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第24話 別れの台本なんて書きたくない
しおりを挟む「『別れの台本』を書いてください」と頼まれたとき、心のどこかで聞こえないふりをした。
終わりに備えるレッスンほど、書く側の心を一番すり減らすことを、私はもう知っていたからだ。
◇◇◇
王妃陛下の私室に呼ばれたのは、まだ朝の光が柔らかい時間だった。
「ミサ、座って」
促されるままソファに腰掛けると、
テーブルの上に一通の招待状が置かれているのが見えた。
「これは……?」
「今年の“春季祝典”の案内よ」
王妃陛下は、軽く封を撫でながら言った。
「毎年、王太子が何かしら“成長の証”を見せる場になっているのは知っているわね」
「はい。
去年は外交の演説の一部をお任せになっていました」
「ええ。今年は、少しだけ趣向を変えたいの」
王妃陛下の視線が、まっすぐこちらに向く。
「“別れ”と“旅立ち”を題材にした短い劇を上演したいのよ。
子ども時代から青年期への橋渡しとして」
(……嫌な予感しかしない)
「そこで、あなたにお願いがあるの」
(ですよね)
心の中でだけ頭を抱える。
「殿下の“終幕のレッスン”としても、
ちょうどよい題材だと思っているの」
終幕のレッスン。
昨日、レオンと約束したばかりの言葉。
「……どのような“別れ”をお望みでしょうか」
逃げ道がないと悟って、
私は観念して尋ねた。
王妃陛下は、少しだけ考える素振りを見せてから答えた。
「“師と弟子の別れ”がいいと思うわ」
心臓が、どくんと大きく跳ねた。
「……師と、弟子」
「学舎を巣立つ少年と、
彼を見送る教師。
物語としては定番だけれど、
レオンにとっては、とても現実に近い題材でしょう?」
(そうでしょうね。私にとっても、ですけど)
「ミサ」
王妃陛下の声が、少しだけ柔らかくなる。
「あなたがこれから歩いていく道の“始まり”としても、
この台本はきっと意味を持つわ」
「私の、道の……」
「王立学舎の講師に立つあなたが、
いつか教え子たちを見送る日が来る。
そのときの自分の姿を、
先に物語にしておきなさい」
逃げ道どころか、
後ろからそっと背中を押されているような言い方だった。
「……承りました」
私が頭を下げると、
王妃陛下はほっとしたように微笑んだ。
「ありがとう。
レオンには、今日の午後のレッスンで話してあげて」
◇◇◇
午後。
学舎の教室で、
レオンはいつもより早く席についていた。
「今日はどんなLESSONですか?」
期待半分、不安半分といった顔。
「“別れ”です」
私は黒板に、そう大きく書いた。
「昨日言っていた“終幕のレッスン”の、第一歩ですね」
「……とうとう来ましたか」
レオンが、少しだけ肩をすくめる。
「春季祝典で上演する劇を、殿下と一緒に作ることになりました。
題材は“師と弟子の別れ”です」
「師と、弟子」
王と同じように、
彼もその言葉を反芻した。
「学舎を巣立つ少年と、
それを見送る教師。
殿下には、その少年の役を演じていただきます」
「では、その教師役は?」
「……まだ決めていません」
台本を書きながら、
自分がその役を演じる未来を想像してしまいそうで、怖かった。
「ミサが、ではないんですか?」
レオンの問いは、あまりにも自然だった。
「私では――いけない理由があります」
「いけない?」
「“終幕のレッスン”は、
舞台の上ではなく、
現実の私たち自身で受けるものです」
私は、自分の手帳を軽く叩いた。
「台本の中で師と弟子が別れてしまったら、
その物語に私自身が引きずられてしまいそうで」
「……ミサが?」
「はい」
珍しく、自分の弱さをそのまま口にした。
「だから私は今回は、
舞台の上ではなく“客席側”に立とうと思っています。
台本を書き、演出を見守る役割に」
レオンは、しばらく黙ってから言った。
「僕は、その教師役もミサに演じてほしいと思っていました」
「殿下」
「師と弟子が別れる物語だとしても、
舞台の上でくらいは、
ちゃんと“ありがとう”を言えるかなって」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
(ずるい。そういうことを言われると、線がぼやけてしまう)
「……それは、現実の終幕のときに取っておきましょう」
なんとか笑顔を作って答えた。
「台本で先に言ってしまったら、
本番で言う言葉がなくなってしまいますから」
レオンも、少しだけ唇を引き結ぶ。
「分かりました。
でも、じゃあ誰が教師役を?」
「そこが今日のレッスンの第一課題です」
私は黒板に、“配役”と書き加えた。
「師と弟子の別れの物語に、
誰が立つのが一番ふさわしいか。
殿下自身の人間関係を整理しながら、
考えてみてください」
「……難しい宿題ですね」
「ええ。
“別れ”はいつも、簡単に決められないものですから」
◇◇◇
台本の骨組みは、昨夜のうちに作ってあった。
“山間の学び舎を巣立つ少年”。
“村から村へと渡り歩いて教えを広めてきた旅の教師”。
少年は、教師に教わった学問や言葉を胸に、
都の学び舎へと旅立つ。
教師は、自分の役目が終わったことを悟り、
最後の夜にだけ本当の名前を明かす――
そんな物語。
「教師の名前、決めましたか?」
レオンが、机の上の台本を覗き込むように尋ねてくる。
「まだです」
私は、空欄になっている箇所を指で押さえた。
「“先生”としか呼ばれないままでも、
物語としては成立しますから」
「ミサは、自分の名前を呼ばれなくても平気ですか」
その問いに、
心臓が一瞬止まった気がした。
「……どういう意味でしょう」
「いつも“教育係様”とか“ハルヴィア嬢”とか“ミサ”とか、
場面によって呼ばれ方が違うでしょう。
ちゃんと“ひとりの人間”として名前を呼んでもらえないことを、
寂しいと思ったことはありませんか」
前世の会議室で、
「そこの若い子」と何度も呼ばれていた自分を思い出した。
(ああ、また上手いところを突いてくる)
「……寂しいと思っていたことに、最近気がつきました」
私は、正直に答えた。
「だからこそ、この物語の教師には、
最後に一度だけ名前を呼ばせようと思っています」
「誰に?」
「弟子に、です」
それは、台本の中に封じ込める小さな願いでもあった。
◇◇◇
その日の放課後。
庭園劇場の舞台に、
カトリーヌが呼ばれていた。
「春季祝典の劇の件、伺いましたわ」
相変わらず姿勢の良い令嬢は、
台本を両手で大事そうに受け取る。
「私に何か、お役目はありますでしょうか」
「もしよろしければ、
村の子どもたちの役や、
学び舎の仲間の役をお願いできればと」
私は、用意していた配役表を見せた。
「教師役は?」
カトリーヌの視線が、一瞬だけ私を探るように動く。
「未定です」
「ミサ様が演じられないのですか?」
「今回は、書き手に徹しようと思っています」
そう答えると、
カトリーヌは少しだけ目を伏せた。
「残念ですわ」
「え?」
「殿下が“師と弟子の別れ”の物語を演じるのなら、
きっとミサ様が“師”としてお隣に立つのだろうと、
勝手に思い込んでいましたので」
その言葉は、
棘ではなく、純粋な残念さに満ちていた。
「殿下がどれほどミサ様のことを信頼しておられるか、
劇を通して何度も見てきましたから」
カトリーヌはまっすぐ私を見つめる。
「……それでも、ミサ様は一歩退かれるのですね」
「ええ」
自分で選んだことだ。
「これは、私自身の“終幕のレッスン”でもありますから」
「……分かりましたわ」
カトリーヌは、
少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「では、せめて台本が誰よりも素晴らしいものになるよう、
精一杯お手伝いさせてくださいね」
「ありがとうございます」
役者としてではなく、
同じ“物語を信じる側”として差し出された手。
その温度に、少しだけ救われる。
◇◇◇
夜。
私は机に向かい、
例のページに“LESSON 17:別れの台本”と書き込んだ。
“終わりを先に知っている者ほど、
物語から抜け出しにくくなる。
だからこそ、“終幕の台本”は一人で書かない方がいい。
王妃陛下、王、レオン、カトリーヌ――
いろいろな人の視線が交わる場所で書くことで、
これは私だけの終幕ではなく、“誰かの旅立ちの物語”にもなる。”
ペン先が、紙の上ですべる。
“師と弟子は別れる。
それは決して、悲しいだけの結末ではない。
師の教えが、弟子の中で生き続ける限り、
二人の物語は続いていく。”
書きながら、
自分に言い聞かせていた。
(いつか本当に、レオンと“師と弟子”として別れる日が来たとしても)
そのとき私が胸を張って言えるように――
「ここまでの物語は、ちゃんと書ききった」と。
選ばれなかった女の終幕を、
誰かに決められるのではなく、
自分の手で書いていけるのなら。
それだけで、前世の私よりずっと、
“物語の中に居場所がある”と言える気がした。
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