【完結】女医ですが、論文と引きかえに漫画の監修をしたら、年下大学生に胃袋をつかまれていました

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お粥ですが、優しい味がしました

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 カチャカチャと食器が擦れる音。微かに漂うご飯の匂い。目を開けると部屋は暗かった。

 ゆっくりと体を起こす。


「あれ? ここ、どこ?」


 ぐっすり寝ていたせいか、頭が働かない。霞がかかってみたい。
 周囲を見れば、私の部屋でないことは分かる。視線を下げれば、見覚えがあるコタツが……


 ――――――そうだ、黒鷺の家だ。でも、どうして、ここにいるんだっけ?


 思い出そうとしていると、黒鷺の声がした。


「起きました? のど渇いてます? なにか食べます?」


 次々と言われても、すぐに反応できない。お腹は空いてないけど、口の中がカラカラ……というかベタベタ。水分が欲しい。


「んー、のど渇いた」

「お茶でいいですか?」

「うん……」


 記憶がはっきりとしない。ぼんやりしていると、黒鷺がお茶を持ってきてくれた。


「飲めますか?」

「うん……」


 湯呑を受け取ろうと手を動かす。そこで、痛みが走った。


「ンッ……」

「どうしました?」

「腕が痛くて……あ、そうか」


 両腕の包帯で、切りつけられたことを思い出した。

 やっぱり実感がない。

 痛みはあるけど、どこか他人事みたい。あと、頭が回らなくて、体が熱い。麻酔が切れて、痛みも出てきた。

 ボーとしている私に、黒鷺が視線を合わせるように屈む。薄い茶色の瞳がまっすぐ見つめてくる。


 ちょっと恥ずかしいかも。


 顔を逸らそうとしたら、大きな手が伸びてきた。そのまま、体ごと迫ってくる。


(いや、ちょっ、なにっ!?)


 ギュッと目を閉じると、額に冷たい感触が。


「熱がありますね」


 あ、額に手をあてて熱を測ってくれたのね。

 私は苦笑いとともに目を開けた。


「たぶん傷からの熱だと思う。解熱剤が私のカバンに入ってるから、取ってくれる?」

「なにか食べてからの方が、よくないですか?」

「確かに、そうだけど……」


 私は壁にかかっている時計に目を向けた。


「夜の八時かぁ。四時間ぐらい寝てた?」

「それぐらいですね」


 昼ごはんも食べていないのに食欲がない。


(熱のせいかなぁ。でも、なにか食べたほうがいいしなぁ)


 私の考えを読み取ったのか、黒鷺が訊ねる。


「お粥なら食べられそうですか?」

「それなら……でも、わざわざ作ってもらうの悪いし」

「そういうのは、気にしないでください。それに、お粥ぐらいなら簡単に作れます。なにか入れますか?」


 優しく頭を撫でられた。くしゃくしゃと髪を乱す大きな手。不思議と気持ちがほぐれる。

 ふと、子どもの頃、風邪をひいた時に母が作ってくれた粥を思い出した。


「梅干しと塩昆布が入ったお粥……」

「わかりました。作りますので、待っててください」

「ありがとう」


 微笑みと一緒に、また頭を撫でられた。嬉しいような、ホッとするような。不思議な気持ちを抱えてソファーに転がる。

 疲れているのかなぁ。また眠くなって…………

 ウトウトしていると声をかけられた。


「お粥、できましたよ」

「え? もう?」


 目を開けると、一人用の土鍋に梅干しと塩昆布がのったお粥があった。ほかほかと湯気がのぼっている。


「食べられるだけ、食べてください。無理しなくていいですから」

「うん」


 ソファーからコタツに移動した私は、匙を持って一口食べた。

 カツオの出汁に丁度いい塩気。柔らかい米は噛まなくても飲み込める。
 酸っぱい梅干しは落ちた食欲を回復させてくれるし、塩昆布は味を変えてくれる。


「……おいしい」


(お粥なんて、いつ以来だろう……懐かしいような、ホッとする味)


 でも、半分まで食べたところで手が止まった。


「無理しないでください」

「ん……美味しいし、もっと食べたいんだけど、なんか……」

「残していいですよ。薬を飲みますか?」

「うん。薬飲んで寝る」

「どうぞ」


 黒鷺がカバンを取ってくれた。痛み止めを取り出し、水で飲む。

 お腹がいっぱいになり、また眠気がやってきた。このまま寝るのはマズイ。化粧だけは落とさないと……でも、動くのが面倒。

 心の中で葛藤していると、黒鷺が覗きこんできた。


「寝ます?」

「うん……顔洗って、寝る」

「なにか手伝いましょうか?」

「大丈夫、大丈夫」


 自分のことは自分でしないと。

 立ち上がると少しふらついた。ハリネズミのぬいぐるみを持つ手に力を入れる。


「歩けます?」

「歩ける、歩ける」


 私は軽く笑った。ただでさえ迷惑をかけているのに、これ以上は頼れない。

 付いてきそうな黒鷺に手を振って、私はいつもの客室に移動した。
 服を脱ぐと、嫌でも自分の両腕が目に入る。包帯でグルグル巻きの腕。


「傷の処置は明日でいいよね」


 私はスーツケースから洗顔料とタオルを出すと、洗面所で顔を洗った。顔はスッキリしたけど、やっぱり眠い。美容液をつけてベッドに倒れ込んだ。


※※


 ずっと寝ていたせいか、変な時間に目が覚めた。丑三つ時の深夜二時。
 怪談話で、神社の木に藁人形に五寸釘を打つのって、この時間だったような……


「嫌な時間に目が覚めたなぁ」


 もう一度寝ようとするが、眠れない。小さな物音を耳が拾い、無意識に体が震える。クリスマスや正月を過ごした時の温もりが恋しい。

 私はハリネズミのぬいぐるみと毛布を持つと、リビングに移動した。

 こっそりとドアを開ける。当然ながら誰もいない。そこにあるのは、無機質な闇。


「……静か」


 私はソファーに寝っ転がり、テレビを付けた。音の大きさに驚いて音量を下げる。いつもと同じ音量なのに、やけに大きく聞こえた。

 暗いリビングにテレビの世界が眩しい。

 こんな時間だから通販やお笑いの再放送しかない。でも、何もないよりはいい。


 ボーとテレビを眺めていると、リビングのドアが開いた。

 驚いて体を起こす。

 電気をつけた黒鷺と目が合った。部屋着なのか、紺色のスエット姿。こんなラフな姿は初めて見たかも。


「眠れませんか?」

「ごめん、起こした?」

「いえ。漫画の作業で起きていましたので」

「ちょっと寝過ぎたみたいで、目が覚めちゃった」

「暖房をつけないと寒いですよ」


 黒鷺がエアコンのスイッチを入れる。


「毛布があるから大丈夫。寒くなったらコタツに入るし」

「傷もありますから、無理しないでください。熱は?」

「薬が効いて下がってるみたい。痛みも軽くなってるし」

「治ったわけではないんですから、ちゃんと休んでください」

「はーい」


 立ち上がろうとした私を黒鷺が止める。


「ハーブティーを淹れますから。少し待ってください」

「え、でも、そんな……」

「僕も飲みますから。ついでです」

「あ、うん。ありがとう」


 私はソファーに腰を下ろした。

 気を使わせてばっかりだなぁ。口に出したら、気にするなって怒られるんだろうけど。

 お湯が沸いた音がして、リビングに不思議な香りが広がる。


「カモミールティーです」

「ありがとう」


 差し出されたカップを受け取る。黒鷺が私の隣にそっと座った。
 少しだけソファーが沈む。一人じゃないんだと実感すると同時に、体から力が抜けた。


(誰かがいるだけで、こんなに安心するなんて……)


 カップからフレッシュな青リンゴのような香りが漂う。一口飲むと、体の中からほんのり温まる。


「カモミールティーには、リラックスや冷え性改善の効果があるそうですよ。カフェインは入っていませんし、安眠作用もあるそうです」


 黒鷺の説明を聞きながら、ぼんやりと考える。


(こんなに気をつかわせて、やっぱり迷惑をかけてるよね……)


「……私、朝になったら出て行くね」


 私の呟きに、空気とともに黒鷺が固まった……気がした。
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