前世アラサー独身、異世界では王太子の教育係として「恋愛感情」を教えています

cotonoha garden

文字の大きさ
14 / 44

第14話 花嫁候補たちと、席のない教育係

しおりを挟む


 あの祝賀の夜、王太子殿下のそばには「花嫁候補」の席が用意されている。
 その配置図のどこにも、教育係ミサ・ハルヴィアの名前はなかった。

 ◇◇◇

 冬至祭とレオンの十六歳の祝賀まで、あと三日。

 王宮の執務室の一角では、侍従長と書記官たちが巨大な羊皮紙を広げていた。
 そこには、大広間の席順と動線がびっしりと書き込まれている。

 「王太子殿下の右側最前列には、公爵家令嬢カトリーヌ様」
 「左側には侯爵家令嬢アデール様」
「後列には伯爵家・子爵家の令嬢方を順に……」

 私は、資料を届けに来ただけのはずだった。
 けれど、広げられた席次表の端に、どうしても目が吸い寄せられてしまう。

 王族席、貴賓席、花嫁候補たちの名。
 そのどこにも、「ミサ・ハルヴィア」の文字はない。

 (当たり前よね。私は客じゃない)

 私は、祝賀の「景色」を整える側の人間だ。
 布の色を選び、仮面劇の台詞を書き、
 王太子の言葉と振る舞いを裏から調整する。

 ――でも、景色の中には入らない。

 前世でもそうだった。
 会社のパーティーで、配置図を作る側にいたことはあっても、
 「ここに座ってください」と名前を置かれたことは、ほとんどなかった。

 「ミサ様、助かります。王妃陛下がお待ちですよ」

 侍従に声をかけられ、私は慌てて資料を渡した。

 「失礼いたします」

 席次表から目を離した瞬間、
 胸の奥に、じわりと冷たいものが広がる。

 ――私には、やっぱり“席”がないんだな。

 そんな、子どもじみた感想が頭をよぎった。

 ◇◇◇

 王妃の私室に通されると、
 エリザ王妃は小さな丸テーブルで茶の準備をしていた。

 「お待たせいたしました、王妃陛下」

 「来てくれてありがとう、ミサ。
  ちょうど今、あなたにお願いしたいことができたの」

 嫌な予感のする台詞だった。

 「明後日、花嫁候補の令嬢たちを集めて、小さなお茶会を開くわ。
  その場で、“殿下との振る舞い方”の簡単なレッスンをしてほしいの」

 「私が、でございますか?」

 「ええ。
  貴族の作法は侍女たちが教えられるけれど、
  “恋の距離感”は、あなたの方がずっと上手に伝えられるでしょう?」

 恋の距離感。

 前世で恋愛経験ゼロで過労死したアラサー独身に、
 なんて無茶振りをしてくれるのだろう。

 「……僭越ながら、その役目、務めさせていただきます」

 結局、口から出たのはそれだけだった。

 王妃陛下は満足そうに頷き、
 ひとつだけ、真剣な目を向けてきた。

 「ミサ。
  このお茶会は、花嫁候補同士を比べる場ではなく、
  “レオンの隣に立つ覚悟があるかどうか”を確かめる場でもあるの。
  もし彼女たちが無理をしているようなら、そっと気づかせてあげてちょうだい」

 「……はい」

 その言葉に、少しだけ胸がざわついた。

 (私は、“隣に立つ覚悟”なんて考えたこともなかったのに)

 ◇◇◇

 翌日。

 王妃主催の小さなお茶会は、南棟の冬庭で開かれた。
 雪除けのガラス越しに柔らかな光が差し込み、
 白い椅子とテーブルが並べられている。

 集まったのは、カトリーヌ、アデール、それから数名の若い令嬢たち。
 皆、緊張で背筋を張りつめさせている。

 「本日はお集まりいただきありがとうございます。
  王太子殿下の教育係、ミサ・ハルヴィアと申します」

 自己紹介をすると、
 カトリーヌが真っ先に丁寧な会釈をしてきた。

 「いつも殿下がお世話になっております、ミサ様。
  以前から、お話を伺ってみたいと思っておりましたの」

 完璧な笑顔と、完璧な言葉。
 さすが公爵家令嬢といったところだ。

 一方、アデールは少し遅れて、
 おずおずとした様子でカップを手にしていた。

 「わ、私……踊りもお話もあまり得意ではなくて。
  でも、殿下のお役に立ちたい気持ちは……その……」

 声がしぼんでいく。

 (ああ、この子は“自分の席”をまだ信じ切れていないんだ)

 思わず前世の自分を重ねてしまった。

 「今日は、作法の細かいところよりも、
  “どこを見て、どう聞いて、どう笑えばいいか”のお話をしましょう」

 私は、持参した薄い冊子を広げた。

 表紙には、『三つの視線の物語』と書かれている。
 半分は座学、半分は劇中劇にするつもりで昨夜書き上げたばかりの台本だ。

 「“三つの視線”?」

 カトリーヌが興味深そうに首を傾げる。

 「ええ。
  ひとつは、“誰かを見つめる目”。
  ひとつは、“自分を守る目”。
  そしてもうひとつは、“自分自身を見る目”。

  仮面舞踏会では、この三つの視線のバランスがとても大事になります」

 ◇◇◇

 劇の内容は、簡単なものだった。

 『仮面の城で開かれる舞踏会。
  そこに招かれた三人の娘――
  いつも誰かの視線を追いかけてばかりの少女、
  誰にも嫌われまいと自分の表情ばかり気にする少女、
  そして、人の輪の外から眺めてばかりいた少女。

  一晩の舞踏会を経て、
  彼女たちは「自分自身を見つめる目」を手に入れていく――』

 「一番最後の少女は、“輪の外組”ですね」

 アデールが苦笑混じりに言った。

 「人の輪の外から眺めるのは、少し安心ですけれど……
  いつまでもそこにいると、“自分には席がない”って思い込んでしまう気がして」

 その言葉が、私の胸に鋭く刺さる。

 (そう。前世の私が、まさにそれだったから)

 「輪の外から見ている人間は、
  全体がよく見える代わりに“自分の場所”がぼやけてしまいます」

 私は静かに頷いた。

 「でも、誰かが輪の外から全体を見ているからこそ、
  転びそうな人に手を伸ばせることもある。
  それも立派な“席”のひとつです」

 カトリーヌが、じっと私を見つめていた。

 「ミサ様は、自分の席をそうやって作ってこられたのですね」

 「……そうかもしれません」

 前世では、コピー機の横や会議室の隅っこが、
 私の「席」だった。

 今世では、王太子の少し後ろ、
 カーテンの影や舞台袖が私の定位置だ。

 それでも――前よりは、ずっと悪くない。

 ◇◇◇

 簡単な読み合わせと、姿勢や笑い方のレッスンをひと通り終えたあと。

 お茶会が散会になりかけたところで、
 カトリーヌがそっと近づいてきた。

 「ミサ様。少し、お時間をいただけるかしら」

 冬庭の片隅、人目の少ない場所で足を止める。

 「不躾なことを伺うかもしれませんが……」

 カトリーヌは、グラスの縁を指でなぞりながら言った。

 「殿下は、どのような女性をお好みなのでしょう?」

 (出た。恋愛レッスン恒例の“好みのタイプ”質問)

 心の中で苦笑しつつも、私は正直に答えた。

 「殿下は、“自分の言葉を持っている人”がお好きなのだと思います」

 「自分の、言葉」

 「ええ。
  周りの期待や役目を踏まえた上で、
  “それでも私はこうしたい”と、自分の足で立とうとする人。

  殿下ご自身がそうなろうとしている方ですから、
  きっと隣にも同じような方を求められるでしょう」

 カトリーヌは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。

 「……難しいわね」

 「難しい、ですか?」

 「私の家は、“王家の盾”と言われ続けてきた名門です。
  幼い頃から、“王太子妃としてふさわしい令嬢であれ”と言われてきました。

  そういう中で育つと……
  “私自身はどうしたいか”よりも、
  “家が望む私”の方を優先する癖がついてしまって」

 その言葉には、
 完璧な令嬢の仮面の下にある疲れが、にじんでいた。

 「だからこそ、今日はあなたのお話を聞けてよかったわ。
  “私自身の視線”を、少しは持ってもいいのだと分かったから」

 カトリーヌの瞳が、ふっと柔らかくなる。

 「ミサ様。
  あなたは殿下にとって……どういう存在なのかしら」

 今度の問いは、真っ直ぐだった。

 私は、少しだけ息を呑む。

 「殿下にとって、私は“教育係”です」

 それは、半分本音。

 「恋のレッスンであれ、公務のレッスンであれ、
  殿下が“自分で選ぶための言葉”を手に入れるお手伝いをする役目だと、
  自分では思っています」

 「それは、恋の相手ではない、ということ?」

 カトリーヌの声には、責める色はなく、
 ただ事実を確認するような静けさがあった。

 私は、少しだけ笑ってみせた。

 「殿下の未来の隣は、きっと……
  今、ここにいらっしゃる誰かが座る場所でしょう」

 自分で言って、
 胸の奥がきゅうっと縮む。

 「私は、その席に座る人が“後悔しないように”、
  舞台袖から灯りを調整する係です」

 カトリーヌは、じっと私を見つめた。

 やがて、小さく息を吐く。

 「……その役目を背負っている人に、
  簡単に嫉妬したり、敵意を向けたりするのは、
  少し失礼だったかもしれないわね」

 「敵意、なんて」

 「ええ、私の中に、少しだけあったの」

 カトリーヌは正直に言った。

 「殿下がよくお名前を出されるから。
  “ミサが”“ミサならどう言うだろう”って。

  でも今は分かるわ。
  彼に“選ぶための言葉”を与えた人に、
  私はきっと、一生頭が上がらない」

 それは、花嫁候補の口から出るには、あまりにも真っ直ぐすぎる感謝の言葉だった。

 胸の奥が、じんわりと温かくなる。

 (選ばれる席に座る人から、
  選ばれない場所にいる自分がそう言ってもらえる日が来るなんて)

 前世の自分が聞いたら、きっと信じないだろう。

 ◇◇◇

 お茶会が終わったあと。

 自室に戻った私は、今日の出来事をノートに書き留めた。

 “LESSON 8:視線”

 その下に、筆を走らせる。

 “前世の私は、いつも誰かの輪の外から眺めていた。
  席が用意されていない場所に立ちながら、
  “自分には居場所がない”と決めつけていた。

  今世の私は、輪の外から灯りを見て、
  誰かの足元を照らす役を選んだ。

  その選び方は、きっと間違いばかりではない。”

 ペン先が少し震えたが、
 文字は思ったより素直に紙の上に残ってくれた。

 窓の外では、冬至祭の飾りつけが進んでいる。
 誰かが笑い、誰かが期待し、誰かが不安に息を潜めている夜。

 ――私に席が用意されていない大広間でも。
  舞台袖から見る景色は、きっと悪くない。

 前世で、コピー機の横で冷めたコーヒーを飲んでいた夜より、
 今の「席のない場所」の方が、少しだけ暖かいと思えた。

 いつかこの物語が終わるとき、
 レオンの隣に誰が座っていても。

 「あなたの言葉を選ぶのを手伝ったのは私よ」と、
 心の中でだけ、静かに胸を張れたら――

 それはきっと、
 選ばれなかった女なりの、ささやかな誇りになるのだろう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

魔王城の清掃係ですが、ラスボスに懐かれて世界を磨くことになりました

由香
恋愛
異世界に転移したら、なぜか魔王城の清掃係に就職していました。 巨大な玉座、血のついた回廊、禍々しい装飾品の数々。 今日も黙々と床を磨いていたら―― 「お前の磨いた床は、よく眠れる」 恐怖の象徴と名高い魔王様に懐かれました。 見た目は完全にラスボス。 中身はちょっと不器用で、独占欲強めの努力型。 勇者は帰還の道を示し、魔王は隣を選べと願う。 光と闇のはざまで、選ぶのは――ただの清掃係。 戦争よりも、まず床。 征服よりも、まず対話。 これは、世界最強の存在に溺愛されながら 世界平和を“足元から”始める物語。 甘くて、少し熱くて、ちゃんと選ぶ恋。

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

処理中です...