にキスをするなんてよくあることだったから、今更気にすることでもないかと自分のなかで納得させた。

 遅い時間になってしまったので、望は家の少し手前まで送ってくれた。
 お礼を言う前に、車はすぐに発進して遠のいていった。
 まだアルコールが抜けていないせいか、若干覚束ない足取りで家へ帰る。



 鍵を開け、玄関を見ると、夫の革靴が目に入った。
 反射的に腕時計を見ると、まだ十時半。
 いつも夫の帰宅は十二時頃なので、珍しく早いなと思いながら靴を脱いで部屋に入ると、リビングにいた夫が菜緒を見て盛大に顔をしかめた。

「こんな時間まで家を留守にしてどこに行っていたんだ」

 お帰りの言葉もなく、投げつけられた叱責に思わず顔をしかめる。返事をせずにいると、更に夫は憎々し気に菜緒を睨んできた。

「お前……まさか酒を飲んでいるのか? こんな時間まで、いったい何をやっているんだ」
「夕食作るのが面倒だったから外で食べてきただけです。こんな時間って言ってもまだ十時過ぎよ? 紘一さんはいつも日付が変わる頃まで帰ってこないんだし、私だけずっと家にいなくちゃいけない理由ないでしょう?」

 帰宅早々文句を言われ、カッとなって言い返す。普段反論などしてこない菜緒が言い返してきたことに紘一は驚いていた。
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