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第7話 距離感レッスンが、いちばん難しい
しおりを挟む「ここで、俺の婚約者役を演じてくれないか」
そんな台詞は、台本の中だけにしておいてほしいと、そのときの私は本気で思っていた。
◇◇◇
晩夏がゆっくりと終わりに近づき、王都には収穫祭の準備の気配が満ち始めていた。
市場には早い葡萄や果物が並び、城下町の広場では仮設の屋台用の木枠が組まれている。
王宮も例外ではなく、秋の収穫祭に合わせた「王太子殿下のご行幸」とやらが計画されていた。
簡単に言えば、レオンが公の場に姿を見せ、城下町の人々に挨拶をする行事だ。
「今年は、婚約候補の令嬢たちも何名かご一緒していただこうと思っているの」
王妃陛下は、さらりと言ってのけた。
その場には、王と、レオンと、そしてなぜか私も同席していた。
「殿下と並んで、王都の通りを歩くことになります。
その際の立ち居振る舞いと、“距離感”について、ミサ、あなたに指導してほしいの」
「距離感、でございますか」
思わず聞き返してしまった私に、王妃陛下はにこりと微笑んだ。
「ええ。
手を取るとき、肘を支えるとき、
近すぎてもいけないし、遠すぎても“不仲”に見えてしまうでしょう?
レオンはそのあたりが、少し不器用ですから」
ちらりと視線がレオンに向けられる。
当の本人は、どこか居心地悪そうに目を伏せていた。
(まあ、分からなくもない)
十五歳の少年に、王都中の視線を浴びながら婚約候補と並んで歩けと言うのだ。
私だって、想像しただけで胃が痛くなる。
「ミサ。
いいかしら?」
王妃陛下の問いに、私は頭を下げた。
「僭越ながら、全力を尽くさせていただきます」
……と言ったものの。
(その“距離感レッスン”、誰が相手役をするのかまでは、聞いていないんですが)
私の予想は、その日の午後、見事に外れることになる。
◇◇◇
「本日のテーマは、“距離”です、殿下」
学舎の教室でそう告げると、レオンはすぐに察したようだった。
「収穫祭の行幸の件ですね」
「はい。
婚約候補の令嬢と並んで歩くことになると伺いました」
私は黒板代わりの板に「距離」と書き、横に小さな円をふたつ描いた。
「恋の物語でも、距離はとても大事な要素です。
手が触れるか触れないかの間合い、
一歩近づくか、一歩退くか――それだけで、相手への感情が伝わりますから」
『ベンチの端と端に座っていた二人が、最後には少しだけ近づく』
そういう描写ができるだけで、恋愛小説は何ページも甘くなる。
……前世でそれを自分の人生に活かす機会は、結局一度もなかったけれど。
「それで、本日の劇はこちらです」
私は、前夜に書いたばかりの台本を差し出した。
タイトルは、『仮初めの婚約者と、石畳の散歩道』。
『平民出の女学者リサは、公爵家の若き跡継ぎに“偽の婚約者”の役を頼まれる。
しつこい縁談を断るための方便として、公の場で手を取って歩いてほしいというのだ。
最初は報酬目当てで引き受けたリサだったが、
何度も“仮初めの婚約者”として腕を取られるうち、胸の奥に本物の感情が芽生えてしまい――』
自分で書いておいてなんだけれど、
距離感レッスンの教材として、不穏な題材を選んでしまった気もする。
「殿下には、公爵家の跡継ぎユリウス役をお願いいたします」
「平民出の女学者リサは……ミサですね」
「ええ。
設定だけは、妙に現実に寄せてしまいました」
笑いながら言うと、レオンも微かに口元を緩めた。
「では、“仮初めの婚約者”から、距離を学ぶのですね」
「そういうことです」
……本当に、そういうこと“だけ”で終わればいいのだけれど。
◇◇◇
場所は、王宮の中庭に面した回廊を使うことになった。
石畳の床と、アーチ状の天井。
壁際には、季節の花を活けた鉢が等間隔に置かれている。
ここなら、将来の行幸の行列の予行演習にもぴったりだ。
「まずは台詞から入りましょう」
私は台本を開き、リサ役の一行目を読む。
『こんな芝居じみたこと、本当に必要なの?』
「……妙に、ミサに似合う台詞ですね」
ユリウス役のレオンが、半分笑いながら返す。
『必要だ。
僕は僕の人生を、勝手に決められたくない』
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
この国の王太子として生まれた少年の本音が、重なるから。
「では、実際に歩いてみましょう」
私は台本を閉じて、一歩、彼の前に進み出た。
「殿下。
まずは“公の場で無難に見える距離”から試してみましょうか」
私は、彼の肘のあたりにそっと手を添えた。
恋人同士というより、「王宮案内のガイドと来賓」といった距離。
「どうでしょう。
これくらいなら、殿下は“距離を取りすぎている”印象を与えます」
「では、近づくと?」
レオンが、ほんの少しだけ歩み寄る。
肘に添えた私の指先と、彼の身体との距離が縮まり、
布越しに温度を感じるほどになった。
心臓が、どくん、と跳ねる。
「これくらいになると、“親しみ”が伝わります。
正式な婚約者であれば、行幸の場でも許される距離ですね」
自分の声が、ほんの少しだけ掠れているのが分かった。
(落ち着け。これはあくまで授業。
相手は教え子。しかも未来の王)
頭では分かっていても、身体は別の反応をする。
前世でも、エレベーターの中でたまたま好きな人の肩が触れたとき、
同じように心臓がうるさく鳴ったことを、私は知っている。
「では、劇の一場面をやってみましょうか」
私が提案すると、レオンは真剣な顔でうなずいた。
『……ねえ、本当に私でいいの?
あなたの“仮の婚約者”役』
私は、リサとしての台詞を読む。
ユリウス役のレオンが、短く息を呑む気配がした。
『君だからいいんだ。
君は、僕の横に立っても、自分を見失わない』
『どういう意味?』
『僕の肩書きや家柄を見ているんじゃなくて、
ちゃんと“僕自身”のことを見てくれるから』
口にする台詞のひとつひとつが、
どこか現実の会話と重なってしまう。
レオンは、演技の枠の中にいる。
それでも、その瞳に宿る光が、
「これは全部芝居だ」と言い切るには、少しばかり真剣すぎた。
『だから、君の手じゃなきゃ嫌なんだ。
僕の隣を歩くのは』
その台詞のとき、
レオンの指先が、私の手の甲をかすかに撫でた。
台本にはそんな指示、書いていない。
息が、ほんの一瞬止まる。
(これは芝居。そう、芝居。
役作り。きっと、そう)
自分に言い聞かせながらも、
胸の奥のどこかが、勝手に熱を帯びていくのを感じた。
◇◇◇
「……ここまでにしましょうか」
何度か回廊を往復し、
台本の該当シーンを終えたところで、私は区切りをつけた。
これ以上続けると、レッスンなのか私の心の試練なのか分からなくなりそうだったから。
「殿下。
本日の“距離感”レッスンを終えて、何か感じたことはありますか?」
私は、教師としての顔を取り戻そうと努めながら尋ねた。
レオンは少しのあいだ考え込むような沈黙を置き、やがて口を開いた。
「……誰かの手を取るというのは、
思っていたよりも覚悟がいるのだと思いました」
「覚悟、ですか」
「はい。
手を取ることで、その相手を“自分の隣”に連れてくることになる。
その人が、周りからどう見られるか、どんな噂を向けられるか――
それも、全部背負うことになるのだと」
まっすぐすぎる言葉に、胸がきゅっとなる。
(噂の矢面に立ったのは、もう何度目だろう)
“お気に入り教育係”。
“恋の練習相手”。
そんな肩書きの裏側で、
私がどれだけ自分の立場や身の程を測りながら歩いているか、
レオンはきっと知らない。
「だからこそ、軽々しく誰の手も取るわけにはいきませんね」
静かに結ばれたその言葉は、
私の胸に、甘くて苦い棘のように残った。
「……そうですね」
私は、どうにか笑顔を作った。
「殿下がいつか本当に誰かの手を取るとき、
その人はきっと、とても幸せでしょうね」
「ミサは、そう思いますか」
「ええ。
殿下は、自分の隣に立つ人のことを、
きっとちゃんと大事にしようとする方ですから」
それは、教育係としての確信でもあり、
ひとりの女としての、ささやかな嫉妬混じりの本音でもあった。
◇◇◇
レッスンを終えて教室に戻ると、
廊下の向こうからカトリーヌが歩いてくるのが見えた。
淡い紅茶色の髪をふわりとまとめ、
今日も完璧な立ち居振る舞いで侍女たちを従えている。
私とレオンに気づくと、彼女はにこやかに会釈した。
「殿下、ミサ様。
先ほど、回廊でのご様子を少しだけ拝見いたしましたわ」
その言葉に、背中を汗が伝う。
(見られてた……!)
レオンは平然とした顔で答えた。
「行幸の予行演習をしていただいていたのです。
婚約候補の令嬢方との距離感を、きちんと学ばねばなりませんから」
その言い方は、
あくまで“教育係と生徒”のレッスンだと、
さりげなく周囲に示すものだった。
カトリーヌは、その意図を理解したのかどうか。
微笑みを崩さないまま、さらりと言った。
「まあ、頼もしいこと。
では、わたくしたちもそのご指導の成果を楽しみにしておりますわ。
殿下の隣で、恥ずかしくない歩き方をしなくてはなりませんものね」
その言葉に、レオンが一瞬だけ視線を逸らしたのを、私は見逃さなかった。
「ええ。
皆さまと並んで歩くときに、
僕が胸を張ってご一緒できるように、努力いたします」
彼は礼儀正しくそう返し、
カトリーヌが去っていくのを黙って見送った。
その横顔には、
ほんの少しだけ、疲れたような影がにじんでいた。
◇◇◇
その日の夜。
自室の机に向かい、私は今日のレッスンの記録を書きつけていた。
“LESSON 4:距離”
そう見出しを書いたあと、ペン先がしばらく止まる。
“仮初めの婚約者役を演じた。
手の温度を、覚えてしまった”
正直すぎる一行に、顔が熱くなって、慌ててペンを置いた。
(何を書いてるの、私は)
教育係としての記録に、
個人的な感傷を紛れ込ませるなんて、褒められたことじゃない。
でも――。
“仮初め”でも、“芝居”でも。
誰かの隣に立ち、
誰かの手を取る役目を任されたことは、
前世の私には一度もなかったことだ。
「本物の婚約者にはなれなくても、
誰かの人生の途中で、たった一度だけ本気で手を取る役目くらいは、
あってもいいのかもしれない」
思わず呟いた言葉が、
自分自身を少しだけ許してくれる。
窓の外では、王都の夜が静かに瞬いていた。
コンビニの白い蛍光灯ではなく、
石畳を照らす橙色のランプの明かり。
前世で私は、誰の手も取らず、誰にも手を取られないまま、
暗い道をひとりで歩き続けていた。
今世の私は――。
たとえそれが、
いつか別の誰かに差し出される前の“練習”だったとしても。
その途中で、確かに私の手を選んでくれた少年がいる。
その事実を、
少しだけ胸の奥にしまっておいても、罰は当たらないだろう。
インクの瓶の青が、ランプの光を受けて静かに揺れた。
――選ばれなかった女の二度目の人生にも、
仮初めの役目が、本物の心を救うことだってある。
そう信じてみたくなる夜に、
私はノートを閉じ、小さく息を吐いた。
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