52 / 63
髭ですが、気になりました
しおりを挟む集まったパトカーに閑静な住宅街が騒然となる。しかし、犯人が連行されると、いつもの静けさが戻った。
リビングに入った私はソファーに座った。全身の力が抜ける。もう、なにも考えられない。
抜け殻となった私に、リクがマグカップを差し出す。ほのかに香る珈琲の匂い。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
体を起こしてカップを受け取る。湯気とともにカフェオレが揺れた。
黒鷺は状況説明のため警察へ行き、まだ戻っていない。
本来なら私が状況説明をするべきなのだが、代わりに行ってくれた。
カフェオレなのに、いつもより珈琲の風味が強い。微かな苦みをミルクが包み、最後に砂糖の甘さが広がる。ぬくもりとともにホッとする味。
「すみません、朝から……」
「ノー、ノー。悪いのは犯人です。柚鈴先生に怪我がなくて良かったですヨ」
リクが笑顔になる。目じりにシワを寄せ、安堵したような、本当に嬉しそうな顔。
両親が生きていたら、こんな風に心配してくれたのかな……
「……ありがとうございます」
私はリクの顔が見れなくて、カップに視線を落とした。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「あ、あの、犯人も捕まりましたので、私は自分のアパートに戻りますね」
「傷は大丈夫ですカ?」
完治はしてないけど、これ以上、迷惑はかけられない。
「なんとかなる……と思います」
「本当ですカ?」
薄い茶色の瞳が覗き込む。いや、そんなに見つめられても、困るだけなんですけど。
視線から逃げる私にリクが頷く。
「わかりました。では、ワタシが傷を診て判断します」
「え!?」
「いけませんか? ワタシは医者ですよ?」
リクが距離を詰めてくる。私は避けるように体を引いた。
「いや、でもリク医師は脳外科医で……」
「頭の傷も診ます。傷が深いのは右腕でしたネ?」
「ですが……」
「それとも、ワタシの腕が信じられませんカ?」
「んぐぅ!?」
その言い方はズルい! そんなこと言われたら診せるしかない。
私は渋々、右腕の傷をリクに診せた。
――――――――その結果。
「はい、傷が完治するまで、ここに住んでくださいネ」
「完治まで!?」
「はい」
リクが良い笑顔で頷く。私は思わず反論した。
「長すぎないですか!? 数週間はかかりますよ!?」
「だからです。皮膚の傷は順調に治っても、見えない筋肉などは分かりません。無理はしないほうがいいです。ですが、一人暮らしだと難しいです。悪化することもあります。それなら、ここにいた方が安心です」
「うっ……」
リクの正論に何も言えない。
「前にも言いましたよネ? 柚鈴先生は人に頼ったほうがいいって」
「は、はい」
「それにプラスして、頑張り屋さん過ぎです。もう少し甘えることも覚えた方がいいです。これは、頼ることと、甘えることの練習ですネ」
「ですが、そういうわけには……」
私の言葉を遮るようにリクが私の頭を撫でた。
「前にも言いましたが、柚鈴先生はワタシの可愛い娘です。娘は親に甘えるものです」
「娘ってミーアがいるじゃないですか。それに、私はそんな……」
「ノン、ノン。テレビでよく言うじゃないですか。日本のお父さん、お母さん、って。ワタシはイタリアのお父さんですネ」
一瞬、なにを言っているのか分からなかった。頭をフル回転させて考える。
海外生活をしていて、その土地でお世話になった人を親と呼ぶ話、かも。でも、それなら……
「……それ、意味が違います。私とリク医師がイタリアに住んでいるなら、そう呼ぶこともあるかもしれませんが」
「そうなんですか? でも、イタリアのお父さん。良い呼び方だと思いません?」
「……つまり、イタリアのお父さん、という言葉が気に入ったんですね?」
「シィ!」
リクが子どものように元気に答える。
私は脱力してカフェオレを飲んだ。真面目に張り合うだけ無駄な気がする。
「わかりました。リク医師は、私のイタリアのお父さんですね」
「シィ。イタリアのお父さん、と呼んでください」
「それは長いので遠慮します」
「えぇー」
リクが不満顔になるが、私はスルーして話題を変えた。
「そういえば、黒鷺君はすごいですね。ナイフを前にしても、怯まないなんて。空手の黒帯とは聞いてましたが強いんですね」
「んー。ちょっと、内緒の話しします。本人たちには言ったらダメですヨ?」
リクは念押しすると、私たちしかいないのに小声で話した。
「ミーアとアマネ。実は昔、見た目の違いから、いじめられていました。だから、強くなりたい、と二人とも空手を習いました」
「え……」
二人の意外な過去。今の二人からは想像できない。
「空手で自信がついたミーアは積極的に人と関わるようになりました。ですが、いろいろあったアマネは人を避けました。けど、柚鈴先生に対しては違いました」
「え? それは、どういう……」
パン!
リクが胸の前で両手を叩いた。
「はい、話はここで終わりです。イタリアのお父さんは寝ます」
「えぇ!?」
「昨日、頑張って最終の新幹線に乗ったので、まだ元気になっていません」
長距離移動は意外としんどい。それは分かる。分かるけど、話はここからじゃないですか!? マイペース過ぎませんか!?
いろいろ言いたかったけど、私はグッと飲み込んだ。
この騒ぎでリクの休息を邪魔した負い目もある。
「……わかりました。おやすみください」
「ブォナノッテ(おやすみ)」
リクは手をヒラヒラさせてリビングから出ていった。なんか、いろいろ雑に扱われた気がする。私はソファーに伏せた。
※
私はソファーに座り、ぼんやりとテレビを見ていた。人里離れた自然の中を旅する番組。
「こういう自然の中で生活するのも、いいなぁ」
そこに、玄関の鍵が開く音が響いた。急いで体を起こし、玄関に走る。
「黒鷺君!」
「ただいま帰りました」
黒鷺が疲れた顔で笑う。
(私のせいで……)
胸が締め付けられる。
「……おかえり。大丈夫?」
「ちょっと、さすがに眠いので……」
黒鷺がフラフラとリビングに移動する。そのままソファーに寝転んだ。
「ごめんなさい。私のせいで……」
「気にしないで、ください」
薄い茶色の瞳が閉じかける。
(夜遅くまで漫画を描いて、朝からあんなことがあって……迷惑かけてばっかりで……)
「あの、私、やっぱり帰……」
私が目を伏せると、手を握られた。
「ダメです」
「え? あの、なにがダメ?」
「ここ、に……」
ますます強く手を握られる。ちょっと痛いぐらい。
「ここ?」
「ダメ、だ…………少し、寝ま……す」
黒鷺が力尽きる。
そのまま、寝息が聞こえてきた。それなのに、私の手はしっかりと握ったまま。放す気配もない。
「ふぇっ!? いや、ちょっ……どうしよう……」
このままでは動けない。一方の黒鷺はスヤスヤと気持ち良さそうに眠っている。こんなの起こせるわけない。
「……仕方ないか」
私は自分が使っていた毛布を黒鷺にかけて、床に座った。黒鷺が起きるまで、このまま待とう。
することがない私は目の前の寝顔を眺めた。
鼻筋が通ってイケメンだけど、寝顔は少し幼く見える。でも、幼いって言ったら、また不機嫌になるかな。
(あれ? 顎にゴミ? ……違う! 髭だ!)
「おぉ……」
いつも綺麗にしているから気付かなかった。そうか。男の子だもん。髭ぐらい生えるよね。
「ちょっとだけ」
ツンツンと触れてみる。短く細いのに意外と硬い。さっきまで幼かった寝顔が、急に男の人に見える。
私は慌てて手を引っ込めた。
(なんか妙にドキドキする)
黒鷺から顔を逸らす。
(いや、気のせいよ。黒鷺君は大学生で、子どもなんだから。いや、子ども扱いしたらダメ……って!)
「あー、どうしたらいいの!?」
私は手を握られたまま、床に沈んだ。
0
あなたにおすすめの小説
イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。
楠ノ木雫
恋愛
蒸発した母の借金を擦り付けられた主人公瑠奈は、お見合い代行のアルバイトを受けた。だが、そのお見合い相手、矢野湊に借金の事を見破られ3ヶ月間恋人役を務めるアルバイトを提案された。瑠奈はその報酬に飛びついたが……
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました
専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
多分悪役令嬢ですが、うっかりヒーローを餌付けして執着されています
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【美味しそう……? こ、これは誰にもあげませんから!】
23歳、ブラック企業で働いている社畜OLの私。この日も帰宅は深夜過ぎ。泥のように眠りに着き、目覚めれば綺羅びやかな部屋にいた。しかも私は意地悪な貴族令嬢のようで使用人たちはビクビクしている。ひょっとして私って……悪役令嬢? テンプレ通りなら、将来破滅してしまうかも!
そこで、細くても長く生きるために、目立たず空気のように生きようと決めた。それなのに、ひょんな出来事からヒーロー? に執着される羽目に……。
お願いですから、私に構わないで下さい!
※ 他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる