前世アラサー独身、異世界では王太子の教育係として「恋愛感情」を教えています

cotonoha garden

文字の大きさ
12 / 44

第12話 仮面舞踏会と、踊れない教育係

しおりを挟む


 「殿下の初舞踏の相手を、あなたにお願いしたいの」
 “誰よりもふさわしい令嬢”ではなく、“恋愛経験ゼロで過労死したアラサー独身の中身”に白羽の矢が立ったと知ったとき、私は笑うしかなかった。

 ◇◇◇

 冬至祭とレオンの十六歳の祝賀まで、あと六日。
 王宮の大広間は昼も夜も使用人たちが出入りし、
 シャンデリアの磨き直しや、床のワックスがけで慌ただしかった。

 今年の冬至祭は、特別だ。
 王太子の十六歳を祝う仮面舞踏会として行われる。

 「仮面舞踏会なんて、前世ではゲームか少女漫画の中だけのイベントだったのに……」

 誰もいない廊下で、私は小さくため息混じりに呟いた。
 残業続きのオフィスに、仮面もドレスも舞踏会も存在しなかった。
 あるのはコンビニおにぎりと、蛍光灯の白い光だけ。

 そんな私が今世では、“王太子の初舞踏レッスン担当”だなんて。
 人生、どこで進路を間違えたのか、もはや分からない。

 ◇◇◇

 王妃陛下に呼ばれて謁見の間へ行くと、
 そこには王と王妃、それから侍従長がいた。

 「来てくれてありがとう、ミサ」

 王妃陛下は、いつものように穏やかに微笑む。

 「冬至祭の舞踏会で、レオンには“王太子としての初めてのダンス”を披露してもらうわ。
  もちろん、本番でのお相手は公爵家や侯爵家の令嬢たちだけれど……」

 そこで、ちらりと私に視線を向ける。

 「最初の一歩を教えるのは、殿下が一番心を許している人がいいと思って。
  あなたなら、変に気負わせずに教えてあげられるでしょう?」

 「……私でよろしいのでしょうか」

 口から自然とそんな言葉が漏れた。

 「わたくしは、その、身分も低く……舞踏の作法も完全とは言えませんし」

 「前世で“社交界デビュー”を逃した分、今世で取り返してちょうだいな」

 王妃陛下は冗談めかして言い、すぐに真面目な声音に戻る。

 「レオンは、あなたの前だからこそ、失敗できるのよ。
  本番で粗相をしないためにも、一度“遠慮なく踏み外せる相手”が必要なの」

 “遠慮なく踏み外せる相手”。

 それは、私にとっては聞き慣れた役目だ。
 前世でも、上司や後輩が失敗した企画の責任を、
 そっと引き受けて帳尻を合わせる役を何度もやってきた。

 「……畏まりました」

 逃げ道は、最初から用意されていない。

 ◇◇◇

 その日の午後、私は庭園劇場ではなく、大広間の片隅にいた。

 まだ飾り付け前の大広間は、広さだけが際立っていて、
 磨き上げられた床が窓からの冬の光を反射している。

 「本日のレッスンは、“距離とリズム”です、殿下」

 そう告げると、レオンは珍しく、ほんの少しだけ緊張したように見えた。

 「舞踏は、剣術と似ていますか?」

 「足運びや体重のかけ方は似ているところもありますけど、
  目的が違いますからね。
  剣は相手と“間合いを取る”ものですが、
  舞踏は“間合いを合わせる”ものです」

 言いながら、胸の奥が妙にそわそわした。

 王太子とのダンスレッスン。
 王宮の片隅とはいえ、万が一誰かに見られたら、
 明日の廊下の空気がどれほどざわざわするか、想像に難くない。

 (まあ、今さら噂ひとつふたつ増えたところで、私の評価はもう変わらないけれど)

 問題は、自分の心臓だ。

 「まずは、位置を確認しましょうか」

 私はスカートの裾を軽くつまみ、レオンの正面に立った。

 「殿下の右手は、こちらの背に。
  左手で、私の右手をお取りください」

 口で説明しながら、自分で自分にツッコミを入れる。

 (“私の右手をお取りください”って何。
  前世の私が聞いたら、爆笑しながら床を転げ回るやつだ)

 レオンは、少しだけためらうようにしてから、
 言われたとおりに手を伸ばしてきた。

 右手が、背中の少し上、肩甲骨のあたりにそっと添えられる。
 布越しでも、体温は十分に伝わってくる。

 左手が、私の右手を包み込む。
 指先が触れるたびに、脈が跳ねるのが分かる。

 「……近くありませんか?」

 レオンが、かすかに眉を寄せた。

 「これが、正しい距離です」

 声がほんの少し掠れたのを、自分でも誤魔化しきれない。

 「舞踏では、“礼儀としての距離”と“親密な距離”の線引きが大切です。
  これ以上近づくと噂の対象になりますし、
  これ以上離れると、“殿下はお相手を拒否しているのかしら”と思われてしまう」

 「難しいものですね」

 「恋のレッスンは、基本的に面倒なものです」

 思わず本音が出てしまい、二人で小さく笑った。

 ◇◇◇

 音楽担当の楽師が、端の方で控えめに弦を鳴らす。
 ゆったりとした三拍子。

 「一歩、二歩、三歩。
  殿下が前へ、私は後ろへ。
  次の拍で、右斜めへ――」

 何度か足を踏まれ、
 何度か私が裾を踏みそうになりながら、
 少しずつ円を描くように回り始める。

 「剣術よりも難しいです」

 不満そうに言うレオンに、私は笑った。

 「剣術は相手を“倒す”ための技術ですが、
  舞踏は相手を“立たせ続ける”ための技術ですから」

 「……それは、ミサがいつもしていることですね」

 「え?」

 「僕が転びそうになるたびに、
  見えないところで支えてくれている」

 そんなことをさらりと言われると、足元がおぼつかなくなる。

 「殿下、今の台詞は“本番で言えば一発で狙われる”類のやつですからね」

 冗談半分に釘を刺すと、
 彼は照れくさそうに笑った。

 ◇◇◇

 何度か曲を変えながら、ステップを繰り返す。

 慣れてくると、レオンの足運びは一気に滑らかになった。
 成長期の少年の身体が、
 自分の重心の置き方を覚え始めているのが分かる。

 「殿下、視線を少し上に。
  相手の顔だけでなく、向こう側の空間を見るように」

 「どうしてですか」

 「相手を見つめ続けると、緊張させてしまいます。
  それに――」

 私は、少しだけ意地悪な笑みを浮かべた。

 「ずっと見つめられていたら、相手は何か期待してしまうでしょう?」

 レオンが、ほんの少しだけ目を見開いた。

 「……ミサは、期待しますか」

 「え?」

 「さっきのように、近い距離で。
  僕にずっと見つめられていたら」

 その問いは、半分は冗談なのだろう。
 でも残りの半分は、真剣さを孕んでいた。

 「私は、教育係ですから」

 どうにかそう返す。

 「期待するより先に、“この子、足を踏み外さないかしら”って心配します」

 「それは……安心していいやら、少し残念やら」

 彼の声が、わずかに拗ねたように響いた。

 ◇◇◇

 レッスンも終盤に差しかかった頃。

 大広間の扉が、かすかに軋む音を立てた。

 見れば、扉の隙間から侍女が一人、
 こちらの様子を覗き見ている。

 目が合うと、彼女は慌てて顔を引っ込めた。
 だが、もう遅い。

 (……あーあ。明日の廊下がうるさくなるやつだ)

 レオンも気づいたらしく、わずかに口元を引き結んだ。

 「噂になるでしょうか」

 「なりますね」

 即答すると、彼は苦笑した。

 「“教育係のくせに分をわきまえない”とか?」

 「そういう類いの言葉は、もう慣れましたから」

 自分で言って、少し胸が痛くなる。

 「それに、殿下が上手に踊れるようになれば、
  本番で“あの教育係、よく教えたわね”って評価も半分くらいは混ざるかもしれませんし」

 「……半分では足りません」

 レオンの声が、少し低くなった。

 「全部、“ミサのおかげだ”と言わせたいです」

 「殿下、それは王太子の権力の使い方として、少し間違っています」

 二人で笑い合いながらステップを続ける。

 でも、笑い声の奥に、
 終わりの足音が静かに近づいてきているのを、私は感じていた。

 ◇◇◇

 レッスンが終わり、
 大広間から出ようとしたとき。

 「ミサ」

 廊下に出る直前で、レオンが私を呼び止めた。

 「冬至祭の夜――仮面舞踏会には、ミサも出てくれますか」

 「私は、陰から様子を見守る役目のつもりでしたが」

 「仮面をつければ、身分はぼやけます」

 レオンは、どこか悪戯っぽい目をした。

 「“学舎の先生”も、“教育係”も関係なくなる。
  ただひとりの女性として、踊ってみませんか」

 心臓が、嫌なリズムで跳ねた。

 「殿下」

 私は、少しだけ厳しめの声で言った。

 「仮面は、何でも隠してくれるわけではありません。
  身分や名前は隠せても、“誰かを見つめる目”までは隠せない」

 前世で、飲み会の席で学んだことだ。
 名札を外しても、肩書を伏せても、
 立ち居振る舞いと視線で、誰が誰に惹かれているかは分かってしまう。

 「……僕の目は、そんなに分かりやすいですか」

 レオンが、少しだけ照れくさそうに笑う。

 「ときどき、ですけれどね」

 私は、ほんの少しだけ柔らかく返した。

 「だからこそ、仮面舞踏会では、
  殿下の目が向かう先を、皆が注目しています」

 カトリーヌか、アデールか。
 それとも、別の誰かか。

 「私は、舞台袖から見守る立場でいたいんです。
  スポットライトの中ではなく、暗がりから」

 それが、自分に敷いた線だった。

 レオンは、しばらく黙って私を見つめていた。

 やがて、小さく息を吐く。

 「……分かりました」

 その声には、諦めと、どこか意地の悪さが混ざっていた。

 「でも一曲だけ、今日のようにレッスンの続きがしたくなったら――
  僕は、舞台袖まで迎えに行くかもしれません」

 「殿下、それは“仮面舞踏会あるある”のフラグというやつですよ」

 「フラグ?」

 「あ、いえ。前世の言葉です。
  “そう言ったら、本当にそうなってしまうかもしれない予告”とでも思ってください」

 二人で小さく笑った。

 でも、心のどこかで、私も知っていた。

 ――もし本当に彼が、仮面をつけたまま私を迎えに来たら。
 私はきっと、その手を振りほどけないだろうということを。

 ◇◇◇

 その夜。

 自室で一人、私は昼間のステップをゆっくりと踏んでみた。
 右足、左足、回転。

 誰もいない部屋の中で、
 見えない誰かに手を取られる感覚だけが、妙に鮮やかだった。

 「前世では、一度も踊らなかったなあ」

 社内パーティーで流れる音楽に合わせて、
 同期が楽しそうに踊っているのを、
 端のテーブルでポテトをつまみながら眺めていた。

 「“仕事が恋人です”なんて、格好つけて笑って。
  本当は、誘われなかっただけなのに」

 あの頃の自分を思い出すと、
 少しだけ胸が痛くて、少しだけ愛おしい。

 今世の私は、たとえ仮のレッスンでも、
 誰かの初めてのダンスの相手になった。
 王太子としての一歩を支える「踏み台」かもしれないけれど。

 それでも――

 「踊れないまま終わるより、ずっといい」

 そう呟いて、私はふっと笑った。

 前世で踊れなかった私と、
 今、見えない相手とステップを踏んでいる私。

 どちらも、確かに自分だ。

 ――たとえ仮面の下でしか踊れなくても。
 誰かの一歩を支えるために、自分も一緒に足を動かせるなら。
 その夜だけは、選ばれなかった女のままでも、少し誇らしく胸を張っていられる気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

魔王城の清掃係ですが、ラスボスに懐かれて世界を磨くことになりました

由香
恋愛
異世界に転移したら、なぜか魔王城の清掃係に就職していました。 巨大な玉座、血のついた回廊、禍々しい装飾品の数々。 今日も黙々と床を磨いていたら―― 「お前の磨いた床は、よく眠れる」 恐怖の象徴と名高い魔王様に懐かれました。 見た目は完全にラスボス。 中身はちょっと不器用で、独占欲強めの努力型。 勇者は帰還の道を示し、魔王は隣を選べと願う。 光と闇のはざまで、選ぶのは――ただの清掃係。 戦争よりも、まず床。 征服よりも、まず対話。 これは、世界最強の存在に溺愛されながら 世界平和を“足元から”始める物語。 甘くて、少し熱くて、ちゃんと選ぶ恋。

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

行き遅れ王女、重すぎる軍団長に肉で釣られる

春月もも
恋愛
25歳、独身、第四王女システィーナ。 夜会でも放置されがちな行き遅れ王女の前に、ある夜突然現れたのは、ローストビーフを差し出す重すぎる第三軍団長だった。 形のない愛は信じない。 でも、出来立ての肉は信じてしまう。 肉に釣られ、距離を詰められ、気づけば下賜され、そして初夜へ。 これは、行き遅れ王女が重たい愛で満たされるまでの、ちょっとおかしなお話。

処理中です...