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「甘いわ! 甘すぎますわ! こんなの、ただの赤いパウダーじゃありませんの!」
翌朝、私は隣国の王都にある中央市場で、朝一の咆哮を上げていました。
目の前で震えているスパイス商人の男が、ひっくり返った声で弁明します。
「お、お嬢さん、そりゃあ無茶だよ! それはうちで一番辛いと言われてる『熱砂の吐息』だぜ!? 一舐めしただけで舌が痺れるって評判なんだ!」
「痺れる? 足のしびれの間違いではなくて? 私が求めているのは、魂が震えるような破壊的衝撃(インパクト)なんですのよ!」
私は山積みにされた赤い粉を指先で掬い、ペロリと舐めました。
「ふむ……。辛さレベルは十段階で一……いえ、〇・五といったところですわね。これを『熱砂』などと呼ぶなんて、砂漠の民に謝罪すべきですわ」
「な、なんて女だ……。その赤くなった指、痛くないのかよ……」
呆然とする店主を無視して、私は次の店へと向かおうとしました。
その時です。
「……君。いい指をしているね」
背後から、低く心地よい、けれどどこか聞き覚えのある声が掛かりました。
振り返ると、そこには昨夜の美男子……ではなく、さらに怪しげな格好をした男が立っていました。
深いフードを被り、顔の半分を布で覆っています。ですが、その隙間から覗く鋭い瞳は間違いありません。
「あら、アリスティア様? そんな泥棒のような格好で、朝の散歩ですの?」
「……変装だ。公爵が市場をうろついていると騒ぎになるからな。それより、君の指先……唐辛子の色素で真っ赤に染まっているじゃないか」
アリスティア様は、私の右手をそっと取りました。
「この染みは、君が真摯にスパイスと向き合っている証拠だ。……確信したよ。君こそが、私の冷え切った食卓を救う唯一の聖女だ」
「聖女ではなく、悪役令嬢ですわ。ところで公爵様、そんなことより見てくださいまし。この国の市場、品揃えが少なすぎますわ! もっと殺傷能力の高い唐辛子を置くように、国法で定めていただけませんか?」
「国法で唐辛子を……? 検討しておこう。だが、まずは君を連れ戻さなければならない」
「戻りませんわよ! まだこの市場の半分も見ていませんもの!」
「違う、屋敷に戻るんだ。君の『魔改造』のおかげで、厨房から火柱が上がっていると報告があった」
「あら、それは順調な証拠ですわね」
私たちがそんな平和な(?)会話を繰り広げている頃。
国境を越えた先にある、私の元婚約者が治める王宮では、正反対の空気が流れていました。
「……おい。この、山のような書類は何だ」
王太子ジュリアンは、執務室の机を見て、顔を真っ青にしていました。
「殿下……。テリーヌ様が処理されていた、今月の通商条約の草案と、地方領主からの陳情書……それから、先日の夜会の経費精算書です」
側近が、冷や汗を流しながら答えます。
「テリーヌが? あいつは毎日、厨房で毒物を作って遊んでいたのではないのか?」
「いいえ。テリーヌ様は『辛いものを食べる時間を一秒でも増やすため』と仰って、通常の三倍の速度で事務を終わらせておいででした……」
「……ならば、今日中に誰か代わりに終わらせろ! 私はシャルロットとアフタヌーンティーの約束があるんだ!」
「無理です! テリーヌ様の独自の速記と、謎のスパイス用語で書かれた注釈を解読できる者が一人もおりません!」
ジュリアン殿下が、ガタガタと震えながら書類の一枚を手に取りました。
『この案件は甘すぎる。ハバネロ級の厳しさで差し戻すべし』
「意味が分からん! 何を言っているんだあいつは!」
さらにそこへ、華やかなドレスを身に纏ったシャルロット様が泣きながら飛び込んできました。
「ジュリアン様ぁ! おやつにケーキを食べようとしたら、なんだか喉がピリピリして……! テリーヌ様がいなくなったのに、どうして私の周りは辛いものばかりなんですの!?」
「……それは、テリーヌが去り際に王宮中の砂糖の壺へ、微量の唐辛子粉を混ぜていったからだという噂だ」
「ひどすぎますわぁぁ!」
王宮中に響き渡る、悲劇のヒロイン(笑)と無能な王太子の叫び。
彼らはまだ気づいていないのです。
自分たちが追い出したのは「悪役」ではなく、王宮という組織を維持するための「最強の劇薬」だったということに。
一方、私は。
「公爵様! あそこの露店にある真っ黒な豆、あれは間違いなく劇物ですわ! 買ってくださいまし!」
「……ああ、好きなだけ買うがいい。……君が楽しそうで、何よりだ」
アリスティア様の財布(公費)をこれでもかと使い込み、私はさらなる刺激を求めて市場を爆走し続けるのでした。
翌朝、私は隣国の王都にある中央市場で、朝一の咆哮を上げていました。
目の前で震えているスパイス商人の男が、ひっくり返った声で弁明します。
「お、お嬢さん、そりゃあ無茶だよ! それはうちで一番辛いと言われてる『熱砂の吐息』だぜ!? 一舐めしただけで舌が痺れるって評判なんだ!」
「痺れる? 足のしびれの間違いではなくて? 私が求めているのは、魂が震えるような破壊的衝撃(インパクト)なんですのよ!」
私は山積みにされた赤い粉を指先で掬い、ペロリと舐めました。
「ふむ……。辛さレベルは十段階で一……いえ、〇・五といったところですわね。これを『熱砂』などと呼ぶなんて、砂漠の民に謝罪すべきですわ」
「な、なんて女だ……。その赤くなった指、痛くないのかよ……」
呆然とする店主を無視して、私は次の店へと向かおうとしました。
その時です。
「……君。いい指をしているね」
背後から、低く心地よい、けれどどこか聞き覚えのある声が掛かりました。
振り返ると、そこには昨夜の美男子……ではなく、さらに怪しげな格好をした男が立っていました。
深いフードを被り、顔の半分を布で覆っています。ですが、その隙間から覗く鋭い瞳は間違いありません。
「あら、アリスティア様? そんな泥棒のような格好で、朝の散歩ですの?」
「……変装だ。公爵が市場をうろついていると騒ぎになるからな。それより、君の指先……唐辛子の色素で真っ赤に染まっているじゃないか」
アリスティア様は、私の右手をそっと取りました。
「この染みは、君が真摯にスパイスと向き合っている証拠だ。……確信したよ。君こそが、私の冷え切った食卓を救う唯一の聖女だ」
「聖女ではなく、悪役令嬢ですわ。ところで公爵様、そんなことより見てくださいまし。この国の市場、品揃えが少なすぎますわ! もっと殺傷能力の高い唐辛子を置くように、国法で定めていただけませんか?」
「国法で唐辛子を……? 検討しておこう。だが、まずは君を連れ戻さなければならない」
「戻りませんわよ! まだこの市場の半分も見ていませんもの!」
「違う、屋敷に戻るんだ。君の『魔改造』のおかげで、厨房から火柱が上がっていると報告があった」
「あら、それは順調な証拠ですわね」
私たちがそんな平和な(?)会話を繰り広げている頃。
国境を越えた先にある、私の元婚約者が治める王宮では、正反対の空気が流れていました。
「……おい。この、山のような書類は何だ」
王太子ジュリアンは、執務室の机を見て、顔を真っ青にしていました。
「殿下……。テリーヌ様が処理されていた、今月の通商条約の草案と、地方領主からの陳情書……それから、先日の夜会の経費精算書です」
側近が、冷や汗を流しながら答えます。
「テリーヌが? あいつは毎日、厨房で毒物を作って遊んでいたのではないのか?」
「いいえ。テリーヌ様は『辛いものを食べる時間を一秒でも増やすため』と仰って、通常の三倍の速度で事務を終わらせておいででした……」
「……ならば、今日中に誰か代わりに終わらせろ! 私はシャルロットとアフタヌーンティーの約束があるんだ!」
「無理です! テリーヌ様の独自の速記と、謎のスパイス用語で書かれた注釈を解読できる者が一人もおりません!」
ジュリアン殿下が、ガタガタと震えながら書類の一枚を手に取りました。
『この案件は甘すぎる。ハバネロ級の厳しさで差し戻すべし』
「意味が分からん! 何を言っているんだあいつは!」
さらにそこへ、華やかなドレスを身に纏ったシャルロット様が泣きながら飛び込んできました。
「ジュリアン様ぁ! おやつにケーキを食べようとしたら、なんだか喉がピリピリして……! テリーヌ様がいなくなったのに、どうして私の周りは辛いものばかりなんですの!?」
「……それは、テリーヌが去り際に王宮中の砂糖の壺へ、微量の唐辛子粉を混ぜていったからだという噂だ」
「ひどすぎますわぁぁ!」
王宮中に響き渡る、悲劇のヒロイン(笑)と無能な王太子の叫び。
彼らはまだ気づいていないのです。
自分たちが追い出したのは「悪役」ではなく、王宮という組織を維持するための「最強の劇薬」だったということに。
一方、私は。
「公爵様! あそこの露店にある真っ黒な豆、あれは間違いなく劇物ですわ! 買ってくださいまし!」
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