前世アラサー独身、異世界では王太子の教育係として「恋愛感情」を教えています

cotonoha garden

文字の大きさ
10 / 44

第10話 告白レッスンは、台本通りに行かない

しおりを挟む


 「僕が好きだと言ったら、ミサは困りますか」
 その問いは、恋愛レッスン用の台詞のはずだった。――少なくとも、口に出されるまでは。

 ◇◇◇

 収穫祭から少し時間が経ち、王宮は今度は「冬至祭」と、レオンの十六歳の誕生日祝賀の準備で慌ただしくなっていた。
 王太子の十六歳は、この国ではひとつの節目だ。
 「正式な婚約発表があるのでは」と、宮廷中がそわそわしている。

 噂話は、相変わらずよく通る廊下で育つ。

 「やっぱり本命はカトリーヌ様よね」
 「いいえ、この前の行幸での立ち居振る舞いはアデール様も捨てがたかったわ」
 「どちらにしても、教育係の出る幕ではないわね」

 最後のひと言は、わざと聞こえるように言ったのかどうか。
 どちらにしても、私の胃にはしっかり届いた。

 (分かってる。最初から“幕”なんてもらってない)

 私は資料を抱え直し、学舎へ向かう足を早めた。
 本日のレッスンテーマは、王妃陛下からのご指名だ。

 「そろそろ、殿下にも“言葉としての告白”を教えてあげてちょうだい。
  誰かに想いを伝えるとき、どこまでが礼儀で、どこからが本気なのかをね」

 つまり――「告白レッスン」。

 (よりによって、このタイミングで)

 冬の冷たい風が、胸の奥に吹き込んでくる気がした。

 ◇◇◇

 「本日のテーマは、“告白”です、殿下」

 学舎の教室でそう告げると、レオンは少しだけ目を丸くした。

 「告白……ですか」

 「はい。
  殿下の十六歳の祝賀には、多くの令嬢が招かれます。
  その場で“好意”を伝えることになるかもしれませんし、
  逆に、誰かから想いを告げられることもあるでしょう」

 私は、いつものように黒板代わりの板に「告白」と書き、その下に小さく「本音」「礼儀」「逃げ道」と並べた。

 「恋の物語では、“好きだ”のひと言に至るまでが物語です。
  けれど現実の宮廷では、そのひと言の重さが、時に人生を変えてしまいます」

 前世の私は、そんなひと言をもらったことは、一度もなかった。
 あっても、「飲み会、来られますか?」とか、「締め切り、いけそうですか?」とか、
 業務連絡の重さしか持たない言葉ばかり。

 「今日は劇を使って、“本音に近い告白”と“礼儀の範囲の告白”の違いを、やってみましょう」

 私は台本を取り出した。

 タイトルは、『灯台の娘と、旅立つ少年』。

 『海辺の村の灯台守の娘リアは、幼なじみの少年カイルと一緒に育った。
  やがてカイルは、船乗りとして遠い国へ旅立つことになる。
  出航前夜、二人は灯台の下で最後の会話を交わす――』

 「殿下には、旅立つ少年カイル役をお願いいたします」

 「灯台守の娘が、ミサですね」

 「ええ。
  “送り出す側”の気持ちは、前世で少し経験しましたから」

 会社を辞めて転職する同僚を、何人も見送ってきた。
 自分はいつも残る側で、見送られる側になったことはなかったけれど。

 ◇◇◇

 庭園劇場での読み合わせが始まった。

 『ねえ、カイル。
  あんた、本当に行くの?』

 私の声は、想像以上に素直に震えた。
 送り出す側の台詞は、どうしてこんなに胸に刺さるのだろう。

 『ああ。
  海の向こうを、この目で見てみたいんだ』

 レオン演じるカイルの声は、少し低く落ち着いていた。
 少年から青年へ移り変わる途中の、不安定な響き。

 『じゃあ、最後にひとつだけ聞かせてよ。
  あんたにとって、私は何?』

 私が台詞を読んだ瞬間、レオンの瞳がちらりとこちらを見た。

 『……灯台の光、かな』

 「ここは、カイルが“礼儀としての告白”をする場面です」

 私は一旦台本を下ろして説明を挟む。

 「“灯台の光”というのは、誉め言葉でもあるけれど、
  恋の“好き”をはっきり言わずにぼかした表現です。
 遠くから見守っていてほしい、というニュアンスですね」

 「では、“本音に近い告白”だとしたら?」

 レオンが尋ねてきた。

 「その場合は――そうですね」

 私は、少しだけ考えてから言った。

 「『あんたがいるから出て行ける』、でしょうか」

 『あんたがここで灯りをともしてくれるって分かってるから、
  怖くても海に出ていける。
  帰ってくる場所があるって信じられるから』

 自分で言いながら、胸がじんと熱くなった。

 「ちょっと踏み込みすぎですけどね。
  でも、“あなたがいるから”という言葉は、本音に近い告白に多く出てきます」

 レオンは、静かに頷いた。

 「では、試してみてもいいですか」

 「え?」

 「“礼儀としての告白”ではなく、“本音に近い告白”の台詞を」

 彼は、カイルとしての位置に立ち、改めてこちらを見た。

 『……リア』

 名前を呼ばれただけで、背筋が少し伸びる。
 リアは、私でもあり、ミサでもある。

 『あんたがここで灯りをともしているって分かってるから、
  俺は海に出ていける』

 声が、さっきよりもわずかに低く、近く感じた。

 『帰ってくる場所があるって、信じられるから』

 その瞬間、劇中劇の台詞と、目の前の現実が少しだけ重なった。

 レオンにとって、私は「帰ってくる場所」でいられているのだろうか。
 教育係であり、弱さを見せられる相手であり――
 そして、いつか本当に海の向こうへ(王としての未来へ)旅立つとき、
 彼が振り返る灯りのひとつに、私はなれるのか。

 「……上出来です、殿下」

 私はどうにか笑顔を作って言った。

 「今の台詞を、誰かに向けて言うことがあれば、
  きっとその人は一生忘れないと思いますよ」

 「ミサは、忘れますか」

 唐突な問いに、息が止まった。

 「……え?」

 「今の台詞を、ミサに向けて言ったとしたら。
  ミサは忘れてくれますか。
 “レッスンの一環だから”と、全部流してしまえますか」

 レオンの目が、真っ直ぐに私を射抜いていた。

 さっきまで劇中のカイルが持っていたはずの視線が、
 いつの間にかレオン自身のものに変わっている。

 (やめて。
  その境界線を曖昧にされると、一番困るのは私なんだってば)

 「殿下」

 私は、なるべく穏やかな声で答えた。

 「それは――“仮初め”の台詞です」

 「仮初め」

 「ええ。
  今はまだ、“本物の誰か”に向ける前の練習。
  だから私は、レッスンのために受け取ります」

 それは半分本音で、半分嘘だった。

 さっきの台詞は、きっとずっと忘れない。
 忘れようとしても、どこかに染み付いてしまった。

 でも、それをそのまま抱えてしまったら、
 私は“教育係”から完全に踏み出してしまう。

 それだけは、まだ早い。
 ――そう言い聞かせる。

 ◇◇◇

 レッスンの終盤、私はいつも通り、今日のまとめを促した。

 「本日の“告白レッスン”を終えて、殿下は何か気づいたことがありますか」

 レオンは少し考え、静かに口を開いた。

 「……告白は、“好きだ”と言うことだけではないのだと思いました」

 「と言いますと?」

 「“あなたがいるから”と伝えること。
  “あなたのおかげで、ここまで来られた”と、誰かの存在を認めること。
  それもまた、ひとつの告白なのだと」

 彼の視線が、ふと私の手元のインク瓶に向かう。
 あの日にもらった、青いインク。

 「だから僕は、いつかきちんと伝えたいと思います。
  僕がここまで来られたのは、ミサのおかげだと」

 心臓が、どくんと跳ねた。

 「それは……“王太子としての礼儀”でしょうか」

 どうにか冗談めかして返すと、彼は少しだけ笑った。

 「半分はそうかもしれません。
  でも、残りの半分は……まだレッスン中です」

 その言い方があまりにもずるくて、
 思わず視線を逸らしてしまった。

 ◇◇◇

 その夜。

 私は自室の机に向かい、いつものレッスン記録とは別に、白紙を一枚取り出した。

 “宛先:灯台守の娘へ”

 と、最初に書く。
 それから、少し考えて、“宛先:十六歳の王太子へ”と書き直した。

 “あなたがここまで来られたのは、誰のおかげですか”
 “いつか、その答えに私の名前がひとつでも混ざっていたら、少しだけ誇りに思ってもいいですか”

 ペン先が、さらさらと紙の上を走る。

 これは決して出さない手紙だ。
 出した瞬間に、関係が壊れてしまうと分かっている。

 でも――前世の私は、一度もこういう手紙を書く相手さえいなかった。
 誰かの未来を願って、胸を締めつけられながら言葉を紡ぐ夜なんて、なかった。

 「……告白って、相手に渡さなくても、自分に向けるものでもあるのかもね」

 呟きながら、私はペンを置いた。

 “私は、あなたのことが大切です”

 最後の一行だけ、どうしても書けなかった。
 でも、胸の中でははっきりと言葉になっている。

 ――選ばれなかった女だった私にも、
 誰かを選びたいと思ってしまう夜がある。

 その事実を、今日くらいは責めずに受け入れてもいい。

 窓の外には、冬の始まりの冷たい星が瞬いていた。
 前世で見上げたコンビニの白い看板よりも、ずっと遠くて、ずっと静かな光。

 いつかレオンが、本当に誰かに告白をするとき。
 その台詞が今日のレッスンの延長線上にあるのだとしたら――
 私はきっと、少しだけ胸を張って、その日を見送れるだろう。

 そしてそのとき、自分自身にもそっと告白できたらいい。

 ――前世で誰にも選ばれなかった私が、
 今世では、誰かを本気で好きになれたのだと。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

魔王城の清掃係ですが、ラスボスに懐かれて世界を磨くことになりました

由香
恋愛
異世界に転移したら、なぜか魔王城の清掃係に就職していました。 巨大な玉座、血のついた回廊、禍々しい装飾品の数々。 今日も黙々と床を磨いていたら―― 「お前の磨いた床は、よく眠れる」 恐怖の象徴と名高い魔王様に懐かれました。 見た目は完全にラスボス。 中身はちょっと不器用で、独占欲強めの努力型。 勇者は帰還の道を示し、魔王は隣を選べと願う。 光と闇のはざまで、選ぶのは――ただの清掃係。 戦争よりも、まず床。 征服よりも、まず対話。 これは、世界最強の存在に溺愛されながら 世界平和を“足元から”始める物語。 甘くて、少し熱くて、ちゃんと選ぶ恋。

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

処理中です...