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「……ふぅ。これで今日の『仕込み』は完璧ですわ!」
市場から戻った私は、さっそく魔改造した厨房に立てこもりました。
テーブルの上には、先ほど爆買いした謎の黒い豆、そして大量の乾燥唐辛子が山をなしています。
私は素手で唐辛子を千切り、種を取り出し、石臼で粉砕していきます。
普通の人間なら指先が焼けるような痛みに襲われるはずですが、私の指はすでに感覚が麻痺……いえ、スパイスと一体化しているのです。
そこへ、着替えを済ませたアリスティア様がふらりと現れました。
「テリーヌ嬢。まだそんな作業を続けているのか? 屋敷の料理人たちは、君が発する『刺激臭』に耐えかねて全員中庭へ避難してしまったぞ」
「あら、修行が足りませんわね。吸い込むだけで肺が洗われるような清々しい香りですのに」
私は作業を止めずに答えました。
石臼から舞い上がる赤い粉塵が、西日に照らされてキラキラと輝いています。
「……君の指」
アリスティア様が、私の手元をじっと見つめました。
「なんですの? やはり、お行儀が悪いとお叱りになりますの?」
「いや、違う。……いい指をしている、と言いたかったんだ」
彼は迷うことなく私の右手を掬い上げました。
指先は、唐辛子のカプサイシン成分で真っ赤に染まり、微かに震えています。
普通の令嬢の、白く柔らかな手とは正反対の「戦う料理人」の手です。
「君は、自分が悪役令嬢だと言ったね。だが、私にはそうは見えない」
「……ほう? では、何に見えますの?」
「自分の信念のために、自らを傷つけることも厭わず、突き進む者だ。この赤い指先は、君がどれだけ『味』に対して真摯であるかの証拠だろう?」
アリスティア様の青い瞳が、いつになく真剣に私を射抜きました。
その瞳に宿る熱は、唐辛子のそれとは全く別種の、静かで深いものでした。
「君の目もいい。市場でスパイスを見定めていた時のあの鋭さ……。あれは獲物を狙う鷹の目だ。私は確信したよ、テリーヌ。君こそが、私の灰色だった世界を彩ってくれる唯一の女性だと」
「……公爵様。それは、愛の告白か何かかしら?」
私は首を傾げました。
なにせ、婚約破棄されたばかりの身です。恋愛的な甘い言葉には、少しばかり耐性が……いえ、疑り深くなっておりますの。
「告白……? いや、これは『契約への確信』だ。君を離さない。たとえ元の国が泣いて謝ってきても、君の身柄は私が死守する」
「あら、嬉しいですわ。ジョロキアの支給が続く限り、私はどこへも行きませんわよ」
私が笑うと、アリスティア様も少しだけ口角を上げました。
その直後。
「……ぐ、ぐっ……!?」
アリスティア様が突然、私の指を握ったまま、目を見開いて硬直しました。
「公爵様!? どうなさいましたの!」
「……指が。君の指に付着していた成分が……私の肌に浸透して……っ! 熱い! 猛烈に熱いぞ、これは!」
「あら、失礼。素手で触れるのは危険だと申し上げるのを忘れていましたわ」
彼の綺麗な手の甲には、私の指が触れた跡が、くっきりと赤く浮かび上がっていました。
ですが、アリスティア様は痛みに顔を歪めながらも、どこか恍惚とした表情を浮かべていました。
「……いい。素晴らしい刺激だ。直接肌から君の情熱が伝わってくるようだ……」
「……公爵様。貴方、思ったより重症(の辛党)ですわね」
私たちがそんな「肌を焼くような交流」をしている頃。
王宮の会議室では、今日も絶叫が上がっていました。
「テリーヌを……テリーヌを今すぐ連れ戻せぇぇ!!」
ジュリアン殿下が、髪を掻きむしりながら叫びました。
目の前には、近隣諸国から届いた招待状や外交文書の山。
それらはすべて、テリーヌが「これはタバスコ程度の緊急度」「これは豆板醤のようにじっくり寝かせるべし」という独自の分類法で管理していたため、誰もどこに何があるか分からなくなっていたのです。
「殿下、落ち着いてください! シャルロット様が『私、王妃教育なんて聞いてないわ! お腹が空いたからお菓子を持ってきて!』と泣いておられます!」
「お菓子だと!? 今の王宮に、テリーヌの唐辛子トラップがかかっていない砂糖がどこにあるというんだ!」
その時、一人の兵士が息を切らして駆け込んできました。
「報告します! テリーヌ様の目撃情報が入りました! 彼女は現在、隣国のスパイス公爵アリスティアと行動を共にしているようです!」
「アリスティアだと!? あの、冷酷で味覚のない変人と……!?」
ジュリアン殿下の顔が、屈辱で真っ赤に染まりました。
それは、テリーヌの愛する唐辛子よりも、ずっと醜い赤色でした。
「許さん……。私の婚約者(元)を、あのようなスパイスまみれの男に奪われてたまるか! 奪還だ! 今すぐテリーヌを奪い返す準備をしろ!」
王太子の後悔が、ようやく動き始めました。
ですが、当のテリーヌは。
「公爵様、見てください! この『魔導コンロ』の火力、最高ですわ! これなら鉄板を溶かしながらチャーハンが作れますわよ!」
「ああ、素晴らしいなテリーヌ。だが、床が溶け始めているから少し出力を落としてくれ」
二人の温度差は、さらに激しく燃え上がっていくのでした。
市場から戻った私は、さっそく魔改造した厨房に立てこもりました。
テーブルの上には、先ほど爆買いした謎の黒い豆、そして大量の乾燥唐辛子が山をなしています。
私は素手で唐辛子を千切り、種を取り出し、石臼で粉砕していきます。
普通の人間なら指先が焼けるような痛みに襲われるはずですが、私の指はすでに感覚が麻痺……いえ、スパイスと一体化しているのです。
そこへ、着替えを済ませたアリスティア様がふらりと現れました。
「テリーヌ嬢。まだそんな作業を続けているのか? 屋敷の料理人たちは、君が発する『刺激臭』に耐えかねて全員中庭へ避難してしまったぞ」
「あら、修行が足りませんわね。吸い込むだけで肺が洗われるような清々しい香りですのに」
私は作業を止めずに答えました。
石臼から舞い上がる赤い粉塵が、西日に照らされてキラキラと輝いています。
「……君の指」
アリスティア様が、私の手元をじっと見つめました。
「なんですの? やはり、お行儀が悪いとお叱りになりますの?」
「いや、違う。……いい指をしている、と言いたかったんだ」
彼は迷うことなく私の右手を掬い上げました。
指先は、唐辛子のカプサイシン成分で真っ赤に染まり、微かに震えています。
普通の令嬢の、白く柔らかな手とは正反対の「戦う料理人」の手です。
「君は、自分が悪役令嬢だと言ったね。だが、私にはそうは見えない」
「……ほう? では、何に見えますの?」
「自分の信念のために、自らを傷つけることも厭わず、突き進む者だ。この赤い指先は、君がどれだけ『味』に対して真摯であるかの証拠だろう?」
アリスティア様の青い瞳が、いつになく真剣に私を射抜きました。
その瞳に宿る熱は、唐辛子のそれとは全く別種の、静かで深いものでした。
「君の目もいい。市場でスパイスを見定めていた時のあの鋭さ……。あれは獲物を狙う鷹の目だ。私は確信したよ、テリーヌ。君こそが、私の灰色だった世界を彩ってくれる唯一の女性だと」
「……公爵様。それは、愛の告白か何かかしら?」
私は首を傾げました。
なにせ、婚約破棄されたばかりの身です。恋愛的な甘い言葉には、少しばかり耐性が……いえ、疑り深くなっておりますの。
「告白……? いや、これは『契約への確信』だ。君を離さない。たとえ元の国が泣いて謝ってきても、君の身柄は私が死守する」
「あら、嬉しいですわ。ジョロキアの支給が続く限り、私はどこへも行きませんわよ」
私が笑うと、アリスティア様も少しだけ口角を上げました。
その直後。
「……ぐ、ぐっ……!?」
アリスティア様が突然、私の指を握ったまま、目を見開いて硬直しました。
「公爵様!? どうなさいましたの!」
「……指が。君の指に付着していた成分が……私の肌に浸透して……っ! 熱い! 猛烈に熱いぞ、これは!」
「あら、失礼。素手で触れるのは危険だと申し上げるのを忘れていましたわ」
彼の綺麗な手の甲には、私の指が触れた跡が、くっきりと赤く浮かび上がっていました。
ですが、アリスティア様は痛みに顔を歪めながらも、どこか恍惚とした表情を浮かべていました。
「……いい。素晴らしい刺激だ。直接肌から君の情熱が伝わってくるようだ……」
「……公爵様。貴方、思ったより重症(の辛党)ですわね」
私たちがそんな「肌を焼くような交流」をしている頃。
王宮の会議室では、今日も絶叫が上がっていました。
「テリーヌを……テリーヌを今すぐ連れ戻せぇぇ!!」
ジュリアン殿下が、髪を掻きむしりながら叫びました。
目の前には、近隣諸国から届いた招待状や外交文書の山。
それらはすべて、テリーヌが「これはタバスコ程度の緊急度」「これは豆板醤のようにじっくり寝かせるべし」という独自の分類法で管理していたため、誰もどこに何があるか分からなくなっていたのです。
「殿下、落ち着いてください! シャルロット様が『私、王妃教育なんて聞いてないわ! お腹が空いたからお菓子を持ってきて!』と泣いておられます!」
「お菓子だと!? 今の王宮に、テリーヌの唐辛子トラップがかかっていない砂糖がどこにあるというんだ!」
その時、一人の兵士が息を切らして駆け込んできました。
「報告します! テリーヌ様の目撃情報が入りました! 彼女は現在、隣国のスパイス公爵アリスティアと行動を共にしているようです!」
「アリスティアだと!? あの、冷酷で味覚のない変人と……!?」
ジュリアン殿下の顔が、屈辱で真っ赤に染まりました。
それは、テリーヌの愛する唐辛子よりも、ずっと醜い赤色でした。
「許さん……。私の婚約者(元)を、あのようなスパイスまみれの男に奪われてたまるか! 奪還だ! 今すぐテリーヌを奪い返す準備をしろ!」
王太子の後悔が、ようやく動き始めました。
ですが、当のテリーヌは。
「公爵様、見てください! この『魔導コンロ』の火力、最高ですわ! これなら鉄板を溶かしながらチャーハンが作れますわよ!」
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