初恋の泥沼

エイ

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義母襲撃

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「お前、離婚したい?」

 帰り支度をする菜緒の背中越しに、望が訊ねてきた。
 
「そうだね。離婚したい」

 迷いなく答えが出た。自分はもうあの夫と一緒にいたくないのだ。

「じゃあ、計画を立てないとな。お前も自分が悪者になって放り出されるつもりはないだろ」
「でも夫の浮気を証明できたとしても、どうせ私が悪いことになるから意味ない気がするわ」
「旦那や親どもがなんていうかなんてどうでもいいんだよ。要は、有責となるのはどっちか、法的にお前が正しいって証明するんだよ」
「ああ……」

 民事で夫側が有責と認められれば、親たちの主張がおかしいという証明になる。彼らからの非難を気にする必要はなくなると望は言う。
 確かにそうだ。
 これまで夫の言うことに疑問も持たず従ってきたが、ネットの反応を見ると夫と自分は相当世間の常識からずれていると知った。もちろん、ネットの意見だから全部が正しいわけではないが、もし離婚裁判になっても十分夫有責で別れられる状況だというのは間違いないようだ。
 夫の主張は、家の中だけでしか通用しない。両親の言うことも恐らくはそうなのだろう。あの家の中から出ようとしている菜緒はもう、彼らだけのなかで通用する常識に従う必要はないのだ。

「望くんと話していると、どれだけ自分が馬鹿だったか思い知るわ……」
「ホントの馬鹿は自分が馬鹿だってことも理解できないからな。自覚できただけよかったわ」

 相変わらず辛辣な望に苦笑する。
 彼から見れば、思考を放棄して生きてきた菜緒のことなんて呆れるほど馬鹿に見えるだろう。それでも見放さず手助けしてくれるのだから感謝しかない。

「調停か裁判になるなら、浮気の証拠はホテルに出入りするところの写真を数回分押さえておきたいところだけどな」
「ううん、夫はただの友達だっていうんだよね。一度見た時はお子さんも一緒だったからホテルはないと思う」
「じゃあその女の自宅か。何度もその家に出入りしていて、深夜まで居座っているのが確認できれば不貞の証拠になる。それは俺が用意してやるよ」
「え、いいよ。アドバイスしてもらったから、証拠集めは自分でやるよ」
「車の運転もできないくせに浮気調査ができるわけないだろーが。心配しなくても、いとこ価格でやってやるから」
「それは逆に高額請求されそうなのよ……」
「冗談だよ。お前からはした金もらったってしょうがねえし。まあ昔の罪滅ぼしとしてお前の離婚は手伝ってやるって」

 望は、自分がやれば労力をかけなくても証拠を揃えられると軽く請け合う。

「ありがたいけど、望くんに丸投げするわけにいかないから、もうちょっと自分で考えてみるよ。夫がどうしたいのかも実のところよく分かってないし」

 有責の証拠を集める理由は、紘一が離婚を拒否して揉める場合に必要となるからだ。
 現時点で紘一は菜緒との離婚は考えていないようだが、もしも彼女が彼との結婚を望んだら、双方合意で円満離婚に至るかもしれない。

「って、ごめん。もう帰らないと」
「あー、そだな」

 色々話しているうちに、時間が経ちすぎてしまい予定していた帰宅時間をだいぶ過ぎてしまったことに気づき、慌てて帰る準備をしてマンションを出た。
 
 電車は学生や会社員の帰宅時間をかぶっていたせいでかなり込み合っていた。
 最寄り駅で降りると、買い物客で商店街はにぎわって人通りが多い。雑踏をすり抜けて家に帰ると、玄関を開けたところでぎくりと足が止まった。

「靴がある……」

 夫の革靴と、ローヒールのパンプスが玄関に並んでいる。
 嫌な予感がしてリビングに向かうと、そこには紘一の母、弓枝がいた。

「菜緒さん、ずいぶんと遅いご帰宅ですね。主婦がこんな時間まで一体何をやっていたのですか?」

 弓枝は憎々し気に眉を寄せ、菜緒をきつく睨む。その隣には夫の紘一も座っていて、同じくこちらを責めるようなまなざしを向けている。
 夫が義母を呼んだのか……とうんざりしてため息をつくと、それを見咎めた義母が怒鳴りつけてきた。

「なんですかその態度は! 夫を出迎えもせず遊び歩いて帰ってくるなんて言語道断です! それにこの家の有様はなんです? 洗濯は乾燥機に入れっぱなし、掃除もいい加減で、最近は食事の用意もしていないというじゃありませんか。菜緒さん、あなた一体どういうおつもり?」

 口を挟む隙もないほど文句をまくし立てられ、反射的に謝罪しそうになるが、『それみたことか』と言わんばかりの顔をしている夫と目が合い、すっと気持ちが冷えた。
 菜緒を責めてもらおうとわざわざ義母を呼びつけたのだ。夕飯はもう作らないと言ったのがそんなに気に入らなかったのか、彼女に会うのをやめてでも菜緒を責めたかったらしい。

「夕食のことに関して言えば、紘一さんは最近ずっと外で済ませて来られるので、どうせゴミになってしまうから作らないことにしたんですよ」
「ま、まあなんてこと! 男の人は仕事でお付き合いがあるのですから急に食事に行かねばならないこともあるでしょう。そんなことも分からないなんて、妻失格ですよ」

 菜緒が謝罪せず口答えしたせいで驚いた義母は一瞬戸惑っていたが、すぐに気を取り直して責め立ててきた。

「違いますよ。紘一さんはシングルマザーになったご友人と毎日食事に行かれているんです。おひとりで大変なご友人を助けて差し上げたいそうで、彼女とそのお子さんと一緒に食べるから、もう夕食は作らなくていいと紘一さんがおっしゃったんです」
「……なん、なんですって?」
「おい! 何を言っているんだ!」

 義母は鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔で固まる。
 紘一はまさか菜緒が彼女のことを口にするとは思わなかったらしく、見たことがないくらい慌てていた。
 
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