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第10話 告白レッスンは、台本通りに行かない
しおりを挟む「僕が好きだと言ったら、ミサは困りますか」
その問いは、恋愛レッスン用の台詞のはずだった。――少なくとも、口に出されるまでは。
◇◇◇
収穫祭から少し時間が経ち、王宮は今度は「冬至祭」と、レオンの十六歳の誕生日祝賀の準備で慌ただしくなっていた。
王太子の十六歳は、この国ではひとつの節目だ。
「正式な婚約発表があるのでは」と、宮廷中がそわそわしている。
噂話は、相変わらずよく通る廊下で育つ。
「やっぱり本命はカトリーヌ様よね」
「いいえ、この前の行幸での立ち居振る舞いはアデール様も捨てがたかったわ」
「どちらにしても、教育係の出る幕ではないわね」
最後のひと言は、わざと聞こえるように言ったのかどうか。
どちらにしても、私の胃にはしっかり届いた。
(分かってる。最初から“幕”なんてもらってない)
私は資料を抱え直し、学舎へ向かう足を早めた。
本日のレッスンテーマは、王妃陛下からのご指名だ。
「そろそろ、殿下にも“言葉としての告白”を教えてあげてちょうだい。
誰かに想いを伝えるとき、どこまでが礼儀で、どこからが本気なのかをね」
つまり――「告白レッスン」。
(よりによって、このタイミングで)
冬の冷たい風が、胸の奥に吹き込んでくる気がした。
◇◇◇
「本日のテーマは、“告白”です、殿下」
学舎の教室でそう告げると、レオンは少しだけ目を丸くした。
「告白……ですか」
「はい。
殿下の十六歳の祝賀には、多くの令嬢が招かれます。
その場で“好意”を伝えることになるかもしれませんし、
逆に、誰かから想いを告げられることもあるでしょう」
私は、いつものように黒板代わりの板に「告白」と書き、その下に小さく「本音」「礼儀」「逃げ道」と並べた。
「恋の物語では、“好きだ”のひと言に至るまでが物語です。
けれど現実の宮廷では、そのひと言の重さが、時に人生を変えてしまいます」
前世の私は、そんなひと言をもらったことは、一度もなかった。
あっても、「飲み会、来られますか?」とか、「締め切り、いけそうですか?」とか、
業務連絡の重さしか持たない言葉ばかり。
「今日は劇を使って、“本音に近い告白”と“礼儀の範囲の告白”の違いを、やってみましょう」
私は台本を取り出した。
タイトルは、『灯台の娘と、旅立つ少年』。
『海辺の村の灯台守の娘リアは、幼なじみの少年カイルと一緒に育った。
やがてカイルは、船乗りとして遠い国へ旅立つことになる。
出航前夜、二人は灯台の下で最後の会話を交わす――』
「殿下には、旅立つ少年カイル役をお願いいたします」
「灯台守の娘が、ミサですね」
「ええ。
“送り出す側”の気持ちは、前世で少し経験しましたから」
会社を辞めて転職する同僚を、何人も見送ってきた。
自分はいつも残る側で、見送られる側になったことはなかったけれど。
◇◇◇
庭園劇場での読み合わせが始まった。
『ねえ、カイル。
あんた、本当に行くの?』
私の声は、想像以上に素直に震えた。
送り出す側の台詞は、どうしてこんなに胸に刺さるのだろう。
『ああ。
海の向こうを、この目で見てみたいんだ』
レオン演じるカイルの声は、少し低く落ち着いていた。
少年から青年へ移り変わる途中の、不安定な響き。
『じゃあ、最後にひとつだけ聞かせてよ。
あんたにとって、私は何?』
私が台詞を読んだ瞬間、レオンの瞳がちらりとこちらを見た。
『……灯台の光、かな』
「ここは、カイルが“礼儀としての告白”をする場面です」
私は一旦台本を下ろして説明を挟む。
「“灯台の光”というのは、誉め言葉でもあるけれど、
恋の“好き”をはっきり言わずにぼかした表現です。
遠くから見守っていてほしい、というニュアンスですね」
「では、“本音に近い告白”だとしたら?」
レオンが尋ねてきた。
「その場合は――そうですね」
私は、少しだけ考えてから言った。
「『あんたがいるから出て行ける』、でしょうか」
『あんたがここで灯りをともしてくれるって分かってるから、
怖くても海に出ていける。
帰ってくる場所があるって信じられるから』
自分で言いながら、胸がじんと熱くなった。
「ちょっと踏み込みすぎですけどね。
でも、“あなたがいるから”という言葉は、本音に近い告白に多く出てきます」
レオンは、静かに頷いた。
「では、試してみてもいいですか」
「え?」
「“礼儀としての告白”ではなく、“本音に近い告白”の台詞を」
彼は、カイルとしての位置に立ち、改めてこちらを見た。
『……リア』
名前を呼ばれただけで、背筋が少し伸びる。
リアは、私でもあり、ミサでもある。
『あんたがここで灯りをともしているって分かってるから、
俺は海に出ていける』
声が、さっきよりもわずかに低く、近く感じた。
『帰ってくる場所があるって、信じられるから』
その瞬間、劇中劇の台詞と、目の前の現実が少しだけ重なった。
レオンにとって、私は「帰ってくる場所」でいられているのだろうか。
教育係であり、弱さを見せられる相手であり――
そして、いつか本当に海の向こうへ(王としての未来へ)旅立つとき、
彼が振り返る灯りのひとつに、私はなれるのか。
「……上出来です、殿下」
私はどうにか笑顔を作って言った。
「今の台詞を、誰かに向けて言うことがあれば、
きっとその人は一生忘れないと思いますよ」
「ミサは、忘れますか」
唐突な問いに、息が止まった。
「……え?」
「今の台詞を、ミサに向けて言ったとしたら。
ミサは忘れてくれますか。
“レッスンの一環だから”と、全部流してしまえますか」
レオンの目が、真っ直ぐに私を射抜いていた。
さっきまで劇中のカイルが持っていたはずの視線が、
いつの間にかレオン自身のものに変わっている。
(やめて。
その境界線を曖昧にされると、一番困るのは私なんだってば)
「殿下」
私は、なるべく穏やかな声で答えた。
「それは――“仮初め”の台詞です」
「仮初め」
「ええ。
今はまだ、“本物の誰か”に向ける前の練習。
だから私は、レッスンのために受け取ります」
それは半分本音で、半分嘘だった。
さっきの台詞は、きっとずっと忘れない。
忘れようとしても、どこかに染み付いてしまった。
でも、それをそのまま抱えてしまったら、
私は“教育係”から完全に踏み出してしまう。
それだけは、まだ早い。
――そう言い聞かせる。
◇◇◇
レッスンの終盤、私はいつも通り、今日のまとめを促した。
「本日の“告白レッスン”を終えて、殿下は何か気づいたことがありますか」
レオンは少し考え、静かに口を開いた。
「……告白は、“好きだ”と言うことだけではないのだと思いました」
「と言いますと?」
「“あなたがいるから”と伝えること。
“あなたのおかげで、ここまで来られた”と、誰かの存在を認めること。
それもまた、ひとつの告白なのだと」
彼の視線が、ふと私の手元のインク瓶に向かう。
あの日にもらった、青いインク。
「だから僕は、いつかきちんと伝えたいと思います。
僕がここまで来られたのは、ミサのおかげだと」
心臓が、どくんと跳ねた。
「それは……“王太子としての礼儀”でしょうか」
どうにか冗談めかして返すと、彼は少しだけ笑った。
「半分はそうかもしれません。
でも、残りの半分は……まだレッスン中です」
その言い方があまりにもずるくて、
思わず視線を逸らしてしまった。
◇◇◇
その夜。
私は自室の机に向かい、いつものレッスン記録とは別に、白紙を一枚取り出した。
“宛先:灯台守の娘へ”
と、最初に書く。
それから、少し考えて、“宛先:十六歳の王太子へ”と書き直した。
“あなたがここまで来られたのは、誰のおかげですか”
“いつか、その答えに私の名前がひとつでも混ざっていたら、少しだけ誇りに思ってもいいですか”
ペン先が、さらさらと紙の上を走る。
これは決して出さない手紙だ。
出した瞬間に、関係が壊れてしまうと分かっている。
でも――前世の私は、一度もこういう手紙を書く相手さえいなかった。
誰かの未来を願って、胸を締めつけられながら言葉を紡ぐ夜なんて、なかった。
「……告白って、相手に渡さなくても、自分に向けるものでもあるのかもね」
呟きながら、私はペンを置いた。
“私は、あなたのことが大切です”
最後の一行だけ、どうしても書けなかった。
でも、胸の中でははっきりと言葉になっている。
――選ばれなかった女だった私にも、
誰かを選びたいと思ってしまう夜がある。
その事実を、今日くらいは責めずに受け入れてもいい。
窓の外には、冬の始まりの冷たい星が瞬いていた。
前世で見上げたコンビニの白い看板よりも、ずっと遠くて、ずっと静かな光。
いつかレオンが、本当に誰かに告白をするとき。
その台詞が今日のレッスンの延長線上にあるのだとしたら――
私はきっと、少しだけ胸を張って、その日を見送れるだろう。
そしてそのとき、自分自身にもそっと告白できたらいい。
――前世で誰にも選ばれなかった私が、
今世では、誰かを本気で好きになれたのだと。
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