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第六章 嶺 鳴
嶺 鳴 (四)
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・・・・なにゆえ芦名小太郎は信長様から命を狙われているのだろうか。
新城で小太郎は、襲ってきた伊賀者には殺意があった、と語っていたはずである。とすれば、あの服部半蔵さまを動かしているのは、父家康しかいないだろう。すると小太郎は、父と信長様の双方から付け狙われていることになるではないか……。
「……それは、小太郎の出生の秘密と関わりがあるのです……」
それだけ洩らすと、詞葉は口を閉ざした。なにやら思わせぶりな口調が気になってしかたなかった。
「いまは詳しくは申し上げられませぬけれど、小太郎は、決して、姫様に害を為す者ではございませぬゆえ、そのことだけは……」
信じろと告げられても、言葉というものにはなんの重みもない。
いまは、ただ、小太郎が信長様に狙われている理由を知りたいとおもった。
詞葉が言うには、小太郎の存在が、信長様に抗う武将たちの支えのようなものになりかねないと危惧されているらしかった。けれど小太郎の秘密を口にしない詞葉に、それ以上のことを聞き出すのは無理というものだった。
それで、詞葉が付き従っている高山右近さまについて訊ねてみた。どうやら、右近さまは、かなり複雑な立場におられたようだ。
「……織田様は、ジュスト様をことのほかお気に入られたご様子で、織田様の直臣になれと仰せなのです。それで、ぱあどれ様たちに、ジュスト右近様を説得せよとお命じになられたのです。さもないと、京に南蛮寺を建てさせないぞ、と脅迫なさるのです」
ということは。
右近さまが仕えている荒木村重という御仁を裏切れと勧める役割を、詞葉が担っているということなのだろうか。
つまり、詞葉は回り回って信長様のために働いているということになる。けれど、詞葉の養父ともいうべき芦名兵太郎という人物は、信長様と戦っている……なんとも複雑すぎて咀嚼しきれなかった。新しい知識が増えていくたびに、あらたな謎が立ち塞がるのだから。
ついでに、彦左衛門や弥右衛門はどうしているのも訊いてみた。彦左衛門は、一行の大将を演じていたし、詞葉も新城で会っていたはずである。弥右衛門や佐助、熊蔵のことは詞葉はわからないかもしれないが、彦左が無事かどうかだけは知りたかった。
「……しばらく牢に入れられていましたが、いまでは勝手気儘気儘にこの城内をうろついておられます……なにやら、ごしょうなどと、意味のわからぬことばをかけながら・・・」
詞葉が言ったとたん、わたしはケラケラと笑った。
ごしょう、ではあるまい。
彦左が新城にやってきたときに、誰彼なしに『御殊勝!』と声をかけ回っていたことを思い出したのだ。おそらくここでも、城の見取り図を作ろうと探っているのだろう。そのことを伝えると、詞葉はぽかんとした顔を向けてきた。
そして、笑みを浮かべた。
その穏やかなしぐさが、ふいに小太郎の容貌と重なって、わたしはしばしうろたえた。
戌の刻から降り始めた雪は、さらさらと音を運んでくる。
篝火が立てるぱちぱちという音がそれを打ち消していく。いつも居るはずの警護の武士たちの姿はなかった。話し声がなにひとつ聴こえてこない。
引戸を少し開くと、篝火の炎が揺れていた。
肌にしみつく雪のかけらは、そのつど溶けて、誰かの涙の代わりを演じているようにもおもえてきた。そう言えば、かなりの間、わたしは涙をこぼしていない。それだけ強くなったのか、それとも涙すら出なくなってしまったのだろうか。静寂のなかで、わたしの思念の流れの音が響いたような気がした。
そのとき、闇のなかで蹲っている人の影を見た。
「だ、誰?」
恐る恐る問いかけた。はじめて寒さとともに恐怖の感情が音を立てて襲ってきた……。
新城で小太郎は、襲ってきた伊賀者には殺意があった、と語っていたはずである。とすれば、あの服部半蔵さまを動かしているのは、父家康しかいないだろう。すると小太郎は、父と信長様の双方から付け狙われていることになるではないか……。
「……それは、小太郎の出生の秘密と関わりがあるのです……」
それだけ洩らすと、詞葉は口を閉ざした。なにやら思わせぶりな口調が気になってしかたなかった。
「いまは詳しくは申し上げられませぬけれど、小太郎は、決して、姫様に害を為す者ではございませぬゆえ、そのことだけは……」
信じろと告げられても、言葉というものにはなんの重みもない。
いまは、ただ、小太郎が信長様に狙われている理由を知りたいとおもった。
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それで、詞葉が付き従っている高山右近さまについて訊ねてみた。どうやら、右近さまは、かなり複雑な立場におられたようだ。
「……織田様は、ジュスト様をことのほかお気に入られたご様子で、織田様の直臣になれと仰せなのです。それで、ぱあどれ様たちに、ジュスト右近様を説得せよとお命じになられたのです。さもないと、京に南蛮寺を建てさせないぞ、と脅迫なさるのです」
ということは。
右近さまが仕えている荒木村重という御仁を裏切れと勧める役割を、詞葉が担っているということなのだろうか。
つまり、詞葉は回り回って信長様のために働いているということになる。けれど、詞葉の養父ともいうべき芦名兵太郎という人物は、信長様と戦っている……なんとも複雑すぎて咀嚼しきれなかった。新しい知識が増えていくたびに、あらたな謎が立ち塞がるのだから。
ついでに、彦左衛門や弥右衛門はどうしているのも訊いてみた。彦左衛門は、一行の大将を演じていたし、詞葉も新城で会っていたはずである。弥右衛門や佐助、熊蔵のことは詞葉はわからないかもしれないが、彦左が無事かどうかだけは知りたかった。
「……しばらく牢に入れられていましたが、いまでは勝手気儘気儘にこの城内をうろついておられます……なにやら、ごしょうなどと、意味のわからぬことばをかけながら・・・」
詞葉が言ったとたん、わたしはケラケラと笑った。
ごしょう、ではあるまい。
彦左が新城にやってきたときに、誰彼なしに『御殊勝!』と声をかけ回っていたことを思い出したのだ。おそらくここでも、城の見取り図を作ろうと探っているのだろう。そのことを伝えると、詞葉はぽかんとした顔を向けてきた。
そして、笑みを浮かべた。
その穏やかなしぐさが、ふいに小太郎の容貌と重なって、わたしはしばしうろたえた。
戌の刻から降り始めた雪は、さらさらと音を運んでくる。
篝火が立てるぱちぱちという音がそれを打ち消していく。いつも居るはずの警護の武士たちの姿はなかった。話し声がなにひとつ聴こえてこない。
引戸を少し開くと、篝火の炎が揺れていた。
肌にしみつく雪のかけらは、そのつど溶けて、誰かの涙の代わりを演じているようにもおもえてきた。そう言えば、かなりの間、わたしは涙をこぼしていない。それだけ強くなったのか、それとも涙すら出なくなってしまったのだろうか。静寂のなかで、わたしの思念の流れの音が響いたような気がした。
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