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「ヒヒーンッ!」
グラタン公爵家が誇る快速馬、レッド・チリ号が夜の街道を駆け抜けます。
私はその背に跨り、風を切って爆走していました。
背中には、お父様から譲り受けた『門外不出のスパイスセット』。
これが揺れるたびに、周囲には微かにスパイシーな香りが漂います。
道ゆく野良犬たちがクシャミをしながら逃げていきますが、気にしてはいられません。
「いいわ、チリ! その調子ですわ! 目指すは隣国、スパイス連邦スパイスバーグ!」
数時間の爆走の末、私はついに国境付近の宿場町へと辿り着きました。
ここを越えれば、もうあの退屈な王太子に追いかけられる心配もありません。
私は馬を預けると、空腹を満たすために町で一番賑わっている酒場へと飛び込みました。
「いらっしゃい! お嬢ちゃん、こんな夜中に一人かい?」
「ええ、少しばかり刺激を求めて一人旅ですの。店主、この店で一番『狂ったように辛い料理』をいただけますか?」
店主は一瞬呆気にとられた顔をしましたが、すぐにニヤリと笑いました。
「ほう、威勢がいいね。それならうちの名物『地獄の業火煮込み』はどうだい? 普通の奴なら一口で気絶する代物だが」
「素晴らしいわ。それを三人前、大至急お願いします!」
注文を終えた私は、酒場の隅の席にどっしりと腰を下ろしました。
周囲を見渡すと、旅人や荒くれ者たちが談笑しています。
その中で一人、異様なオーラを放つ男がいました。
黒いマントを羽織り、深くフードを被っています。
ですが、その隙間から見える横顔は、彫刻のように整っていました。
ただ、その表情は……この世の終わりでも迎えたかのように、暗く、沈んでいます。
「……味がしない。これも、これも……砂を噛んでいるようだ」
男が低い声で呟きました。
手元のスープをスプーンで弄っていますが、一口食べては溜息を吐いています。
(あら、お可哀想に。人生に絶望しているのかしら?)
少し気になりましたが、今はそれどころではありません。
運ばれてきた『地獄の業火煮込み』が、私の目の前で真っ赤な湯気を立てているのですから!
「お待たせ! 『地獄の業火煮込み』だ! 死ぬんじゃないよ!」
「いただきますわ!」
私はスプーンを手に取ると、迷わずたっぷりとスープを掬って口に運びました。
「…………ふむ」
店主が固唾を飲んで見守る中、私は首を傾げました。
「お嬢ちゃん、どうした? 辛すぎて声も出ないか?」
「いえ……店主。これ、『地獄の業火』ではなく『おひさまの温もり』程度の間違いではありませんか?」
「はあぁ!?」
私は溜息を吐き、背中の鞄から自前の瓶を取り出しました。
ラベルにはドクロマークが三つ描かれた、グラタン家秘蔵の『魔王の涙エキス』です。
「せっかくの料理ですもの。私が完成させて差し上げますわ」
ポタポタと、どす黒い液体を煮込み料理に投下します。
その瞬間、シュゥゥゥッ!という不穏な音と共に、酒場中に催涙ガスのような刺激臭が充満しました。
「ゴホッ! ゲホゲホッ! な、なんだこの臭いは!?」
「目が、目が痛ぇ!」
周囲の客たちが騒ぎ出す中、私は至福の表情でその「劇物」を口に含みました。
「……ッ!! これですわ! 脳を直接殴られるようなこの衝撃! 血管が沸騰するようなこの熱さ! 生きてる実感がしますわー!」
私はハフハフと息を吐きながら、猛然と食べ進めました。
顔は紅潮し、額からは健康的な汗が流れます。
すると、その時。
「……君」
先ほどの、死にそうな顔をしていた美男が、私の目の前に立っていました。
彼は驚愕の表情で、私の真っ赤に染まった皿と、私の顔を交互に見ています。
「……それを食べて、正気なのか?」
「あら、失礼ね。私は今、人生で一番正気ですわよ。貴方も一口いかが? 悩み事なんて、この熱さで全部蒸発してしまいますわ」
私が冗談めかしてスプーンを差し出すと、男は躊躇いもなく、それを受け取りました。
「おい、やめろ兄ちゃん! それは人間が食うもんじゃねぇ!」
店主の制止も聞かず、男は『魔王の涙入り煮込み』を口に含みました。
沈黙が流れます。
一秒、二秒……。
男の瞳が、カッと大きく見開かれました。
震える指先が口元を押さえ、やがてその目から一筋の涙がこぼれ落ちます。
「……感じる」
「え?」
「熱い……! 痛い……! だが……私は今、確かに『味』を感じているぞ!」
男は突然、私の両手をがっしりと握りしめました。
その力強さに、私は思わずのけぞります。
「君! 君は一体何者だ!? この素晴らしい毒……いや、料理を誰が作った!」
「作ったのは私ですが……。何者かと聞かれれば、ただの通りすがりの『元・悪役令嬢』ですわ」
「元・悪役令嬢……。くっ、素晴らしい響きだ。ようやく見つけた……私の絶望を焼き尽くしてくれる光を!」
男の背後に、なんだかキラキラとしたバラの背景が見えた気がしました。
ですが、彼が発しているのはバラの香りではなく、紛れもない「唐辛子の臭い」です。
「君、私の国へ来ないか? いや、来てくれ。君のその赤い情熱が、今の私には必要なんだ」
「……はい?」
これが、私と隣国の「冷徹公爵(実はただの重度の味覚障害)」アリスティア様との、ピリピリと痺れるような出会いだったのでした。
グラタン公爵家が誇る快速馬、レッド・チリ号が夜の街道を駆け抜けます。
私はその背に跨り、風を切って爆走していました。
背中には、お父様から譲り受けた『門外不出のスパイスセット』。
これが揺れるたびに、周囲には微かにスパイシーな香りが漂います。
道ゆく野良犬たちがクシャミをしながら逃げていきますが、気にしてはいられません。
「いいわ、チリ! その調子ですわ! 目指すは隣国、スパイス連邦スパイスバーグ!」
数時間の爆走の末、私はついに国境付近の宿場町へと辿り着きました。
ここを越えれば、もうあの退屈な王太子に追いかけられる心配もありません。
私は馬を預けると、空腹を満たすために町で一番賑わっている酒場へと飛び込みました。
「いらっしゃい! お嬢ちゃん、こんな夜中に一人かい?」
「ええ、少しばかり刺激を求めて一人旅ですの。店主、この店で一番『狂ったように辛い料理』をいただけますか?」
店主は一瞬呆気にとられた顔をしましたが、すぐにニヤリと笑いました。
「ほう、威勢がいいね。それならうちの名物『地獄の業火煮込み』はどうだい? 普通の奴なら一口で気絶する代物だが」
「素晴らしいわ。それを三人前、大至急お願いします!」
注文を終えた私は、酒場の隅の席にどっしりと腰を下ろしました。
周囲を見渡すと、旅人や荒くれ者たちが談笑しています。
その中で一人、異様なオーラを放つ男がいました。
黒いマントを羽織り、深くフードを被っています。
ですが、その隙間から見える横顔は、彫刻のように整っていました。
ただ、その表情は……この世の終わりでも迎えたかのように、暗く、沈んでいます。
「……味がしない。これも、これも……砂を噛んでいるようだ」
男が低い声で呟きました。
手元のスープをスプーンで弄っていますが、一口食べては溜息を吐いています。
(あら、お可哀想に。人生に絶望しているのかしら?)
少し気になりましたが、今はそれどころではありません。
運ばれてきた『地獄の業火煮込み』が、私の目の前で真っ赤な湯気を立てているのですから!
「お待たせ! 『地獄の業火煮込み』だ! 死ぬんじゃないよ!」
「いただきますわ!」
私はスプーンを手に取ると、迷わずたっぷりとスープを掬って口に運びました。
「…………ふむ」
店主が固唾を飲んで見守る中、私は首を傾げました。
「お嬢ちゃん、どうした? 辛すぎて声も出ないか?」
「いえ……店主。これ、『地獄の業火』ではなく『おひさまの温もり』程度の間違いではありませんか?」
「はあぁ!?」
私は溜息を吐き、背中の鞄から自前の瓶を取り出しました。
ラベルにはドクロマークが三つ描かれた、グラタン家秘蔵の『魔王の涙エキス』です。
「せっかくの料理ですもの。私が完成させて差し上げますわ」
ポタポタと、どす黒い液体を煮込み料理に投下します。
その瞬間、シュゥゥゥッ!という不穏な音と共に、酒場中に催涙ガスのような刺激臭が充満しました。
「ゴホッ! ゲホゲホッ! な、なんだこの臭いは!?」
「目が、目が痛ぇ!」
周囲の客たちが騒ぎ出す中、私は至福の表情でその「劇物」を口に含みました。
「……ッ!! これですわ! 脳を直接殴られるようなこの衝撃! 血管が沸騰するようなこの熱さ! 生きてる実感がしますわー!」
私はハフハフと息を吐きながら、猛然と食べ進めました。
顔は紅潮し、額からは健康的な汗が流れます。
すると、その時。
「……君」
先ほどの、死にそうな顔をしていた美男が、私の目の前に立っていました。
彼は驚愕の表情で、私の真っ赤に染まった皿と、私の顔を交互に見ています。
「……それを食べて、正気なのか?」
「あら、失礼ね。私は今、人生で一番正気ですわよ。貴方も一口いかが? 悩み事なんて、この熱さで全部蒸発してしまいますわ」
私が冗談めかしてスプーンを差し出すと、男は躊躇いもなく、それを受け取りました。
「おい、やめろ兄ちゃん! それは人間が食うもんじゃねぇ!」
店主の制止も聞かず、男は『魔王の涙入り煮込み』を口に含みました。
沈黙が流れます。
一秒、二秒……。
男の瞳が、カッと大きく見開かれました。
震える指先が口元を押さえ、やがてその目から一筋の涙がこぼれ落ちます。
「……感じる」
「え?」
「熱い……! 痛い……! だが……私は今、確かに『味』を感じているぞ!」
男は突然、私の両手をがっしりと握りしめました。
その力強さに、私は思わずのけぞります。
「君! 君は一体何者だ!? この素晴らしい毒……いや、料理を誰が作った!」
「作ったのは私ですが……。何者かと聞かれれば、ただの通りすがりの『元・悪役令嬢』ですわ」
「元・悪役令嬢……。くっ、素晴らしい響きだ。ようやく見つけた……私の絶望を焼き尽くしてくれる光を!」
男の背後に、なんだかキラキラとしたバラの背景が見えた気がしました。
ですが、彼が発しているのはバラの香りではなく、紛れもない「唐辛子の臭い」です。
「君、私の国へ来ないか? いや、来てくれ。君のその赤い情熱が、今の私には必要なんだ」
「……はい?」
これが、私と隣国の「冷徹公爵(実はただの重度の味覚障害)」アリスティア様との、ピリピリと痺れるような出会いだったのでした。
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