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第十六章 信 長
信 長 (ニ)
しおりを挟む「亀よ!なにか、予に文句を云いたいことがあるそうだの!」
鋭い一喝であった。
声の主は、織田信長様その人であった。
その場には、織田家中の歴々だけでなく、徳川家からは、酒井忠次、石川数正、本多正信さまなどの重鎮方たちが、一様に神妙な顔つきで座していた。事前に、茶屋四郎次郎どのが平岩親吉どのに報せ、平岩どのから酒井、本多、石川さまへと早馬が奔り、慌てふためき、こぞって安土に伺候してきたらしい。
家康の長女であるわたしが信長様に物申すとあらば、看過できなかったのだろう。
・・・・天正七年十月六日のことである。
兄信康の切腹の日から数えて二十一日が過ぎていた。
「どうした!口が貝にでもなったかっ!」
当初、信長様はぴりぴりと神経を尖らせていたようにみえた。
けれども、酒井忠次さまが到着し、石川数正さまが蒼い貌をさらに白々とさせて馳せ参じてきたさまをみて、どのような展開になるのかしばし放っておいてやろうという気になられたらしい。
はじめて信長様の容貌を仰ぎみたわたしはわたしで、詞葉に聴いたことを思い出していた。
フロイスという御方がしるされた書簡に、信長様と会見したときの模様を、このように記したそうである。《・・・長身痩躯、髭少し、声はなはだ高く、ひじょうに武技を好み、粗野なり。正義および慈悲の業をたのしみ、傲慢にして名誉を重んず。決断を秘し、戦術に巧みにして、ほとんど規律に服せず、部下の進言に従うこと稀なり。かれは諸人より異常なる畏敬を受け、酒を飲まず、日本の王侯をことごとく軽蔑し、下僚に対するごとく肩の上よりこれに語る・・・・》
これはもう十年前のことらしいけれど、云い得て妙だと感心していた。
するどい観察眼だとおもう。
気が短いし、無駄口を叩かない。
まして、質問したり、反論したりする輩がいるなどとは、端から思っていないようであった。
それだけに。
ずっと信長様を睨んだまま唇を噛み締めているさまを認めて、かえって興が沸いたのか、それとも満座の中でわたしを辱めるよい方法でも思いついたのか、信長様は何度も、亀、亀!と叫んでいた。
わたしの左後ろには、奥山休賀斎の老公がぽつねんと座している。
この場での唯一人の味方だ。
もとより太刀も脇差もはずされていた。いかに海内無双と謳われた剣豪でも、得物がなくば、わたしを護りながら信長様を殺めることなどできないだろう。けれども、すぐそばに老公がいてくださるだけで、信長様と対峙してなおひるまない勇気を与えてくれてもいた。
「亀!」
わたしは背筋をぴんと伸ばした。
「そちが予に送って寄こした文には、《一弁なくば、納まり申しがたく》と、あったぞ。その一弁、聴いてとらせると申しているのだ」
「はい。ありがたきことでございます。私は、岡崎三郎信康の妹、亀にございます」
「なにぃっ!」
「あなた様に、母を殺され、兄を殺された、亀にございます。詮議もなきまま、斬殺を命じられた母と兄を持つ、亀めにございます」
それほどくどい性格ではなかったけれど、わたしは慇懃な口調のまま云い放った。まさに慇懃無礼とはこのことなのだろうけれど、事前に休賀斎の老公か、
〈あとさき考えずに、おもったままのことを思いっきり、ほざきなされよ〉
とのお墨付きをいただいていたのだったし、またいつかの翁狐の城での魔の声のとおりに、あるがままに、わがままにふるまおうと決めていたのだ。
背後から口々に、
「こ、これっ!お、お控えなされませぃ」
と、窘める酒井忠次さま方の声があがったが、聴こえないふりをとおした。
そのとき、信長様の意外な声が響いた。
「予は、一言も、腹を切らせろ、とは命じてはおるまいぞ。そこに控えおる、酒井に確かめるがいい。予は、ただ、しかるべく処置されよ、と伝えただけだ」
「詭弁を弄されまするな」
「なにっ!」
「信長様は、もはやかつての信長様ではありませぬっ」
こんどは信長様のほうが黙った。
何を云いだすのか、好奇に充ちた表情になっている。
それは、最後まで聴いてやろうという合図なのだろうと勝手におもった。
わたしは続けた……。
「……安土の天守閣が成った今、まさに、信長様は天下の主となられたのも同じこと。天下の主から出る〈しかるべき処置せよ〉との御言葉は、処刑せよ、と命じられたのも同じことにござりましょう。この場で、私が申し上げたき〈一弁〉とは、まさにそのことでこざいまする。これからは、天下様のその御名にふさわしく、発する言葉を十二分に吟味した上で、お使いなされませっ。さもないと、織田家中にも、無用の叛心の芽を、知らずのうちに生じさせることにもなりかねませぬ。言葉足らずは、いけませぬ。そのことを申し上げたく参上いたしました」
言い切ったわたしは、ちらりと信長様を窺い視た。
怒ってはいない、ようであった。けれどもたちまち信長様の逆襲がはじまった。
「ふん、ぬけぬけと、ほざきおるわ。やい、亀、おまえは、逆臣松永弾正と懇意にしておったというではないか!」
「そこまでご存知ならば、懇意というは、偽りの言であることは、信長様がなによりもよく知っておられることではございますまいか」
「ならば、明国皇女たちの件は、なんと言い訳するのだ」
「言い訳もなにもございませぬ。おいたわしき限りにて、秀華様は松永弾正どのの手の者に殺され、妹の優華様もまた、過日、何者かの手によって、いきなり矢を射掛けられ落命あそばされました」
もとより神立の里を襲撃したのは信長様の手の者の仕業と知ってはいても、あえて亡き翁狐の策略としておさめたほうがいいのではという咄嗟の思い付きであった。
「な、なにぃっ」
信長様が座を蹴って立ち上がろうとしたとき、休賀斎の老公が叫んだ。
「その不埒なる者ども、たしかに、身共が討ち果たしましてござる」
「おまえは、誰だ?」
「奥山休賀斎でござる」
剣豪には関心のない信長様は、老公の剣名を知らなかったようだ。小姓の一人がすばやく耳打ちすると、
「ふん、孤剣の時代は終わったぞ。それとも、なにか、技でも披露したいのかっ!」
と、吐き捨てるように云った。
その一言が広間に風をもたらした。どかどかっと鎧を着た信長様の侍衛が躍り込んできて、いきなり老公の回りを取り囲んだ……。
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