【完結】女医ですが、論文と引きかえに漫画の監修をしたら、年下大学生に胃袋をつかまれていました

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髭ですが、気になりました

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 集まったパトカーに閑静な住宅街が騒然となる。しかし、犯人が連行されると、いつもの静けさが戻った。


 リビングに入った私はソファーに座った。全身の力が抜ける。もう、なにも考えられない。

 抜け殻となった私に、リクがマグカップを差し出す。ほのかに香る珈琲の匂い。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 体を起こしてカップを受け取る。湯気とともにカフェオレが揺れた。

 黒鷺は状況説明のため警察へ行き、まだ戻っていない。
 本来なら私が状況説明をするべきなのだが、代わりに行ってくれた。


 カフェオレなのに、いつもより珈琲の風味が強い。微かな苦みをミルクが包み、最後に砂糖の甘さが広がる。ぬくもりとともにホッとする味。


「すみません、朝から……」

「ノー、ノー。悪いのは犯人です。柚鈴先生に怪我がなくて良かったですヨ」


 リクが笑顔になる。目じりにシワを寄せ、安堵したような、本当に嬉しそうな顔。

 両親が生きていたら、こんな風に心配してくれたのかな……


「……ありがとうございます」


 私はリクの顔が見れなくて、カップに視線を落とした。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「あ、あの、犯人も捕まりましたので、私は自分のアパートに戻りますね」

「傷は大丈夫ですカ?」


 完治はしてないけど、これ以上、迷惑はかけられない。


「なんとかなる……と思います」

「本当ですカ?」


 薄い茶色の瞳が覗き込む。いや、そんなに見つめられても、困るだけなんですけど。

 視線から逃げる私にリクが頷く。


「わかりました。では、ワタシが傷を診て判断します」

「え!?」

「いけませんか? ワタシは医者ですよ?」


 リクが距離を詰めてくる。私は避けるように体を引いた。


「いや、でもリク医師は脳外科医で……」

「頭の傷も診ます。傷が深いのは右腕でしたネ?」

「ですが……」

「それとも、ワタシの腕が信じられませんカ?」

「んぐぅ!?」


 その言い方はズルい! そんなこと言われたら診せるしかない。

 私は渋々、右腕の傷をリクに診せた。


 ――――――――その結果。


「はい、傷が完治するまで、ここに住んでくださいネ」

「完治まで!?」

「はい」


 リクが良い笑顔で頷く。私は思わず反論した。


「長すぎないですか!? 数週間はかかりますよ!?」

「だからです。皮膚の傷は順調に治っても、見えない筋肉などは分かりません。無理はしないほうがいいです。ですが、一人暮らしだと難しいです。悪化することもあります。それなら、ここにいた方が安心です」

「うっ……」


 リクの正論に何も言えない。


「前にも言いましたよネ? 柚鈴先生は人に頼ったほうがいいって」

「は、はい」

「それにプラスして、頑張り屋さん過ぎです。もう少し甘えることも覚えた方がいいです。これは、頼ることと、甘えることの練習ですネ」

「ですが、そういうわけには……」


 私の言葉を遮るようにリクが私の頭を撫でた。


「前にも言いましたが、柚鈴先生はワタシの可愛い娘です。娘は親に甘えるものです」

「娘ってミーアがいるじゃないですか。それに、私はそんな……」

「ノン、ノン。テレビでよく言うじゃないですか。日本のお父さん、お母さん、って。ワタシはイタリアのお父さんですネ」


 一瞬、なにを言っているのか分からなかった。頭をフル回転させて考える。

 海外生活をしていて、その土地でお世話になった人を親と呼ぶ話、かも。でも、それなら……


「……それ、意味が違います。私とリク医師がイタリアに住んでいるなら、そう呼ぶこともあるかもしれませんが」

「そうなんですか? でも、イタリアのお父さん。良い呼び方だと思いません?」

「……つまり、イタリアのお父さん、という言葉が気に入ったんですね?」

「シィ!」


 リクが子どものように元気に答える。

 私は脱力してカフェオレを飲んだ。真面目に張り合うだけ無駄な気がする。


「わかりました。リク医師は、私のイタリアのお父さんですね」

「シィ。イタリアのお父さん、と呼んでください」

「それは長いので遠慮します」

「えぇー」


 リクが不満顔になるが、私はスルーして話題を変えた。


「そういえば、黒鷺君はすごいですね。ナイフを前にしても、怯まないなんて。空手の黒帯とは聞いてましたが強いんですね」

「んー。ちょっと、内緒の話しします。本人たちには言ったらダメですヨ?」


 リクは念押しすると、私たちしかいないのに小声で話した。


「ミーアとアマネ。実は昔、見た目の違いから、いじめられていました。だから、強くなりたい、と二人とも空手を習いました」

「え……」


 二人の意外な過去。今の二人からは想像できない。


「空手で自信がついたミーアは積極的に人と関わるようになりました。ですが、いろいろあったアマネは人を避けました。けど、柚鈴先生に対しては違いました」

「え? それは、どういう……」


 パン!


 リクが胸の前で両手を叩いた。


「はい、話はここで終わりです。イタリアのお父さんは寝ます」

「えぇ!?」

「昨日、頑張って最終の新幹線に乗ったので、まだ元気になっていません」


 長距離移動は意外としんどい。それは分かる。分かるけど、話はここからじゃないですか!? マイペース過ぎませんか!?

 いろいろ言いたかったけど、私はグッと飲み込んだ。
 この騒ぎでリクの休息を邪魔した負い目もある。


「……わかりました。おやすみください」

「ブォナノッテ(おやすみ)」


 リクは手をヒラヒラさせてリビングから出ていった。なんか、いろいろ雑に扱われた気がする。私はソファーに伏せた。





 私はソファーに座り、ぼんやりとテレビを見ていた。人里離れた自然の中を旅する番組。


「こういう自然の中で生活するのも、いいなぁ」


 そこに、玄関の鍵が開く音が響いた。急いで体を起こし、玄関に走る。


「黒鷺君!」

「ただいま帰りました」


 黒鷺が疲れた顔で笑う。


(私のせいで……)


 胸が締め付けられる。


「……おかえり。大丈夫?」

「ちょっと、さすがに眠いので……」


 黒鷺がフラフラとリビングに移動する。そのままソファーに寝転んだ。


「ごめんなさい。私のせいで……」

「気にしないで、ください」


 薄い茶色の瞳が閉じかける。

(夜遅くまで漫画を描いて、朝からあんなことがあって……迷惑かけてばっかりで……)


「あの、私、やっぱり帰……」


 私が目を伏せると、手を握られた。


「ダメです」

「え? あの、なにがダメ?」

「ここ、に……」


 ますます強く手を握られる。ちょっと痛いぐらい。


「ここ?」

「ダメ、だ…………少し、寝ま……す」


 黒鷺が力尽きる。

 そのまま、寝息が聞こえてきた。それなのに、私の手はしっかりと握ったまま。放す気配もない。


「ふぇっ!? いや、ちょっ……どうしよう……」


 このままでは動けない。一方の黒鷺はスヤスヤと気持ち良さそうに眠っている。こんなの起こせるわけない。


「……仕方ないか」


 私は自分が使っていた毛布を黒鷺にかけて、床に座った。黒鷺が起きるまで、このまま待とう。


 することがない私は目の前の寝顔を眺めた。


 鼻筋が通ってイケメンだけど、寝顔は少し幼く見える。でも、幼いって言ったら、また不機嫌になるかな。


(あれ? 顎にゴミ? ……違う! 髭だ!)


「おぉ……」


 いつも綺麗にしているから気付かなかった。そうか。男の子だもん。髭ぐらい生えるよね。


「ちょっとだけ」


 ツンツンと触れてみる。短く細いのに意外と硬い。さっきまで幼かった寝顔が、急に男の人に見える。

 私は慌てて手を引っ込めた。


(なんか妙にドキドキする)


 黒鷺から顔を逸らす。


(いや、気のせいよ。黒鷺君は大学生で、子どもなんだから。いや、子ども扱いしたらダメ……って!)


「あー、どうしたらいいの!?」


 私は手を握られたまま、床に沈んだ。
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