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第12話 仮面舞踏会と、踊れない教育係
しおりを挟む「殿下の初舞踏の相手を、あなたにお願いしたいの」
“誰よりもふさわしい令嬢”ではなく、“恋愛経験ゼロで過労死したアラサー独身の中身”に白羽の矢が立ったと知ったとき、私は笑うしかなかった。
◇◇◇
冬至祭とレオンの十六歳の祝賀まで、あと六日。
王宮の大広間は昼も夜も使用人たちが出入りし、
シャンデリアの磨き直しや、床のワックスがけで慌ただしかった。
今年の冬至祭は、特別だ。
王太子の十六歳を祝う仮面舞踏会として行われる。
「仮面舞踏会なんて、前世ではゲームか少女漫画の中だけのイベントだったのに……」
誰もいない廊下で、私は小さくため息混じりに呟いた。
残業続きのオフィスに、仮面もドレスも舞踏会も存在しなかった。
あるのはコンビニおにぎりと、蛍光灯の白い光だけ。
そんな私が今世では、“王太子の初舞踏レッスン担当”だなんて。
人生、どこで進路を間違えたのか、もはや分からない。
◇◇◇
王妃陛下に呼ばれて謁見の間へ行くと、
そこには王と王妃、それから侍従長がいた。
「来てくれてありがとう、ミサ」
王妃陛下は、いつものように穏やかに微笑む。
「冬至祭の舞踏会で、レオンには“王太子としての初めてのダンス”を披露してもらうわ。
もちろん、本番でのお相手は公爵家や侯爵家の令嬢たちだけれど……」
そこで、ちらりと私に視線を向ける。
「最初の一歩を教えるのは、殿下が一番心を許している人がいいと思って。
あなたなら、変に気負わせずに教えてあげられるでしょう?」
「……私でよろしいのでしょうか」
口から自然とそんな言葉が漏れた。
「わたくしは、その、身分も低く……舞踏の作法も完全とは言えませんし」
「前世で“社交界デビュー”を逃した分、今世で取り返してちょうだいな」
王妃陛下は冗談めかして言い、すぐに真面目な声音に戻る。
「レオンは、あなたの前だからこそ、失敗できるのよ。
本番で粗相をしないためにも、一度“遠慮なく踏み外せる相手”が必要なの」
“遠慮なく踏み外せる相手”。
それは、私にとっては聞き慣れた役目だ。
前世でも、上司や後輩が失敗した企画の責任を、
そっと引き受けて帳尻を合わせる役を何度もやってきた。
「……畏まりました」
逃げ道は、最初から用意されていない。
◇◇◇
その日の午後、私は庭園劇場ではなく、大広間の片隅にいた。
まだ飾り付け前の大広間は、広さだけが際立っていて、
磨き上げられた床が窓からの冬の光を反射している。
「本日のレッスンは、“距離とリズム”です、殿下」
そう告げると、レオンは珍しく、ほんの少しだけ緊張したように見えた。
「舞踏は、剣術と似ていますか?」
「足運びや体重のかけ方は似ているところもありますけど、
目的が違いますからね。
剣は相手と“間合いを取る”ものですが、
舞踏は“間合いを合わせる”ものです」
言いながら、胸の奥が妙にそわそわした。
王太子とのダンスレッスン。
王宮の片隅とはいえ、万が一誰かに見られたら、
明日の廊下の空気がどれほどざわざわするか、想像に難くない。
(まあ、今さら噂ひとつふたつ増えたところで、私の評価はもう変わらないけれど)
問題は、自分の心臓だ。
「まずは、位置を確認しましょうか」
私はスカートの裾を軽くつまみ、レオンの正面に立った。
「殿下の右手は、こちらの背に。
左手で、私の右手をお取りください」
口で説明しながら、自分で自分にツッコミを入れる。
(“私の右手をお取りください”って何。
前世の私が聞いたら、爆笑しながら床を転げ回るやつだ)
レオンは、少しだけためらうようにしてから、
言われたとおりに手を伸ばしてきた。
右手が、背中の少し上、肩甲骨のあたりにそっと添えられる。
布越しでも、体温は十分に伝わってくる。
左手が、私の右手を包み込む。
指先が触れるたびに、脈が跳ねるのが分かる。
「……近くありませんか?」
レオンが、かすかに眉を寄せた。
「これが、正しい距離です」
声がほんの少し掠れたのを、自分でも誤魔化しきれない。
「舞踏では、“礼儀としての距離”と“親密な距離”の線引きが大切です。
これ以上近づくと噂の対象になりますし、
これ以上離れると、“殿下はお相手を拒否しているのかしら”と思われてしまう」
「難しいものですね」
「恋のレッスンは、基本的に面倒なものです」
思わず本音が出てしまい、二人で小さく笑った。
◇◇◇
音楽担当の楽師が、端の方で控えめに弦を鳴らす。
ゆったりとした三拍子。
「一歩、二歩、三歩。
殿下が前へ、私は後ろへ。
次の拍で、右斜めへ――」
何度か足を踏まれ、
何度か私が裾を踏みそうになりながら、
少しずつ円を描くように回り始める。
「剣術よりも難しいです」
不満そうに言うレオンに、私は笑った。
「剣術は相手を“倒す”ための技術ですが、
舞踏は相手を“立たせ続ける”ための技術ですから」
「……それは、ミサがいつもしていることですね」
「え?」
「僕が転びそうになるたびに、
見えないところで支えてくれている」
そんなことをさらりと言われると、足元がおぼつかなくなる。
「殿下、今の台詞は“本番で言えば一発で狙われる”類のやつですからね」
冗談半分に釘を刺すと、
彼は照れくさそうに笑った。
◇◇◇
何度か曲を変えながら、ステップを繰り返す。
慣れてくると、レオンの足運びは一気に滑らかになった。
成長期の少年の身体が、
自分の重心の置き方を覚え始めているのが分かる。
「殿下、視線を少し上に。
相手の顔だけでなく、向こう側の空間を見るように」
「どうしてですか」
「相手を見つめ続けると、緊張させてしまいます。
それに――」
私は、少しだけ意地悪な笑みを浮かべた。
「ずっと見つめられていたら、相手は何か期待してしまうでしょう?」
レオンが、ほんの少しだけ目を見開いた。
「……ミサは、期待しますか」
「え?」
「さっきのように、近い距離で。
僕にずっと見つめられていたら」
その問いは、半分は冗談なのだろう。
でも残りの半分は、真剣さを孕んでいた。
「私は、教育係ですから」
どうにかそう返す。
「期待するより先に、“この子、足を踏み外さないかしら”って心配します」
「それは……安心していいやら、少し残念やら」
彼の声が、わずかに拗ねたように響いた。
◇◇◇
レッスンも終盤に差しかかった頃。
大広間の扉が、かすかに軋む音を立てた。
見れば、扉の隙間から侍女が一人、
こちらの様子を覗き見ている。
目が合うと、彼女は慌てて顔を引っ込めた。
だが、もう遅い。
(……あーあ。明日の廊下がうるさくなるやつだ)
レオンも気づいたらしく、わずかに口元を引き結んだ。
「噂になるでしょうか」
「なりますね」
即答すると、彼は苦笑した。
「“教育係のくせに分をわきまえない”とか?」
「そういう類いの言葉は、もう慣れましたから」
自分で言って、少し胸が痛くなる。
「それに、殿下が上手に踊れるようになれば、
本番で“あの教育係、よく教えたわね”って評価も半分くらいは混ざるかもしれませんし」
「……半分では足りません」
レオンの声が、少し低くなった。
「全部、“ミサのおかげだ”と言わせたいです」
「殿下、それは王太子の権力の使い方として、少し間違っています」
二人で笑い合いながらステップを続ける。
でも、笑い声の奥に、
終わりの足音が静かに近づいてきているのを、私は感じていた。
◇◇◇
レッスンが終わり、
大広間から出ようとしたとき。
「ミサ」
廊下に出る直前で、レオンが私を呼び止めた。
「冬至祭の夜――仮面舞踏会には、ミサも出てくれますか」
「私は、陰から様子を見守る役目のつもりでしたが」
「仮面をつければ、身分はぼやけます」
レオンは、どこか悪戯っぽい目をした。
「“学舎の先生”も、“教育係”も関係なくなる。
ただひとりの女性として、踊ってみませんか」
心臓が、嫌なリズムで跳ねた。
「殿下」
私は、少しだけ厳しめの声で言った。
「仮面は、何でも隠してくれるわけではありません。
身分や名前は隠せても、“誰かを見つめる目”までは隠せない」
前世で、飲み会の席で学んだことだ。
名札を外しても、肩書を伏せても、
立ち居振る舞いと視線で、誰が誰に惹かれているかは分かってしまう。
「……僕の目は、そんなに分かりやすいですか」
レオンが、少しだけ照れくさそうに笑う。
「ときどき、ですけれどね」
私は、ほんの少しだけ柔らかく返した。
「だからこそ、仮面舞踏会では、
殿下の目が向かう先を、皆が注目しています」
カトリーヌか、アデールか。
それとも、別の誰かか。
「私は、舞台袖から見守る立場でいたいんです。
スポットライトの中ではなく、暗がりから」
それが、自分に敷いた線だった。
レオンは、しばらく黙って私を見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……分かりました」
その声には、諦めと、どこか意地の悪さが混ざっていた。
「でも一曲だけ、今日のようにレッスンの続きがしたくなったら――
僕は、舞台袖まで迎えに行くかもしれません」
「殿下、それは“仮面舞踏会あるある”のフラグというやつですよ」
「フラグ?」
「あ、いえ。前世の言葉です。
“そう言ったら、本当にそうなってしまうかもしれない予告”とでも思ってください」
二人で小さく笑った。
でも、心のどこかで、私も知っていた。
――もし本当に彼が、仮面をつけたまま私を迎えに来たら。
私はきっと、その手を振りほどけないだろうということを。
◇◇◇
その夜。
自室で一人、私は昼間のステップをゆっくりと踏んでみた。
右足、左足、回転。
誰もいない部屋の中で、
見えない誰かに手を取られる感覚だけが、妙に鮮やかだった。
「前世では、一度も踊らなかったなあ」
社内パーティーで流れる音楽に合わせて、
同期が楽しそうに踊っているのを、
端のテーブルでポテトをつまみながら眺めていた。
「“仕事が恋人です”なんて、格好つけて笑って。
本当は、誘われなかっただけなのに」
あの頃の自分を思い出すと、
少しだけ胸が痛くて、少しだけ愛おしい。
今世の私は、たとえ仮のレッスンでも、
誰かの初めてのダンスの相手になった。
王太子としての一歩を支える「踏み台」かもしれないけれど。
それでも――
「踊れないまま終わるより、ずっといい」
そう呟いて、私はふっと笑った。
前世で踊れなかった私と、
今、見えない相手とステップを踏んでいる私。
どちらも、確かに自分だ。
――たとえ仮面の下でしか踊れなくても。
誰かの一歩を支えるために、自分も一緒に足を動かせるなら。
その夜だけは、選ばれなかった女のままでも、少し誇らしく胸を張っていられる気がした。
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