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深夜。グラタン公爵邸の重厚な門扉が、内側から凄まじい勢いで開け放たれました。
「お父様ー! お父様はいらっしゃいますかー! 娘が今、晴れて無職になって戻りましたわよー!」
静まり返った屋敷に、私の明るい声が響き渡ります。
ボロボロのドレスに裸足、髪は振り乱した状態。
客観的に見れば、暴漢に襲われた悲劇の令嬢ですが、私の表情は真夏の太陽より輝いていました。
玄関ホールで私を待ち構えていたのは、寝巻きの上にガウンを羽織った父、グラタン公爵でした。
「……テリーヌか。夜中に騒々しいな。それにその格好……ついにやったのか?」
「はい! やりましたわ! 殿下から『顔も見たくない』とのお墨付きをいただきました!」
「そうか、おめでとう。これで我が家の食卓に、ようやく彩りが戻るな」
父は動じることなく、むしろ深く頷いて私を迎え入れました。
普通なら「なんてことだ!」と頭を抱える場面でしょうが、我がグラタン家は代々、過剰なまでのポジティブ思考と『刺激』を求める血筋なのです。
私たちは応接室に移動し、深夜のティータイム(ただし私は持参した唐辛子を紅茶に投入)を始めました。
「それで、表向きの罪状は何になったのだ? 王宮から速馬で届いた書簡には、随分と物騒なことが書かれていたが」
父がテーブルに放り出したのは、王印の押された公文書。
そこには、私が聖女シャルロット様に行ったとされる『悪行』の数々が列挙されていました。
「ふむふむ……。第一の罪。聖女が祈りを捧げるための『聖水』を、秘密裏に『特製ラー油』にすり替えた罪」
「あら、あれは親切心ですわ。聖水って、なんだか無味無臭で物足りないでしょう? 少しは色味があったほうが、神様も喜ぶと思ったのです」
「聖女が清めの儀式で、顔を真っ赤にして悶絶したらしいぞ。周囲は『悪魔が取り憑いた』と大騒ぎだったそうだ」
「あら、新種の美容法として流行ると思ったのに。残念ですわ」
父は淡々と次の項目を読み上げます。
「第二の罪。王宮のバラ園の半分を勝手に耕し、観賞用ではない『ハバネロ』および『ジョロキア』を無許可で栽培した罪」
「あそこは日当たりが最高でしたのよ! バラなんて食べられもしないものを植えておくのは、土地の無駄遣いですわ。おかげで素晴らしい収穫量でしたのに」
「収穫した実はどうしたのだ?」
「半分は王宮の調理場に『パプリカですわ』と言って寄贈しました。もう半分は、殿下の寝室の加湿器に入れておきましたわ」
「……なるほど。殿下が最近、寝起きに咳き込んで涙が止まらないと訴えていたのは、それが原因か」
父は感心したように、紅茶(唐辛子入り)を一口すすりました。
さすが我が父。喉の粘膜が鋼鉄でできているようです。
「そして極めつけは、第三の罪。聖女のドレスに『目に見えないほどの微細な粉末唐辛子』を散布し、彼女が舞踏会で踊るたびに周囲の貴族をクシャミの嵐に巻き込んだ罪、だ」
「それは誤解ですわ! あれは最新の香水……『刺激的な女』を演出するためのスパイスですもの! ただ、少しばかり拡散力が強すぎただけですわ」
「結果として、夜会会場が催涙ガスを撒かれた戦場のようになったと書いてある。……テリーヌよ」
父が真剣な表情で私を見つめました。
ついに怒られるのか、と私は背筋を伸ばします。
「……やりすぎだ」
「申し訳ございません、お父様」
「なぜ私にも、その香水を分けてくれなかったのだ。明日の閣僚会議で使えば、退屈な予算の話を切り上げられたものを」
「そっちですか!?」
私は思わずズッコケそうになりました。
この父にして、この娘あり。
グラタン公爵家が王都で浮いている理由が、改めてよく分かります。
「まあ良い。婚約破棄された以上、貴様はもうこの国の王太子妃にはなれん。それどころか、まともな貴族との縁談も絶望的だ」
「望むところですわ! 私は、私の味を理解してくれる場所へ行きます!」
「その意気だ。だが、このまま王都にいては、あの無能な王太子が『やっぱり書類仕事が回らないから戻れ』と泣きついてくる可能性が高い。奴は、貴様が裏でどれだけの激辛嫌がらせ……いや、事務処理をこなしていたか分かっていないからな」
父の言う通りです。
殿下の仕事の八割は、私が「辛いものを食べるための休憩時間」を捻出するために、超高速で片付けていたものですから。
「ですので、お父様。私は旅に出ようと思います」
「ほう、どこへ行く?」
「刺激の向こう側……つまり、隣国のスパイス大国ですわ!」
「隣国か。あそこは、味覚が狂った変人……もとい、食の探求者が多いと聞く。お前にはお似合いかもしれんな」
父は立ち上がり、壁に飾られた巨大な剣を手に取りました。
……いえ、剣ではありません。それは、巨大な「麺棒」でした。
「行け、テリーヌ。我が家の地下倉庫にある『門外不出のスパイスセット』を持っていくがいい。そして、世界を赤く染めてこい」
「お父様……! ありがとうございます!」
私は父と固く握手を交わしました。
普通の令嬢なら宝石やドレスを持って逃げるのでしょうが、私は違います。
私はその夜、公爵邸の地下深くへと潜りました。
そこには、歴代のグラタン公爵が世界中から集めた、危険すぎて市場に出せない劇物……失礼、スパイスたちが眠っているのです。
「フフフ……。これさえあれば、どこへ行っても生きていけますわ」
私は、防護服(自作)に身を包み、慎重にスパイスを鞄に詰め込みました。
瓶が触れ合う音が、まるで旅立ちを祝う鼓動のように聞こえます。
「待っていなさい、隣国の方々! 私の情熱(物理的な熱さ)を、たっぷりとお届けしてあげますわ!」
こうして、悪役令嬢テリーヌは、誰に惜しまれることもなく(むしろ王宮職員には恐れられながら)、爆走気味に国外へと脱出する準備を整えたのでした。
「お父様ー! お父様はいらっしゃいますかー! 娘が今、晴れて無職になって戻りましたわよー!」
静まり返った屋敷に、私の明るい声が響き渡ります。
ボロボロのドレスに裸足、髪は振り乱した状態。
客観的に見れば、暴漢に襲われた悲劇の令嬢ですが、私の表情は真夏の太陽より輝いていました。
玄関ホールで私を待ち構えていたのは、寝巻きの上にガウンを羽織った父、グラタン公爵でした。
「……テリーヌか。夜中に騒々しいな。それにその格好……ついにやったのか?」
「はい! やりましたわ! 殿下から『顔も見たくない』とのお墨付きをいただきました!」
「そうか、おめでとう。これで我が家の食卓に、ようやく彩りが戻るな」
父は動じることなく、むしろ深く頷いて私を迎え入れました。
普通なら「なんてことだ!」と頭を抱える場面でしょうが、我がグラタン家は代々、過剰なまでのポジティブ思考と『刺激』を求める血筋なのです。
私たちは応接室に移動し、深夜のティータイム(ただし私は持参した唐辛子を紅茶に投入)を始めました。
「それで、表向きの罪状は何になったのだ? 王宮から速馬で届いた書簡には、随分と物騒なことが書かれていたが」
父がテーブルに放り出したのは、王印の押された公文書。
そこには、私が聖女シャルロット様に行ったとされる『悪行』の数々が列挙されていました。
「ふむふむ……。第一の罪。聖女が祈りを捧げるための『聖水』を、秘密裏に『特製ラー油』にすり替えた罪」
「あら、あれは親切心ですわ。聖水って、なんだか無味無臭で物足りないでしょう? 少しは色味があったほうが、神様も喜ぶと思ったのです」
「聖女が清めの儀式で、顔を真っ赤にして悶絶したらしいぞ。周囲は『悪魔が取り憑いた』と大騒ぎだったそうだ」
「あら、新種の美容法として流行ると思ったのに。残念ですわ」
父は淡々と次の項目を読み上げます。
「第二の罪。王宮のバラ園の半分を勝手に耕し、観賞用ではない『ハバネロ』および『ジョロキア』を無許可で栽培した罪」
「あそこは日当たりが最高でしたのよ! バラなんて食べられもしないものを植えておくのは、土地の無駄遣いですわ。おかげで素晴らしい収穫量でしたのに」
「収穫した実はどうしたのだ?」
「半分は王宮の調理場に『パプリカですわ』と言って寄贈しました。もう半分は、殿下の寝室の加湿器に入れておきましたわ」
「……なるほど。殿下が最近、寝起きに咳き込んで涙が止まらないと訴えていたのは、それが原因か」
父は感心したように、紅茶(唐辛子入り)を一口すすりました。
さすが我が父。喉の粘膜が鋼鉄でできているようです。
「そして極めつけは、第三の罪。聖女のドレスに『目に見えないほどの微細な粉末唐辛子』を散布し、彼女が舞踏会で踊るたびに周囲の貴族をクシャミの嵐に巻き込んだ罪、だ」
「それは誤解ですわ! あれは最新の香水……『刺激的な女』を演出するためのスパイスですもの! ただ、少しばかり拡散力が強すぎただけですわ」
「結果として、夜会会場が催涙ガスを撒かれた戦場のようになったと書いてある。……テリーヌよ」
父が真剣な表情で私を見つめました。
ついに怒られるのか、と私は背筋を伸ばします。
「……やりすぎだ」
「申し訳ございません、お父様」
「なぜ私にも、その香水を分けてくれなかったのだ。明日の閣僚会議で使えば、退屈な予算の話を切り上げられたものを」
「そっちですか!?」
私は思わずズッコケそうになりました。
この父にして、この娘あり。
グラタン公爵家が王都で浮いている理由が、改めてよく分かります。
「まあ良い。婚約破棄された以上、貴様はもうこの国の王太子妃にはなれん。それどころか、まともな貴族との縁談も絶望的だ」
「望むところですわ! 私は、私の味を理解してくれる場所へ行きます!」
「その意気だ。だが、このまま王都にいては、あの無能な王太子が『やっぱり書類仕事が回らないから戻れ』と泣きついてくる可能性が高い。奴は、貴様が裏でどれだけの激辛嫌がらせ……いや、事務処理をこなしていたか分かっていないからな」
父の言う通りです。
殿下の仕事の八割は、私が「辛いものを食べるための休憩時間」を捻出するために、超高速で片付けていたものですから。
「ですので、お父様。私は旅に出ようと思います」
「ほう、どこへ行く?」
「刺激の向こう側……つまり、隣国のスパイス大国ですわ!」
「隣国か。あそこは、味覚が狂った変人……もとい、食の探求者が多いと聞く。お前にはお似合いかもしれんな」
父は立ち上がり、壁に飾られた巨大な剣を手に取りました。
……いえ、剣ではありません。それは、巨大な「麺棒」でした。
「行け、テリーヌ。我が家の地下倉庫にある『門外不出のスパイスセット』を持っていくがいい。そして、世界を赤く染めてこい」
「お父様……! ありがとうございます!」
私は父と固く握手を交わしました。
普通の令嬢なら宝石やドレスを持って逃げるのでしょうが、私は違います。
私はその夜、公爵邸の地下深くへと潜りました。
そこには、歴代のグラタン公爵が世界中から集めた、危険すぎて市場に出せない劇物……失礼、スパイスたちが眠っているのです。
「フフフ……。これさえあれば、どこへ行っても生きていけますわ」
私は、防護服(自作)に身を包み、慎重にスパイスを鞄に詰め込みました。
瓶が触れ合う音が、まるで旅立ちを祝う鼓動のように聞こえます。
「待っていなさい、隣国の方々! 私の情熱(物理的な熱さ)を、たっぷりとお届けしてあげますわ!」
こうして、悪役令嬢テリーヌは、誰に惜しまれることもなく(むしろ王宮職員には恐れられながら)、爆走気味に国外へと脱出する準備を整えたのでした。
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