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第13章 小さな祭りのはじまり
しおりを挟む世界の機嫌をちょっとだけマシにした結果――俺たちは、なぜか「祭りの企画書」を書くことになった。
いや本当に、どうしてこうなった。
◇ ◇ ◇
「要するに、第三下層区画に“安全な形で感情を発散できる場”を用意したい、と」
感情監理局の会議室。
リュカが、俺たちの提出した報告書に目を通しながら静かに言った。
「……ざっくり言うと、そうなりますね」
俺は椅子に座り、落ち着かない足をなんとか自制していた。
隣にはリアナとセレス、対面にはエリナ。
ルークは「書類は無理」という理由で、ギルド待機だ。
「“残響”との接触に関する記録、地下礼拝所の修復状況、
感情値の乱れの改善傾向……どれも、非常に興味深い」
リュカは水晶板を指でめくりながら、淡々と続ける。
「特に、〈抑圧〉の数値が全体的に数ポイントずつ下がっているのは、注目に値します」
第三下層区画の地図には、薄い色でいくつもの点が示されている。
あの日以来、人々の感情の“揺れ”が、ほんの少しだけ自然になったらしい。
怒りも悲しみも、確かに存在するし――少しずつ、ちゃんと表に出るようになってきている。
「とはいえ」
リュカは視線を上げた。
「このまま何もしなければ、再び“残響”のような歪みが生じる可能性もある。
……そこで、あなたの“提案”というわけですね」
彼の視線がこちらに集中する。
資料の束の一番上には、俺が夜なべして書いた拙い書類が乗っていた。
――【第三下層区画・小規模祭事(仮)実施案】
「ええと……はい」
喉がからからになりながらも、なんとか声を出す。
「“怒れない街”だったのって、元々あった祭りや行事が、全部“一時停止”になったせいもあると思うんです」
「“無用な感情の高揚を防ぐため”という名目で、ですね」
セレスが静かに言葉を継ぐ。
「結果として、人々は“嬉しいことも悲しいことも、あまり大きく表に出さないほうがいい”と学んでしまった」
「それなら――」
言いながら、自分の思考を整理する。
「完全に昔の祭りを復活させるんじゃなくて、
“感情をちゃんと使ってもいいんだ”って思える、小さい場をまず作れないかなって」
あの日、少年が握りしめていたしぼんだ風船。
壁に描かれた、笑い顔と怒り顔と泣き顔の落書き。
「“全部ダメ”のままだと、抑圧がまた溜まる一方だと思うんですよ。
数字で抑え込むんじゃなくて、『ここなら怒ってもいい』『ここなら泣いてもいい』『ここなら笑ってもいい』って場所を、少しずつでも用意したほうが――」
「世界の機嫌が、ちょっとだけマシになる、と」
リュカが、俺の言葉を引き取った。
その頭上の〈興味〉が、また少しだけ揺れている。
「具体的には?」
「第三下層区画の広場ひとつを使って、“表情祭”をやりたいんです」
自分でつけておいてなんだが、ちょっとダサい名前だ。
でも、他にしっくりくる単語が見つからなかった。
「表情祭?」
「はい。
屋台や踊りも少しはあっていいと思うんですけど、中心に置きたいのは“顔”です」
例の壁の落書きを思い浮かべる。
「笑った顔、怒った顔、泣いた顔、困った顔……
とにかく、いろんな表情を仮面にして、飾ったり、描いたり、付けたりしてもらう」
リュカが、興味深そうに片眉を上げる。
「感情の“可視化”、ですか」
「はい。
しかも、“数字じゃなくて、自分たちの絵で”」
数字は便利だ。
でも数字に頼りすぎると、「68ならまあ許容範囲か」とか、そういう割り切り方をしてしまう。
「“抑圧”って、結局『見せたら怒られる』って恐怖から来てると思うんです。
だったら、“ここでは見せても怒られない”って場所を、ちゃんと決めてやればいい」
リアナが、そっと言葉を足す。
「第三下層区画には、昔から“面”の文化があります。
祭りで使う仮面を、家族で一緒に作る風習もありました」
「今は、それも禁止されている」
セレスが、祈るときのような静かな声で言った。
「だからこそ、“許された面”を用意することには意味があります」
「許された面、ね……」
リュカは、水晶板の端を指でとんとんと叩く。
「感情監理局としては、“無制限な感情の高揚”は避けたい。
一方で、あなたの言うとおり、抑圧が行き過ぎれば再び歪みが生じる」
「だから、“枠を決めた上で解放する”感じです」
息を整えながら続ける。
「時間も場所も限定して、
祭りの間だけは“数字を見ない”ことにする」
その言葉に、部屋の空気が少し揺れた。
「……数字を、見ない?」
エリナが、思わずといった様子で繰り返す。
「ええ。
少なくとも、監理局の人間は、“監視目的での数字の閲覧”をしない。
代わりに、現場にいる俺たちが“空気”だけを見ます」
「空気」
「数字じゃなくて、表情と声と、空気の流れ。
ここが“暴動の一歩手前”か、“ただの愚痴大会”なのか、“楽しい祭りの高揚感”なのか――
それを見分けるのは、数字だけの仕事じゃないと思うので」
リュカは、しばらく沈黙した。
彼にとって、“数字を見ない”という選択は、きっと俺が思う以上にリスキーな提案だろう。
それでも、ここで言わなきゃ意味がない。
「……私は、“数字信仰者”だと思われているのでしょうね」
ぽつりと、リュカが言った。
少しだけ自嘲の混じった笑い方だった。
「ですが、本当に数字を信じている者は、
“数字に映らないもの”を放置しません」
彼は、水晶板を閉じる。
「感情監理局として、この祭りの試験的実施を許可しましょう」
「本当ですか?」
思わず身を乗り出してしまう。
「ただし、条件があります」
来た。そうだろうなと思った。
「ひとつ、期間は一日。
ひとつ、規模は第三下層区画の一広場に限定。
ひとつ、事前に周辺の治安維持隊と連携し、緊急時の避難経路を確保すること」
「……妥当ですね」
「そして最後に」
リュカの視線が、まっすぐ俺を射抜く。
「“世界の機嫌取り官”――篠原悠斗殿。
あなたが、この祭りの責任者になること」
「ちょっと待ってください」
即座に抗議した。
「なんでいきなり官職っぽくされたうえに責任者に!?
そういうのって普通、もっと現地の人とか、自治会長的な人とか――」
「現地の協力者も必要でしょう。
その調整も含めて、“責任者”の仕事です」
さらっと言われて沈黙する。
エリナが、申し訳なさそうに笑った。
「局長なりの、“本気度の表明”です。
もし何かあった場合、“世界の機嫌取り計画”ごと凍結になりかねませんから」
「計画名、勝手に付いてません?」
「仮称です」
仮称であってほしい。
◇ ◇ ◇
「――というわけで、祭りをやることになりました」
ギルドに戻るなり俺がそう言うと、酒場スペースにいた全員が固まった。
「は?」
一番最初に固まったのはマスターだ。
「お前さん、地下の歪みをどうにかしに行ったんじゃなかったのか」
「どうにかしてきた結果、こうなりました」
「報告書一枚で、仕事の質が変わるのは前の職場と同じだな」
思わず本音が漏れる。
ルークが、バンッとテーブルを叩いて笑った。
「いいじゃねえか! 祭りだろ? 久々だぜ、第三下層区画でまともに人が集まれる行事なんて」
「“まともに”って付けるあたり、昔なんかやらかしたんですね?」
「祭りの後でケンカが起きてな。
それ以来、『感情の高揚は危険』ってお上に言われちまったのさ」
ルークは肩をすくめる。
「でもよ、ケンカだって、全部が悪いわけじゃねえ。
言えなかったことが、やっと言えたって場合だってある」
「……だからこそ、“言える場所”をちゃんと決めておきたいんですよね」
俺がそう言うと、マスターがぐっと酒瓶を持ち上げた。
「面白え。ギルドとしても乗ろうじゃねえか。
屋台の手配、警備の割り振り、広場の掃除……やることは山ほどあるがな」
「急に現実的な段取りが飛んできた」
でも、その現実感がありがたい。
“世界の機嫌”というふわっとした話が、一気に「祭りの準備」という具体的なタスクに落ちてくる。
「リアナ、セレス、エリナ」
俺は改めて三人を見た。
「手伝ってもらっても、いいですか?」
「もちろんです」
リアナの答えは、迷いがなかった。
「あなたが“自分のわがまま”として始めたことなら、
私は、騎士として支えます」
「私も、“祈りの場”として整えたいですね」
セレスが微笑む。
「感情を押し込めるのではなく、“見せてもいい場”としての祭り。
とても良い試みだと思います」
「……私も、監理局の人間として同行します」
エリナは、少しだけ居心地悪そうな表情をしながら言った。
「数字は、見ません。
現場では、記録ではなく、“自分の目”だけを使うことを局長と約束しました」
「エリナさん、本気なんですね」
「ええ。
“数字に頼らずに現場を見る”ことを覚えないと、
いつか本当に、“残響”のようなものにすべてを乗っ取られる気がしたので」
彼女の言葉には、静かな決意があった。
◇ ◇ ◇
準備の日々は、思った以上にあっという間だった。
広場の掃除。
古い屋台の修理。
仮面作りのための材料集め。
治安維持隊との会議。
そして、“お上”向けの、味も素っ気もない書類作成。
「なんで異世界に来ても、書類仕事からは逃れられないんですかね……」
山積みの書類を前に、俺が机に突っ伏すと、リアナがくすりと笑った。
「異世界でも、“責任者”という役には書類が付き物なんですよ」
「じゃあ責任者やめていいですか」
「ダメです。あなたが言い出したことですから」
ですよね、とため息をつきながらペンを走らせる。
けれど、不思議と前の世界ほど息苦しくはなかった。
今回は、「誰にとっての何のための書類か」を、ちゃんと自分で選んでいるからだ。
屋台の配置表を作りながら、ふと気づく。
(俺、今めちゃくちゃ“イベント会社のディレクター”みたいなことしてるな……)
前の世界で一瞬だけ憧れていた職種だ。
人が集まって、笑ったり怒ったりできる場所を作る仕事。
まさか異世界で、それに近いことをやるとは思わなかった。
「篠原さん」
窓の外から声がして、顔を上げると、あの少年が立っていた。
しぼんだ風船を握っていた、第三下層区画の子だ。
「お、来てくれたんだ」
「父ちゃんが、“祭りに関わるならちゃんと働け”って」
少年は、少しだけ照れくさそうに頭をかく。
「面、作るんだろ。俺、絵はちょっと得意だから」
「いいね。頼もしいな」
少年の頭上には、前より少しだけはっきりした数字が浮かんでいる。
〈緊張:55〉
〈喜び:28〉
〈抑圧:59〉
抑圧はまだ高い。
でも、以前の“70オーバー”からは、確かに下がっている。
「どんな面、作りたい?」
「……泣いてるやつ」
少年は、ぽつりと言った。
「泣いてるけど、ちょっとだけ笑ってるやつ」
「いいね」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「それ、きっとこの祭りに一番大事な面だよ」
少年の〈喜び〉が、ほんの少しだけ上がった。
◇ ◇ ◇
祭り当日。
第三下層区画の小さな広場は、色とりどりの布と仮面で埋め尽くされていた。
笑っている面。
怒っている面。
泣いている面。
ぶすっとした面。
半分だけ笑っている面。
子どもたちが描いたもの、大人たちが照れながら作ったもの。
どれも、数字にはならない“顔”だった。
「……すごいですね」
エリナが、広場の光景を見渡して呟いた。
「数字で“平均値”しか見ていなかった頃には、
こんなにたくさんの表情があるなんて、想像もしていませんでした」
「平均値って、ほんと厄介ですよね」
俺は、屋台の影から人々の表情を眺める。
笑い声。
ちょっとした口論。
酔っ払いの愚痴。
子どもの喧嘩。
それをなだめる大人。
広場のあちこちで、感情がちゃんと“動いている”。
数字を見ていなくても分かる。
ここには、ちゃんと怒りも悲しみも、笑いも混ざっている。
そして今のところ――どれも、暴発しそうな危うさは感じない。
「篠原さん」
リアナが、仮面をひとつ持ってきた。
白い面に、筆で描かれたシンプルな線。
「これ、つけてください」
「俺も?」
「責任者だからといって、顔を隠してはいけないなんて決まりはありません」
「いや、責任者だからこそ顔見せるべきでは……」
「今日は、“顔を見せる日”です。
だからこそ、“本音の顔”をつけてください」
押し付けられた仮面を見て、思わず吹き出した。
片方の目が笑っていて、片方の目が泣いている。
口元は、きゅっと結ばれているのに、どこか優しい。
「これ、誰が作ったんです?」
「ギルドのみんなで」
リアナが、少し照れたように目をそらす。
「“世界の機嫌取り”の顔って、きっとこうなんじゃないかって話しながら」
「ハードル高いんですけど、その顔」
そう言いながらも、俺は素直に仮面をかぶった。
視界が少し狭くなる代わりに、広場のざわめきが妙にはっきり聞こえてくる。
笑い声。
怒鳴り声。
泣き声。
ため息。
それから――
「ありがとう、って声も、ちゃんと混じってるな」
誰に向けてのものか分からない「ありがとう」が、
祭りの空気の中に、ぽつぽつと浮かんでいる。
世界の機嫌が良くなったかどうかは、正直まだ分からない。
“残響”が何を思っているかも、もちろん分からない。
それでも、この広場にいる人たちの“今日”は、
少なくともいつもよりちょっとだけ――
「――マシ、かもしれないですね」
仮面の内側で呟くと、リアナが隣で小さく笑った。
「ええ。
“ちょっとだけマシ”を、ちゃんと感じられる日です」
夕暮れの光が、無数の仮面に反射する。
笑っている顔も、泣いている顔も、怒っている顔も、全部まとめて。
数字のない空に、色とりどりの表情が浮かび上がっていた。
――世界の機嫌全部を取る必要はない。
でも、こうやって「今日ぐらいは、自分の顔でいられる」場を、
少しずつ増やしていけたら。
たぶんそれだけで、俺が前の世界で欲しかったものの、半分くらいは叶うんじゃないかと思った。
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