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第39話 王太子妃候補のお茶会
しおりを挟む王太子妃候補たちの輪の中に、私は“教育係”として座っていた。
そのどこにも私の名前はないのに、ここにいないふりをするには、もう少し遅すぎた。
◇◇◇
お茶会当日の朝、私はいつもより早く目が覚めていた。
窓の外は薄い霧がかかっていて、
春の光がまだ本気を出し切れていない。
(こういう日に“大事な会議”が入るの、前世でもよくあったな……)
頭の中で勝手に“会議”に変換しながら、
私は新しいノートカバーを撫でた。
開いた一ページ目には、
大きくこう書いてあった。
“LESSON 30:お茶会という名の選択会議”
タイトルだけは、
昨夜のうちに書いておいた。
(問題は、中身です)
レオンの“人生の隣”を選ぶ練習。
それを王太子妃候補たちとのお茶会でやろう、という話になったのは、
つい数日前のことだ。
“一覧や噂話ではなく、
実際に話して、見て、感じて。
最後に僕が選ぶとき、
ミサの本音を聞かせてください”
レオンの言葉が、
今もはっきりと耳の奥に残っている。
(本音、なんていちばん誤魔化したくなるものを、
よりによってこんな場面で要求しないでほしい)
それでも、
前世みたいに“決まったあと”だけ眺めて終わるのは嫌だと思った。
だから私は、このお茶会に
“教育係として”だけでなく、“ミサとして”も出ることにした。
――自分でそう決めた以上、
逃げないで向き合わないと、だ。
◇◇◇
お茶会の場に選ばれたのは、
王宮の南側にある小さなサロンだった。
大広間ほど仰々しくなく、
かと言って庶民的すぎもしない、ちょうど中間くらいの空間。
窓からは手入れの行き届いた庭が見え、
丸いテーブルがいくつか配置されている。
「ミサ」
会場の様子を確認していると、
王妃陛下が声をかけてこられた。
「本日は、よろしくお願いします」
「こちらこそ。
今日は“正解”を探さなくていいのよ」
王妃陛下は微笑んだ。
「ただ、“この人はどういう目をして殿下を見るのかしら”って、
そこだけを見てくれればいい」
「……目、ですか」
「ええ。
家格や教養は、紙や報告書でいくらでも確認できるもの。
でも、“その人が誰をどう見つめるか”だけは、
実際の場でしか分からないから」
(目、か……)
たしかに、そうかもしれない。
前世の職場でも、
“評価シート”の数字より、
“仕事中どこを見てるか”の方が本音を表していた。
自分の評価ばかり気にして上司の顔だけ見ている人。
一緒に働く相手の手元を、自然と気にかける人。
――あの違いは、たぶん今世でも変わらない。
「それとね」
王妃陛下が、少しだけ声を潜める。
「今日は、“ミサの目も見られている”と思っておきなさい」
「えっ」
「王太子妃候補たちは、
“殿下の教育係がどんな人間か”に、とても興味があるはずよ。
あなたが彼女たちをどう見るかと同じくらい、
彼女たちもあなたを見ている」
(試験の相互監視みたいになってきた)
「……失礼のない範囲で、がんばります」
王妃陛下は、くすりと笑った。
「そんな顔をしなくても大丈夫。
ミサは、いつも通りでいてちょうだい。
その“いつも通り”を見せる場でもあるのだから」
◇◇◇
やがて、候補たちが一人、また一人と現れた。
淡い色のドレスに身を包み、
丁寧な礼儀作法を身につけた令嬢たち。
フェルナー侯爵家令嬢、リリアナ。
モルネ男爵家令嬢、カトリーヌ。
他にも、名のある伯爵家や侯爵家の令嬢が数名。
私はサロンの中央ではなく、
少し外れた位置のテーブルに座るよう指示されていた。
“教育係”として、
全体を見渡せる場所。
(王妃陛下の言う“背中側の席”って、
こういう配置のことも含んでるんだろうな)
そう思っていると、
扉の方から、ひときわ落ち着いた足音が聞こえた。
「レオン王太子殿下、ご入室」
控えの侍従の声とともに、
レオンが姿を現した。
いつもの儀礼服より少し控えめな、
落ち着いた紺の上着。
それでも、
部屋の空気が一瞬で引き締まるのが分かった。
候補たちが一斉に立ち上がり、
淑女の礼を取る。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
レオンは穏やかな笑顔で一礼した。
(……仮面の笑顔じゃない)
それが分かったのは、
長くそばで見てきたからかもしれない。
◇◇◇
お茶会は、
四人ずつの小さなテーブルに分かれて進んでいった。
レオンがテーブルごとに移動し、
候補たちと短い会話を交わす。
私は外側からそれを見て、
ノートにメモを取る。
“リリアナ:
・殿下の健康状態をさりげなく気遣う質問。
・劇の話題を出すとき、“立派でした”ではなく“楽しそうでした”と言った。
→“王太子として”ではなく、“一人の青年として”の部分も見ようとしている。”
“カトリーヌ:
・相変わらず口数が多く、少し前のめり。
・だが、殿下が話し始めるとちゃんと口を閉じて聞く。
・他令嬢の話にも割り込まないよう努力している様子。
→以前より“自分を抑える”ことを覚えつつある。”
“他候補A:
・家や資産の話が多い。
・殿下に話しかけるというより、“家の利点”をプレゼンしている印象。
→目線が殿下ではなく、王冠や玉座の方を向いている。”
メモを取りながら、
王妃陛下の言った“目”の意味が少しずつ分かってきた。
(同じ笑顔でも、
誰を見ているかで、こんなに印象が変わるんだ)
レオンの顔を真正面から見る令嬢。
背中側の王と王妃の方をちらちら気にする令嬢。
他の令嬢たちの視線を意識して、
“よく見せよう”と力の入っている令嬢。
――その中で、
何度か私の方へ視線を送ってきたのは、リリアナだった。
敵意でも警戒でもなく、
“あなたはどう見ているの”と問うような目で。
◇◇◇
お茶会も終盤に差し掛かった頃。
王妃陛下の計らいで、
短い“自由時間”が設けられた。
レオンは別室で国王陛下と話をするため席を外し、
サロンには令嬢たちと私だけが残される。
(あ、これは……女子会フェーズ)
前世の“飲み会二次会の女子テーブル”を思い出して、
妙な汗がにじむ。
「教育係様」
最初に声をかけてきたのは、やはりリリアナだった。
「少し、お話ししてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
私たちは、窓際の小さなテーブルへと移動した。
他の令嬢たちは、
それぞれ別の輪を作っている。
◇◇◇
「本日は、お招きいただきありがとうございます」
リリアナは、
礼儀正しく一礼した。
「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます。
……と言っていいのか分かりませんが」
「ええ、分かります」
彼女は、ふっと微笑んだ。
「殿下の教育係としては、
複雑なお気持ちでいらっしゃるでしょう」
「そんなに顔に出ていましたか?」
「いいえ。
顔には出ていませんでしたが、“視線”には少し」
リリアナの指摘に、
思わず肩の力が抜ける。
(さすが、よく見ている)
「……リリアナ様から見ると、本日の殿下は、
どのように見えましたか」
私から先に訊ねると、
彼女は少し考えるように目を伏せた。
「とても“王太子らしく”振る舞おうとしておられました。
でも、その中にちゃんと“レオン様”がいました」
「レオンが……?」
「はい。
例えば、
他の令嬢が“王太子妃としての務め”の話をしたとき。
殿下は真面目に頷きながらも、
ご自分の指先を少しだけぎゅっと握っていらっしゃいました」
そういえば、
さっきそんな仕草を見た気がする。
「それは、どういう意味だと思われました?」
「“王太子としての正解”を選びつつ、
どこかで“レオンとしての本音”を押し込めているときの癖――
……なのではないかと」
(そこまで見抜かれているのか、この子は)
前世の会社に連れて帰りたいくらいの観察眼だ。
「教育係様は、どう見ていらっしゃいました?」
今度は、リリアナが逆に尋ねてくる。
「私ですか?」
「ええ。
殿下の“背中側の席”から、
どのように感じておられたのか、
もし差し支えなければ教えていただきたいです」
“背中側の席”という言葉に、
胸の奥が静かに鳴った。
「……正直に申し上げると」
(ここで嘘をついたら、たぶん全部台無しになる)
「殿下の“王太子としての顔”は非常に立派だと思いました。
候補の令嬢方のお話にも誠実に向き合っていらして、
王としての将来像も、きちんとお考えでした」
「“としては”?」
リリアナが穏やかに促す。
「でも、“レオンとして”の部分は、
まだ少し、窮屈そうにも見えました」
口に出してみて、
自分の中でようやく形になった実感が生まれる。
「窮屈、ですか」
「はい。
レオンは、自分の感情を飲み込むのが上手い子ですから。
“王太子としての正解”のために、
“レオンとしての願い”を後回しにしてしまうことがあるんです」
それは、
私自身が前世でやり続けてきたことでもある。
「だからこそ――」
言いかけて、口をつぐむ。
(ここから先は、教育係としての言葉じゃない)
リリアナは、
その逡巡を察したように、
ふっと目を細めた。
「私、教育係様のことが好きですよ」
「えっ」
唐突な告白に、変な声が出た。
「殿下が“誰の話をしているときに一番柔らかい顔をされるか”、
ずっと見ていましたから」
(それ、怖いくらいの観察対象じゃないですか)
「そして、今日お会いしてみて分かりました。
“背中側の席”に座る人の強さと、
そこに居続けることの怖さを、
教育係様はちゃんと自覚しておられる」
「……強さなんて、ありませんよ」
思わず否定すると、
リリアナは首を横に振った。
「あります。
自分の名前が書かれていない一覧を前にして、
それでも“誰が一番ふさわしいか”を考えようとする人は、
強くなければできません」
胸の奥が、
じんわりと熱くなる。
「私は――」
リリアナは視線を落とした。
「殿下の“王太子としての未来”に、
自分の家が必要とされていることは分かっています。
けれど、“レオンとしての心”まで
自分が預かるのが正しいかどうかは、まだ分かりません」
「……リリアナ様」
「だからこそ、今日のお茶会は、
私にとっても“選ぶ練習”なのです」
彼女は、小さく笑った。
「もし、殿下が最後に“私ではない誰か”を選ばれたとしても。
そのとき、教育係様が“それでいい”と
心から言える選択であってほしい――
少なくとも私は、そう願っています」
それは、
ライバルとしてではなく、
“同じ誰かを大切に思う人”としての言葉だった。
◇◇◇
お茶会が終わり、
候補たちがそれぞれの馬車で帰っていったあと。
私は一人、
誰もいなくなったサロンに残っていた。
テーブルには、
飲みかけの紅茶の輪と、
食べ切れなかった焼き菓子の皿。
さっきまでの笑顔と会話の余韻だけが、
薄く漂っている。
(“誰が一番ふさわしいか”なんて、
今の私にはまだ、決められない)
リリアナの言う通り、
私は強くなんかない。
それでも――
(“誰でもいいですよ”とだけは、
もう二度と言わない)
そう決めた。
◇◇◇
夜。
私は新しいノートを開き、
ゆっくりとペンを走らせた。
“LESSON 30:お茶会という名の選択会議(まとめ)”
“前世の私は、
“決まったあと”の結果だけを眺めて、
“自分がいないのは当然だ”と自分に言い聞かせていた。
そこに悔しさを感じることすら、
“分不相応だ”と思っていた。”
“今世の私は、
“決まる前”の場に座っていた。
王太子妃候補たちと同じ空間で、
レオンがどんな目で誰を見るのか、
彼女たちがどんな目でレオンを、
そして私を見ているのかを、
自分の目で確かめてしまった。”
ペン先が、
自然と次の言葉を紡いでいく。
“まだ、“この人だけは嫌だ”とも
“この人がいい”とも言えない。
でも、“誰でもいい”とは、
もう言いたくない。
それは、
レオンの未来に対しても、
自分自身の気持ちに対しても、
失礼だと思えるようになったからだ。”
最後に、一行だけ付け足す。
“――王太子妃候補のリストに、
“ミサ・ハルヴィア”の名前が書かれるかどうかは分からない。
それでも私は、
その余白に自分の本音をにじませてしまった指先を、
もう、前世のようには責めないでおこうと思う。
“選ばれない”と思い込んでいた女が、
“誰かを、自分を、選びたい”と願ってしまったことそのものが――
二度目の人生で、一番大きな変化なのかもしれないから。”
ノートを閉じると、
革のカバーが、
少しだけ柔らかく手に馴染んだ気がした。
――一覧に名前がない紙を前にして、
今の私はただ俯いているだけではない。
そこに何を書くべきか、
自分の言葉で考えようとしている。
その小さな変化が、
レオンの“選択”とどう交わるのか。
もうすぐ訪れる“本番”を前に、
私は初めて、怖さと同じくらいの期待を抱いている自分に気づいてしまった。
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