【完結】女医ですが、論文と引きかえに漫画の監修をしたら、年下大学生に胃袋をつかまれていました

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蒼井ですが、差し入れを買いに行きました

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 ちょっと前まで一触即発の空気だったリビングが、今はほわほわと花が舞っている。その発生元は蒼井だ。

 自分の漫画に、お気に入りのキャラとサインを描いてもらい、ホクホク顔の蒼井。こんな嬉しそうな顔は見たことがない。

 私は少しだけ呆れながら言った。


「もしかして、灯里ちゃんの手術の手伝いを依頼した時に喜んだのは、黒鷺君の漫画の影響?」

「当然! 憧れの漫画と同じ手術に携われるなんて光栄だ!」


 蒼井が燃えている。


「そ、そう。それにしても、蒼井先生の趣味が漫画なんて知らなかったわ」

「別に趣味ってほどじゃない」

「いや、いや。同じ本を四冊もっている時点で、十分趣味でしょ」

「四冊も持っているのは、本当に好きな漫画だけだ。それに世間で話題の漫画は、ほとんど読んでいない」

「そうなの?」

「自分が好きなものしか読まないからな。ただ、漫画が趣味だっていうと、あの作品は読んでて当たり前とか、あれは読んどけとか、押し付けられるんだよ」


(なんとなく分かる。相手は善意のつもりなんだろうけど、こちらとしては迷惑なやつ)


 私が頷くと、蒼井は話を続けた。


「だから趣味とは言わない。でも、好きな漫画はとことん集めるし、好みが合いそうなヤツには、こっそり布教する」

「医局の机に黒鷺君の漫画があったのは……」

「あれも布教用だ」

「だって。良かったね、猛烈な信者がいて」


 黒鷺を見ると、顔を逸らしていた。でも、耳が赤くなっているのは隠せていないぞ。

 黒鷺が拗ねたように呟く。


「教祖になったつもりはありません」

「黒鷺教。いいじゃない。なんかカッコいいし」

「よくないです。仕事してきます」

「黒鷺先生の作業部屋……」


 希望と憧れがこもった蒼井の声に、黒鷺の足が止まる。私は黒鷺の代わりに訊ねた。


「見たいの?」

「そりゃあ、当然だろ! あ、いや、でも作業部屋を見たら、一気に現実感が……夢は夢のままのほうがいいのか?」


 蒼井が苦悶する。


「別に普通の部屋だったわよ。パソコンと本と紙に埋もれた」


 私の発言に蒼井の顔が引きつる。


「おまっ!? オレにはオレの理想像があったんだよ! それを、いとも簡単にバラすな!」

「うーん、私には分からない世界なのね。とりあえず、ごめん」

「うぅ……」


 蒼井が床に座り込んで俯く。しかも、体育座り。懐かしい。


「おーい、イケメンが台無しだぞ」

「ほっといてくれ」


 完全にいじけちゃってる。

 どうしよう、と視線を黒鷺に向けると、深い深いため息が返ってきた。


「はぁ……少しだけなら、部屋を見てもいいですよ」

「本当か!?」

「このままでも困りますから。どうぞ」


 こうして急遽、黒鷺部屋ツアーが開催された。


※※


「へぇ~、こうなっているのか」

「私の部屋より医学書が多くない?」


 黒鷺の部屋に入ったことはあったけど、こうしてじっくりと見るのは初めて。
 本棚に並ぶ医学書の多さに驚く。床から山積みしている本は、絵に関係したものや歴史書が多い。

 部屋の主である黒鷺が居心地悪そうに立っている。


「これでいいでしょう? さっさと出てください」


 蒼井が感慨深く部屋を見回す。


「うん。良いもの見させてもらった。お礼に昼ご飯を奢ろう。なにが食べたい?」


 蒼井の申し出に黒鷺が頭を抱える。


「なにもしなくていいので、帰ってください」

「先生に差し入れをしてみたかったんだよな。漫画の編集者みたいで」

「編集者から差し入れをもらったことはありません」

「ないのか!?」

「ないです。ですから、差し入れは要りません。帰ってください」


 黒鷺が蒼井の背中を押して部屋から押し出す。ついでのように私も追い出された。

 さすがに悪ノリしすぎたかなぁ、と反省していると、蒼井が訊ねてきた。


「なあ、黒鷺先生の好きな食べ物って、なんだ?」

「差し入れするの?」

「当然! 直接推しに貢げるチャンスなんだぞ! 貢がないで、どうする!?」


 見えない熱気に圧される。普段の軽い蒼井はどこいった!?

 私は熱気を避けながら考えた。


「そうは言っても、なんでも食べるしなぁ……」

「甘い物とか、辛い物とか、なんかあるだろ?」

「しいて言うなら、美味しいもの?」

「美味しいもの……よし! ちょっと、買ってくる!」

「え?」


 蒼井がダッシュで飛び出した。そこに、黒鷺がそっとドアから顔を出す。


「……帰りましたか?」

「昼ごはん買ってくるって」

「また、来るんですか……」


 珍しく黒鷺が落ち込む。


「どうする? 断ろうか?」

「……いえ、いいです」


 その答えに私は思わず笑った。


「どうしました?」

「なんだかんだ言って、黒鷺君って優しいよね」

「そんなことありません」


 黒鷺が顔を背けて即座に否定する。これは恥ずかしがってるだけのヤツね。でも、これ以上、言ったら拗らせそうだから止めておこう。


「じゃあ、私はリビングにいるね」

「僕も……」

「いいよ。黒鷺君は漫画を描いてて」

「ですが……」

「大丈夫だから」


 黒鷺が疑うような視線で睨む。私、なにも悪いことしてないよね!?


「なにかあったら呼んでくださいよ?」

「わかったから、黒鷺君はお仕事、お仕事」


 ドアを無理やり閉めて黒鷺を部屋に閉じ込める。


「なにをしようかなぁ……って、言っても寝てるしかないんだよね」


 私は玄関をドアの鍵を閉めると、リビングに戻ってソファーに寝転んだ。テレビのスイッチをいれるが、興味がある番組はない。


「暇だなぁ」


 独り言がリビングに消える。クリスマスや正月の賑やかさが嘘のよう。部屋は暖かく、毛布を被っているから寒くない……はずなのに。

 なんだろう、この気持ち。なにか物足りない。

 ハリネズミのぬいぐるみを抱きしめるけど、満たされない。

 体を小さくして、毛布を握りしめる。瞼が重くなってきた。


「少しだけ……」


 目を閉じると、そのまま意識が落ちた。
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