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無事、助かりました

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 バチバチと暖炉の音が耳をかすめる。美味しそうなスープの匂いが鼻をくすぐる。
 意識が浮上していくと、次に感じたのは全身を襲う痛み。とても起き上がれそうにない。でも、瞼は動く。

 私は恐る恐る目を開けると、見知らぬ青年の顔があった。

「起きたか」
「ひゃっ!?」
「な、なんだ!?」

 思わず出てしまった小さな悲鳴。そんな私の反応に驚いたのか、覗き込んでいた青年が下がる。

 無造作に伸びた漆黒の髪。通った鼻筋に薄い唇。精悍な顔立ちに太い首。日に焼けた浅黒い肌に、鍛えられた筋肉質な体。
 社交界にはいなかった、たくましい系の美形。でも、それより惹かれたのは――――――――

 黒髪の隙間から覗く、涼やかな紫水晶の瞳。まるで、夜と朝の狭間。朝焼けに染まった澄んだ空。見ているだけで吸い込まれそう。

「どうした?」

 青年が怪訝な顔になる。見惚れたとはいえ、初対面の人に不躾な態度をとってしまった。
 私は謝ろうと起き上がりかけて……

「いたっ!?」

 全身の痛みに驚いてソファーに沈んだ。

「無理に動くな」
「は、はい。あの、先程は、ごめんなさい。突然のことで驚きまして」

 私は謝りながらも、顔だけを動かして状況の確認をした。

 丸太を組んで造られた立派な家。
 天井からは魔石を入れた灯り用のランプの魔道具がぶら下がる。家具は机と椅子とソファーと……必要最低限度の物しかない。
 しかも、そのソファーには私が寝ている。ぬれた体を温めるために、暖炉の前に置いたのだろう。おかげで、ぬれた服はすっかり乾いていた。
 あと、ソファーの背で見えないけど、後ろにはキッチンがあるようで。そこから、おいしそうな匂いが……

 ぐぅぅぅ。

 安心したためか、昼食を食べていないためか、お腹が盛大になった。もう公爵令嬢でも、なんでもないけど、これは普通に恥ずかしい。

 顔を赤くした私の前から青年が消える。次に現れた時は、湯気がのぼるうつわを持っていて。

「……食べるか?」
「神ですか!?」

 起き上がろうとした私は痛みで再びソファーに沈んだ。学習しましょうよ、私……くすん。

「痛い……」

 お腹は空いているけど、食べられない。シクシクと心の中で泣く私にスープをすくったスプーンが差し出される。

「……ほら」
「え、あ、あの……」
「食べないのか?」
「い、いただきます!」

 私は初対面の美形青年に「あーん」してもらうなんて、なんの羞恥プレイですか、これ……
 でも、空腹には勝てなくて。

 ほっこりした温かさのスープが冷えた身に染みる。具がトロトロになるまで煮込まれ、ほとんど噛まなくても飲み込める。
 なんか、胸がじんわりと……

「ど、どうした!?」

 青年がギョッとした顔になる。私の頬を何かが流れ、ぽたりと落ちる。

 ここで私は自分が泣いていることに気がついた。涙が出るなんて、何年ぶりだろう。

「ごめんなさい。スープが、美味しくて……」

 こんなに温かい食事はいつ以来だろう。すべての食事はテーブルマナーの時間で、厳しい指導と冷めた料理。ゆっくりと自分のペースで食べることなんて、できなかった。

 でも、この青年は私がスープを噛んで、飲み込むのを確認してから、次をくれる。私のペースに合わせてくれる。

 かける言葉がなかったのか、何かを察したのか、青年は無言のまま私にスープを食べさせてくれた。それが、またありがたくて。
 私は泣きながらスープを完食した。あとから思い出すと、かなり恥ずかしいけど、このときは一杯一杯だったから。

 空腹が落ち着いた私は改めて礼を言った。

「あの、助けていただき、ありがとうございました。ケガの手当てから、食事まで……お恥ずかしいのですが、手持ちが少なくて。謝礼はあまりできませんが……」
「金はいらない。それより、なんで湖で倒れていたんだ?」

 核心をついた質問に、私は大きく息を吸った。このために、山に分け入り、迷子になったけど。
 でも、私の決意は変わらない。

「ニアという、ガラス職人の方をご存知ありません? 工房を訪ねようとして道に迷い、足を滑らせて湖に落ちたのです」

 青年が少しの沈黙の後、ポツリと爆弾を落とした。

「……ニアはオレだが」

 私は痛みを忘れて飛び起きた。

「あなたがニア様! ずっとお会いしたかっ……いたた……」

 全身を突き刺す痛み。でも、こんな痛みに負けていられない。
 私は立ち上がろうとして、ソファーから転がり落ちた。

「おい、無理するな」

 心配する声は嬉しいけど、私にはそれよりも目的がある。
 床を這いずりながら、私はニア様に近づいた。

「……して、ください」
「なんだ? よく聞こえない」


「私を! 弟子に! してください!」


「断る!」


 それは、それは、清々しいほどスッパリと言われた。
 まぁ、こんな初対面で匍匐前進ほふくぜんしんで迫る女を弟子にしたくないわよね、普通は。わかってます。

「そこを、なんと、か……」
「おい、どうした? おい!?」

 目的地にたどり着いていた安心感からか、一気に疲労が……あと、全身の痛みが……げんか、い…………

 私はそのまま気を失った。



 私はチョロチョロと燃える暖炉の火と、お日様の匂いがする柔らかな毛布。
 寝心地が良いはずなのに、全身の痛みと熱に私はうなされていた。

 でも、声には出せない。声に出して助けを求めれば、公爵令嬢なのにみっともない、と叱咤され。常に毅然と優雅さを身にまとった淑女であれ、と求められ。

 他の婚約者候補に負けるなど、公爵家の娘として許されない、と。
 幼い頃よりプレッシャーをかけ続けられた日々。

 屋敷の中でも緊張で。体も心も休まることはなくて。いつの間にか泣くこともなくなり……ただ、笑顔を貼り付けていた。

 体の痛みに胸の痛みが重なる。

 息をするのも苦しい。少しでも楽になるように体を動かしたいけど、痛みでそれもできない。

 一人で苦しんでいると、額に冷たい何かが触れた。

 うっすらと目を開けると、夜明け色の瞳が見える。とても近い距離なのに、私は驚くことなく眺めた。とてもキレイで、落ちつく色。

「眠れないのか?」

 口を動かす力も頷く力もない。黙っていると、優しく頬を撫でられた。

「なにも心配しなくていい」

 頬から伝う優しい温もり。不思議と体の痛みが引いていく。

「安心して眠れ」

 低く落ち着いた声に導かれるように私は眠りについた。
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