2 / 25
第2章 感情が見える街
しおりを挟む人の頭の上に、数字が浮かんでいた。
それを「幻覚じゃない」と理解するまでに、だいぶ時間がかかった。
◇ ◇ ◇
眩しい光が収まると、俺は冷たい石畳の上に倒れていた。
鼻をくすぐるのは、土と香辛料と、よく分からない油の匂い。ざわざわとした喧騒が、すぐ近くで渦を巻いている。
「……痛っ」
慌てて身を起こすと、目の前に広がっていたのは見知らぬ街並みだった。
石造りの建物が並び、木枠の窓からは色とりどりの布や瓶が吊るされている。通りには荷馬車が行き交い、肩に鳥を乗せた商人が声を張り上げていた。
映画かゲームの世界そのものだ、と思った。
だけど、これは画面越しじゃなくて、肌で感じる現実だ。
「……マジかよ」
呆然と呟いたとき、ふと違和感が視界をかすめた。
通りを歩く人々の頭上に、淡い光の数字が浮かんでいる。
〈勇気:65〉
〈喜び:40〉
〈怒り:10〉
「え?」
思わず二度見する。
見間違いじゃない。誰も彼も、頭の上に似たような数字をぶら下げている。
(もしかして、これが……ステータス?)
老人の言っていた「感情がステータス」という言葉が、遅れて蘇る。
恐る恐る自分の頭に手を伸ばしてみたが、当然何も触れない。
代わりに、視界の端にふわり、と見慣れた半透明の板が現れた。
〈篠原悠斗〉
〈勇気:48〉
〈喜び:35〉
〈恐怖:58〉
〈怒り:25〉
〈共感:98〉
「うわ、本当にゲームみたいだ……」
感心している場合じゃない。
ここがどこで、これからどうすればいいのか、まったく分からない。
とりあえず、スマホ――。
ズボンのポケットを探ると、いつもの感触があった。
取り出して電源ボタンを押す。画面はついた。
けれど、圏外どころか、アンテナの表示そのものが消えている。
「そうだよな……」
ため息が漏れる。
見知らぬ異世界で、携帯キャリアの電波が飛んでいたら、それはそれで怖い。
途方に暮れていると、背後から声がした。
「おい、あんた。何突っ立ってんだよ」
振り向くと、腰に短剣をぶら下げた若い男が二人、こちらをじろじろ見ていた。
革鎧に擦り切れたマント。ゲームで言うところの「下級冒険者」という感じだ。
「あ、すみません。ちょっとその……道に迷ってて」
正直に言うと、二人の頭上の数字が目に入る。
〈勇気:55〉
〈怒り:20〉
〈共感:12〉
「迷ってる? こんなとこで?」
片方の男がニヤリと笑った。
「もしかして、新入りか?」
「新入り……?」
「見たことねえ顔だしな。ギルドに登録してねえ素人か?」
もう片方が、俺のスーツ姿を上から下まで眺める。
「なんだその服。変なローブだな。……あ?」
彼の表情が一瞬固まった。
どうしたのかと思った瞬間、男は俺の頭上を指差した。
「おい見ろよ。こいつの共感値、バケモンじゃねえか」
「は? ……共感、98!?」
二人同時にのけぞる。
いや、そんな引き方しなくても。
「共感だけ高くて、他は平均以下……。うわ、やべえやつじゃん」
「相手の気持ち読んでくるタイプだぞ、こいつ。めんどくせえ」
ひどい言われようだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。俺、ここに来たばっかりで、ギルドって何かもよく分からなくて」
「はあ? ギルドも知らねえって、お前どこの田舎もんだよ」
呆れたように笑いながらも、二人の「共感」の数字がふわりと揺れた。
12だった値が、15に上がっている。
(……あ、もしかして)
俺が「困ってる」と正直に言ったから、少しだけ同情してくれたのかもしれない。
数字が、それに反応している気がした。
「まあいいや。ギルド行くなら、ついでに案内してやるよ」
最初に声を掛けてきた方の男が、気楽な口調で言う。
「紹介料代わりに、昼飯くらい奢れよ?」
「え、あ、はい」
財布の中身を思い出し、不安になる。
さっきまで日本円だったこれは、この世界で使えるんだろうか。
「ほら、ぼけっとしてんな。ついてこい、“共感98”」
ひどいあだ名だ。
だけど、他にアテもない俺は、彼らの背中を追いかけるしかなかった。
◇ ◇ ◇
通りを少し進むと、大きな建物が見えてきた。
石造りの二階建てで、入り口には剣と盾のマークが掲げられている。
中からは笑い声と怒鳴り声と、酒の匂いが混ざった賑やかな空気が漏れ出していた。
「ここが〈暁の環〉ギルドだ」
案内役の男が胸を張る。
「この辺りじゃそこそこの規模だぜ」
「そこそこ、な」
もう一人が突っ込みを入れる。
二人のやり取りから、長年の相棒みたいな距離感が伝わってきた。
重そうな扉を押して中に入ると、ざわめきが一瞬だけ弱まった。
酒場を兼ねたような広間には、鎧姿の男やローブの女がたむろしている。
カウンターの向こうでは、渋い顔の中年マスターがグラスを拭いていた。
「おう、ガルドにミナか。また低ランク依頼で小遣い稼ぎか?」
「うっせーな親父。今日は新入り連れてきたんだよ」
ガルドと呼ばれた男が、親指で俺を指す。
一斉に向けられる視線。
その頭上には、色とりどりの数字が浮かんでいた。
(うわ……眩暈しそう)
人の感情が、これほどまでに可視化される世界。
慣れるまで時間がかかりそうだ。
「新人か。お前の知り合いか?」
カウンターの中のマスターが、じろりと俺を眺める。
「道端で突っ立ってたからさ。ギルドも知らねえっていうから、拾ってやった」
「拾ったってお前な……」
呆れたようにため息をついたそのとき、奥の階段から、コツコツと規則正しい足音が聞こえてきた。
「また適当なことをしてきたんじゃないでしょうね、ガルド」
澄んだ声が広間に響く。
振り向いた先にいたのは、真紅のマントを翻した少女――いや、「若い女性」と呼ぶべきかもしれない。
燃えるような赤い髪を高い位置で束ね、腰には細身の剣。
その頭上には、くっきりとした数字が浮かんでいる。
〈勇気:82〉
〈怒り:45〉
〈共感:28〉
それからもうひとつ、見慣れない項目。
〈炎素親和:90〉
(……強そうだ)
俺が見惚れていると、彼女――リアナが、鋭い視線をこちらに向けた。
「その人が、新人?」
「お、おう」
ガルドが肩をすくめる。
「見ろよ、この共感値。98だぜ。キモいだろ?」
「共感値98……?」
リアナの表情が、一瞬だけ揺れた。
しかしすぐに、感情を押し殺したような無表情に戻る。
「珍しいですね」
彼女はゆっくりと階段を降りてきた。
「……あなた、名前は?」
「あ、えっと。篠原悠斗です」
「シノハラ、ユウト」
口の中で反芻するように名前を繰り返し、リアナは俺の頭上をちらりと見上げた。
数字がどう映っているのかは分からないが、じっと観察されているのは分かる。
「感情値のバランスが悪すぎますね。共感だけ突出していて、勇気も怒りも平均以下。……戦闘向きではなさそうです」
「痛いところ突きますね」
思わず苦笑すると、リアナの共感値がほんの少しだけ揺らいだ気がした。
28が、29に。
気のせいかもしれない。
「それで?」
リアナはガルドたちに視線を向ける。
「新人勧誘のノルマでも課しているわけじゃないでしょう。どうして連れてきたんです?」
「いや、なんか放っとくと、変なのに絡まれそうだったからよ」
ガルドが頭を掻く。
「共感98なんて、悪いやつに目ぇつけられたら、都合よく利用されちまうだろ?」
「……それは、否定できませんね」
リアナの声色がわずかに柔らかくなった。
そのときだった。
ギルドの外から、甲高い悲鳴が聞こえた。
「きゃあああっ! 魔物よ!」
ざわ、と広間の空気が揺れる。
冒険者たちの頭上の数字が、一斉に変動し始めた。
〈勇気〉が上がる者もいれば、〈恐怖〉が跳ね上がる者もいる。
「またかよ……」
ガルドが舌打ちする。
「リアナ、どうする?」
「決まっているでしょう」
リアナは迷いもなく踵を返した。
「近くなら、私たち〈暁の環〉の仕事です。――ガルド、ミナ。いつものように後衛をお願いします」
「へいへい」
彼らが走り出す。
俺は思わず、その背中を目で追った。
(魔物……本当にいるんだ)
怖い。
正直に言えば、そう思った。未知の世界の未知の危険。
だけど、それ以上に胸の奥でうずいたのは、別の感情だった。
――誰かが助けを求めている。
さっきの悲鳴は、本物だった。
恐怖と混乱。助けてほしい、という願い。
気づけば、足が勝手に動いていた。
「あ、ちょっと! どこへ行くつもりですか」
背後からマスターの声が飛ぶ。
振り返ることなく叫んだ。
「俺、戦えないですけど……誰かの役に立てるなら、行きたいです!」
意味の分からないことを言っている自覚はあった。
だけど、もう止まれなかった。
ギルドの扉を押し開けると、外の空気が一気に流れ込んでくる。
通りの先で、黒い影が暴れていた。
獣とも虫ともつかない、歪んだシルエット。触れるものすべてを引き裂こうとしている。
周囲の人々の頭上で、〈恐怖〉の数値が一斉に跳ね上がる。
涙目で逃げ惑う子ども。腰を抜かして動けない老人。
「……っ」
胸が締め付けられるみたいに痛んだ。
目の前の数字よりも、彼らの表情が、震える手が、俺の心を掴む。
その瞬間、視界の片隅で、自分のステータスがふっと変わった。
〈勇気:48 → 52〉
理由は分からない。
けれど、小さなその変化が、背中を押してくれた気がした。
「おい、お前! 危ないから下がってろ!」
戦場の最前線で、リアナが叫ぶ。
炎のような魔力が彼女の手のひらに集まり、空気が熱を帯びる。
「わ、分かってます!」
本当は分かっていない。
でも、せめて逃げ遅れた人たちを、安全なところまで誘導するくらいなら――。
俺は震える足を前に出した。
あの日、何も言えずに頭を下げるしかなかった会議室とは違う。
ここでは、俺の選択ひとつで、誰かの感情値が、もしかしたら少しは変わるかもしれない。
そんな希望じみた考えが、どうしようもなく、胸の内側を熱くしていた。
1
あなたにおすすめの小説
空手馬鹿の俺が転生したら規格外の治癒士になっていた 〜筋力Eのひ弱少年治癒士が高みを目指す!?〜
くまみ
ファンタジー
前世は空手部主将の「ゴリラ」男。転生先は……筋力Eのひ弱な少年治癒士!?
「資質がなんだ!俺の拳は魔法を超える!……と、思うけど……汗」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
俺は五里羅門(ごり・らもん) 35歳独身男だ。硬派すぎて女が寄り付かず。強すぎる空手愛と鍛え抜かれた肉体のせいで不本意ながら通称「ゴリラ」と呼ばれていた。
仕事帰りにダンプに跳ねられた俺が目覚めると、そこは異世界だった。だが転生した姿は前世とは真逆。
病弱で華奢。戦闘力最低と言われる職業の「治癒士」(ヒーラー)適正の10歳の少年・ノエル。
「俺は戦闘狂だぞ!このひ弱な体じゃ、戦えねぇ!
「華奢でひ弱な体では、空手技を繰り出すのは夢のまた夢……」
魔力と資質が全てのこの世界。努力では超えられない「資質の壁」が立ちふさがる。
だが、空手馬鹿の俺の魂は諦めることを知らなかった。
「魔法が使えなきゃ、技で制す!治癒士が最強になっちゃいけないなんて誰が決めた?」
これは魔法の常識を「空手の技」で叩き壊す、一人の少年の異世界武勇伝。
伝説の騎士、美少女魔術師、そして謎の切り株(?)を巻き込み、ノエルの規格外の挑戦が今始まる!
勇者パーティーにダンジョンで生贄にされました。これで上位神から押し付けられた、勇者の育成支援から解放される。
克全
ファンタジー
エドゥアルには大嫌いな役目、神与スキル『勇者の育成者』があった。力だけあって知能が低い下級神が、勇者にふさわしくない者に『勇者』スキルを与えてしまったせいで、上級神から与えられてしまったのだ。前世の知識と、それを利用して鍛えた絶大な魔力のあるエドゥアルだったが、神与スキル『勇者の育成者』には逆らえず、嫌々勇者を教育していた。だが、勇者ガブリエルは上級神の想像を絶する愚者だった。事もあろうに、エドゥアルを含む300人もの人間を生贄にして、ダンジョンの階層主を斃そうとした。流石にこのような下劣な行いをしては『勇者』スキルは消滅してしまう。対象となった勇者がいなくなれば『勇者の育成者』スキルも消滅する。自由を手に入れたエドゥアルは好き勝手に生きることにしたのだった。
S級スキル『剣聖』を授かった俺はスキルを奪われてから人生が一変しました
白崎なまず
ファンタジー
この世界の人間の多くは生まれてきたときにスキルを持っている。スキルの力は強大で、強力なスキルを持つ者が貧弱なスキルしか持たない者を支配する。
そんな世界に生まれた主人公アレスは大昔の英雄が所持していたとされるSランク『剣聖』を持っていたことが明らかになり一気に成り上がっていく。
王族になり、裕福な暮らしをし、将来は王女との結婚も約束され盤石な人生を歩むアレス。
しかし物事がうまくいっている時こそ人生の落とし穴には気付けないものだ。
突如現れた謎の老人に剣聖のスキルを奪われてしまったアレス。
スキルのおかげで手に入れた立場は当然スキルがなければ維持することが出来ない。
王族から下民へと落ちたアレスはこの世に絶望し、生きる気力を失いかけてしまう。
そんなアレスに手を差し伸べたのはとある教会のシスターだった。
Sランクスキルを失い、この世はスキルが全てじゃないと知ったアレス。
スキルがない自分でも前向きに生きていこうと冒険者の道へ進むことになったアレスだったのだが――
なんと、そんなアレスの元に剣聖のスキルが舞い戻ってきたのだ。
スキルを奪われたと王族から追放されたアレスが剣聖のスキルが戻ったことを隠しながら冒険者になるために学園に通う。
スキルの優劣がものを言う世界でのアレスと仲間たちの学園ファンタジー物語。
この作品は小説家になろうに投稿されている作品の重複投稿になります
わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。
織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。
父であるアーヴェント大公に疎まれている――
噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。
神々に見捨てられし者、自力で最強へ
九頭七尾
ファンタジー
三大貴族の一角、アルベール家の長子として生まれた少年、ライズ。だが「祝福の儀」で何の天職も授かることができなかった彼は、『神々に見捨てられた者』と蔑まれ、一族を追放されてしまう。
「天職なし。最高じゃないか」
しかし彼は逆にこの状況を喜んだ。というのも、実はこの世界は、前世で彼がやり込んでいたゲーム【グランドワールド】にそっくりだったのだ。
天職を取得せずにゲームを始める「超ハードモード」こそが最強になれる道だと知るライズは、前世の知識を活かして成り上がっていく。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる