婚約破棄された氷の令嬢は、嫁がされた枯れおじのもとで花開く

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「……本当になくなってる」

 ティリアがドレスのまま学園の寮に戻ると、そこに置いてあったはずの私物は何一つ残っていなかった。

 元々、卒業したら王城へ荷物を移し、第三王子の王妃としての教育が始まる予定ではあった。そのため、私物は必要最低限しか持っていなかったのだが。

「それも五日後の予定だったのに」

 それは王妃教育が始まるまでの準備期間として与えられた五日間で、その間に荷物をまとめようと考えていた。

「最後の最後でこんな嫌がらせをされるなんて……」

 大切な物は持ってきていなかったが、もしかしたら勝手に捨てられた物もあるかもしれない。

 辺境の伯爵家が第三王子とはいえ王家に嫁ぐことを快く思わない者は多い。そのため多少の嫌がらせや対立はある程度予想していた。
 それにしても、ここまで露骨にされるとは。

 無表情のままため息に揺れる白銀の髪を窓から差し込む西日が照らす。

「とにかく、今は移動しないと」

 荷物がない以上、ここにいても追い出されるだろうし、夜が来る前に荷物が運ばれた先を突き止めて移動しなければドレスのまま野宿となる。

「普通の服なら問題なかったけど」

 地元は辺境と呼ばれるだけあり自然が豊富で高い山々に囲まれていた。そのため、森で夜を過ごす術も叩き込まれたが、さすがにドレスでは難しい。

 ティリアは荷物の運び先を知っているであろう寮監を訊ねた。
 ふくよかな体型の中年女で寮監にしては贅沢な装飾品で飾られた外見。寮生活をしている生徒の親からの賄賂で私服を肥やしているのは明らかだった。

「私の荷物がどこへ運ばれたか教えていただきたいのですが」

 その質問に中年女の寮監はティリアを一瞥しただけで、あっさりと顔を背けた。会話をしようとする気配もしない。

 このままではらちが明かないと判断したティリアは唯一つけていた銀のネックレスを外して、もう一度訊ねた。

「教えていただけます?」

 すると、寮監は興味なさそうにネックレスを受け取りながら住所が書かれた紙をティリアに渡した。

 住所の主人の名前はないため、どのような人物のところに荷物が運ばれたのかも分からない。
 ただ、今は躊躇っている時間も惜しい。

「とにかく、夜が来る前に移動しないと。でも、ここから歩いて行ける距離じゃないし……」

 ティリアは学園の馬車を手配しようとしたが、ここでも嫌がらせが発動する。
 学園の生徒であれば自由に使える馬車なのだが、卒業をしたので学園の生徒ではないから使えないというのだ。

 ティリアはなんだかんだと理由をつけて渋る御者に通常の倍の賃金を払うことを約束してやっと移動することができた。

「……馬車の代金の支払いを渋るような方でないと良いのだけど」

 今のティリアは無一文のため、支払いは荷物が運ばれた先のあるじに立て替えてもらわなければならない。
 不安を含んだ呟きは馬車の車輪の音にかきけされた。

~~

 紙に書かれた住所は王都の中心地から少し外れにある広大な敷地に建つ小さな屋敷だった。

「王都の中にこんなに広い敷地があるなんて。でも、建物は小さめ……何か訳ありかしら」

 王都に邸宅セカンドハウスを持つことは貴族の中のステータスになっていた。
 そのため、王都の中心地の土地の値は高騰。そこで、大きな屋敷に小さめの庭という家が多く建設された。

 その中で真逆の造りの邸宅は少しだけ異様な光景で。

 ティリアが観察していると、馬車が派手な音とともに邸宅の前で止まった。
 同時に老齢の執事が屋敷の中から現れ、馬車のドアを開ける。

「お待ちしておりました」

 真っ黒な執事服の胸に右手を当て、悠然と頭をさげた。白髪を頭に撫でつけ、往年の貫禄さえも漂う。
 そんな優雅さと気品を兼ね備えた出迎えにティリアは戸惑った。

「あ、あの、私は……」

 どう説明するか悩んでいると、顔をあげた老齢の執事がゆったりと口元を綻ばせながら話す。

「本来でございましたら、こちらから出迎えに参るべきところをわざわざ足をお運びいただきまして、申し訳ございません」

 丁寧な謝罪の言葉。蔑みと嘲りの言葉しか聞いてこなかったティリアにとって、久しぶりに人として扱えてもらえたような感覚。
 これまでとは正反対の対応に思わず言葉が詰まった。

「あ、いえ、その……私の方こそ、突然の来訪して申し訳ありません」

 小さく謝りながら馬車から降りると、老齢の執事がドレス姿のティリアの肩にケープをかけた。

「差し出がましいですが、お身体をお冷やしになりましたら大変ですので」
「あ、ありがとうございます」

 滑らかな毛皮のケープはとても軽いのに温かく、滑らかな肌触りだけで超がつく高級品であることが分かる。伯爵家でもここまでの上等品はなかなかお目にかかれない。

(こんな逸品を来客である私の肩に気軽にかけるなんて、相当高貴な家柄? それとも、かなり裕福とか? あと一応、歓迎されて……る?)

 ティリアが無表情のまま、心の中ではビクビクしながら視線を老齢の執事へ向ける。
 すると、にっこりと上品な微笑みが返ってきた。

「主がお待ちです。こちらへどうぞ」
「は、はい」

 案内されるまま屋敷の中へ入ろうとしたところで、これまでの上品な雰囲気をぶち壊す馬車の御者の不機嫌な声が走り抜けた。

「おい、代金は!? 倍払うって話だろ!」

 不躾な内容にティリアは反射的に動きを止めた。頭の中が羞恥で一気に沸騰し、心の中ではかなり慌てているが、顔には表れず淡々としている。

(とにかく落ち着いて。馬車代を払うと約束した以上、対応しないと)

 ティリアは見えないところで両手を握り、老齢の執事へ声をかけた。

「あの、申し訳ないのですが……」

 馬車代金の立て替えをお願いしようとしたところで、穏やかな低い声が近づいてきた。

「そう慌てなくても支払いはするよ。これだけあれば足りるかな」

 カツンと小気味よい足音とともにティリアの前を一人の男が通り過ぎ、ふわりとシダーウッドの香りが鼻をくすぐった。

 故郷を思い出す濃く深い森林の匂いに自然と目がそちらを向く。

 その先には背の高い男の後ろ姿があった。
 シワ一つないパリッとした白いシャツと、目を惹くワインレッドのベスト。広い背中に引き締まった腰と、そこから伸びる長い脚に磨き上げられた茶色の革靴。

 立っているだけで目の保養となるスタイルの良さにティリアは無意識に目を奪われていた。

 颯爽とした足取りで御者のところへ移動した男が筋張った大きな手を出す。そして、そのまま御者の手にチャリンと硬貨を落とした。
 その金額が想像以上だったようで、それまで不愛想だった御者がニヤリといやらしい笑みを浮かべる。

「釣りはないぜ?」
「あぁ、いらないよ」
「まいど」

 貴族の御者として相応しくない言葉と態度を残し、馬車は学園へと戻っていった。

 その光景を唖然と眺めているティリアに落ち着きを含んだ渋い声がかかる。

「さて、詳しい話は中で聞こうか」

 その声にティリアがハッと男の方へ視線をむける。

 大きな紫の瞳にティリアの年齢の倍……というか親の年齢に近いであろう男の姿が映った。

 ぼさぼさに伸びた赤茶色の髪が顔を隠し、顎には無精ひげが生えている。タイで締めるはずの首元は軽く開いており、適度に着崩した服装はだらしなさも漂う。
 だが、長い前髪の下から覗く穏やかな黄金の瞳は柔らかく、筋の通った鼻に薄い唇という整った顔立ちに加えて、渋みと年齢を重ねた余裕がある。

(不思議な人……)

 これまでも年上の男は何人も見てきた。
 領地では農作業や牧畜をする力自慢の男たち。豪快で声が大きく賑やかだが、落ち着きがない。
 学園では教養と知識をひけらかす教師たち。自尊心プライドが高く、陰湿で良い印象は一つもない。

 でも、目の前にいる男はそのどれにも当てはまらなかった。

 服の上からでも分かる鍛えられた体だが、どこか気だるげで怠惰な様相。しかし、自堕落な様子はなく穏やかで知的な雰囲気が漂う。自然と滲み出る力強さと教養の高さ。

 ティリアの胸の奥底でトンッと何かが撃ち抜かれた音がした。


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