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第11話 約束の意味を、まだ知らない
しおりを挟む「殿下の十六歳の誓いの言葉を、あなたに考えてほしいの」
その頼まれごとは、私にとって「この物語の終わり方」を自分で書けと言われたのと、ほとんど同じ意味を持っていた。
◇◇◇
冬至祭とレオンの誕生日祝賀まで、あと十日。
王宮の廊下は松の枝と白い布で飾られ、
暖炉には早くも冬至祭用の薪が積まれ始めていた。
王太子の十六歳は、この国では特別な節目だ。
成人ではないけれど、「未来の王」として世に示される日。
そして――多くの者が期待している「婚約発表の候補日」。
「殿下のお相手は、やはり公爵家のカトリーヌ様が本命なのでしょうね」
「いえ、王妃陛下はアデール様の素朴さもお気に入りだとか」
「どちらにしても、あの教育係殿の出る幕は、ここまでね」
噂話は、相変わらずよく通る廊下で芽を出し、勝手に育つ。
わざと聞こえるように言っているのか、素で声が大きいのかは、もはやどうでもいい。
(そうね。出る幕なんて、最初からもらっていない)
ただ、そう自分に言い聞かせても、
胸の奥にひやりとした風が吹き込むのを止めることはできなかった。
◇◇◇
その日の午前。
王妃陛下から呼び出された私は、
いつものように控えめに謁見の間の隅に立った。
「ミサ」
王妃陛下は、私に向けて穏やかに微笑んだ。
その笑みは優しいが、いつもどおり、宮廷の空気を背負っている。
「あと十日で、レオンの誕生日ね。
当日は、殿下から皆さまに向けて“未来の誓いの言葉”を述べていただこうと思うの」
「誓いの言葉、でございますか」
「ええ。
王太子として、国と民への約束を。
それから、もし必要であれば……王太子妃となる人への、ささやかな言葉も」
心臓が、どくんと跳ねた。
「そこで、あなたにお願いがあるの」
王妃陛下は、当たり前のように続けた。
「レオンは、心根が真っ直ぐすぎて、時に言葉を選ぶのが苦手でしょう?
だから、“約束の言葉”の意味を、あなたから教えてやってほしいの。
恋の劇を通して、“約束”の重さと温かさを」
約束。
恋愛レッスンのテーマとしては、避けて通れないもの。
でも、私にとっては――終わりの合図にも聞こえる言葉だった。
誰かと誰かが約束を交わすとき、
そこに自分の名前が入っていない側の人間は、
静かに舞台から降りるしかない。
「……僭越ながら、その役目、務めさせていただきます」
声がひどく遠くから聞こえた気がしたが、
王妃陛下は満足げに頷いた。
◇◇◇
午後。
私は庭園劇場の隅で、膝にノートを広げていた。
冬の光は弱く、舞台の木々の影が長く伸びている。
今日書いているのは、『約束の指輪と、森を出られない少女』という劇だ。
『森の守り手として生まれた少女リーナは、一生森から出てはいけないと教えられて育った。
ある日、森を訪れた旅人の少年に出会い、
二人は“また会おう”と指切りをする。
しかし、森から出られないリーナは、その約束を守ることができないと気づき――』
(うん、自分で書いておいて胸が痛い)
約束を教える劇なのに、最初から「守れない約束」から始めるのはどうなんだろう。
でも――守れない約束を前にして、
それでも誰かを想うことをやめない心を描けたら。
レオンにとっても、私自身にとっても、意味のある物語になる気がした。
「ミサ」
ふと名を呼ばれて顔を上げると、
ちょうどレオンが劇場の扉をくぐってきたところだった。
「殿下。公務はもうお済みになったのですか?」
「はい。
今日は少し早く終わりましたので、“約束のレッスン”をお願いしに」
自分で「約束のレッスン」と言うあたり、
彼ももう、だいぶこのシリーズに慣れてきたのだと思う。
「ちょうど良かったです。
今、新しい劇を用意していたところです」
私はノートを閉じ、仮のタイトルを口にした。
「『森を出られない少女と、約束の指輪』。
殿下には旅人の少年役をお願いしたいのですが」
「……また、“出て行く側”ですか」
レオンが、少しだけ寂しそうに笑った。
「僕は劇の中で、よくどこかへ旅立ちますね」
「未来に向かって歩く方の役ですからね。
王太子は、基本的に“残される側”になりにくいものです」
そう言ってから、自分の言葉に少しだけ苦くなる。
(残される側の役は、たいていヒロイン――もしくは、その脇役)
私は、どちらなのだろう。
◇◇◇
読み合わせを始める前に、私はいつものように導入を説明した。
「この劇では、“守れない約束”と“それでもしたい約束”の両方を扱います。
恋の物語では、必ずしも約束を守れないこともある。
それでも、“そのとき本気でそう願っていた”ことは、嘘にはならない――
そういうことを、殿下に感じていただけたらと」
「守れない約束、ですか」
レオンは、少し真剣な顔になった。
「僕は、できるだけ約束は守りたいと思っています。
でも、王太子として生きる以上、自分の意思だけではどうにもならない約束もあるかもしれない」
「あら、ずいぶん大人なことを言いますね」
半分冗談のように言うと、
レオンは苦笑しながらも、少しだけ目を伏せた。
「……最近、王と王妃がよく話し合いをしているのを見ます。
僕のことでしょう」
「殿下のことでしょうね」
婚約者の選定。
国と家、血筋と政治。
そこに“恋愛感情”を紛れ込ませる余地は、どれほどあるのだろう。
「だからこそ、教えてほしいんです」
レオンが顔を上げる。
「約束は、どこまでが自分で選べて、どこからが“役目”なのか。
ミサが前世で生きてきた世界の感覚も含めて」
前世の世界。
そこでも、私はたくさんの約束をしてきた。
「この資料、明日までに見ておきます」
「週末、時間があれば飲みに行きましょう」
守れた約束もあれば、
残業や体調不良で守れなかった小さな約束もある。
そして――誰かから「ずっと一緒にいたいね」と言われる約束だけは、一度もなかった。
「分かりました」
私は、胸の奥のざらりとした記憶をひとまず横に置き、
いつもの“先生”の顔を作った。
「では、殿下。
旅人の少年になってみましょうか」
◇◇◇
劇中で、旅人カイル(また似た名前をつけてしまった)は言う。
『森を出て、世界を見てくるよ。
だから――また必ずここに戻ってくる。
そのときまで、灯りを絶やさずにいてくれる?』
森の少女リーナは、
森から出られない運命を知りながらも、こう返す。
『うん。
あたしはここで灯りをともして待ってる。
何年かかっても、何度でも』
私はリーナとして台詞を言いながら、
自分でも嫌になるくらい、ミサとしての感情が重なっていくのを感じていた。
(これは、誰のための劇なんだろう)
レオンのため?
王妃陛下の要望を叶えるため?
それとも――、
二度目の人生でようやく誰かを送り出す準備を始めた、自分自身のため?
『じゃあ、約束の印を残そう』
カイルが、ポケットから小さな指輪を取り出す場面。
レオンは台本どおり、空の指先をそっと私の手の甲の上に乗せた。
そこには何の重みも、金属の冷たさもない。
それなのに、胸の奥にははっきりと温度が残る。
『この指輪を見るたびに、思い出してほしい。
俺が、必ずここに帰ってくるって』
「……殿下」
私は、台本にはない呼びかけをしてしまっていた。
レオンがわずかに目を見開く。
「あら、失礼。
劇中では“カイル”でしたね」
誤魔化すように笑うと、
レオンはほんの少しだけ口元を緩めた。
「いいえ。
今のは、僕として聞きました」
危ない。
また境界線が曖昧になる。
◇◇◇
読み合わせを終え、
私は台本を閉じてレオンの正面に座り直した。
「殿下。
本日のレッスンのまとめとして、ひとつ質問してもよろしいですか」
「もちろん」
「殿下にとって、“守りたい約束”は何でしょう」
レオンは、少しのあいだ黙り込んだ。
冬の光が窓から差し込み、彼の睫毛の影を長く伸ばす。
「……国と民を守ること」
まず出てきたのは、教科書通りの答えだった。
「それから、家族を大事にすること。
王と王妃の期待を裏切らないこと」
彼の声が少し苦くなる。
「でも、それだけじゃありません」
レオンは、ゆっくりと私を見る。
「自分の心からも、目をそらさないこと。
誰かを好きになったとき、その感情を“無かったこと”にしないこと。
たとえそれが、叶わない恋だったとしても」
胸の奥で、何かが音を立ててほどけた気がした。
(ああ、この子はいつの間にか、
前世の私が逃げ続けてきたものに向き合おうとしているんだ)
私は静かに頷いた。
「とても大事な約束だと思います、殿下」
「ミサの前世では、どうでしたか」
鋭いところを突いてくる。
「……そうですね」
私は少しだけ視線を外し、
庭園劇場の天井に吊るされた紙の星飾りを見上げた。
「前世の私は、“誰かを好きになりきる前に諦める”約束を、自分としていた気がします」
「諦める約束」
「ええ。
“どうせ自分なんて選ばれないから、最初から期待しない”って、
心のどこかで何度も自分に言い聞かせていました」
レオンは、ゆっくりと息を吐いた。
「……それは、とても悲しい約束ですね」
「そうですね」
自嘲気味に笑ってから、私は続けた。
「だから今世では、少しだけ違う約束を自分としてみようと思っているんです」
「違う約束?」
「“どうせ選ばれない”と思うのではなくて、
“たとえ選ばれなくても、本気で誰かを好きになれる自分でいる”って」
自分で言いながら、胸の中にじんわりと温かさが広がっていく。
レオンは、どこか安心したように微笑んだ。
「その約束は、守ってほしいです」
「殿下の命令ですか?」
「いいえ。
僕からの……“わがままなお願い”です」
その言い方が、ずるい。
◇◇◇
レッスンの最後に、私はもうひとつだけ提案した。
「殿下。
よろしければ、私とひとつ“約束”をしませんか」
「ミサと?」
「ええ。
殿下の十六歳の誓いに、私も少しだけ関わらせてください」
そう言って、私は手のひらをそっと開いた。
何も乗っていない、小さな手。
「殿下がいつか、“誰かの手を取る”と決めたとき――
その相手を、自分で選ぶ勇気を捨てないと約束してください」
レオンの瞳が、ぐっと真剣になる。
「たとえ周りからの期待や圧力があっても、
最後の一歩だけは、殿下自身の意思で踏み出してほしい。
そうでなければ、殿下の隣に立つ人も、殿下ご自身も、不幸になりますから」
それは、恋の成就を願う約束ではない。
むしろ、私の出番が終わったあとに残る“未来の王”のための約束だ。
レオンは、迷いなく私の手に自分の手を重ねた。
「……約束します」
手のひらに伝わる、温かな重み。
「僕は、自分で選んだ人の手を取りたい。
誰かに押しつけられた“王太子妃”ではなく、
僕が心から大切にしたいと思う人の隣に立ちたい」
「その願いが叶うかどうかは分かりませんよ」
私は、あえて少し意地悪を言った。
「分かっています。
でも、叶うかどうかは別として――
“そう願った自分”から目をそらさないことだけは、約束できます」
手と手が離れるとき、
私の胸の奥にも、小さな何かがしっかり刻み込まれた気がした。
(そうだ。
約束は、結果じゃなくて、その瞬間の本気を刻むものだ)
◇◇◇
その夜。
私は、自室のノートに新しい見出しを書き加えた。
“LESSON 7:約束”
その下に、ゆっくりとペンを走らせる。
“前世の私は、“選ばれない自分”を守るための約束ばかりしていた。
今世の私は、“誰かを大切に思える自分”を守るための約束を、少しだけしてみる。”
インクの青が、ランプの光で静かに揺れる。
――選ばれなかった女の二度目の人生にも、
「誰かと交わしたい約束」が生まれる夜がある。
その約束がいつか守られなくなったとしても、
約束をした自分まで否定しないでいられるように。
私はペンを置き、そっと目を閉じた。
「守れなかった約束に縛られるより、
守りたい約束をひとつでも持っていたい」
そう思えたこと自体が、
前世の私からすれば、奇跡みたいな変化だった。
――たとえ王太子の隣に立つのが私でなくても。
彼が自分で選んだ約束を守ろうとする限り、
その未来を祝福できる自分でありたい。
そんなわがままな願いを、胸の奥でそっと抱きしめながら、
私は静かにランプの火を落とした。
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