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「お嬢様! しっかりしてください、お嬢様!」
ガタゴトと揺れる馬車の中で、専属侍女のアンナが半べそをかきながら私の肩を揺さぶっている。
パーティー会場から衛兵に(ほぼ強制的に)エスコートされて放り出された私は、現在、公爵家へと向かう馬車の中にいた。
世間一般から見れば、私は「婚約破棄された哀れな女」あるいは「身から出た錆で破滅した悪女」なのだろう。
アンナが絶望したような顔で私を見つめているのも無理はない。
「ああ、アンナ。そんなに泣かないで。メイクが落ちてパンダみたいになっているわよ」
「それどころではありませんわ! 殿下にあんな風に言われて……これからどうするのですか!? 公爵家は破滅、お嬢様は修道院送りか、最悪の場合は……!」
「最悪の場合?」
「……一生、粗末なパンとスープだけの生活ですわ!」
アンナの言葉に、私は一瞬だけ真顔になった。
「……それは確かに、死よりも辛い宣告ね。でも安心して、アンナ。私はその未来を回避するために、今日という日を待ちわびていたのだから」
「えっ? どういうことですの?」
私はフフリと不敵な笑みを浮かべ、ドレスの隠しポケットに手を突っ込んだ。
「見てなさい。王妃教育という名の監獄で、私が唯一、密かに磨き上げた『護身術』を」
私が取り出したのは、一本の骨付き肉だった。
パーティー会場の隅にあったビュッフェから、混乱に乗じて掠め取ってきた逸品である。
「……お、お嬢様? なぜドレスのポケットから肉が?」
「ふふ、驚くのはまだ早いわ。反対側のポケットには、特製の厚切りチーズも入っているのよ。この日のために、私はポケットを耐油性の生地で自作したんですもの」
私は、まだほんのり温かい肉にかぶりついた。
ジュワリと溢れ出す肉汁。適度な塩気。これよ、これこそが私が求めていた「人生」だわ!
「おいしい……! アンナ、信じられる? 咀嚼(そしゃく)して飲み込むという行為が、こんなに幸福なことだったなんて……!」
「お嬢様が壊れてしまった……。ショックで、お肉と会話するようになってしまったわ……!」
アンナが天を仰いで泣き出した頃、馬車はアステリア公爵邸の門をくぐった。
馬車の扉が開く。そこには、険しい顔をした父、アステリア公爵が立っていた。
「……エリチカ。話は聞いたぞ。貴語というやつか、会場で大恥をかいたそうだな」
お父様は、私の口元に付いた油をじっと見つめている。
「お父様! 聞いてください! 私、ついにやりましたわ!」
「やっただと? 婚約破棄されたことを言っているのか?」
「そうです! これで明日から、朝食にベーコンを五枚食べても誰にも文句を言われません! 週に一度の断食日も、泥水を啜るようなハーブティー生活も、すべておさらばです!」
お父様は絶句した。
彼はもともと厳格な人だが、娘のことはそれなりに愛してくれていたはずだ。
だからこそ、娘が「食べ物の恨み」だけで国家レベルの婚約をぶち壊したという事実に、脳の処理が追いついていないらしい。
「……エリチカ。お前、そんなに腹が減っていたのか?」
「お父様。想像してみてください。毎日毎日、『淑女の胃袋は小鳥のそれと同じであるべき』と説かれ、目の前で美味しそうなステーキが運ばれていくのを指をくわえて見ている日々を。それはもはや拷問です。人道に対する罪ですわ!」
「お、落ち着け……。わかった、とりあえず中に入れ。話は厨房——いや、応接間で聞こう」
「いいえ、厨房で結構です! むしろ厨房が良いです! 今すぐ調理長を呼んでください! バターとニンニクを大量に使った、心臓に悪そうな料理を片っ端から作らせるのです!」
私はお父様の横をすり抜け、慣れ親しんだ(ただし忍び込むことしか許されなかった)厨房へと突き進んだ。
背後で「お嬢様、走るとはしたないですわよ!」というアンナの叫びが聞こえるが、今の私にはBGMにしか聞こえない。
厨房の重い扉を蹴破る勢いで開ける。
そこでは、突然の事態に困惑した調理長と料理人たちが立ち尽くしていた。
「お嬢様……? このような場所に、一体何を……」
「調理長! お祝いよ! 今すぐパーティーの準備をしてちょうだい!」
「はあ……。どなたのパーティーでしょうか?」
私は胸を張り、高らかに宣言した。
「私よ! 『自由な独身女性(フリー・グラトン)』になった私の、新しい門出を祝うパーティーよ! メニューは……そうね、まずは『カロリーの暴力』をテーマにしたフルコースをお願い!」
「カロリーの、暴力……?」
調理長が震える声で聞き返す。
「ええ。揚げ物にマヨネーズをかけ、さらにそれをチーズで巻いたような、不道徳な料理を出しなさい! 飲み物は、砂糖を限界まで溶かしたミルクティーよ!」
お父様がようやく追いついてきて、頭を抱えながら壁にもたれかかった。
「調理長……。もういい、好きにさせてやれ。あいつのあんなに輝いた目は、生まれて初めて見た……」
「旦那様まで……。承知いたしました、アステリア公爵家の名誉(と胃袋)にかけて、最高の背徳料理をご用意いたしましょう!」
調理長が包丁を握り直す。
こうして、私の「追放生活一日目」は、かつてない飯テロの予感と共に始まったのである。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、専属侍女のアンナが半べそをかきながら私の肩を揺さぶっている。
パーティー会場から衛兵に(ほぼ強制的に)エスコートされて放り出された私は、現在、公爵家へと向かう馬車の中にいた。
世間一般から見れば、私は「婚約破棄された哀れな女」あるいは「身から出た錆で破滅した悪女」なのだろう。
アンナが絶望したような顔で私を見つめているのも無理はない。
「ああ、アンナ。そんなに泣かないで。メイクが落ちてパンダみたいになっているわよ」
「それどころではありませんわ! 殿下にあんな風に言われて……これからどうするのですか!? 公爵家は破滅、お嬢様は修道院送りか、最悪の場合は……!」
「最悪の場合?」
「……一生、粗末なパンとスープだけの生活ですわ!」
アンナの言葉に、私は一瞬だけ真顔になった。
「……それは確かに、死よりも辛い宣告ね。でも安心して、アンナ。私はその未来を回避するために、今日という日を待ちわびていたのだから」
「えっ? どういうことですの?」
私はフフリと不敵な笑みを浮かべ、ドレスの隠しポケットに手を突っ込んだ。
「見てなさい。王妃教育という名の監獄で、私が唯一、密かに磨き上げた『護身術』を」
私が取り出したのは、一本の骨付き肉だった。
パーティー会場の隅にあったビュッフェから、混乱に乗じて掠め取ってきた逸品である。
「……お、お嬢様? なぜドレスのポケットから肉が?」
「ふふ、驚くのはまだ早いわ。反対側のポケットには、特製の厚切りチーズも入っているのよ。この日のために、私はポケットを耐油性の生地で自作したんですもの」
私は、まだほんのり温かい肉にかぶりついた。
ジュワリと溢れ出す肉汁。適度な塩気。これよ、これこそが私が求めていた「人生」だわ!
「おいしい……! アンナ、信じられる? 咀嚼(そしゃく)して飲み込むという行為が、こんなに幸福なことだったなんて……!」
「お嬢様が壊れてしまった……。ショックで、お肉と会話するようになってしまったわ……!」
アンナが天を仰いで泣き出した頃、馬車はアステリア公爵邸の門をくぐった。
馬車の扉が開く。そこには、険しい顔をした父、アステリア公爵が立っていた。
「……エリチカ。話は聞いたぞ。貴語というやつか、会場で大恥をかいたそうだな」
お父様は、私の口元に付いた油をじっと見つめている。
「お父様! 聞いてください! 私、ついにやりましたわ!」
「やっただと? 婚約破棄されたことを言っているのか?」
「そうです! これで明日から、朝食にベーコンを五枚食べても誰にも文句を言われません! 週に一度の断食日も、泥水を啜るようなハーブティー生活も、すべておさらばです!」
お父様は絶句した。
彼はもともと厳格な人だが、娘のことはそれなりに愛してくれていたはずだ。
だからこそ、娘が「食べ物の恨み」だけで国家レベルの婚約をぶち壊したという事実に、脳の処理が追いついていないらしい。
「……エリチカ。お前、そんなに腹が減っていたのか?」
「お父様。想像してみてください。毎日毎日、『淑女の胃袋は小鳥のそれと同じであるべき』と説かれ、目の前で美味しそうなステーキが運ばれていくのを指をくわえて見ている日々を。それはもはや拷問です。人道に対する罪ですわ!」
「お、落ち着け……。わかった、とりあえず中に入れ。話は厨房——いや、応接間で聞こう」
「いいえ、厨房で結構です! むしろ厨房が良いです! 今すぐ調理長を呼んでください! バターとニンニクを大量に使った、心臓に悪そうな料理を片っ端から作らせるのです!」
私はお父様の横をすり抜け、慣れ親しんだ(ただし忍び込むことしか許されなかった)厨房へと突き進んだ。
背後で「お嬢様、走るとはしたないですわよ!」というアンナの叫びが聞こえるが、今の私にはBGMにしか聞こえない。
厨房の重い扉を蹴破る勢いで開ける。
そこでは、突然の事態に困惑した調理長と料理人たちが立ち尽くしていた。
「お嬢様……? このような場所に、一体何を……」
「調理長! お祝いよ! 今すぐパーティーの準備をしてちょうだい!」
「はあ……。どなたのパーティーでしょうか?」
私は胸を張り、高らかに宣言した。
「私よ! 『自由な独身女性(フリー・グラトン)』になった私の、新しい門出を祝うパーティーよ! メニューは……そうね、まずは『カロリーの暴力』をテーマにしたフルコースをお願い!」
「カロリーの、暴力……?」
調理長が震える声で聞き返す。
「ええ。揚げ物にマヨネーズをかけ、さらにそれをチーズで巻いたような、不道徳な料理を出しなさい! 飲み物は、砂糖を限界まで溶かしたミルクティーよ!」
お父様がようやく追いついてきて、頭を抱えながら壁にもたれかかった。
「調理長……。もういい、好きにさせてやれ。あいつのあんなに輝いた目は、生まれて初めて見た……」
「旦那様まで……。承知いたしました、アステリア公爵家の名誉(と胃袋)にかけて、最高の背徳料理をご用意いたしましょう!」
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