38 / 44
第38話 王太子妃候補のリスト
しおりを挟む自分の名前が書かれていない紙に、こんなにも心を攫われる日が来るとは思わなかった。
王太子妃候補の一覧は、私のいない未来を、あまりにも当然の顔で並べていた。
◇◇◇
その紙を見たのは、ほんの偶然だった。
王妃陛下に呼ばれて、執務棟の一室に向かったとき。
扉が半分開いたままの部屋の机の上に、
それは伏せた状態で置かれていた。
「ミサ、入ってきて大丈夫よ」
中から、王妃陛下の声がする。
「失礼いたします」
軽く会釈して入ると、
部屋には王妃陛下と、国王陛下がいらした。
(あ、これは……だいぶ重要な話ですね)
思わず背筋が伸びる。
「そんなに固くならなくていいわ」
王妃陛下は微笑みながら、
さきほどの紙をくるりと裏返した。
そこには、見覚えのある家名がいくつも並んでいた。
フェルナー侯爵家。
カトリーヌ嬢の実家であるモルネ男爵家。
他にも、王都や地方の有力貴族たちの名。
――そして、そのどこにも。
“ハルヴィア”の名はない。
(……それはそうですけども)
喉の奥が、急に乾く。
「春季祝典も無事に終わった。
そろそろ、レオンの正式な王太子妃候補を絞る時期だと、
大臣たちがせっついてきていてね」
国王陛下が、少しだけ疲れたような笑みを浮かべる。
「これは、その“第一次候補”の一覧だ」
「……そうでしたか」
(そうだ、そういう年齢だ)
レオンはもう、
“政略”という言葉から逃れられない年になっている。
「ミサ」
王妃陛下が、まっすぐに私を見る。
「この中で、レオンの傍らに立つのに相応しいと思う令嬢はいる?」
「わ、私が選ぶのですか?」
「最終決定ではないわ。
ただ、“レオンを長く見てきたミサの目”からどう見えるか、
知っておきたいの」
(教育係の仕事、広がりすぎでは?)
心の中で突っ込みつつ、
一枚の紙に視線を落とした。
◇◇◇
“候補として相応しいかどうか”だけなら、
いくらでも理由は挙げられる。
家格、血筋、資産、性格、教養。
レオンが王太子である以上、
“個人”よりも“家”が優先されるのは当然のことだ。
(それでも――)
指先が、ある名前のところで止まる。
フェルナー侯爵家令嬢、リリアナ。
気づけば、その行を見つめていた。
「リリアナ様は……殿下に寄り添う形が、
他の令嬢より自然だと思います」
口に出した途端、
胸のどこかがチクリと痛んだ。
「春季祝典のときも、
殿下の言葉をよく聞いて、
“王太子として”ではなく“レオンとして”を見ようとされていました」
祝宴の合間。
レオンが仮面の笑顔を付けたり外したりするのを、
真正面から見据えていたのは、
たしかにリリアナだった。
「……ふふ」
王妃陛下が、小さく笑う。
「ミサらしい答えね」
「らしい、でしょうか」
「ええ。
自分の感情はひとまず横に置いて、
“一番レオンにとって良さそうな選択”を先に考えるところが」
図星を刺されて、思わず視線を落とす。
国王陛下が、静かに口を開いた。
「ミサ」
「はい」
「この一覧を見て、何を思った?」
それは、
“教育係”ではなく“ミサ”への問いだった。
「……正直に申し上げてもよろしいのですか」
「正直に言ってくれるのが、君の良いところだ」
国王陛下の穏やかな声に、
少しだけ背中を押される。
「――怖い、と思いました」
自分でも驚くほど、あっさりと出てきた。
「前世で、
“自分の名前のない名簿”を
何度も見てきました。
昇進候補者一覧とか、
重要プロジェクトのメンバーとか。
そのたびに、“まあ、私がいなくても回るよね”と
自分で自分を納得させていました」
王と王妃が、
黙って耳を傾けている。
「今日、この“王太子妃候補一覧”を見て――
“ここにも、私の名前はないのが当然だ”と理解している一方で」
喉の奥が、
少しだけ震えた。
「“それでも、本当はどこかに
“ミサ・ハルヴィア”と書かれていてほしいと願ってしまう自分がいる”ことが、
一番、怖いです」
自分の口から出た言葉に、
自分で驚いた。
(あ、これが……本音なんだ)
“選ばれないのが当たり前”だと思っていた女が、
“選ばれたがっている”なんて。
荒唐無稽にもほどがある。
でも、それが今の私の正直な気持ちだった。
◇◇◇
しばしの沈黙のあと、
先に口を開いたのは王妃陛下だった。
「……ありがとう、ミサ」
「え?」
「正直に言ってくれて。
“選ばれたくないふり”をするのは、きっと簡単だったはずよ」
王妃陛下の瞳は、
どこか遠いものを見ているようでもあった。
「私も、若い頃、似たような一覧を見たことがあるの」
「王妃陛下も、ですか」
「ええ。
“次の王妃候補”の一覧。
そこに自分の名前を見つけたときの怖さと、嬉しさと――
それを誰にも言えない苦しさは、今でも覚えているわ」
「……」
「だから、ミサ。
“自分が選ばれたい”と思ってしまうことを、
恥じなくていいのよ」
王妃陛下の言葉が、
胸の奥に静かに沈んでいく。
国王陛下も、ゆっくりと頷いた。
「君がレオンにとってどれほど大切かは、
私たちも分かっているつもりだ。
ただ、王太子妃の座は、
君一人の想いだけで決められるものではない」
「承知しております」
「だが」
国王陛下は、ほんの少しだけ声を低くした。
「君が“自分は選ばれない側の人間だ”と決めつけたまま、
レッスンを続けることは、もう許さないつもりだ」
「……」
「レオンにも、君自身にも。
“選ぶ側”にも“選ばれる側”にも立つ権利がある。
その上で、最善の形を探さなければならない」
それは、優しさであり、
同時に覚悟の宣告でもあった。
◇◇◇
部屋を辞するとき、
王妃陛下がそっと声をかけてきた。
「ミサ」
「はい」
「近いうちに、“王太子妃候補たちとのお茶会”が開かれるわ。
レオンの教育係として、
あなたにも同席してほしいの」
「……教育係として、ですね?」
わざと確認すると、
王妃陛下は少しだけ意地悪そうに微笑んだ。
「ええ、“教育係として”よ。
でもそれと同時に、“ミサ”として、
彼女たちのことをどう感じるか。
あなたの目で見て、
あなたの心で判断してちょうだい」
(試験問題が一気に増えた気がする)
「……努力してみます」
そう答えるのが精一杯だった。
◇◇◇
学習室に戻ると、
レオンはすでに机についていた。
窓から差し込む午後の光が、
彼の横顔を柔らかく照らしている。
「ミサ」
「お待たせしました、殿下」
つい“殿下”と呼んでしまって、
レオンが苦笑する。
「“レオン”でいいと言っているのに」
「……今日は、少し守りを固くしておきたい気分なんです」
そう言うと、
彼はすぐに表情を引き締めた。
「王妃のところに呼ばれていたと聞きました」
「ええ。
“王太子妃候補の一覧”を見せていただきました」
私が隠さずに言うと、
レオンの指先がぴくりと動いた。
「そうですか」
「殿下もご覧になりましたか?」
「……はい」
短い沈黙のあと、
彼は窓の外に視線を向けた。
「どう思われましたか?」
「王太子としては妥当だと。
家格も、政治的なバランスも、
国の将来を考えたときに、よく練られたラインナップだと思いました」
完璧な模範解答。
「レオンとしては?」
わざとそう聞き返す。
レオンは、ゆっくりと私の方を向いた。
「……“ミサ・ハルヴィアの名前がないことに、
腹が立つ”と思いました」
心臓が、
はっきりと分かるくらい大きな音を立てた。
「レオン」
「王妃にも、父上にも言いました。
“候補の一覧を作るのは構いません。
でも、僕の“人生の背中側の席”は
これ以上勝手に決めないでほしい”と」
(言ったんだ……)
「もちろん、王太子妃の座が
すべて思い通りになるとは思っていません。
僕には国があって、
家があって、
背負うべきものがある」
レオンは、
すでに自分の立場をよく理解している。
「でも、ミサ」
静かな声で名前を呼ばれる。
「“王太子妃”という肩書きの隣に、
“ミサ・ハルヴィア”という名前を書きたいと願うことすら、
許されないんでしょうか」
言葉が、出なかった。
◇◇◇
どれくらいの沈黙があっただろう。
ようやく、
かろうじて搾り出したのは、
教育係らしい言葉だった。
「……許されるかどうかは、
殿下や王家だけで決められることではありません」
「そうですね」
「各貴族の思惑、
国の安定、
民の不安を抑えるための配慮。
“異邦から来た魂を持つ女”が王太子妃になることに、
抵抗を覚える人もきっといます」
自分で自分に、
冷水を浴びせるような言葉だ。
「だからと言って、
“ミサ・ハルヴィア”の名前を一覧から外す理由には、なりません」
レオンが、きっぱりと言う。
「……レオン」
「僕は“選ぶ側”として生まれてきた。
誰かの人生を左右する選択を、
何度もしていくことになるでしょう」
「ええ」
「でも同時に、“選ばれる側”である権利もあるはずです。
“誰かが勝手に決めた一覧”の中から選ばされるだけじゃなく、
自分で、“この人に隣にいてほしい”と願う権利が」
その言葉は、
さっき王と王妃から聞いた言葉と重なっている。
――“君が“選ばれない側の人間”だと決めつけたまま、
レッスンを続けることは、もう許さない”
「……難しいですね」
ようやく絞り出した声は、
情けないくらい震えていた。
「前世の私は、
“選ぶ側”にも“選ばれる側”にもなれませんでした。
ただ、“決まったことに従う側”だったから」
「今世のミサは?」
レオンが問う。
「今世の私は――」
喉の奥に、
何か熱いものが込み上げてきた。
「本当は、“選びたい”です」
やっと、言えた。
「誰かの未来を、
自分の言葉で選びたい。
自分の居場所も、
誰かに指定されるのではなく、自分で決めたい」
涙がこぼれそうになって、
慌ててまばたきをする。
レオンは、静かに微笑んだ。
「それなら――」
「それなら?」
「次の“王太子妃候補とのお茶会”は、
ただの社交の場じゃなくていいと思います」
「……と言いますと?」
「ミサと僕が、“自分の目で選ぶ練習”をする場にしましょう」
その提案に、思わず固まった。
「一覧や噂話ではなく、
実際に話して、見て、感じて。
“王太子として”の視点と、
“レオンとして”の視点と、
“ミサとして”の視点で。
その上で――」
レオンの瞳が、
まっすぐに私を射抜く。
「最後に僕が選ぶとき、
ミサの本音を聞かせてください」
「本音……」
「“誰でもいいですよ”じゃなくて。
“この人なら、僕を託せる”とか。
“この人だけは、隣に立ってほしくない”とか」
そんなことを言ったら、
きっと全部が、破綻してしまうかもしれない。
でも同時に。
(それを言わないで終わる方が、
前世の私と同じところで止まってしまう気がする)
「……努力、してみます」
やっとのことでそう答えると、
レオンは満足そうに頷いた。
「それでこそ、僕の教育係です」
◇◇◇
その夜。
新しいノートカバーに包まれたノートを開き、
私は静かに書き始めた。
“LESSON 29:選ぶ練習、本番の前日”
“前世の私は、
いつも“名前のない側”の人間だった。
昇進候補リストにも、
重要メンバー一覧にも、
“早瀬”の名が書かれていることはなかった。”
“今世の私は、
王太子妃候補の一覧を見て、
そこに“ミサ・ハルヴィア”の名がないことに、
初めて“怖さ”と“悔しさ”を覚えた。
それはきっと、
ようやく自分の居場所として“隣”を望んでしまった証拠だ。”
最後に、こう書き足す。
“――前世の私は、いつも“決まったあとの紙”しか見せてもらえなかった。
今世の私は、“決まる前の一覧”を前にして、
自分の本音を問われている。
その余白に、何を書くのか。
それを決められること自体が、
きっと、二度目の人生でもう一度“選び直す”ということなのだろう。”
ノートを閉じると、
革のカバーが、心なしか少しだけ手に馴染んでいた。
前世で、いつも“自分のない名簿”を眺めていた私が、
今世で初めて、その余白に自分の願いを書きたくなった。
――その変化こそが、
この物語のクライマックスが近いことを、静かに教えてくれているようだった。
10
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
魔王城の清掃係ですが、ラスボスに懐かれて世界を磨くことになりました
由香
恋愛
異世界に転移したら、なぜか魔王城の清掃係に就職していました。
巨大な玉座、血のついた回廊、禍々しい装飾品の数々。
今日も黙々と床を磨いていたら――
「お前の磨いた床は、よく眠れる」
恐怖の象徴と名高い魔王様に懐かれました。
見た目は完全にラスボス。
中身はちょっと不器用で、独占欲強めの努力型。
勇者は帰還の道を示し、魔王は隣を選べと願う。
光と闇のはざまで、選ぶのは――ただの清掃係。
戦争よりも、まず床。
征服よりも、まず対話。
これは、世界最強の存在に溺愛されながら
世界平和を“足元から”始める物語。
甘くて、少し熱くて、ちゃんと選ぶ恋。
辺境伯夫人は領地を紡ぐ
やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。
しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。
物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。
戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。
これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。
全50話の予定です
※表紙はイメージです
※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
英雄の番が名乗るまで
長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。
大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。
※小説家になろうにも投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる