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「……もう一度言う。なぜ貴様が、この極秘の兵站図を見て『輸送路が古い』などと言えるのだ」
セシル様の声は、先ほどのパック中の穏やかさとは一変し、低く鋭いものになった。
銀色の瞳が、獲物を狙う鷹のように私を射抜いている。
私はそんな威圧感などどこ吹く風で、デスクの上に広げられた地図の、北東部分を指先でなぞった。
「決まっておりますわ。美しい騎士たちが、こんな泥濘(ぬかるみ)の多い旧道を重い荷物を背負って歩かされるなんて、想像しただけでお肌の天敵ですもの」
「……肌の天敵?」
「えぇ。このルートでは到着までに三日余分にかかりますわ。その三日間で、彼らの瑞々しい若さは失われ、頬はこけ、目は血走り……。戦地に辿り着く頃には、目も当てられない『枯れ木』の集団になってしまいますわよ」
セシル様は呆れたように、こめかみを押さえた。
「これは軍事の話だ。美容の講釈を聞いているのではない」
「軍事も美容も、本質は同じですわ。無駄を省き、最も効率的に、最も美しい状態を維持して目的を達成する。……見てください。ここにある隠し峠を整備すれば、距離は半分になりますわ」
私は地図の端にある、ほとんど道とも認識されていない細い線を叩いた。
「ここは険しすぎて馬車が通れん。だからこそ、この迂回路を使っているのだ」
「あら、いつの情報ですの? 三ヶ月前の大雨でその峠は崩落し、今は皮肉なことに平坦な道が開けていますわ。……あぁ、そうか。エドワード殿下の派閥が『視察に行くのが面倒だから』という理由で、最新の報告書を握りつぶしていたのでしたわね」
セシル様が息を呑むのがわかった。
彼は素早く手元の別の書類をめくり、何かを確認し始める。
その真剣な眼差し、すっと通った鼻筋……。あぁ、集中している時の彼は、横顔のラインがより一層鋭利になって、私の心臓に悪いですわ。
「……確かに、報告が滞っている。貴様、なぜそれを知っている」
「三行で説明しますわね」
私は優雅に椅子に座り直し、足を組み替えた。
「一つ、私は情報の『鮮度』にうるさい女ですの」
「二つ、殿下の周りの無能な役人たちが、エステの待ち時間に大声で機密を漏らしていましたわ」
「三つ、私は顔の良い騎士たちが、無駄な苦労で老けるのを阻止したいだけです。……それ以上の理由が必要かしら?」
セシル様は深いため息をつき、椅子にもたれかかった。
「……呆れた女だ。国家機密をエステの世間話で仕入れてくるとはな」
「あら、社交界の噂話は、そこらの諜報員が持ってくる情報よりよほど速くて正確ですわよ。特に殿下の周りは、口の軽い『美しくない』方ばかりでしたから」
私は机の上のペンを手に取り、くるくると回した。
「セシル様。あなたがこの国で『氷の伯爵』と呼ばれ、煙たがられながらも国境を守っているのは知っていますわ。でも、そんなに眉間に皺を寄せてばかりでは、将来的に深い刻み皺になってしまいます。……私を雇うメリット、少しは見えてきたかしら?」
「……貴様を軍事顧問にしろとでも言うつもりか?」
「いいえ。私はあくまで『美の守護者』ですわ。あなたの顔を、そしてこの国の『美の資源』である兵士たちの顔を守る。その結果として戦勝がついてくるなら、それは付随的な効果に過ぎません」
セシル様はしばらく沈黙していた。
部屋の中に、時計の針の音だけが響く。
やがて、彼はゆっくりと口を開いた。
「……面白い。ノノカ・フォン・アスタール。貴様の狂気、あるいはその毒舌……今の私には必要なのかもしれん」
「あら、ようやく私の価値に気づいていただけたのね」
「ただし! 私の顔を見てニヤニヤするのは最小限にしろ。落ち着かん」
「それは無理な相談ですわ。美しいものを見て微笑むのは、人間の生存本能ですもの」
私が勝ち誇ったような笑みを浮かべたその時、部屋の扉がノックされた。
執事のライアンさんが、一枚の手紙を銀のトレイに乗せて入ってくる。
「旦那様、失礼いたします。アスタール公爵家より、お嬢様宛に緊急の伝言が届いております」
「父様から? 何かしら、慰謝料の振込口座でも決まったのかしら」
私が手紙を受け取り、中身を一読した瞬間。
私の口角が、ピクリと吊り上がった。
「……どうした。不吉な知らせか?」
セシル様が怪訝そうに尋ねる。
「いいえ、最高に愉快な知らせですわ。……エドワード殿下が、私の『不敬罪』を正式に訴え出る準備を始めたそうですの。同時に、私を『再教育』の名目で、王宮の地下牢へ連行する騎士団を差し向けたとか」
「地下牢だと? 正気か、あの王子は」
「えぇ。自分の面子を潰されたのが、よほど悔しかったのでしょうね。……セシル様、どうしましょうか? 私を差し出して、王家への忠誠を示します?」
私はわざとらしく首を傾げて見せた。
セシル様は鼻で笑い、立ち上がった。
「……あいにくだが、私は先ほど『専属コンサルタント』を雇ったばかりだ。私の許可なく、私の資産に傷をつけさせるわけにはいかん」
「あら、嬉しい。では、迎え撃ちましょうか。……最高に『美しくない』方法で」
私たちは顔を見合わせ、不敵な笑みを交わした。
エドワード殿下。あなた、喧嘩を売る相手の顔面偏差値を、完全に見誤りましたわね。
セシル様の声は、先ほどのパック中の穏やかさとは一変し、低く鋭いものになった。
銀色の瞳が、獲物を狙う鷹のように私を射抜いている。
私はそんな威圧感などどこ吹く風で、デスクの上に広げられた地図の、北東部分を指先でなぞった。
「決まっておりますわ。美しい騎士たちが、こんな泥濘(ぬかるみ)の多い旧道を重い荷物を背負って歩かされるなんて、想像しただけでお肌の天敵ですもの」
「……肌の天敵?」
「えぇ。このルートでは到着までに三日余分にかかりますわ。その三日間で、彼らの瑞々しい若さは失われ、頬はこけ、目は血走り……。戦地に辿り着く頃には、目も当てられない『枯れ木』の集団になってしまいますわよ」
セシル様は呆れたように、こめかみを押さえた。
「これは軍事の話だ。美容の講釈を聞いているのではない」
「軍事も美容も、本質は同じですわ。無駄を省き、最も効率的に、最も美しい状態を維持して目的を達成する。……見てください。ここにある隠し峠を整備すれば、距離は半分になりますわ」
私は地図の端にある、ほとんど道とも認識されていない細い線を叩いた。
「ここは険しすぎて馬車が通れん。だからこそ、この迂回路を使っているのだ」
「あら、いつの情報ですの? 三ヶ月前の大雨でその峠は崩落し、今は皮肉なことに平坦な道が開けていますわ。……あぁ、そうか。エドワード殿下の派閥が『視察に行くのが面倒だから』という理由で、最新の報告書を握りつぶしていたのでしたわね」
セシル様が息を呑むのがわかった。
彼は素早く手元の別の書類をめくり、何かを確認し始める。
その真剣な眼差し、すっと通った鼻筋……。あぁ、集中している時の彼は、横顔のラインがより一層鋭利になって、私の心臓に悪いですわ。
「……確かに、報告が滞っている。貴様、なぜそれを知っている」
「三行で説明しますわね」
私は優雅に椅子に座り直し、足を組み替えた。
「一つ、私は情報の『鮮度』にうるさい女ですの」
「二つ、殿下の周りの無能な役人たちが、エステの待ち時間に大声で機密を漏らしていましたわ」
「三つ、私は顔の良い騎士たちが、無駄な苦労で老けるのを阻止したいだけです。……それ以上の理由が必要かしら?」
セシル様は深いため息をつき、椅子にもたれかかった。
「……呆れた女だ。国家機密をエステの世間話で仕入れてくるとはな」
「あら、社交界の噂話は、そこらの諜報員が持ってくる情報よりよほど速くて正確ですわよ。特に殿下の周りは、口の軽い『美しくない』方ばかりでしたから」
私は机の上のペンを手に取り、くるくると回した。
「セシル様。あなたがこの国で『氷の伯爵』と呼ばれ、煙たがられながらも国境を守っているのは知っていますわ。でも、そんなに眉間に皺を寄せてばかりでは、将来的に深い刻み皺になってしまいます。……私を雇うメリット、少しは見えてきたかしら?」
「……貴様を軍事顧問にしろとでも言うつもりか?」
「いいえ。私はあくまで『美の守護者』ですわ。あなたの顔を、そしてこの国の『美の資源』である兵士たちの顔を守る。その結果として戦勝がついてくるなら、それは付随的な効果に過ぎません」
セシル様はしばらく沈黙していた。
部屋の中に、時計の針の音だけが響く。
やがて、彼はゆっくりと口を開いた。
「……面白い。ノノカ・フォン・アスタール。貴様の狂気、あるいはその毒舌……今の私には必要なのかもしれん」
「あら、ようやく私の価値に気づいていただけたのね」
「ただし! 私の顔を見てニヤニヤするのは最小限にしろ。落ち着かん」
「それは無理な相談ですわ。美しいものを見て微笑むのは、人間の生存本能ですもの」
私が勝ち誇ったような笑みを浮かべたその時、部屋の扉がノックされた。
執事のライアンさんが、一枚の手紙を銀のトレイに乗せて入ってくる。
「旦那様、失礼いたします。アスタール公爵家より、お嬢様宛に緊急の伝言が届いております」
「父様から? 何かしら、慰謝料の振込口座でも決まったのかしら」
私が手紙を受け取り、中身を一読した瞬間。
私の口角が、ピクリと吊り上がった。
「……どうした。不吉な知らせか?」
セシル様が怪訝そうに尋ねる。
「いいえ、最高に愉快な知らせですわ。……エドワード殿下が、私の『不敬罪』を正式に訴え出る準備を始めたそうですの。同時に、私を『再教育』の名目で、王宮の地下牢へ連行する騎士団を差し向けたとか」
「地下牢だと? 正気か、あの王子は」
「えぇ。自分の面子を潰されたのが、よほど悔しかったのでしょうね。……セシル様、どうしましょうか? 私を差し出して、王家への忠誠を示します?」
私はわざとらしく首を傾げて見せた。
セシル様は鼻で笑い、立ち上がった。
「……あいにくだが、私は先ほど『専属コンサルタント』を雇ったばかりだ。私の許可なく、私の資産に傷をつけさせるわけにはいかん」
「あら、嬉しい。では、迎え撃ちましょうか。……最高に『美しくない』方法で」
私たちは顔を見合わせ、不敵な笑みを交わした。
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