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初詣ですが、黒鷺が不機嫌になりました
しおりを挟む翌日。
スマホのアラームに起こされた私は体を動かした。まだ寝ていたいけど、そうはいかない。
リビングに行くと、驚いた顔の黒鷺に迎えられた。
「おはようございます。思ったより早く起きましたね」
「んー、おはよう」
「そんなに雑煮が食べたかったのですか?」
「それもあるけど……」
頭が寝ていて言葉が出ない。
「お餅を焼きますが、いいですか?」
「お願い」
椅子に座ってリビングを見回す。
「あれ? リク医師とミーアは?」
「二人とも寝てますよ。十時ぐらいに起きると思います」
現在の時刻は朝の八時。
私は寝起きのぼさぼさパジャマ状態。
でも黒鷺は、首もとが緩めの紺色のタートルネックに、黒のストレートパンツ。何気にいつもキチンとしている。
そんなことを考えていると、出汁の優しい匂いが鼻をくすぐった。
「どうぞ」
目の前にお椀が置かれる。
白い餅の上に花型のニンジン。大きな殻付きの貝に、紅白のかまぼこ。鮮やかな緑の三つ葉に、透き通った汁の雑煮。
「……味噌じゃない」
「すまし汁のお雑煮ですが……味噌の方が良かったですか?」
「あ、そうか。お雑煮って地域で違うんだよね。ちょっと、ビックリしただけ」
私は手を合わせた。
「いっただっきまーす」
「どうぞ」
私の向かい側で黒鷺も雑煮を食べ始める。誰かと一緒に食べるご飯って、やっぱり嬉しい。
私は雑煮を一口食べて手を止めた。
(この味は……)
雑煮を見つめたまま動かない私に、黒鷺が心配そうに訊ねる。
「口に合いませんか?」
「ううん、美味しいよ。そうじゃなくて、私の家もこんな感じのお雑煮だったなぁって」
「味噌ではなく?」
「味噌は祖母が作ってくれたお雑煮。母のお雑煮は、こんな感じだったわ」
すっかり忘れていた。遠い昔、母が作ってくれた雑煮も大きな貝が入っていて、貝殻が邪魔だった。
一方の祖母は、味噌に大根やニンジンなど野菜たっぷりで、味がまったく違う。いつの間にか、雑煮といえば味噌になっていた。
お椀にゆっくりと口をつける。どこか嬉しく、懐かしい味。
「……思い出させてくれて、ありがとう」
「なにか、言いましたか?」
聞かれていたことに焦る。
「な、なんでもない! あの、これからちょっと出かけてくる! お昼までには帰って来るから! ミーアには昼から一緒に初詣に行くって伝えて」
「病院からの呼び出しですか?」
「ま、まぁ、そんな感じ」
「だから早く起きたんですね」
黒鷺が納得する。
私は、なんとなく本当のことを言い出せなかった。
だって、せっかくもらったクリスマスプレゼントを失くしかけて、それを取りに行くなんて、なんか言いづらい。
俯いて雑煮を食べていると、黒鷺が提案をした。
「なら、おせちは昼に食べましょう」
「すぐ帰るわ!」
「別にゆっくりでいいですよ。おせちは逃げませんから」
「……うん」
なんだろう……なんか、ちょっとした罪悪感がある。
雑煮を食べた私は、ミーアたちが起きる前にこっそりと出かけた。
※
冷たい風が吹き抜ける神社。
予想通りの人混み。中には着慣れていない晴れ着で歩く人も。でも、これぞ正月って感じ。
私はお参りをするため、行列に並んでいた。なんか周囲の女子から視線とヒソヒソ声が飛んでくる。
私は原因である隣を睨んだ。
「一人で来ても、良かったんじゃないの?」
「なに、言ってるんだ。こんなに人がいるのに、一人なんて寂しいだろ」
そんなことを言うのは、朝から参拝することになった元凶の蒼井だ。
細身の黒のトレンチコートに、ベージュのスラックス。首もとにはチェックのワインレッドのマフラーを差し色にいれて、相変わらずのオシャレイケメン。
茶髪を自然に流し、キザに笑う姿は当直明けには見えない。
「子どもじゃないんだから、一人でもいいじゃない」
「オレは嫌なの」
きっぱりと断言され、私は肩をすくめた。
「なら今日じゃなくて、誰かと一緒に来れる時に来たら良かったのに」
「正月に参らないと、年が明けた気がしないだろ。仕事をしていたせいで、大晦日と正月を過ごした感が乏しいのに」
「変なこだわりに、私を巻き込まないで」
「イヤリング、返さないほうが良かったか?」
「それについては、ありがとうございました」
渋々、頭を下げる。顔を上げればドヤ顔の蒼井。
(なんか、ムカつ……)
「ゆずりん!」
「ぐぇ!」
容赦なく抱きしめられ、喉が絞まる。隣を見れば、ミーアとその後ろに黒鷺が!?
(ど、どうして、ここに!? いや、それより今は手! 手をどけて!)
首を絞めている手を必死に叩く。声が! 声が出せない! 息が! 出来ない!
「あれ? もしかして、苦しい?」
「苦しいより、死にかけ…………ゲホッ! ゴホッ!」
やっと解放され、むせながら深呼吸をする。はあ、冷えた空気が美味しい。
息が整ったところで黒鷺と目があった。
「仕事で呼び出されたんじゃあ……」
黒鷺の呟きを拾った蒼井が私に確認をする。
「仕事?」
「いや、あの……」
黒鷺は私が仕事だと思い込んでいたし、私は訂正しなかった。まさか、ここで会うなんて……
なんとなく気まずい。うぅ、黒鷺の視線が鋭くなっていく。
私は逃げるように蒼井の影に隠れた。そこで、黒鷺の顔がますます険しくなる。なんで!?
痛い空気を吹き飛ばすように、ミーアが私の腕に絡みついた。
「なんとなく、ゆずりんがいる気がしたんだけど、正解だったわ!」
「なに、その直感!?」
驚く私にミーアが満足そうに笑う。
「んふぅー! これぐらいの直感がないと、世界の秘境を渡り歩くなんて出来ないの。ところで、ゆずりんは、おみくじひいた?」
「まだ、だけど」
「なら、一緒にひかない? 私、読めない漢字があるから教えてほしいの」
「いいわよ」
「やったぁ! あれ、天音どこ行くの?」
「おせちの準備があるので、先に帰ります」
黒鷺がこちらを見ることなく回れ右をした。背中からどす黒いオーラの幻影が見える。もしかして、不機嫌になってる!?
「黒鷺君、ちょっと待っ…………行っちゃった」
止める間もなく黒鷺の姿が人混みに消える。私は伸ばしていた手を下ろした。
呆然としている私を、ミーアが屈んで下から覗き込む。小首を傾げた美女の上目遣いは絶景ですね。
現実逃避を始めた私の思考にミーアが語りかける。
「天音のことは気にしないで」
「でも、怒ってなかった?」
「怒ってるっていうより、拗ねてるって感じかな。でも、天音に表情がある間は、まだ大丈夫。本当に危険なのは無表情になった時よ。冷静に見えて、頭に血がのぼってるから、その場の勢いで突っ走るの」
「そう……なんだ」
その場の勢いで突っ走る黒鷺なんて、想像できない。なんか、いつも冷静というか、どこか余裕がある感じ。
「しかも昔、空手を習ってて黒帯まで取ったのよ」
「えぇ!? あ、それで体格がしっかりしているのね」
「護身のために習ってたんだけどね。今でも朝夕のジョギングはしてるし、最低限の練習はしてるんじゃないかな。あ、ちなみに私も黒帯だから」
「えぇ!?」
もっと意外。こんなに美女で強いって、なに!? ハリウッド女優!?
驚く私にミーアがニヤリと笑う。
「で、天音が拗ねた原因は、ゆずりんよ」
「な、なんで!?」
「一緒に初詣に行こうと思っていたのに、勝手に行ったから」
「でも、一緒に行きたいなんて言ってなかったわ」
「私が一緒に行くと言ったから、天音も一緒に行く気になっていたのよ。ま、そこの誰かさんが邪魔したんでしょうけど」
ミーアが冷めた視線で蒼井を睨む。
その瞬間、背筋に悪寒が走った。ミーアからブリザードの幻影が発生する。この周囲だけ、気温が十度ぐらい下がったような……
私は寒さを少しでも和らげるように、両手で腕をこすった。
一方の蒼井は平然とした顔で私とミーアを見比べている。
「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、か」
「なに?」
「いや、なんでもない」
蒼井が爽やかな笑顔になる。
「で、この美女は誰だ?」
「リク医師の娘さんの美亜。ミーア、こっちは私の同期で、形成外科医の蒼井 蓮よ」
「アオイ レン。覚えたわ」
敵意丸出しのミーア。覚えた、が別の意味に聞こえる。こう、暗殺相手を覚えた、っていう……
蒼井もこの不穏な気配を感じているはずなのに、爽やかな笑顔のまま話を進める。
「一回で覚えてもらえて嬉しいよ。この後、一緒にお昼を食べないかい?」
「家でおせちを食べるから、いらないわ」
「じゃあ、カフェでお茶でもどう? ケーキぐらい奢るよ」
「ケーキ!?」
ミーアの興味がケーキに移り、少しだけ私から離れる。その動きに、蒼井の目が鋭くなる。
「どんなケーキがいい?」
「生クリームとイチゴがのったケーキ」
「ショートケーキか。それなら、美味しいケーキ屋さんを知っているから、そこに行こう」
こうしてケーキ屋へ行くことになった、結果…………
「どうして、こいつがここにいるんだ?」
超不機嫌顔の黒鷺と、爽やか笑顔の蒼井が、リビングで対峙する構図が誕生した。
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