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(3)異世界を知る課長
しおりを挟む「つまり、どういうことかね、近江くん」
課長が憮然としている──ように見える。
何があっても動じないだろうと思っていたのに。
課長でも動揺することはあるのだなぁ……と、俺は感慨深くなった。
いや、他人事で感慨深くなってる場合じゃなかった!
「ですから。ここは、異世界なんですよ。多分ですけど」
何度目になるかわからないその言葉を口にする。
「異世界だ! チートだ! 無双だ!」
と、柴崎の騒ぐ声が背後で聞こえるが、気にしないことにしよう。
ムカつくから。
「異世界って何ですかぁ? チートぉ? ムソぉ?」
柴崎の横で首を傾げてる矢城さんは激可愛いが。
身長だけしか取り柄のない俺が、矢城さんに釣り合わないのはわかってる。
矢城さんの眼中にないことも自覚した。ってか、さっきさせられた。
が、しかし。
かといって柴崎のものになるのもムカつく。
「ユウカちゃんはオレが守ってあげるからね!」
クソ。
俺もそんな台詞言ってみたい。
「おい、ユキ! オレたちの鞄返せよ」
そうだった! ずっと持たされていたんだよな。
今更だが俺の名前は近江幸。女と間違われる&みゆきと呼ばれるコンボは通常運転だ。
──ボスッ!
俺は無言で二人の鞄を放り投げ──いや、矢城さんのピンクの鞄は普通に手渡したけど。
「やっぱ電話も通じねぇな」
鞄から取り出したスマホを見つめながら、柴崎が呟く。
それは俺もさっき試したんだ。
圏外になっていて、電話もネットも不通だった。
「ええぇ……困るんですけど……写真撮ってもインスタグラフ投稿できないじゃないですかぁ。ユウカのフォロワーさんが心配しちゃう~」
スマホのカメラをあちこちへ向けながらも、ぷうっと頬を膨らませる矢城さん。激カワ。
ヤバい。今俺、語彙が死んでるわ。
「イセカイと言うのはなんだね? そんな国、見たことも聞いたこともないが……」
「そりゃそうですよ! 異世界ってのは、国の名前なんかじゃなくて。文字通り異なる世界ってことっす。ここは日本でもなくて、海外でもなくて、それどころか地球上ですらない……可能性があるってことです」
そんな俺は、課長に異世界レクチャー。何故だ。
俺も矢城さんと一緒に「やばーい。マジ困る~笑」とか言ってたい。
どこともしれない草原のど真ん中で途方に暮れた俺たちは、課長の指示でとりあえず近くの森を目指すことにした。
何故ならば、森の中から一筋の煙が上がっているのが見えたからだ。
火のないところに煙は立たない。正しい意味で。
だから、煙の立つところには火をおこしている誰かがいるということだ。
ここが外国にしろ異世界にしろ、言葉が通じる相手かどうかは行ってみないとわからないが。
移動前に、矢城さんが「お腹が空いた」と言うので、俺の背負っていたリュックからパンの缶詰を出してみんなで分けて食べた。
缶詰のパンというから、乾パンみたいな固いものを想像していたら、ふんわり柔らかくてほんのり甘くて美味しかった。これにはびっくりした。
味はそれぞれチョコ、レーズン、プレーンがあったので、俺と課長がプレーンを半分ずつわけて食べ、矢城さんがチョコ、柴崎がレーズンを食べた。
課長が持たせてくれた非常用持ち出し袋には、他にも水で膨らむアルファ米や、常温保存のレトルト惣菜。ミネラルウォーター数本、缶詰数種、乾パン、簡易トイレ、手動充電式懐中電灯、災害用アルミシート、濾過器などが入っていた……そりゃ重いはずだ。
ここがどこなのかわからない以上、次の食料確保の目処がつくまでは、慎重に計画的に消費しなければならないだろう。
もしもここが本当に異世界だったら……俺たちの鞄の中身なんかほとんど用をなさないものとなる。
万能ツールのスマホも、電波の届かない場所ではカメラ程度にしか使えない。
間違いなく充電なんかもできないだろうから、一~二日で完全にバッテリーが切れるだろう。
財布も持っているが、中のカードも金も異世界では役に立たない可能性が高い。
江戸時代みたいに金とか銀とかでできた貨幣だったらよかったかもしれないけれど、所詮紙切れと合金の塊……。
ノートや手帳やボールペンも、全く役に立たないとまでは言わないが、活躍の機会はあまり望めなそうだ。
「ユウカ、もう疲れたぁ~。足痛~い。もう歩けな~い。帰りたいよぉ……ぐすっ」
さっきまで柴崎に手を引かれていた矢城さんが、若干涙声になってる……。
その気持ちは俺にもわかる。
異世界に転移したかも?!
そう思った時は、チートだ! ハーレムだ! と、浮かれていたものの。
そういえば転生チートにつきものの神様にも会ってないし、何なら服も身体も一緒にいるメンバーまでが元の世界と変わりないものだから。
何だか……。
「どうして私たちはその異世界とやらに来てしまったんだ? 近江くんは異世界に詳しいようだが、君は来たことがあるのかね?」
「えっと……実際に来たのは初めてっすね。課長はトールキンの『指輪物語』だとか、ルイスの『ナルニア国物語』とかを聞いたり読んだりしたことはありますか?」
どちらも有名なファンタジー小説だ。ナルニアの方はやや児童向けだけど。どちらも映画化された超有名作品。
「指輪物語ならば知っておるぞ! 若かりし頃読んで胸を熱くしたものだ!」
ビンゴだった。そもそも、ファンタジー的概念がなければ説明がしづらいからな。
課長とファンタジー小説って全然合わないけど。
「あれは、あくまでもフィクションですが、日本や地球上のどの国とも違う世界でしょう? 俺たちは今、そういう世界へ来てしまった可能性があるってことです。異世界へ来たこともない俺がなぜ詳しいのかと言うと……」
そこで俺は、ちょっと声を潜めた。
矢城さんに聞かれてオタク呼ばわりされたくなかったからだ。
「異世界転生や転移といって、他の世界へ迷い込んだ人間が活躍する物語を最近の小説で読んだり、アニメで見たりしたことがあるので、あくまで知識として知っているだけです。知識として!」
「ふむ、なるほど……では、私たちは指輪物語の世界へ迷い込んでしまったというわけか……」
「いえ、そうではなくて。指輪物語ではないんですけど、俺たちのいた地球とは違う世界だっていうことですよ。この世界がどんな世界なのかはわかりませんけど──もし、俺の想像通り異世界だったとしたら……俺たちの常識が通用しないことだけは確かでしょうね」
「そうか……」
課長は少し考え込むようにうつむいた。
やっぱりガックリきてるのかな?
俺には(多分柴崎も)少しだけ異世界に期待する上向きの気持ちもあるけれど、課長はそうもいかないに違いない。
元の世界に残してきた家族もいるだろうしな。
異世界については課長より見識の広い俺が、ちょっと元気づけてやるか。
「あの、かちょ……」
「きゃああぁぁぁぁぁぁ──っ!!!!」
そんな俺の言葉を遮ったのは、誰かの鋭い悲鳴だった。
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