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医療ですが、基本を思い出しました
しおりを挟むまっすぐ見つめてくる澄んだ薄い茶色の瞳。けど、今にも私に飛びかかりそうな気迫。
黒鷺が意を決したように口を開いた。
「僕は、柚鈴のことが……「ただいまぁ!」
玄関から明るく大きな声が響いた。軽い足音とともにリビングのドアが開く。
「最終の新幹線に乗れたから、帰ってきましたヨ!」
今までの重い空気が一気に消し飛ぶ。二人そろって呆然とリクの顔を見上げる。
そんな私たちの様子に、何かを察したリクが額に手を当てて天を仰いだ。
「オォ! 私としたことが、とんだお邪魔虫しましたネ」
「ち、ちっちちちち、違います!」
私は慌てて立ち上がり、いままでの経緯を説明した。
※
私の反対側の椅子に座るリクが静かに頷いた。
「そのお父さんは、子どもの死が受け入れられないのでしょうネ」
「だからと言って、柚鈴を刺すのは間違っている」
黒鷺がテーブルにお茶をドンと置いた。力入れすぎでお茶が飛び散ってるよ。
「そうですネ。それは、そのお父さんの問題です。柚鈴先生に向ける感情ではありません。ですが、こういうことは、どうしてもあります」
「リク医師でもあるのですか?」
「はい。ですから、必死に考えて選んで治療します。他に方法はないか。ベストな方法はどれか。目の前の患者を確実に助けるために。そして、少しでも自分への後悔を減らすために。悔やまないために」
優しくシワを刻んだ笑顔。私と同じ気持ち。私だけでは、ないんだ。同じように悩みながら治療している。
(そう。同じだけど、違う)
両手を握りしめた。
「私は…………怖い、んです」
振り絞るように声を出す。
「また、あの子のように助けられないんじゃないか、治療できないんじゃないか、って……」
あれから、ずっと私を縛りつける感情。私は逃げるように俯いて目を閉じた。
リクが大きく息を吐く。
「それで灯里の治療に必死だったのですネ。ですが、いつもそんなに必死だと、いつか柚鈴先生が倒れてしまいます」
「私に家族はいません。倒れても「僕が心配する」
私の言葉をかき消すように黒鷺が言った。顔を上げると、黒鷺が怖いほど私を睨んでいる。
「アマネ、黙っていなさい」
低く威圧的な声が黒鷺を刺す。初めて聞くリクの重い声に、私の体が固まる。
そんな私を安心させるようにリクが微笑んだ。
「柚鈴先生は、もう少し頼ることを覚えたほうがいいです」
「たよ……る……」
「はい。医療はチームです。一人では、できません。もっと周りを頼って、使ってください。そして、柚鈴先生の負担を軽くしてください」
他の人に何度も言われた。でも、実行するのは難しい。
悩む私にリクが言葉を続ける。
「人は頼られると嬉しいものです。でも、頼ってもらえないと悲しくなります」
「そうなんですか?」
リクが頷く。
「はい。私は灯里の手術の時、柚鈴先生に助手を頼みました。それは、迷惑でしたカ?」
「い、いいえ。むしろ、あの時は手術の道具の滅菌や、手術の準備を任されて、認められてるんだって思って、嬉しく……」
私はリクの言いたいことに気づき、口を閉じた。
「わかりましたカ?」
「はい。あの時は、自分の技量を認められているんだと、嬉しくなりました。ですが、私は……私はずっと、頼ることは、迷惑をかけることだと思っていました」
「それは、時と場合です。頼り過ぎると重くなることもあります。ですが、まったく頼られないと、信頼されていないようで悲しくなります」
「それは……気づいていませんでした」
「なら、もう少しだけ、周りを見てください。頼ってほしいと思っている人もいますヨ」
リクが黒鷺に視線を向ける。すると、黒鷺が不機嫌な顔で言った。
「Non avrei mai pensato di essere geloso di mio padre.」
「Aspettative per il future.」
リクが余裕のある渋い笑顔で返す。イタリア語で会話なんてズルい。こっちは分からないのに。
私の不満に気づいたのか、リクが軽く笑いながら視線をこちらに戻した。
「柚鈴先生が治療をすることを、怖いと思うのも苦しいと思うのも分かります。ですが、それは必要な気持ちです。その気持ちを、忘れないでください。もし、その気持ちを忘れたら、治療をするだけのマシーンになってしまいます」
「機械に?」
「はい。同じ病気でも、同じ人はいません。病気とともに人も診てください。病気だけを診るマシーンになってはいけません」
この気持ちと共に仕事をしていくのは正直、辛い。でも、リクが言っていることも分かる。私はちゃんと両立していけるのだろうか…………
「柚鈴」
名前を呼ばれると同時に頭を撫でられた。驚いて顔を上げる。
「一気に全部しようとしなくていいですよ。できることから、少しずつやってみてください」
「……え?」
「僕も手伝いますから」
「でも、そんな……」
「僕は頼りないですか?」
私は慌てて頭を振った。
「そんなことないわ! むしろ、頼りっぱなしで……」
「なら、もっと頼ってください」
「でも……」
困惑する私に、リクが朗らかに笑う。
「そう、そう。もっとアマネに頼ったらいいです。それに、柚鈴先生が頑張りすぎて倒れたら、悲しいです」
「へ?」
「悲しくて、悲しくて、手術が出来なくなってしまいます」
「えぇ!?」
「なので、自分を大切にしてくださいネ」
もしかしなくても、これって脅迫!? 手術を出して脅すなんて、ひどくない!?
「は、はい」
「約束ですヨ」
「はい」
あまりの話題の展開についていけず、つい頷いてしまった。手術が出来なくなる……なんて、冗談よね?
そぉーとリクを覗き見すると、良い笑顔を返された。
「ワタシ、ウソは言いませんから。手術はとても繊細です。その日の感情が影響します。柚鈴先生が倒れたら、心配すぎて手術が出来なくなります」
あ、これ本当にするヤツだ。
私が体ごと引いていると、黒鷺がリクを睨んだ。
「父さん、あまり柚鈴を困らせないように」
「アマネがもっと頼れる男になったら、いいだけですネ」
「これから、なる」
「うん。黒鷺君なら、なれるよ」
突如、黒鷺の顔が火を噴いたように真っ赤になった。
「どうしたの!?」
「い、いえ。なんでもありません!」
黒鷺がそそくさとキッチリへ移動する。
(突然、どうしたんだろう?)
黒鷺は大学生で、まだまだこれから。就活とかいろいろ忙しくなるんだろうけど、英語もイタリア語も話せるから、引く手数多になりそう。
それに加えて、この容姿で家事まで出来る。
「うん。どう考えても将来は有望よね」
私は一人で納得した。
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