私の一番大切なもの

マッシ

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32. ホスピスと良一と子猫

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(ホスピスと良一と子猫)

 ホスピスでは、良一は毎日天気予報を見て、今日も晴れることを願っていた。
 晴れていれば母と緑に囲まれた芝生広場でお弁当を持って、果物も持って、一日過ごせる。
 それが良一の一番の楽しみだった。
 まだ、平凡な生活しか知らない達也や幸恵たちに、あの特別な環境を理解しろと言う方が無謀な事なのかも知れない。
 でも……、……
「でも……、このホスピスにきて、毎日夢のような生活だったけど、入って三日目くらいのときかな、今も忘れられないけど、小学生四年か五年生くらいの凄い男の子に出会ったんだ…」
 良一は、久々にたくさんの仲間に囲まれて少し気持ちが高ぶっていたのかもしれない。
 それとも、妙子との生活が良一の氷ついた心を少し溶かして、普通の十五歳の少年に戻してくれていたのかもしれない。
「どんな子だったの……?」
 幸恵が訊いた。
「病院の庭に子猫が三匹捨てられていて、この男の子が部屋で隠れて飼っていたみたいなんだ。でも二、三日ですぐに見つかっちゃって病院中が大騒ぎになったんだ。それで、子猫は看護婦さんに連れて行かれて、男の子が心配そうに、どうするのって何度も言いながら後を追っていた」
「また猫……、……」
 妙子が科学館で出会った女の子を思い出して、つい叫んでしまった。
 良一もそのことがわかったのか、妙子に微笑みで返した。
「でもしょうがないわね。病院で猫を飼うわけにはいかないしね……」
 理恵子が同情するように言った。
「その男の子は障害を持っていて、それが病気のせいなのかどうなのかは訊かなかったけど、でも一人で入院しているようだから多分そうなんだと思う。松葉杖を突きながら、それでも足をくねらせながらも、全身の力を使って追っかけていた。今にも転びそうなくらい、ぎこちなく。それでも一生懸命叫びながら追っかけていた。多分、難病なんだと思う。ぼくも気になって、遠くから見ていたんだけど、看護士の詰め所まで追ってきたその子は、まだ諦めがつかないのか、看護士のおばさんに訊いていた」
 静かな良一の家で、今日は温かな風が、花の香りと共に縁側に面した座敷にも入ってきた。 
 良一がクラスの誰かと、こんなに親しく話しているのを妙子は初めて見たと思っていた。

(ホスピスと子猫)

 そこは、高原の小高い丘の上にあり、緩やかな扇のような曲線で建てられていた。
 中心にロビーがあり温室のようなガラス張りで、明るく外にいるような気分になる。
 ロビーの両脇に緩やかな階段があり、展望テラスに出られた。
 建物は一階ながら、その上は屋上庭園になっていて、展望テラスから出られた。

「ねえ、どうするの……?」
 看護士はめんどくさそうに……
「しょうがないでしょう。ここは病院だから、処分するしかないでしょう……」
「処分ってどうするの……?」
「そういうところがあるのよ……」
「どこにあるの……?」
「今から調べるのよ……」
 その話が、男の先生の耳に入ったのか奥から出てきて……
「いいんじゃないのかな。勉君がちゃんと面倒を見てくれるのなら……」
「先生……、そんなことできるわけないでしょう。ただでさえ衛生管理を厳しくするように言われているのに……、病原性大腸菌なんか出たらどうするんですか!」
「でも自分の体すら不自由している勉君が、その障害を越えて猫の世話をしていたということは、大変なリハビリではないですかね。ただ部屋で寝ているよりも、猫の世話でも何でも体を動かしてもらえる方が、彼のためですから。それに、ここは普通の病院じゃない。ホスピスなんだから……、患者さんの気持ちを第一に考えましょう」
「そこまで言うのでしたら、しばらく様子を見てもいいですけど……、ただし部屋の外には出さないことと、檻の中で飼うこと……」
 それから何日かたって、彼が車椅子の上に猫の餌なのか大きな袋を三つも四つも積んで、やっぱり体をくねらせながら一生懸命に車椅子を押して廊下を通っていくのを見たよ。その顔はとても嬉しそうだった。
「難病って、大変な病気じゃないの?」
「僕もそう思ったよ。見るからに自分の体のことで精一杯のはずなのに、それでも子猫の世話をしようと思う彼の気持ちに驚いたよー!」
「それからどうしたの……?」
 幸恵が訊いた。
「勉君には何度か行き会ったけど、話はしなかった。僕もお母さんのことで頭がいっぱいだったし、今から思えば何か話しておけばよかったかなって思うけど……」
「お前は人見知りするからなー」
 達也の冷やかしの声。
「でも、いい話ね……」
 幸恵が、下を向いて指で目頭を押さえているようだった。
「じゃあ、いじめられていたわけじゃないのねー?」
 良一は軽く頷いた。
 理恵子は、少し良一のイメージが変った気がした。

(去年とは違う良一)

 お昼になって、バーベキューをして、クラスの仲間と笑いあって、ふざけあって、去年までの良一と何かが違っていると、良一なりに感じていた。
 午後からは、さすがに長時間の勉強に飽きたのか、不平不満が噴出した。
「こんなの全然わかんない!」
 小夜子が叫んで畳の上に仰向けになって寝転んだ。
「もう、しょうがないわね……」
 幸恵が隣で寝転んだ小夜子のお腹を叩いた。
「どれがわからないの?」
 良一がやってきて小夜子の問題を見た。
「関係代名詞……?」
「教えてくれるの?」
 小夜子が突然起き上がった。
 良一が他人の世話を焼くのも、去年まではなかったことだった。
「わたしも教えてよ!」
 理恵子がうらやましそうな声を上げた。
「駄目よー! 良一君が勉強できないじゃない」
 幸恵が良一をかばうように言った。
「いいよ。少しぐらいなら、僕にわかる所なら……」
 良一は優しく微笑んだ。
「じゃわたしも……」
 聡子も教科書を持ってやってきた。
 妙子はそんな良一を眺めながら、少し前までの変人扱いされていた良一と違って、クラスの仲間と親しく溶け合っていることが嬉しかった。


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