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第13話 仮面の下でしか言えないこと
しおりを挟む「仮面をつければ、誰を好きになっても許される」
そんな都合のいい魔法がないことくらい、前世で散々現実を見てきた私は、とっくに知っていた。
◇◇◇
冬至祭と祝賀の日まで、あと四日。
王宮全体が、そわそわと落ち着かない空気に包まれていた。
大広間は昼も夜も職人たちでいっぱいで、仮面舞踏会用の装飾が次々と運び込まれていく。
白と銀を基調とした布、天井から吊るされる星型のランタン、
壁際には仮面を並べた卓がずらり。
「……完全に、前世の世界とは別ゲームだよね」
ほんの数年前まで、蛍光灯の下でコンビニおにぎりをかじっていた黒歴史が、
遠い惑星くらいの距離に感じられた。
そんな中、私はというと――
「ミサ様、こちらの仮面の台本案、王妃陛下からお預かりしました」
侍女に渡された封筒を開く。
中には、慣れた筆跡で書かれた一枚の紙が入っていた。
『ミサへ。
仮面舞踏会の始まりに、短い“仮面劇”を行いたいと思います。
仮面と素顔、本音と建前をテーマにしたものを、
レオンの恋愛レッスンも兼ねて、あなたの手で形にしてちょうだい。
王妃エリザより』
「……王妃陛下、レッスンを完全にイベントに組み込んできたなあ」
思わず額を押さえる。
(まあ、ここまできたら、やるしかないけど)
◇◇◇
午後、庭園劇場。
冬の空気はきりりと冷たいが、日差しは優しく、
仮面劇の稽古をするにはちょうどいい。
「本日のテーマは、“仮面と本音”です、殿下」
いつものように宣言すると、レオンは少しだけ目を瞬かせた。
「仮面と、本音」
「ええ。
仮面舞踏会では、皆が顔を隠します。
でも、“隠したいもの”と“隠せないもの”の境目を知らないと、
無自覚に心のうちを晒してしまいますから」
「たとえば?」
「たとえば……」
私は、仮面を一枚手に取ってみせた。
半分だけ顔を覆う、シンプルな白い仮面。
「仮面で隠せるのは、素顔と表情です。
でも、視線の向かう先、声の震え、立ち方、距離感――
そういうものは、案外隠せません」
「ふむ」
レオンは興味深そうに仮面を手に取った。
「つまり、仮面は“何もかも自由になる魔法”ではなく、
むしろ“不自由が浮き彫りになる道具”でもあると」
「さすが殿下、飲み込みが早いですね」
うっかり感心してしまい、
自分が教えていることを忘れそうになる。
「今日は短い仮面劇を用意しました。
タイトルは――『仮面の王子と、本音しか言えない道化』です」
「道化」
レオンが小さく笑った。
「ミサがやる役のようですね」
「鋭いですね。
殿下には、仮面の王子役を。
私は、どんな場でも真実しか言えない道化の役をやります」
(前世からずっと、空気を読みつつも心のツッコミだけは止められない道化ではあったけれど)
◇◇◇
仮面劇の台本は、こうだ。
『仮面の王子は、誰の前でも完璧な笑顔と礼儀を見せる。
だが、本当は誰にも本音を言えず、
自分が何を望んでいるのかさえ分からなくなっていた。
そこに現れたのは、“嘘がつけない道化”。
道化は仮面を持たず、
どんな場所でも思ったことを言葉にしてしまう。
王子は、道化に問う。
「仮面も持たずに、怖くはないのか」と。
道化は答える。
「怖いですよ。でも、仮面をつけたまま本気で誰かを好きになる方が、もっと怖いです」と――』
自分で書いておいて、
最後の台詞を書きながら手が止まりかけたのは内緒だ。
「では、読み合わせをしてみましょう」
私は王子用の仮面をレオンに渡し、
自分は色鮮やかな道化帽を被った。
「……似合っています」
レオンが思わず漏らした。
「どっちがですか? 仮面の王子と、道化と」
「両方、です」
さらりと言うその調子が、
また私の心臓に余計な負荷をかけてくる。
◇◇◇
『王子様は、今日も仮面。
笑って、黙って、首を縦に振るだけ』
私は道化として、少し大げさな身振りで台詞を言う。
『道化はどうして笑っていられる?』
レオンの声は、仮面越しに少しこもって聞こえた。
『怖くないのか。
素顔をさらして、何もかも見透かされるのが』
『怖いですよ?』
私は肩をすくめる。
『でも、仮面をつけたまま誰かの手を取ったら、
きっとその人は“仮面の王子様”を好きになってしまうでしょう?
本当の顔を知らないまま』
『それのどこが悪い?
仮面も王子も、どちらも私だ』
『でも、王子様の本当の好きなものも、
嫌いなものも、怖いものも、
仮面の内側に隠したままじゃ、
どこまで行っても“正解の王子様”との恋になってしまう』
言いながら、自分の口から出る言葉が、
どこか自分に刺さっているのを感じていた。
(私だって同じだ。
教育係という仮面のまま、
レオンの隣に立とうとしている)
『じゃあ、道化はどうする?』
レオンの声が少しだけ低くなった。
『素顔のままで、誰かに嫌われるかもしれないのに』
『それでも、素顔のままで好きになってもらえたら――』
私は、台本にはなかった一文を滑り込ませた。
『きっと、仮面の下で選ばれないより、ずっと救われると思うんです』
自分で言ってしまってから、
しまった、と思う。
レオンが、仮面の奥でじっと私を見ていた。
「……今の台詞、台本にありましたか?」
「アドリブです」
正直に答えると、
彼は少しだけ息を呑んだ気配を見せた。
「ミサは、素顔のまま好きになってもらいたいですか」
「誰だって、そうだと思いますよ」
「でもミサは、いつも“教育係の仮面”をつけています」
図星を突かれ、言葉に詰まった。
「それは……」
「僕は、仮面越しではなく、
ミサの素顔を見たいと思っても、いけませんか」
仮面の切れ込みから覗く瞳が、
いつもより近く、熱く感じられた。
(いけないに決まってる。
だってそれは、教育係としてのラインを完全に踏み越えるから)
「……殿下」
私は、どうにか笑みを作った。
「素顔を見せるのは、本番まで取っておきましょう」
「本番?」
「仮面舞踏会、ですよ。
殿下が王太子として、“誰の手を取るのか”を世界に見せる、その日です」
彼の表情が、ほんの少し曇る。
「その日までに、殿下が“どの仮面を選ぶか”を学べるように、
仮面劇を仕上げましょう」
話をずらしたのは分かっていた。
でも今は、それ以上踏み込めない。
◇◇◇
稽古のあと、大広間の仮面の卓に案内された。
「こちらが、舞踏会で使用していただく仮面の候補でございます」
侍従が丁寧に説明する。
王太子専用の仮面はすでに王家の紋章入りで用意されていて、
その隣には、令嬢たちのための華やかな仮面がずらりと並んでいた。
「……私は、どれを手伝えばいいんでしょう」
思わずこぼれる本音。
侍従は、少し迷うようにしてから、
卓の端に置かれたシンプルな仮面を指した。
「教育係殿には、こちらをお使いいただければと」
それは、装飾もほとんどない、
白に近い淡いグレーの仮面だった。
「地味ですね」
「控えめなお立場でいらっしゃいますので」
苦笑いしか出てこない。
「……仮面の色にまで“立場”が出るのね」
でも、不思議と嫌ではなかった。
派手な羽根や宝石で飾られた仮面より、
何の飾りもないこの仮面の方が、
今の自分にはしっくりくる気がした。
(どうせ私は、スポットライトには立たない)
それでも――
暗がりから見守る役を選ぶのは、
前世の「会議室の隅っこでプロジェクター係をやっていた私」と
どこか重なって、少しだけ笑えてしまった。
◇◇◇
夜、自室。
私はランプの前で、あの淡いグレーの仮面をそっと顔に当ててみた。
鏡に映るのは、
目元だけがくっきりと強調された自分の顔。
口元と頬は隠れているのに、
なぜか目だけは前よりも正直に見えた。
「……これで本番に出たら、誰も気づかない、かな」
王太子の教育係が、
ひとりの無名の女性として仮面の中に紛れ込んでいても。
「それでも、いいかもしれない」
ぽつりと呟く。
前世の私は、
素顔のまま、誰にも気づかれずに通り過ぎていく人だった。
今世の私は、
仮面をつけなければ“教育係”としての顔で見られ、
仮面をつければ“ただの一人の女”として紛れ込める。
どちらが幸せかなんて、まだ分からない。
でも――
「仮面の下に、本音を育てられるなら」
鏡越しに、自分の目をまっすぐ見返す。
「前世で、素顔のまま諦め続けた私よりは、
ほんの少しだけ、ましな生き方ができているのかもしれない」
仮面を外すと、
頬に残った跡がじんわりと熱かった。
――仮面は、本音を隠すためだけのものじゃない。
まだうまく言えない気持ちを、
そっと育てておくための、温室みたいな役割もしてくれる。
そう思えた瞬間、
仮面越しに見た自分の目が、
前より少しだけ、未来を信じているように見えた。
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