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相瀬縁
女王と神のいた場所 後編
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仰向けに倒れ、瞳孔の開いた目を虚空に向けているハルエさんを見て、まだ生きてる、救急車を、と言うひとは誰もいないと思う。生きてる可能性をかすかにでも抱く必要がないほど、彼女は間違いなく死んでいたから。私の見るはじめての死体だった。はじめて? そうはじめて。まるで次があるみたいな言い方だ、って? はてさて、どうかな。話はまだ続くから、楽しみにしてて。
「殺してしまったんだ」
ハルエさんの元旦那さんは、私の背後でそう言った。無感情な口調で、ね。怯えも怒りも、悲しみも感じられなかった。いやあったのかもしれないけど、私には分からなかった。相手の心に敏感な私が、どう反応していいか分からない唯一の相手だった。
「なんで……」
と私はつぶやくことしかできなかった。
「最初から死なせるつもりはなかった」
言いながら、彼は泣き出した。本人も泣いていることに気付いていない様子で、でも泣いているのに、やっぱりどういう感情か分からない泣き方だった。ただ目からほおをつたって、水が流れ落ちているだけ、みたいな。
「でも殺したんだ?」
「気付いたら死んでた」
自分が殺したわけでもない、とでも言いたげだった。
「洗脳されてる、って思ったんだ」
「ハルエさんが」
「きみ、に」
「私に?」
母ではなく、私、というのがすこし意外だった。
「離婚する直前から、離婚した後も何度か会う中で、彼女がきみの話ばかりをして、人生が変わった、と話すから。小学生の女の子とちょっと話しただけで、人生が変わる? そんなふざけた話があるだろうか。最初はきみのお母さんを疑っていたんだが、だけどきみのお母さんには、そう、特別なものが何も感じられなかった。特別を装っただけの偽物にしか見えなかった。きみは、きみには、どこか本物のにおいがある」
私は母を介して、色々な大人と会ってきた。たぶんその中で一番まともな大人は彼だった。たとえひとを殺していたとしても、その印象は変わらない。
「私は――」
「ハルエと話していた時、俺がいまと同じようなことを言ったら、彼女が逆上して、包丁を俺に向けたんだ。明らかに殺意を持ったまなざしだった。死ぬ、と思った。俺たちはそのまま争いになって、死んだのはハルエのほうだった」
彼はかたくなに、殺す、という表現は使わなかった。
意地でも使わない。そんな心根が私にも伝わってきた。自分が被害者だって思いがあったのかな。こんな奴のために欠片でも加害者気分を味わいたくない、っていう。そんな、ね。勝手な思考ではあるけれど、人間臭い思考だとは思ったし、ハルエさんが私たちに向ける感情よりは、ずっと理解できるものだった。
「私は――」
私が何かをしゃべろうとするたびに、彼は私の言葉をさえぎった。
「きみをなんで誘拐したのかは、俺にも分からないんだ。最初はこんな状況にしたきみを殺してやろうくらいに思っていたかもしれない。だから誘拐したわけだけど、誘拐する前から、きみと話している時点で、俺にはそんな気がなくなっていた。ただとりあえずこの死体だけは見せておきたい、と思った。ハルエが死んで、俺はすぐにきみのお母さんと約束を取り付けた。結構なお金を提示すれば、簡単だったよ。きみが何者なのか。僕はそれをいま、知りたくて知りたくて仕方ない。もしかしたらハルエも同じような感情を抱いていたのかもしれない。気持ち悪い、と自分でも思うが、教えて欲しい」
確かに言動は気持ち悪かったのかもしれないけど、あまり嫌な感じはしなかった。彼は私たちに盲目的ではなくて、冷静なまなざしを持っているように見えたから。
気付けば、私は彼にすべてを話していた。
私がいままで絶対にこれだけは話しちゃいけない、と禁じられていたことも。
私の能力のことや母と私の関係。私が苦しい、と感じていること。「助けて」と言いながら、私は涙を流した。つらくてつらくて、苦しい。もう嫌だ。なんで私ばっかり、こんな目に遭うの。たぶん演技だったんだ、と思う。私は母から救われたくて、誇張を加えて。
えっ、救われたい、と真剣な思いからそう言ったのなら、それはもう演技ではない、って。そっか。優しいんだね。だけどそんなに優しいと、騙される人間になるから気を付けたほうがいいよ。私たちみたいな人間に。
私と彼の間には、奇妙な連帯感があった。こんなにも短い時間だったのに、私の人生分の付き合いがあった母よりも、強い連帯感。
彼が私の頭を撫でた。その温かさをいまも覚えてる。殺人鬼の手に温もりがあったとしてもいいじゃない。どれだけ願っても私を助けてもくれない下らない大人よりも、私は私を助けてくれようとする大人を選ぶ。
「大丈夫。俺がすべてを終わらせてあげるよ」
と彼が優しく笑った。
「ありがとう……ございます」
「ここで待っていたらいいよ」
彼はそう言って部屋を出て、でも私は彼のあとをこっそり付けた。彼の住んでいたマンションは私の家から近かった。母が彼をマンションの中に招き入れる様子を、私はマンションの前から眺めていた。
もうその時点で、死の予感はあった。どちらかの、ね。
だけどどういう形で、その死が訪れるのか、までは想像できなかった。彼が入っていって三十分くらい経っても、どちらかが出てくる様子はなかった。このまま待っていようかな、と思ったけど、でもどちらもいつまでも出てこない気がした。
なんで、って?
別に特別な意味があるわけじゃない。本当にただの勘。こういう力を持っていたのか、それとも私自身が気付いていないだけで別の能力も持っていたのか、そんなのは分からないけど、私のこの勘はよく当たるんだ。良いことも、悪いことも。たとえば佐藤さんが、何かを隠してこの会に参加してることも。
どきっとした? 冗談だから、気にしないでいいよ。ふふ。
私は一応家の鍵を持っていたし、まぁだけどそもそも部屋の鍵は閉まっていなかった。
開けると、かすかな声だけが聞こえた。
声の聞こえるリビングまで行くと、そこには母と彼がいた。母はめった刺しにされていて、頭も何度も撲られたのか頭部は変形していて、首はいびつに曲がっていた。ハルエさんよりも、一目見ただけで死んでいることが分かるような哀れな死体だった。
声を出していたのは、母じゃなくて、彼のほうだった。
自らの手で自分の首を切った彼は、ひゅーひゅー、と声とも言えないような音を立てて、まさに苦悶の表情、ってああいう顔なんだ、と思う。私の姿に気付いて、彼は笑顔を見せた。もうしゃべれる感じではなかったけど、終わったよ、と表情で伝えるような。
たぶん彼はハルエさんを殺した時から、今後も生きようなんてつもりはかけらもなかったのだ、と思う。
「ありがとう」
と私は言って、倒れる彼を抱きしめていた。
彼はつらそうに、あと一歩で死ねる、と思いながら、死ねずにいることを困っているかのように私に苦笑いを見せた。
そばに包丁があった。血に塗れた。
彼が母を殺すために使ったものか、母が抵抗するために使ったものか、なんてのは分からない。ただ目に入ったそれを手に取った私は、
彼の胸もと目掛けて振り下ろした。
せめて彼がこれ以上、苦しまないように、と祈りを込めて。
私は人殺しになった。
唯一残念なことがあるとすれば、一番殺したかったひとと殺すことができなかった、ってことかな。とても残念。
私はその足で、家を出た。
人生はじめての家出は、もう私に家族がいなくなったあとだった。漠然と死を求めながら、ただふらふらと歩き回る少女は、そこである女性に拾われた。彼女の仕事が占い師で、ヤクザの愛人をしていた、らしい。らしい、って言うのは、実際に私はそのひとと会ったことがなかったから。母ほど醜悪な人間ではなく、優しいひとだったけれど、裏社会にも通じていたから、やっぱり危険なひとでもあった。彼女はお客さんにストーカーされた挙句、殺されているわけだけど、ストーカーしていた男もいわゆるそっちの世界の人間だったみたいだから、複雑な関係はあったんだと思う。
そして私は大人になって、いまにいたる、というわけ。
えっ、これはどこまでも本当か、って。さぁ、いままでのひとがそうだったみたいに、この話も同じ。どこまでが本当で、どこまでが嘘か、なんて私は答える気がない。だから佐藤さんのほうで、勝手に想像してもらうしかない。
じゃあ、まぁこんなところ、かな。
「殺してしまったんだ」
ハルエさんの元旦那さんは、私の背後でそう言った。無感情な口調で、ね。怯えも怒りも、悲しみも感じられなかった。いやあったのかもしれないけど、私には分からなかった。相手の心に敏感な私が、どう反応していいか分からない唯一の相手だった。
「なんで……」
と私はつぶやくことしかできなかった。
「最初から死なせるつもりはなかった」
言いながら、彼は泣き出した。本人も泣いていることに気付いていない様子で、でも泣いているのに、やっぱりどういう感情か分からない泣き方だった。ただ目からほおをつたって、水が流れ落ちているだけ、みたいな。
「でも殺したんだ?」
「気付いたら死んでた」
自分が殺したわけでもない、とでも言いたげだった。
「洗脳されてる、って思ったんだ」
「ハルエさんが」
「きみ、に」
「私に?」
母ではなく、私、というのがすこし意外だった。
「離婚する直前から、離婚した後も何度か会う中で、彼女がきみの話ばかりをして、人生が変わった、と話すから。小学生の女の子とちょっと話しただけで、人生が変わる? そんなふざけた話があるだろうか。最初はきみのお母さんを疑っていたんだが、だけどきみのお母さんには、そう、特別なものが何も感じられなかった。特別を装っただけの偽物にしか見えなかった。きみは、きみには、どこか本物のにおいがある」
私は母を介して、色々な大人と会ってきた。たぶんその中で一番まともな大人は彼だった。たとえひとを殺していたとしても、その印象は変わらない。
「私は――」
「ハルエと話していた時、俺がいまと同じようなことを言ったら、彼女が逆上して、包丁を俺に向けたんだ。明らかに殺意を持ったまなざしだった。死ぬ、と思った。俺たちはそのまま争いになって、死んだのはハルエのほうだった」
彼はかたくなに、殺す、という表現は使わなかった。
意地でも使わない。そんな心根が私にも伝わってきた。自分が被害者だって思いがあったのかな。こんな奴のために欠片でも加害者気分を味わいたくない、っていう。そんな、ね。勝手な思考ではあるけれど、人間臭い思考だとは思ったし、ハルエさんが私たちに向ける感情よりは、ずっと理解できるものだった。
「私は――」
私が何かをしゃべろうとするたびに、彼は私の言葉をさえぎった。
「きみをなんで誘拐したのかは、俺にも分からないんだ。最初はこんな状況にしたきみを殺してやろうくらいに思っていたかもしれない。だから誘拐したわけだけど、誘拐する前から、きみと話している時点で、俺にはそんな気がなくなっていた。ただとりあえずこの死体だけは見せておきたい、と思った。ハルエが死んで、俺はすぐにきみのお母さんと約束を取り付けた。結構なお金を提示すれば、簡単だったよ。きみが何者なのか。僕はそれをいま、知りたくて知りたくて仕方ない。もしかしたらハルエも同じような感情を抱いていたのかもしれない。気持ち悪い、と自分でも思うが、教えて欲しい」
確かに言動は気持ち悪かったのかもしれないけど、あまり嫌な感じはしなかった。彼は私たちに盲目的ではなくて、冷静なまなざしを持っているように見えたから。
気付けば、私は彼にすべてを話していた。
私がいままで絶対にこれだけは話しちゃいけない、と禁じられていたことも。
私の能力のことや母と私の関係。私が苦しい、と感じていること。「助けて」と言いながら、私は涙を流した。つらくてつらくて、苦しい。もう嫌だ。なんで私ばっかり、こんな目に遭うの。たぶん演技だったんだ、と思う。私は母から救われたくて、誇張を加えて。
えっ、救われたい、と真剣な思いからそう言ったのなら、それはもう演技ではない、って。そっか。優しいんだね。だけどそんなに優しいと、騙される人間になるから気を付けたほうがいいよ。私たちみたいな人間に。
私と彼の間には、奇妙な連帯感があった。こんなにも短い時間だったのに、私の人生分の付き合いがあった母よりも、強い連帯感。
彼が私の頭を撫でた。その温かさをいまも覚えてる。殺人鬼の手に温もりがあったとしてもいいじゃない。どれだけ願っても私を助けてもくれない下らない大人よりも、私は私を助けてくれようとする大人を選ぶ。
「大丈夫。俺がすべてを終わらせてあげるよ」
と彼が優しく笑った。
「ありがとう……ございます」
「ここで待っていたらいいよ」
彼はそう言って部屋を出て、でも私は彼のあとをこっそり付けた。彼の住んでいたマンションは私の家から近かった。母が彼をマンションの中に招き入れる様子を、私はマンションの前から眺めていた。
もうその時点で、死の予感はあった。どちらかの、ね。
だけどどういう形で、その死が訪れるのか、までは想像できなかった。彼が入っていって三十分くらい経っても、どちらかが出てくる様子はなかった。このまま待っていようかな、と思ったけど、でもどちらもいつまでも出てこない気がした。
なんで、って?
別に特別な意味があるわけじゃない。本当にただの勘。こういう力を持っていたのか、それとも私自身が気付いていないだけで別の能力も持っていたのか、そんなのは分からないけど、私のこの勘はよく当たるんだ。良いことも、悪いことも。たとえば佐藤さんが、何かを隠してこの会に参加してることも。
どきっとした? 冗談だから、気にしないでいいよ。ふふ。
私は一応家の鍵を持っていたし、まぁだけどそもそも部屋の鍵は閉まっていなかった。
開けると、かすかな声だけが聞こえた。
声の聞こえるリビングまで行くと、そこには母と彼がいた。母はめった刺しにされていて、頭も何度も撲られたのか頭部は変形していて、首はいびつに曲がっていた。ハルエさんよりも、一目見ただけで死んでいることが分かるような哀れな死体だった。
声を出していたのは、母じゃなくて、彼のほうだった。
自らの手で自分の首を切った彼は、ひゅーひゅー、と声とも言えないような音を立てて、まさに苦悶の表情、ってああいう顔なんだ、と思う。私の姿に気付いて、彼は笑顔を見せた。もうしゃべれる感じではなかったけど、終わったよ、と表情で伝えるような。
たぶん彼はハルエさんを殺した時から、今後も生きようなんてつもりはかけらもなかったのだ、と思う。
「ありがとう」
と私は言って、倒れる彼を抱きしめていた。
彼はつらそうに、あと一歩で死ねる、と思いながら、死ねずにいることを困っているかのように私に苦笑いを見せた。
そばに包丁があった。血に塗れた。
彼が母を殺すために使ったものか、母が抵抗するために使ったものか、なんてのは分からない。ただ目に入ったそれを手に取った私は、
彼の胸もと目掛けて振り下ろした。
せめて彼がこれ以上、苦しまないように、と祈りを込めて。
私は人殺しになった。
唯一残念なことがあるとすれば、一番殺したかったひとと殺すことができなかった、ってことかな。とても残念。
私はその足で、家を出た。
人生はじめての家出は、もう私に家族がいなくなったあとだった。漠然と死を求めながら、ただふらふらと歩き回る少女は、そこである女性に拾われた。彼女の仕事が占い師で、ヤクザの愛人をしていた、らしい。らしい、って言うのは、実際に私はそのひとと会ったことがなかったから。母ほど醜悪な人間ではなく、優しいひとだったけれど、裏社会にも通じていたから、やっぱり危険なひとでもあった。彼女はお客さんにストーカーされた挙句、殺されているわけだけど、ストーカーしていた男もいわゆるそっちの世界の人間だったみたいだから、複雑な関係はあったんだと思う。
そして私は大人になって、いまにいたる、というわけ。
えっ、これはどこまでも本当か、って。さぁ、いままでのひとがそうだったみたいに、この話も同じ。どこまでが本当で、どこまでが嘘か、なんて私は答える気がない。だから佐藤さんのほうで、勝手に想像してもらうしかない。
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