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「……ノノカ、これは一体何の騒ぎだ?」
翌朝、執務室の扉を開けたセシル様が、驚愕のあまり石像のように固まった。
無理もありませんわ。昨日まで殺風景で「軍事基地」のようだった彼の部屋は、今や最高級のベルベットのカーテンと、色とりどりの大輪の薔薇で埋め尽くされているのですから。
私は脚立の上に立ち、絵画の傾きを微調整しながら振り返った。
「あら、おはようございます、セシル様。三行で説明しますわね」
「……言え」
「一つ、あなたの美貌に対して、この部屋の装飾があまりに貧相でしたわ」
「二つ、殺風景な部屋は心の乾燥を招き、巡り巡ってお肌のツヤを奪います」
「三つ、私はあなたが最も美しく見える『背景』を整えることに決めたのです。……さあ、そこの特等席へ!」
私は完成したばかりの、金糸が施された豪華なソファを指差した。
「……私の執務室だぞ? これでは戦術の研究どころか、お茶会も開けやしない」
「戦術の研究こそ、美しい環境で行うべきですわ。血生臭い地図を眺める時こそ、視界の端に美しい花があることで、冷静な判断力が養われるというものです」
「そんな馬鹿な理論があるか。ライアン! なぜ止めなかった!」
セシル様が助けを求めて振り返ったが、執事のライアンさんは、すでにノリノリで私の指示通りに銀のティーセットを磨いていた。
「旦那様。ノノカ様のおっしゃる通り、お花を飾ってからの方が、旦那様のお顔の陰影がより際立って見えるようにございます」
「ライアン、お前まで……!」
セシル様は頭を抱えてソファに沈み込んだ。
「ふふっ、よくお似合いですわよ。その銀髪と真紅の薔薇のコントラスト……。あぁ、今すぐ画家に描かせたいくらいですわ」
「よせ。……それより、貴様。昨夜、王都に放った間者……ではなく、友人たちから何か連絡はあったのか?」
セシル様が、気恥ずかしさを隠すように仕事の話に切り替えた。
「えぇ。私のネットワークを甘く見ないでくださいな。エドワード殿下は今、大変なことになっていますわよ」
私は脚立から飛び降り、彼の隣に座り込んだ。
「殿下は、私を捕らえられなかった騎士団長に激怒し、八つ当たりで彼の給与をカットしたそうですわ。おかげで騎士団長は、殿下の派閥からセシル様側へ寝返る隙を窺っているとか」
「……あの騎士団長がか? たったそれだけの理由で?」
「『たったそれだけ』ではありませんわ。あの団長さんにとって、食費のカットは死活問題……いえ、彼の生きがいである『頬肉の維持』に関わる大事件ですもの」
セシル様が、本日二度目の絶句を披露した。
「……貴様の情報の出どころは、相変わらず理解の範疇を超えているな」
「美に執着する者の執念を侮ってはいけませんわ。それからもう一つ。マリア様が、殿下に『宝石の新作』を強請っているそうですけれど、殿下の金庫は私の慰謝料請求のせいで、今や底が見え始めているそうですわよ」
「……慰謝料の請求書。あれ、本当に王宮に届けたのか?」
「もちろんですわ。父を通じて、一字一句妥協のない金額を叩きつけました。今頃、財務担当官は泡を吹いて倒れているはずですわね」
私は優雅に扇を広げ、笑みを浮かべた。
「殿下は今、金はない、支持者は離れていく、婚約者は贅沢三昧……という、最高に『美しくない』状況に追い込まれていますの」
セシル様は、私の横顔をじっと見つめた。
その視線には、最初のような警戒心はなく、どこか感心したような色が混じっている。
「……ノノカ。貴様は、エドワードに復讐したいのか?」
「復讐? そんな面倒なこと、いたしませんわ。私はただ、彼の周りから『美しさ』を取り除いて、彼がいかに自分一人では輝けない存在だったかを、身を以て分からせて差し上げたいだけですの」
「それが一番恐ろしい復讐だと思うがな」
セシル様はふっと口角を上げると、自ら紅茶を一口啜った。
「……確かに、この部屋で飲む茶は、昨日より少しだけ旨い気がする」
「あら、ようやく私のセンスを認められましたわね」
「……認めざるを得ないだろう。これだけ外堀を埋められてはな」
セシル様の耳元が、ほんのりと赤くなる。
私はそれを見逃さず、心の中でガッツポーズをした。
氷の伯爵の心の氷壁、順調に溶けて(というか私のペースに飲み込まれて)きておりますわ。
しかし、平和な時間は長くは続かない。
「旦那様! 大変です!」
ライアンさんが、慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「今度は何だ。また騎士団か?」
「いえ、今度は……アスタール公爵様、つまりノノカ様のお父上が、武装した私兵を引き連れてこちらに向かっております!」
「……お父様が? どうして?」
私が首を傾げると、ライアンさんは震える声で続けた。
「『愛娘が、氷の伯爵にたぶらかされて拉致された! 今すぐ助け出し、あの美形面(びけいづら)に一撃食らわせてくれる!』と叫びながら、門を突破しようとしておいでです!」
「…………」
セシル様が、無言で私を見た。
私はそっと目を逸らし、薔薇の花びらを一枚、指で弄んだ。
「……お父様、少しばかり過保護なところがありますの。……三行で説得して参りましょうか?」
「……早くしろ。私の顔面が物理的に破壊される前に!」
翌朝、執務室の扉を開けたセシル様が、驚愕のあまり石像のように固まった。
無理もありませんわ。昨日まで殺風景で「軍事基地」のようだった彼の部屋は、今や最高級のベルベットのカーテンと、色とりどりの大輪の薔薇で埋め尽くされているのですから。
私は脚立の上に立ち、絵画の傾きを微調整しながら振り返った。
「あら、おはようございます、セシル様。三行で説明しますわね」
「……言え」
「一つ、あなたの美貌に対して、この部屋の装飾があまりに貧相でしたわ」
「二つ、殺風景な部屋は心の乾燥を招き、巡り巡ってお肌のツヤを奪います」
「三つ、私はあなたが最も美しく見える『背景』を整えることに決めたのです。……さあ、そこの特等席へ!」
私は完成したばかりの、金糸が施された豪華なソファを指差した。
「……私の執務室だぞ? これでは戦術の研究どころか、お茶会も開けやしない」
「戦術の研究こそ、美しい環境で行うべきですわ。血生臭い地図を眺める時こそ、視界の端に美しい花があることで、冷静な判断力が養われるというものです」
「そんな馬鹿な理論があるか。ライアン! なぜ止めなかった!」
セシル様が助けを求めて振り返ったが、執事のライアンさんは、すでにノリノリで私の指示通りに銀のティーセットを磨いていた。
「旦那様。ノノカ様のおっしゃる通り、お花を飾ってからの方が、旦那様のお顔の陰影がより際立って見えるようにございます」
「ライアン、お前まで……!」
セシル様は頭を抱えてソファに沈み込んだ。
「ふふっ、よくお似合いですわよ。その銀髪と真紅の薔薇のコントラスト……。あぁ、今すぐ画家に描かせたいくらいですわ」
「よせ。……それより、貴様。昨夜、王都に放った間者……ではなく、友人たちから何か連絡はあったのか?」
セシル様が、気恥ずかしさを隠すように仕事の話に切り替えた。
「えぇ。私のネットワークを甘く見ないでくださいな。エドワード殿下は今、大変なことになっていますわよ」
私は脚立から飛び降り、彼の隣に座り込んだ。
「殿下は、私を捕らえられなかった騎士団長に激怒し、八つ当たりで彼の給与をカットしたそうですわ。おかげで騎士団長は、殿下の派閥からセシル様側へ寝返る隙を窺っているとか」
「……あの騎士団長がか? たったそれだけの理由で?」
「『たったそれだけ』ではありませんわ。あの団長さんにとって、食費のカットは死活問題……いえ、彼の生きがいである『頬肉の維持』に関わる大事件ですもの」
セシル様が、本日二度目の絶句を披露した。
「……貴様の情報の出どころは、相変わらず理解の範疇を超えているな」
「美に執着する者の執念を侮ってはいけませんわ。それからもう一つ。マリア様が、殿下に『宝石の新作』を強請っているそうですけれど、殿下の金庫は私の慰謝料請求のせいで、今や底が見え始めているそうですわよ」
「……慰謝料の請求書。あれ、本当に王宮に届けたのか?」
「もちろんですわ。父を通じて、一字一句妥協のない金額を叩きつけました。今頃、財務担当官は泡を吹いて倒れているはずですわね」
私は優雅に扇を広げ、笑みを浮かべた。
「殿下は今、金はない、支持者は離れていく、婚約者は贅沢三昧……という、最高に『美しくない』状況に追い込まれていますの」
セシル様は、私の横顔をじっと見つめた。
その視線には、最初のような警戒心はなく、どこか感心したような色が混じっている。
「……ノノカ。貴様は、エドワードに復讐したいのか?」
「復讐? そんな面倒なこと、いたしませんわ。私はただ、彼の周りから『美しさ』を取り除いて、彼がいかに自分一人では輝けない存在だったかを、身を以て分からせて差し上げたいだけですの」
「それが一番恐ろしい復讐だと思うがな」
セシル様はふっと口角を上げると、自ら紅茶を一口啜った。
「……確かに、この部屋で飲む茶は、昨日より少しだけ旨い気がする」
「あら、ようやく私のセンスを認められましたわね」
「……認めざるを得ないだろう。これだけ外堀を埋められてはな」
セシル様の耳元が、ほんのりと赤くなる。
私はそれを見逃さず、心の中でガッツポーズをした。
氷の伯爵の心の氷壁、順調に溶けて(というか私のペースに飲み込まれて)きておりますわ。
しかし、平和な時間は長くは続かない。
「旦那様! 大変です!」
ライアンさんが、慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「今度は何だ。また騎士団か?」
「いえ、今度は……アスタール公爵様、つまりノノカ様のお父上が、武装した私兵を引き連れてこちらに向かっております!」
「……お父様が? どうして?」
私が首を傾げると、ライアンさんは震える声で続けた。
「『愛娘が、氷の伯爵にたぶらかされて拉致された! 今すぐ助け出し、あの美形面(びけいづら)に一撃食らわせてくれる!』と叫びながら、門を突破しようとしておいでです!」
「…………」
セシル様が、無言で私を見た。
私はそっと目を逸らし、薔薇の花びらを一枚、指で弄んだ。
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