【完結】女医ですが、論文と引きかえに漫画の監修をしたら、年下大学生に胃袋をつかまれていました

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苦い記憶ですが、話せました

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 ――――――――一年前の、あの日。


 今でも目を閉じると、あの時の光景が浮かぶ。

 冬晴れで日差しは暖かく、穏やかな日だった。いつもと変わらない日常…………のはずだった。


 それが……


「私は当直明けで、買い物をするために商店街を歩いていたの。そうしたら、一台の暴走車が突っ込んできて……次々と人をはねたわ」


 あの頃は他に目立った話題もなく、連日このニュースが流れていた。だから、耳にしたことぐらいはあると思う。


「周りは、骨折や打撲の受傷者ばかり。うめき声や叫び声が溢れて凄惨だった。その中でも車と壁に挟まれていた、あの子は……」


 私は目を閉じて俯いた。


「すぐに救急車を呼んだわ。ただ、問題は搬送先だった。その子どもは、すぐに手術が必要だと分かる重傷。だけど、すぐ近くにある私の職場の病院は、すべての手術室が埋まっていたの。しかも、その日は長時間の手術ばかり。救急車で子どもを搬送しても、すぐに処置と手術はできない」


 あの時の絶望…………


「だから、私は救急車が来るまでに、他の病院に勤めている同期に片っ端から電話したわ。すぐに処置と手術ができないかって」


 今でも鮮明に思い出す。泣き叫ぶ人々。とくに、父親が必死に我が子を呼ぶ、悲痛な声。


「少し遠かったけど、なんとか手術ができる病院を見つけて……到着した救急隊に事情を説明して、一番にその子どもを搬送してもらったわ。私も同乗して処置をしながら」


 ――――――――でも…………


「………………間に合わなかった」


 痛いほどの静寂。こればっかりは慣れない。自分の無力さに、すべてを否定されたような気持ちになる…………



 手を強く握りしめる。歯をくいしばる。泣いてはいけない。涙を流してはいけない。私は…………



 黒鷺がポツリと呟いた。



「…………助けたかったんですね」



 ――――――――うっ……



 言葉が突き刺さる。感情を封じていた蓋にヒビが入る。ずっと、ずっと、我慢していた。


 でも、言えなかった。



 だって、私は助けられなかったから。



「……辛かったですね」


 黒鷺が私の気持ちを代弁していく……


「もう、一人で抱えなくていいですよ。全部、言っていいですよ」


 ずっと、一人で耐えてきた。感情を封じていた蓋が音をたてて壊れていく。必死に抑えていた感情があふれ出す。


「ぅ、ぐぅ……」


 嗚咽とともに、涙がこぼれる。

 無力な自分が悔しくて、悲しくて。でも、どうすることもできなくて。
 何度も、何度も、後悔して、謝って…………でも、感情は消えなくて。

 だから、何重にも蓋をして、心の奥底に閉じ込めた。そうしないと、動けなかった。決して、あの子のことを忘れたわけじゃない。


「わたっ……わたしっ、は!」


 子どものように泣き叫ぶ。あふれた感情が止まらない。


「たすけっ……助けたかった…………!」

「うん」

「あの子の……あの子の人生を……」

「うん」

「こんっ、こんな、ところで、終わらせたくなかった…………!」

「うん」


 黒鷺の服を強く握りしめる。


「私が……私が、もっとしっかりしてたら……」


 悔しさで、唇を噛む。鉄の味が広がる。


「あそこにいたのが、私じゃなかったら……」


 何度も、何度も考えた。


「もしかしたら、あの子は助かっていたかも……」


 あの子の未来を、私が奪っ…………


「違う」


 否定とともに、強く抱きしめられる。意識が現実に戻る。


「柚鈴は精一杯ことをした。それは、ほかの誰かでも同じ結果だったと思う」


「…………でも、父親には近くの病院に搬送しなかったことを、何度も責められたわ。最後には、おまえさえいなければって」


 あの時、私があそこにいなければ……買い物に行かなければ…………


 呪言のように、私を縛り付ける。


「それは逆恨みです。悪いのは暴走車を運転していた人なのに」

「そう、ね……ただ、運転手は病気で、事故を起こしていた時には死亡していたの。だから、父親は余計に怒りを向ける先がなかったんだと思う」


 そんな親の気持ちを受け止めるのも仕事の一つ。だから、大丈夫だと思っていた。けど…………


 黒鷺が悔しそうに呟く。


「柚鈴はまったく悪くないのに」

「…………いろんな人に言われたわ。『対応に問題はなかった』『気にするな』って」


 それでも、私の気持ちが軽くなることはなかった。重すぎる感情は、楔となって突き刺さる。


「父親からすれば、私は娘を奪った人間、なのよ」


 黒鷺が大きく首を振る。


「そんなの間違ってる! それで、柚鈴が刺されるなんて!」

「…………そうね。黒鷺君にも、こんなに迷惑をかけて」

「そうじゃない!」


 黒鷺が私の肩を持ち、体を離す。お互いの息がかかりそうな程の距離。顔が近い。

 肩を掴んだ黒鷺の手に力が入る。まるで、私を逃がさないかのように。

 黒鷺が大きく息を吐き、決心したように顔を上げた。


「迷惑をかける、とか考えなくていいんです」

「けど……」

「柚鈴」


 正面から名前を呼ばれ、体が痺れる。薄い茶色の瞳から目が離せない。


「いいから、聞いてください。僕は、柚鈴のことが……」
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