🟧叛雨に濡れる朝(あした)に🟧  【敵は信長か? それとも父・家康なのか!  乱世の不条理に敢然と立ち向かえ!】

海善紙葉

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第十二章  新 生

新 生 (三)

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 鼻の穴が大きく膨らみ、顎の無精髭ぶしょうひげに飯粒がついている。怒鳴ったあとは、赤子をあやすように口調をやわらげた。

「なあ、小太郎よ!足利義輝の子のおまえが姿をあらわにするだけで、ひと悶着もふた悶着も起ころうぞ!出家の道を選んだのは、おのれではなかったのか!叡山の南光坊を拠点に、諸国を廻り歩いて、津々浦々に根づく芦名衆の仲間をつなぐ核とならねばならんのだ。せめて、その礎ぐらいは、築いておくがいい」

 兵太郎のいはもっともだとおもう。
 足利義輝公の遺児義高様の出現は、周囲にいらぬいさかい事を持ち込むだけだろう。そんなことぐらいは、わたしにも理解できる。
 小太郎は俯いたまま体をわなわなと震わせた。初夏の蝉声が静寂を破って四方よもにこだましている。

「兵太郎……天海さま?なんと、お呼びしていいのか……幽霊ではないのですね……芦名水軍は、どうなりましたか」

 兵太郎はどかっと地に腰を降ろし、頭を掻いた。思い出したくもないのか、すぐには答えず、ううんと唸った。

「……ひゃあ、あのどえらい巨大な鉄船には、腰を抜かしたぞ!大概のことには驚かぬおれですら、わが目を疑った。信長という男、まさか、あの化け物がごとき船を造らせるとはなあ。見ただけで戦意がせたわっ。他の者らはこぞって戦わずに沖に逃れたが、わが水軍は意地で戦いを挑み、ことごとく大破した。海に堕ちた者を拾い上げるは、焼かれた船から救い出すやらで、とうてい戦どころではなかったぞ」
「では、船は、まだあるのでしょうか……」
「何艘かは温存させた。修理は必要だが、使える。船がどうかしたのか?」

 わたしは、佐助と弥右衛門に船を与えてやりたいと云うと、
「大海を渡るには、もっと大きな船が必要だな」
と、にべもない返答がかってきた。

「ま、心当たりがないこともない。……なんとかしてやってもよいが……はて、佐助らはいま、どのあたりにいるのだ?」

 皇女優華様を受け取りにいった経緯をざっと告げると、兵太郎がいきなり怒鳴り出した。

「馬鹿めが!それを短慮という。落ち合う所も定めず、つなぎのやりようも決めず、ただ姫を受け取りにいかせるとは、了見ちがいというものだぞ。計画を立てず、思いつきで人を動かすは、いたずらに無垢むくなる者を死地へと追いやるようなものだ!」

 抗弁のしようもなかった。
 そのとおりだとおもった。仲間の誰がどこで何をしてどうするかを、逐一把握すべし、とも兵太郎に叱られた。いちいちもっともで、わたしにはまだまだ学ぶべきことが多いのだ。
 亀党の首領などを気取って悠長に構えていられる資格はまったくないのだ。
 兵太郎がわたしたちを促し、柊庵にもどると、巣鴨がせっせと床を掃除していたのをみて、互いに目で頷いた。兵太郎が連れてきた芦名衆の残党はそれでも五十人ほどはいて、土間や草の上で寝ていた。
 初めて見る女人も混じっていた。一様に憔悴しきった表情をしていた。
 兵太郎と小太郎が上座に座り、その隣にわたしと巣鴨が座った。拡げた絵図をみながら、兵太郎が切り出した。

「上杉景勝の春日山城から都までの道筋は幾通りもあるが、天満屋ゆかりの商人、そして、われら芦名衆の密偵どもは、ここと、ここにおる……さらに、ここにも……」

 絵図の上に墨で印をつけた兵太郎は、そこから佐助が通るであろう道筋を想定し、さらにその近隣の寺や稲荷社、天満屋に縁のある店など立ち寄るであろう所を推測した。

「小太郎!おまえが途中まで、指揮をせよ!佐助と弥右衛門を必ず見つけるのだ。お亀のために、せめてそれぐらいのことはしてやるがいい。皇女を保護すれば、小太郎よ、おまえは、さっさと叡山のへ戻るがいい」

 有無を云わせない叱責を含んだ口調だった。けれども小太郎は、

うけたまわってそうろう

と、さらに語気を強めて叫んだ。

「残りの者が落ち合うのは、南蛮寺…会える日は……」と、兵太郎が云いかけたとき、
「詩葉は、安土へ行った」
と、わたしが口をはさんだ。
 詞葉は安土での南蛮寺建造の下見に赴いたことを告げた。

「……そんなことは、もっと早く、おれに報せるがいい!では、われらも一隊を、安土に向かわせよう。石工、大工に扮し、隠れ家を設けるのだ。……それにしても信長のやつ、とうとう安土に移るか。まだ、西も東国も荒れておるというのに……この先、なにが起こるかは誰にもわかるまいて……そうだ、船のこともある、われらが落ち合うのは、伊勢桑名の湊。ここに船を何艘か停泊させる。本拠をそこに持つぞ」

 桑野は伊勢湾内にある。
 木曽川、長良川の河口にもあたり、水運には恵まれている。京、安土、尾張にも近く、三河湾に入れば、岡崎、新城にも陸路でつながる。遠州灘沿いにいけば浜松である。そんなことまでわかりやすく兵太郎が云い添えてくれたのは、大体の位置を頭裡に叩き込めという訓導であったかもしれない。

 芦名衆を小太郎に従う者、京に残る者、桑野に船を繋げる者、安土潜入組の四隊に分け、兵太郎は残留組の指揮をとることになった。

「小太郎!南光坊天誉となったいま、このときを生き延びることのみを考えよ!これも成り行きだ、お亀のそばには、おれが最後までついていてやろうぞ!……小太郎、おまえは、昨夜、お亀から与えられたかけがえなき贈り物を大事にするがよい!」

 兵太郎が云うと、小太郎は照れたように笑い、頷いた。かれらの出立しゅったつを見送ったあとで、

「わたしはなんにも与えていないのに」

と、兵太郎に云うと、意外な言葉が返ってきた。

「いや、あやつはこれまで、まことの宝誉にはなっておらなんだ。が、ようやく力がもどってきつつあるようだ、礼をいう」
「礼だなんて……私のほうが……」
「ほら、礼の代わりに、これをくれてやる」

 兵太郎が差し出したのは、掌に乗る小さな磁器の容れ物だった。青い色をしている。蓋らしきものの上に彫細工があった。

「それは、龍だ」
「どんな生き物なのでしょう」
「さあ、おれもこの目にしたことがないのでな。二つの角と四つの足を持ち、空高く飛ぶというぞ。龍は、皇帝のしるしぞ。興福寺に伝わる秘宝の一つらしい。松永弾正が欲しがっていたと聴いた。おれが預かっていたのだが、おまえにくれてやろう。信長と対決するならば、あの珍品好きの信長のことだ、目の色を変えて飛びつくやもしれぬ。好きなように使うがいい。そうよなあ、天海てんかいの茶壷、とでも名づけておくがいい……お亀よ、おまえは、ひとまず、亀屋の屋敷へ戻るがいい」
「……天海……はい、わかりました。いずれ、私も皆様と桑名へ参ります」
「そうだな。だがの、すぐには出立できぬ。金子の手配、先行きの準備、各所へのつなぎ……ゆうに半月はかかろう。その間、おとなしく亀屋の屋敷で待っておれ」

 頷くほかはなかった。

「この壺のなかには何が入っているのでしょう」 
 わたしがたずねると、兵太郎はにやりと笑った。

「なにやら不老長寿の薬が入っているという云い伝えがあるらしい。試しに、呑んでみた……」

 急にばつの悪そうな顔になって、兵太郎は顎をさすった。

「土と埃とかびの味しか、しなかったわい……この世に、これほどまずいものがあろうかと、涙が出たぞ」

 あははとわたしは笑い転げた。巣鴨が不思議そうに目をしばたいていた。
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