婚約破棄のにガッツポーズして「お幸せに!」と爆走退場する。

ちゃっぴー

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「ここが……私の新しい戦場(キッチン)ですのね!」

 馬車を降りた瞬間、私は目の前にそびえ立つスパイス公爵家の屋敷を見上げ……ませんでした。
 私の視線は、裏手にあるレンガ造りの大きな建物、すなわち厨房棟に釘付けです。

 案内役のアリスティア様が、少し呆れたように私の隣に立ちました。

「テリーヌ嬢、普通はまず客間に案内されるものだが……。君のその、一切の迷いがない足取りには敬意を表するよ」

「挨拶より火力が優先ですわ、公爵様! さあ、案内してくださいまし!」

 私が鼻息荒く厨房の扉を蹴り開けると、そこには十数人の料理人たちが忙しなく立ち働いていました。
 ですが、彼らの顔色は一様に青白く、活気がありません。

「おい、君たちは誰だ! ここは神聖な調理の場だぞ!」

 中央に立つ、恰幅の良い料理長らしき男性が、私たちを睨みつけました。

「私だ、バジル。……それと、今日から我が家の食の顧問となるテリーヌ嬢だ」

「公爵様!? 失礼いたしました! ……しかし、顧問? この、お人形さんのようなお嬢さんがですか?」

 料理長バジルは、私の汚れたドレスと裸足を見て、あからさまに鼻で笑いました。

「公爵様、お言葉ですが。貴方様の味覚が戻らないのは、我々の努力不足ではなく、医学的な問題です。このような小娘を連れてきたところで……」

「あら、ご忠告ありがとうございます。でも料理長、貴方のそのお言葉、そっくりそのままお返ししますわ」

 私はバジルに歩み寄り、彼が今しがた味見をしていたスープの鍋を指差しました。

「そのスープ、何かが足りないと思いませんこと?」

「はあ? これは最高級の岩塩とハーブ、そして鶏の出汁を極限まで煮詰めた、王宮御用達のレシピだぞ!」

「ええ、丁寧なお仕事ですわね。でも……魂(パンチ)が足りませんわ! こんなボヤけた味の液体、赤子に飲ませる白湯と同じですわよ!」

「な、なんだと……ッ!」

 激昂するバジルを無視して、私は鞄から一瓶の粉末を取り出しました。
 それは、父から譲り受けた『地獄の砂嵐』。
 一粒で大の大人が三日三晩、喉の痛みにのたうち回るという呪物……もとい、魔法のスパイスです。

「これを、ほんのひとつまみ入れるだけで……このスープは『覚醒』しますわ」

「やめろ! 公爵様の食事に毒を入れる気か!」

「毒ではありません、愛ですわ! アリスティア様、一口、よろしいかしら?」

 アリスティア様は、料理人たちの悲鳴のような制止を片手で制し、無表情で頷きました。

「……構わん。私は、その『刺激』を求めて彼女を連れてきたのだ」

 私はニヤリと笑い、スープに『地獄の砂嵐』を投下しました。
 瞬間、鍋から真っ赤な蒸気が立ち上り、厨房中に異様な臭気……いえ、芳醇な香りが広がります。

「ゲホッ! な、なんだこれは!? 空気が痛いぞ!」

「料理長、逃げてください! 目が、目がぁぁ!」

 阿鼻叫喚の図となる厨房。
 料理人たちが涙を流して退避する中、私は平然とスープを小皿に盛り、アリスティア様に差し出しました。

「さあ、召し上がれ」

 アリスティア様は、真っ赤に染まったスープを口に運びました。

 一瞬、彼の動きが止まりました。
 そして次の瞬間……彼の白い肌がみるみるうちに赤らみ、青い瞳に力強い光が宿ります。

「……ああ」

 彼は深く、満足そうに吐息を漏らしました。

「……バジル。君たちが十年かけても届かなかった場所に、彼女は一瞬で辿り着いたようだ」

「え……? 公爵様、まさか……」

「味がする。それも、猛烈な勢いで私の脳を揺さぶる、最高の味がな!」

 アリスティア様は、私の手を力強く握りしめました。

「テリーヌ嬢。この厨房は、今日から君が支配しろ。必要なものは何でも揃えよう」

「ありがとうございますわ! ではまず、この『お遊び』のような火力のコンロをすべて撤去してくださいまし! 隣国の軍事技術を応用した、超高温の魔導コンロを十台ほど導入していただきますわよ!」

「魔導コンロ……? あれは装甲車を溶かすためのものだが……」

「ええ、それくらいの火力がなければ、唐辛子の真髄(エッセンス)は引き出せませんもの!」

 私は腰に手を当て、逃げ惑う料理人たちを圧倒的な威圧感で見下ろしました。

「さあ、料理人諸君! 私についてくる覚悟がある者は残りなさい! 明日からは、厨房に入る前に『防護マスク』の着用を義務付けますわよ!」

 こうして、スパイス公爵邸の厨房は、一晩にして「火炎地獄」へと生まれ変わることになったのです。
 私の悪役令嬢としての本領発揮は、ここから。
 この国の食文化を、根底からひっくり返して差し上げますわ!
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